「あの…、バカ!」
 アスカが吐き捨てたのとほぼ同時に、シンジは殴り飛ばされていた。
「……!」
 レイの悲鳴が聞こえたような気がする。
「はぁはぁはぁ…、ふぐ!、ぎゃあああああああ!」
 シンジ!
 アスカは思わず飛び出しかけた。
 だが行った所で何になるのだろう?
 だからって隠れてたって…
 ノブに手をかける。
 震えていた。
 かたかたと恐怖に、真っ白になって血の気を失っていた。
 恐がってるの!?
 歯もかちかちと鳴っている。
 アスカは恐怖を自覚する。
「あああああ…」
「ふふふ…、我慢してみせるんじゃなかったの?」
「い…かりくん…」
 どうして…、どうして、どうしてよ!
 耳を塞ぎたかった。
 レイのためにどうしてそこまでできるのかわからなかった。
 その答えはシンジの口から語られた。
「まだ…、僕は生きてる…」
「そうね、でもどこまでやせ我慢できるのかしら」
「!」
 ジュウッと何かの焼ける音がした。
 漂って来る匂い、肉の焼ける匂い。
 アスカは口と鼻を手で被った。
 それでも鼻につく。
 吐き気を催す。
 助けて、誰かあいつを助けてよ!
 だが泣き叫んでみても助けはこない。
 アスカは倒れかかるように壁にもたれた。
 なに?、これ…
 ポケットの中に異物を感じた。
「インターフェースのおもちゃ…」
 それはゲンドウに貰った偽物だった。
「なんで、偽物なのよ…」
 涙があふれた。
「なんで、泣いてるのよ…」
 ぽたぽたと、滴が掌に落ちていく。
 それが流れてインターフェースに沿い、さらに落ちていく。
「これが、本物だったら…」
 それは祈るような願いでもあった。
「本物だったら、助けてやれるのに…」
 バカシンジを…
 あの大馬鹿者を。
「くっ!」
 それを握り締め、顔を伏せた。
 目をきつく閉じる、だがそれでも涙を止められない。
 ぼたぼたと床を濡らしていく。
 何であんなにバカなのよ!
 どこまでも責めてやりたい気分だった。
「あんたが傷ついたら、泣きたくなる奴がいるってことぐらい気付きなさいよ!」
 アスカは思いっきり吐き捨てた。
 その声は廊下にまでも聞こえていたかもしれない。
 だがアスカはもうお構いなしに叫んでいた。
 カナリアを埋めているシンジが思い浮かぶ。
 その悲しそうな笑顔は自分をあざけっていたのかもしれない。
 カナリアのことを本当に悲しんでいたのだろうか?
 それもわからない。
 だがその贖罪を求めていたとわかる。
 そう、わかっちゃったんだからしょうがないじゃない!
 あのバカ、死ぬつもりなんだわ、誰かを守って、殉教者みたいに!
 後に残される者のことなど考えずに…
 そんなの、嫌…
 シンジはアスカを置いていくだろう。
 そんなのは嫌。
 アスカに嫌われたと思ったままいってしまうだろう。
 そんなのは絶対に嫌よ!
 顔を上げる、目を開く、涙などかまわない。
 あいつに伝えなきゃいけない、言っておかなくちゃいけない!
 でないと、あいつと同じように後悔し続けることになってしまうから!
「なに?」
 そして赤い閃光に気がついた。
 手元から爆発的に光が溢れていた。
「なんなの?、きゃあ!」
 直後、アスカは赤い光に包まれていた。


「強情な子ね…、インターフェースを渡しなさい?、それで終わりにしてあげるから…」
 レイのインターフェースをもてあそぶリツコ。
 シンジはゆっくりと顔を上げた。
 サキエルに右腕をつかまれ、釣り下げられている。
 その顔は腫れて変形してしまっていた。
 青あざと腫れに、まぶたが開いているのかどうかもわからない。
 身体中が血まみれになっていた。
 服には焦げた丸い穴が開いている。
 サキエルの剣によって貫かれたのだ。
 血がだらだらと流れ出し、靴下を染めて廊下の床に血溜まりを作っていた。
「嫌だ…」
 シンジはろれつの回らない口調で答えた。
 左腕が折れていた、だがそれでもシンジは耐えていた。
「気持ちの悪い子ね…、どうしてそんなに頑張れるのかしら?」
 碇君…
 レイはもう顔色を失ってしまっていた。
 何かのきっかけがあれば、反狂乱になって狂ってしまうかもしれない。
 そんな危うさを漂わせていた。
 そのきっかけとは…、おそらくはシンジの死が第一候補に上がるだろう。
「なら、死になさいな、レイを助けることもできずにね?」
 シンジとサキエルの正面に、別のサキエルが立った。
 その目がチカチカと明滅を始める。
「綾波…、ごめん!」
 シンジは目をつむった。
 だが光はシンジを襲わなかった。
 いや、襲えなかった。
 ドォン!
 大轟音と共に真横にあったドアが吹き飛んだ。
 その衝撃の余波がシンジとサキエルを飲み込む。
「なに!?」
 もうもうと舞い上がる埃に後ずさるリツコ。
「あれは…」
 目ざとく気がついたのはレイだった。
「エヴァテクター?」
 それは赤いエヴァだった。
 のそり…と前屈みにトイレから出て来ると、突如くるっとリツコとレイに顔を向けた。
「そんな、まだいたの!?」
 慌てるリツコ。
 赤いエヴァ、それも四つ目の。
「ラミエル!」
 床が赤く歪み始めた、膨らんでいく。
 ズバァン!
 溶解し、吹き飛んだ。
 下の階から熱線で穴を開けたのだ。
 そこから四体のラミエルが上がってきた。
「加粒子砲…ていっ!」
 内周部を加速して放つ、それは威力は弱いながらも、エヴァテクターを倒すには十分過ぎるはずであった。
 だが赤いエヴァには効かなかった。
 その右腕を左から右へ大きくスウィングする。
 直後、その正面に歪んだ光の壁が現れた、八角形を描く…
「ATフィールド!?」
 驚くリツコのすぐ横を、反射されたエネルギーが通り過ぎていった。
 それは背後の壁を爆発させる。
「きゃあ!」
 悲鳴を上げながら、リツコは混乱と困惑の中に落ちこんでいった。
 そんな、エヴァンゲリオンにもなっていないのよ?、使えるはずないわ!
 だがそんなリツコをあざけるように、赤いエヴァはシンジを捕らえるサキエルに向かっていった。
 手刀を振り上げ、降りおろす。
 肩口から胸のコアまでが、やすやすと紙を切るように裂けた。
 ATフィールド!
 シンジはその光り輝く手を確認していた。
 赤いエヴァ…
 エヴァに少女の面影が重なる。
 赤いカラーがその印象を強くする。
 アスカ!
 シンジは解放されると同時に駆け出していた。
 レイに向かって。
「!?」
 驚くリツコ。
 間にサキエルが立ちふさがる。
 くっ!
 痛みに意識が途切れかける、フェイントをかけることも、避けることもできない、そんな余裕は無い。
 だけど逃げるわけにはいかないんだ!
 痛みによろけた、それが偶然フェイントになった。
 サキエルの視界からシンジが消えた、シンジは崩れる膝を渾身の力を持って振るい立たせると、サキエルの脇を駆け抜けていった。
「碇君!」
「レイ!」
 レイが手を伸ばした。
 シンジはレイと名を叫んでしまったことに気がつかなかった。
 その手が後一息で触れ合おうとする。
 カッ!
 獲物を再発見したサキエルが閃光を放った。
 シンジの背で爆発が起きる。
 碇君!
 シンジ!
 二つの意識が悲痛な叫びを放った。
 レイとアスカの二人は、瞳が絶望に反応するよりも早く、その意識を放っていた。
 シンジの背が背後に折れ曲がる。
 その背から鮮血が飛び散った、スローモーションのように、一粒一粒その動きが見えてしまう。
 断裂する筋組織、内腑が見えた、こぼれ落ちそうになっている。
 シンジの体が再び前に折れた、反動だろう、spれはほんの一瞬の出来事だった。
 レイの瞳がようやく恐怖に彩られた。
 絶望を湛えた。
 だがシンジは笑っている。
 まだ笑っていた。
 その手をレイに差し伸べていた。
 碇君!
 レイはその手をつかんだ。
 シンジが柔らかな笑みを浮かべたような気がした。
 いや、それは気のせいではなかった。
 シンジの口が、「レイ」と確かにその名を呼んだのだから。
「碇君!」
 口の動きが時間に追い付いた。
 レイの叫びがシンジの耳朶を打った。
 その声に、シンジの意識は一瞬だけ正気を取り戻すことができた。
 だからその言葉を思い浮かべることができたのだろう。
 エヴァテクター…、と。



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