「サハクイエル、出ます」
 ガギエルの下部からペロンと皮がはがれ落ちた。
 それはあっという間にオレンジ色のサハクイエルに変化する。
「エヴァ・オリジナルを捕らえるのよ、なんとしてもね…」
 リツコには、他に打開策を見つけられなかった。


「やめてよ…、お願いだよ、なんでだよ、どうして二人がいがみ合わなきゃならないのさ…」
「あんた、なに泣いてんのよ?」
 アスカとレイはお互いのことなど忘れて、シンジに向かって視線を投じた。
「なんで?、おかしい?、僕にだってわかるよ、わかってるさ!、どうせ僕なんて何とも想われてないって事ぐらい、わかってるんだ!」
 吐き捨てるシンジ。
 アスカは服の胸元を強く握った。
「それでも嫌なんだよ!、僕は誰かが死ぬのは、死んじゃうのは、居なくなっちゃうのが嫌なんだよ!、あんな悲しい思いをするのは、もうたくさんなんだ!、だから戦ってるんだよっ、それじゃいけないの?、どうして僕が…、僕のことで二人がいがみ合うのさ…、僕のことなんて、何とも思ってないくせに…」
 ぐしっと、腕で涙をぬぐう。
「それは違うわ、碇君…」
「違わないよ…」
 顔を上げて、優しげに微笑む。
「綾波は僕が守るから…、僕が守るから、僕のことを気にかけてくれてたんでしょ?」
 はにかんだ笑顔に、疲れが見える。
「でも、いま狙われてるのは僕だ…、綾波じゃない」
「だから碇君はわたしが守るわ」
 すっと前に出る。
「でも、それだとまた綾波が傷つくだけだ…、だから僕が戦うしかないんだ…」
 次にシンジは、アスカに目を向けた。
「惣流さんは…、あの時のことを気にしてるんでしょ?」
 あの時のこと。
 アスカがシンジの手紙をばかにした時のことだ。
「そ、そりゃまあ、そうだけど…」
 それ以外のこともあるのに…、もっと前からのことだってあるのに、カナリアの時からのことだってあるのに!
 うまく口にできないで、アスカはもどかしさを募らせた。
「もう、いいんだ…、すんだ事だから、僕も気にしてないから…」
 淋しさが顔に現れている。
 ちっとも良かないわよ!
 苛々してくるアスカ。
「綾波?」
 必死に言葉を探しているレイ。
「惣流さん…」
「なによ?」
 怒りに目を釣り上げているアスカ。
「二人は、僕が守るから…」
 シンジは空を見上げた。
 真っ青な空の一点に、赤く糸を引くように燃えている炎が見えた。
「じゃ、さよなら…」
 シンジは強く、固く拳を握り締め、走り出した。
「碇君!」
「シンジ…」
 背後で呼び止める二人の声、だがシンジにはもう、振り返る事はできなかった…


「来たか…」
 窓から空を見上げているゲンドウ。
「サハクイエルです」
 大気摩擦で赤く燃えている。
「減速を開始しました、コース修正」
「こちらへ来るな…」
 木々の合間から巨人が立ち上がるのが見えた。
「シンジか!?」
「エヴァ−01、心理グラフが乱れています」
 どれ?、とトランクケースを覗きこむゲンドウ。
「なにがあった?」
「わかりません…、が、このままでは…、!?」
 レッドアラーム。
「ロンギヌスの槍を呼んでいます!」
 エヴァが口を開いて、一際大きい咆哮を放っていた。
 その喉の奥から鮮血が吹き出してくる、それらは螺旋を描いて形を作り、槍の柄を作り出した。
 ぎゅっとそれを両手でつかみ、まるで己の喉から引き抜くかの様に、ロンギヌスの槍を取り出すシンジ。
「いかんっ、シンジ!」
 シンジはゲンドウの叫びなど聞いてはいなかった。


 ロンギヌスの、槍…
 サハクイエルが一直線に近づいてくる。
 これで終わりにしてやる…
 投擲体勢を取った。
 コアが光り出す、その光は赤を越え、真っ白な閃光にまで昇華された。
 たああああああああ!
 どん、どんっと踏み切り、投げる。
 光は全て、槍が吸い上げ、まとって行った。
 雲に大穴を開けて降下してくるサハクイエル、その中央を光速に近い勢いでロンギヌスの槍が貫いた。
 サハクイエルは爆発する事すらできずに、一瞬で消滅していた。


「サハクイエルが!」
 悲鳴を上げるマヤ。
「まだよ!、ロンギヌスの槍は?」
 リツコの質問に、マヤは必死になって行方を追った。
「物理的速度を突破!、次元空間を跳躍、だめです、追いきれません!」
 これで再び闇の彼方ね…
 ほぞを噛む。
「いいわ、今の目標はエヴァだもの」
 にやりとほくそ笑む。
「ロンギヌスの槍を…」
 がたんと椅子を蹴って立ち上がるシゲル。
「そりゃいくらなんでもヤバいっすよ!」
「そうですよ、槍の使用には御偉方の許可が…」
 マコトもそれには同意見だった。
「かまわないわ」
「先輩!」
「本物の槍ほど多様な能力は無いけれど、力を使い果たしたオリジナルを分解するには十分だわ」
 先輩、どうしちゃったんですか…
 マヤはリツコに不信感を抱きはじめていた。


 何かが…、くる。
 薄れゆく意識の中で、シンジはそれを感じていた。
 月の…、裏側?
 槍に似た力を感じる。
 同時に気が遠くなっていく。
 だめかな…、もう。
 いや!っと気力を奮い立たせた。
 まだだ、まだやらなくちゃ…、このままじゃ何にもならないんだ…、みんな死んじゃう、死んじゃうんだよ…
 首の骨が折れ、ぐったりとしている小鳥のイメージが浮かんで消えた。
 そんなのはもう嫌なんだよ!
 小鳥のくちばしからは、細く、赤いものが流れ出していた。
 それがシンジの手を汚している。
 今でもこの手には、あの血が付いているような気がする…
 だからまだだと、シンジは心に、想いに喝を入れた。
 ぐぐっと、エヴァの頭が持ち上がる。
 フオオオオオオオ…
 いつもとは違う、弱々しい叫び。
 肺の空気を使いはたしたかのように、かくんと全身の力を抜くエヴァンゲリオン。
 ズシャ…
 ふらついた拍子に、一歩足を踏み出した。
「あいつ…」
 まだやろうっての!?
 アスカにも無理をしているとわかってしまった。
 それ程までに、シンジの動きは弱々しいものになっている。
「見なさい…」
 隣でレイは、誇らしげにその姿を見ていた。
「あれが碇君の…、本当の碇君の心の形よ」
 強くて、優しい。
 誰よりも人を、他人を愛する碇君の本当の心よ。
 レイもインターフェースを取り出した。
「だからわたしは行くの」
 それを髪に着ける。
「碇君の元へ」
 碇君と共にあるために。
 そしてレイはその想いを胸に、高らかにエヴァの名前を叫んでいた。


「01に続いて00も起動!」
「レイか、シンジの様子は?」
「ダメです、槍の使用により生命力を限界にまで削られています!」
 そこにどたどたとトウジ、ケンスケ、ヒカリが駆けこんで来た。
「そ、外の、もしかしてシンジですか!?」
 遅れてアスカもだ。
「バカシンジ!、なんだかよろよろしてるんですけど!」
「ちょっと待って!」
 余裕のないミサト。
 そんなにヤバいの!?
 ミサトとゲンドウの険しい表情に、アスカはぐっと押し黙った。
「いかんな、このままでは魂を食いつくされるぞ」
「では、どうすれば…」
 赤外線マイクを取るゲンドウ、小指が立っている。
「レイ、強制解除だ」
 レイからの返事は無い。
「レイ!、お願い、言う通りにして、このままじゃシンジ君が!」
「貸して!」
 マイクを取り上げるアスカ。
「この冷血女!、あんたシンジを殺す気なの!?」
「これが碇君の望みだもの…」
 全員が一斉に窓の外を見た。
 オレンジ色の巨人が紫色の鬼を支えている。
「そんな…」
 絶句するアスカ。
 死んでも良いっての?
 そんな自己犠牲の精神が、アスカには理解できない。
「所長!」
 ミサトがウィンドウを指差した。
「これは!?」
 二体のエヴァが並んで表示されている、その上方にレベルメーターが開かれていた。
「シンクロ率が跳ね上がっています」
「レイ…、そこまでシンジのことを…」
 ピクっとくるアスカ。
「シンジは?」
「数値は低めですが…、でも!」
 その二つを繋ぐように、クロスするラインが表示された。
「ハーモニクスは過去最高を記録しています!」
 50〜60%と言ったところで、数値が変動していた。
「試せる…、か」
 ニヤリとゲンドウの口の端が釣り上がった。
「よし、合体だ…」
「はい!」
 ミサトはマイクを持ち、窓の外に見える二人に向かって、強く、大きく、そして期待に満ちた声で、高らかに小指を立てて命令を伝えた。
「二人とも、シンクロドッキングよ!」
 シンジはぼんやりと、そんなミサトの指示を聞いていた。


 合体…、そんな事ができるの?
 しゃべる気力も無く、思うだけのシンジ。
 わたしとひとつになるの…
 思考に対して、思念が返ってきた。
 一つになる…
 拒否、拒絶、恐れと嘆き、悲しみ…
 様々な感情がシンジを捕らえた。
 碇君…
 それらがダイレクトにレイの心に投影されてしまう。
 碇君…
 レイの心に、真っ直ぐには言い表せない、見せる事すらできない心もあるのだと、その想いが刻まれた。
 碇君…
 複雑な感情が沸き上がってくる。
 碇君…
 深い…、それはとても深い悲しみ。
 碇君…
 信じてはもらえないのだと言う、嘆きの心。
 碇君…
 レイはその想いを言葉にしようとした。
 碇君…
 形にしようとした。
 碇君…
 それをシンジへと流し込んだ。
 碇君…、わたしの…
 共有される二つの心。
 わたしの心を、分けてあげる…
 他人が入り込んでくる感覚を、シンジは心で感じていた。



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