「し、信じられない…、レリエルを「縫いとめる」だなんて…」
口元を手で押さえてしまうマヤ。
直上からは真円を描く真っ黒なものが、エヴァの持つ赤い槍によって動きを封じられているように見えていた。
いや、実際にシンジはレリエルの動きを止めていた。
これは?
不思議な力が湧きあがってくる。
これがATフィールド?
槍を媒体として力が放出されていた。
ATフィールドがレリエルを包みこみ、その拡大を防いでいるのだ。
やれる、僕にもできる!
シンジは槍をねじるように引きぬいた。
ていやああああああああ!
直径680m、厚さ約3ナノメートルというぺらぺらのレリエルが、まるでフォークで持ち上げられたピザのように宙に舞った。
ねじり、巻き取りながら、隣の山へと叩きつける、レリエルは逃れる事もできないままに、ぐしゃぐしゃに絡め取られ、丸められていた。
はあああああ!
槍が閃光を放ちだした。
それに合わせて、エヴァの腹部にあるコアも輝きを増す。
「だめ、碇君!」
レイの悲痛な声が聞こえたような気がした。
だがシンジには止められない。
「碇君!」
アスカも不安を感じて叫んでいた。
コアの光が弱まっていく。
それはまるで、シンジの命を燃やしつくしていくかの様であった。
「活動限界まで…、あと10、9…」
冷静にカウントしているミサト。
ゲンドウはモニター代わりのテレビから、決して視線を外そうとしていなかった。
テーブルの上にはアタッシュケースが置かれている、ミサトは無慈悲なカウントをやめずに続けた。
「あれが…、シンジなんですか?」
ケンスケとヒカリは、ゲンドウの肩越しにテレビを見ていた。
「0、オリジナル、活動限界です」
事務的なミサトの声が、その場に重い沈黙をもたらした。
光が弱まっていく。
槍はその光と共に、溶けるように姿を消した。
使徒も…、レリエルもだ、これまでと違い、跡には何も残らなかった。
「碇君!」
駆け出すレイ。
「あ、待ってよ!」
追いかけるアスカ。
二人がたどり着いたのは、エヴァンゲリオンの足跡が生々しい、木々の倒れた窪地だった。
その中央に人型のもの。
「碇君!」
紫色のエヴァテクターだった。
レイは迷わず駆け寄った。
アスカは…、少しだけ緊張の度合を強めた。
レイが両手を広げるのと、シンジが倒れこむのが同時だった。
ガコ…
そのエヴァテクターの仮面が外れた。
ゴアン…
地面に落ちた、大きさの割には派手な音を響かせて。
「ひっ!」
小さく悲鳴を上げるアスカ。
その下にあったのは、とても人間とは思えぬ緑色の目をした、マスク姿の獣だった。
後ずさる、半歩、一歩。
その緑色の目が動いた、ぎょろりとアスカを見る。
「嫌…」
アスカは恐怖の余り、目に涙をにじませていた。
その瞳に映る、素体と呼ばれる人型の化け物。
アスカのブルーアイが鏡となって、シンジに自分を知らしめた。
今のシンジの姿を。
瞳孔が開く、恐怖に。
「うわ…、うわ、うわ!、うわああああああああ!」
だからシンジは、はりさけんばかりに大きく叫んでしまったのだった。
「よう、おつかれさん」
シゲルがコーヒーの入ったカップを、マヤのデスクに置いた。
「ありがと…」
両手で持ち、こくこくと可愛らしく口に運ぶ。
「どうしたの?、元気ないじゃない」
「ちょっとね…」
うなだれる。
「ははぁん、その様子だとドクターにこってり絞られたんだろ?」
「まあ、そんな所です…」
ごめんなさい、先輩…
本当は違う事で悩んでいたのだが、マヤはその勘違いを悪用した。
「早く忘れるんだな?、俺達だって同罪なんだからさ」
「ありがとう」
マヤは空元気で笑って見せた。
片手を上げ、自分のデスクに戻るシゲル。
敵なのに…
その背中に、マヤはシンジの背中を重ねてみた。
どうして助けてくれたのかしら?
揺れ動く心に、マヤ自身がとてつもなく大きな不安を感じていた。
月明かりが降ってくる。
「あの人…」
アスカ…、惣流・アスカ・ラングレー。
「危険だわ」
レイはプールに浮かんでいた。
一糸まとわぬ姿で、天井にある窓から落ちてくる光に、全身を浮き上がらせていた。
「碇君を傷つけるだけの存在」
シンジに恐怖と、劣等感を与える存在。
「エヴァの力は心の産物…」
ならアスカのようなマイナス要素は不必要なのだ。
「なのになぜ?、なぜわたしはあの人と逃げたの?」
本当はわかっていた。
そうしないと、シンジが悲しむからだとわかっていた。
「さっすが空気がいいと、お月様まで違って見えるわねぇ」
「う、うん…」
レイが見上げていた窓、それを隠している薔薇の垣根の側で、アスカとシンジは深夜の密会を開いていた。
とは言っても、本当は気がついたばかりのシンジを、アスカが強引に連れ出してきただけだったのだが…
「あんた…、まぁた後ろ向きなこと考えてたでしょ?」
腰を折って顔を覗きこむ。
シャツの襟元が大きかった、胸が覗けて見えてしまう。
「そ、そんなこと、考えてないよ…」
慌てて顔をそむける。
「ほうら、またそうやって逃げる…」
勘違いするアスカ。
「…逃げてないよ」
「そうね、ちゃんと戦ったわよねぇ?」
シンジは自分のシャツの胸元をつかんだ。
「で、僕に何の用なのさ」
苦しいのだろうか?、顔が苦痛に歪んでいる。
心が悲鳴を上げているようだった。
「一応お礼を言っとこうと思ってね?」
「え?」
予想外の言葉。
「何ボケボケっとしてんのよ?」
「あ、ごめん…」
なんだか、話せば話すほどよくわからなくなってくな…、惣流さんの性格って…
それでも少しだけ胸をなで下ろす事ができた。
「で、質問には答えてくれるんでしょうねぇ?」
不意打ち。
「し、質問?」
どもる。
「あんたバカァ?、まだとぼける気?」
まっすぐな視線、シンジよりも高い位置から見下ろしてくる…と思ったら、いつの間にか石の上に立っていた。
「ヒカリ達に知られても良いって事は、秘密にしなきゃいけないってわけじゃないんでしょ?」
シンジは首を傾げた。
「さあ…、父さんに聞かないとわからないけど」
「あんたそんなこともわかってないで、命賭けて戦ってんの?」
蔑むような感じ。
「だって…、しょうがないじゃないか、何も教えてもらえないんだから」
「それは聞いたわ…」
「それに僕はまだ不安なんだ…」
「不安って?」
「綾波や父さんが背負っているものを分け与えられても、耐えられるかどうかわかんなし、だから大丈夫と思えるほどの勇気を持てないでいるんだよ…」
余計にわからなくなる。
「じゃあ、なんであんたなわけ?」
「え?、どういうことさ…」
「もう!、じれったいわねぇ…、別にあんたじゃなくっても、他の人が戦ってもいいんでしょ?」
手を差し出す。
「なに?」
「変身するための道具、あるんでしょ?」
シンジは後ろポケットをまさぐって、インターフェースを取り出した。
「これ…」
「ふぅん、こんなのでねぇ?」
手にとって、しげしげと眺める。
「ねえ、これ付けたら、あたしにも変身できるのかなぁ?」
「さあ、やってみなくちゃわからないけど…、多分無理だと思うよ?」
「え?、どうしてよ」
「僕じゃないと変身できないって…、父さんがそう言ってたから」
「ふうん、つまんないの」
シンジに「はい」っと返した。
「ま、いいわ、…なんだかすっきりしないけど、宇宙人が攻めてきてて、あんたはそれを守ってる正義の味方なんだって事よね?」
腕を頭の後ろに組んで、館へ戻ろうとするアスカ。
「…実は、狙われてるのは僕なんだよ」
シンジは、何故だか告げてしまった。
「うそ!?」
驚きふり返るアスカ。
「本当だよ…、初めに狙われてたのは綾波だったんだけど…」
「なんであんたなんかを…」
怪訝そうに、シンジを上から下へと眺めやる。
「僕がエヴァを使えるから…」
「それだけ!?」
「そ、それだけ…」
それだけしか価値が無いっていうのに…
やがてシンジは、あることに気がついた。
「だから惣流さん…、早く帰ったほうがいいよ」
「なんでよ?」
なぜだか怒っているような雰囲気。
「だって…、ここに居ると危ない目にあっちゃうじゃないか…」
「もう会ったじゃないのよ?」
シンジは物分かりの悪さにイライラとした。
「だからだよ、それにもっと危ない目にも…」
「これからどうなるかなんて、そんなのその時にならないと、わっかんないじゃないのよ?」
ウィンク。
キョトンとするシンジ。
「それとも、あたしのことは守ってくれないってわけ?」
ドキン!
シンジはアスカの真剣な眼差しに射すくめられた。
「どうなのよ?」
なんて答えればいいんだろう?
シンジは迷って、何度も右手を握り直した。
「でも…、でも同じなんだ、惣流さんが言った通りなんだよ、僕はあのカナリアと同じに見て…」
「良いじゃないのよ?」
「え?」
優しい笑顔にとまどってしまう。
「それで良いんじゃないの?」
穏やかな微笑み。
とんとんっと、アスカは軽くステップを踏んで近づいた。
「難しく考える事、無いじゃない?」
シンジを覗きこむ、わざと姿勢を低くして…
「知ってた?、なんであたしが、あんたの手紙をバカにしたのか…」
胸が痛くなる、だがアスカの髪の芳香がそれをやわらげた。
「あんたに見られてたからよ」
キス。
いきなりの口付け。
離れる、シンジは慌てて、両手で口を押さえた。
「誰だかわかんない奴から手紙貰って、あんたに変に思われたら嫌だってね?、そう思ったのよ」
シンジはまだ目を白黒させていた。
「ついでに昼間のこと…、あれは嫉妬、嫌な女ね、あたしって」
アスカの言葉が右から左へと流れて行く。
今、今なにされたの?、僕!?
意味をつかみ取れないほどの混乱と困惑。
「あんたがカナリアのことで悲しんでるの見てさ…、それで気になり出したの、なのにあんな女がカナリアの代わりだなんて…、そんなの嫌、絶対に嫌!」
吐き捨てる。
その声の荒さに、シンジは平静を取り戻しかけた。
「惣流さん…むぐ!」
二度目のキス!
今度は逃げられないように、シンジは両手を強くつかまれていた。
10秒、30秒、60秒、まだ離してくれない。
青くなっていくシンジの顔。
「ぷはぁ!」
2分ジャスト、シンジは窒息する寸前で助かった。
「そ、惣流さん!?」
「アスカ…」
小声で呟く。
「え?」
「アスカよ!、今度からそう呼びなさい、いいわね!?」
「で、でも…」
「い・い・わ・ね・?」
余りにもおそろしい形相に、シンジは首を縦に振るしか無かった。
「よっし、よろしい!」
ご機嫌なアスカ。
「じゃ、じゃあ先に戻ってるから、後から来るのよ?」
「え?、なんでさ…」
「あんたバカァ?、一緒に戻って、「何してたのかなぁ?」なぁんて、聞かれたいわけ?」
大慌てで首を横に振る。
「じゃ、たっぷり30分程遅れてから、戻ってきなさいな」
「そ、そんなに!?」
まだ顔が赤いわよ?
アスカの細い指が、去り際にシンジの頬を撫でていった。
「ど、どうしちゃったんだろ?」
その変貌のすさまじさについていけない。
「顔が赤いったって…、息とめてたからなのに…」
そこでようやくシンジは気がついた。
「あ、鼻で息をすればよかったんだ…」
これ以上は無い大ボケをかまして、シンジは部屋に戻るまでの30分を、たっぷり月見に費やすのだった。
続く
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