「れ、れりえる?」
 ブブブブブ…
 後ずさるマヤ。
 ううっと、一筋の汗が流れ落ちた。
「まさか…」
 暴走!?
 血の気が引くどころの話しでは無かった。
「制御が、制御がきかない!」
「え!?」
 シンジに向かって後ずさってくる。
 恐怖に震えているのか、シンジも嫌な予感を覚えた。
「お願い、助けて!」
 いきなりシンジにすがりつくマヤ。
「な、なんですか!?」
「レリエルを止めて!」
 シンジの肩をつかんで離さない。
「い、良いんですか?」
 マヤに抱きすくめられて、「どひゃー!」のシンジ。
「良いのよ!、急いで!!」
「で、でもどうして!?」
「このままじゃクライン空間に取り込まれちゃうのよ」
 レリエルが二重三重にぶれて見えた。
「やだ!、異相空間が維持できなくなっちゃってる!?」
 目の間に余り豊かではない胸がある。
「だ、だから!?」
「元の世界に戻れなくなっちゃうのよ!」
「そ、そんな…」
 ブブブブブ…
 レリエルの表面にあるまだら模様が、苦痛に歪みはじめた。
「どうしてそんなものを使ったんですか!?」
「だってしょうがないじゃない!、先輩を…、先輩を助けたかったんですもの!」
 真剣な眼差しに、シンジはどきんと胸が跳ねた。
「どうすればいいんですか!?」
 シンジはその目を信じることにした。
「エヴァがあるでしょ!?、お願いだから倒して、もう時間がないのよ!」
「わかりました!」
 慌ててインターフェースを取り出し、頭につける。
「良い?、あれは実体じゃなくて影なの、だから狙うなら足元の影を…」
「来ます、逃げて!」
 どんっと、シンジはマヤをつき飛ばした。
「え?、あ!?」
 助けてくれたの!?
 足元にしかなかった影が、立体的な物へと変化した。
 名前を呼ぼうとして、少年の名を記憶してなかった事を思い出す。
 球状に膨張しはじめたレリエルの特殊空間、シンジはその中に取り込まれる寸前、なんとかエヴァテクターと叫ぶのに成功していた。


「あなたたち、レリエルがどういうものかわかっているの!?」
 リツコの叱責を聞き流しながら、シゲルとマコトは慌ただしくコントロールキーを叩いていた。
「クライン空間が溢れ出してきます!」
「こちら側の世界を侵食、次元測定値が下がって…、ああ!、マイナスを示しています!!」
 地上から目視で確認しているリツコの方が、数値などよりリアルな恐怖として実感できている。
 それはまさに黒い巨大なボールであった。
 目前の山の中腹に現れている。
「言っておくけど…、本意ではないわよ?」
「わかっているわ」
 吐き捨てるミサト。
 今の二人には、見ているより他にできる事が何も無かった。


 …だめだ、反応が無い。
 なにもない、何もない空間なんだ…
 シンジは真っ白な世界の中で、ただただ漂い続けていた。
 自分でも驚くほど落ち着いている。
「まだいける、まだやれる…、僕にはまだ、試していないことがたくさんあるんだ…」
 気力を振るい立たせる。
 僕が諦めない限り、エヴァは力を失わないから。
 手を伸ばしてみる。
「だめだ、何も感じ取れない…、空間が広過ぎる?、いや違う、無限に広がっているからだ」
 何かが引っ掛かった。
 難しい事はわからないのに、何かが…
「そうか、何も無いのに距離がある、それがおかしいんだ」
 自分の体を見下ろす、鬼の腕、紫色のお腹、気味の悪い足。
「全部いつものままに見える…」
 何も無いなら数値にも意味が無い事になる、ならなぜ、腕も、足も、体も、いつもの長さのままなのだろうか?
「つまりそれは、これが嘘の空間だからなんだ」
 矛盾点をつく。
 ビシ…
 どこからか、亀裂の入る音が聞こえてきた。
「レリエルとかって…、あれの作り出してる世界なんだ」
 ピシ…っと、今度は弱く。
「希望が断たれたわけじゃない」
 音はビシッと、さらに強く。
「何も無い世界に居る僕、僕と言うものがあるのに何も無いと言う世界」
 母さん?
 なぜその単語が浮かんできたのだろうか?
 シンジは思いきり戸惑った。
 何も無い世界です…、もしかすると帰れないかもしれません…
 空耳などでは、絶対に無い。
 ああ…
 父さん?
 父の存在も感じる。
 でも…、わたしとあなたとこの子が居る限り…、わたしは幸せなままでいられますもの…
 そうだな、ユイ…
 母さん!
 手を伸ばす、遥か彼方から何かが飛来してくる。
「なんだ?、光…、光る剣、槍?」
 シンジの直前でそれは制止した。
「槍…、ロンギヌスの槍?」
 光を失うと、それは赤黒い色をしていた。
 先程の声と槍の名前、それがエヴァからのデータだと悟る。
「これを使えって言うんだね?、母さん…」
 シンジは槍を取り、そのまま大きく振りかぶった。


「きゃあ!」
 後一歩で、マヤもその影に飲み込まれる所だった。
「なに?、なんなの!?」
 ドオン!
 大地がうねり出した。
「まさか!?、フィールドで固定された世界が動くわけ…」
 エヴァ・オリジナル!?
 フオォォォォォォォォォ…
 ゆっくりと…、だが着実に、影の中からシンジは浮かびだしてきた。
 初めは角が、そして口が…、顎部ジョイントが外れ、獣の声を漏らしだすエヴァ。
「それに…、まさかあれは、ロンギヌスの槍!?」
 実物を見るのは初めてだった。
 だがエヴァテクターが、真下に突き立てるために両手で握っているそれは、間違いなく世界を一撃で破壊するとまで噂された武器である。
 フォウ!
 体が全て現れた所で、左腕で槍を横に払った。
 ガリガリガリ!っと地面が削られる。
「フィールドが破られた!?」
 その傷から鮮やかな色彩が流れ込んできた。
 モノクロームの世界を一瞬で塗り変えてしまう。
「なんて…、力なの」
 ゴクリ…
 マヤは生唾を飲み込んだ。
 バシュ!
 フオゥ…
 そのエヴァの頚動脈の辺りが突然裂けた。
 吹き出す鮮血。
「な、なに!?、レリエル…」
 レリエルの空間干渉能力による攻撃だ。
 レリエルそのものが倒れたわけでは無かったのだ。
「ダメ!、自動モードだわ、一番の敵性体に攻撃をしかけてるのよ」
 ゴウ!
 突然の突風に、マヤは吹き飛ばされそうになった。
 何とか踏ん張る、両腕で目を庇いながら、マヤはエヴァとレリエルを見た。
 双方共に微動だにしていない。
 だがエヴァの出血は続いている。
「マヤ!」
 知った声に驚いて真上を見上げる。
「先輩!、無事だったんですね!?、良かった…」
 サクハイエルが空中に留まっていた。
「良いから乗るのよ、早く!」
「はい!」
 元気の良い返事に答えるように、不可思議な光がマヤを包みこんだ。
 そして次の瞬間には、マヤはサクハイエルによって空へ空へと吸い上げられていった。


 世界に色が戻ってきた。
「戻ったの!?」
 ぱっと顔を上げて、アスカは瞳を輝かせた。
「…碇君が戦ってる」
「あ、ちょっと!」
 駆け出すレイに、慌ててついてく。
「戦ってるって…、あのバカが?」
「バカじゃないわ…」
 息も切らせずに山を駆け戻る。
「バカよ大馬鹿!、一人でかっこつけちゃってさ…」
「それが碇君の優しさだもの」
「そんなのわかってるわよ!」
 ムキになって言い返す、レイは急に立ち止まると、怒ったような表情でアスカを睨みつけた。
「な、なによ…」
 たじろぐ。
「…碇君に好かれていたからと言って、いい気にならないでね」
「んな!」
 顔がどす黒く変色した。
「なにバカなこと言ってんのよ、あんたは!」
 レイはもう聞いてはいなかった。
「エヴァン…ゲリオン?」
 のそりと、ゆっくりとその上半身が木々の向こうに現れた。
 うつむき加減から顔を上げるエヴァ・オリジナル。
「碇君!」
 シンジの肩がいきなり裂けた。


 フォウ!
 シンジの肩が裂けた。
 次に腿、脛、口の端、腕、庇うように突き出した手の平、次から次へと裂傷が生まれていく。
 レリエルがそのサイズを自力で変更した。
 真円の形で広がる、シンジは飛びすさった。


「そんな!、アラエルの助力も無しにあんなこと…」
 マヤとは正反対に、リツコは平然としてデータを取っていた。
「もともと空間を操るために作られた使徒ですもの…、限界を越えれば簡単な事よ」
「限界…、ですか?」
「そ…」
 モニターに映る戦場を見る。
「s2機関の限界を越えればね」
 とてもとても冷めた目で、リツコはシンジを見ていた。


 碇君!
 きゃー!
 綾波…、惣流さん?
 二つの悲鳴にシンジは正気に返った。
 僕…、そうか、槍で…
 その後の記憶が飛んでいる。
 二人は?
 今まさに、レリエルの影に追い詰められようとしていた。
 させない!
 真下から針のようなものが飛び上がってきた、それはシンジの目の前で制止する。
 ロンギヌスの槍?
 突然変化が起こった。
 槍のねじれが穂先から柄に向かって動き出したのだ。
 よじれてく…
 ついでに伸びていく。
 先端の刃先が太くなっていく、その太さでよじれていく。
 そのねじれていく動きが止まった時、そこにはエヴァンゲリオンに相応しい、巨大な槍が現れていた。


 ロンギヌスの槍!?
 驚きを上げたのはリツコ、ミサト、ゲンドウ…、それにもう一人。
「あないなもんまで持っとったんかいな…」
 研究所兼自宅の洋館の屋根の上に、トウジは腕を組んで突っ立っていた。


 てやああああああああ!
 無我夢中で、槍を地面に突き立てる。
 ビクン!
 その震えと共に、影が広がるのをやめた。
「あ、あっぶなー…」
 それはまさにしゃがみこみ、腰を抜かして動けなくなっているアスカのところで、止まってくれていた。



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