「ねえ、なんであいつ、いっつも一人なわけ?」
 珍しくアスカはヒカリに尋ねた。
 お弁当はいつもヒカリとトウジとケンスケの三人で食べていた。
 ヒカリ以外はみなパンと牛乳だった。
「あいつって…、碇のことか?」
 ケンスケが物珍しそうに尋ね返した。
「なんや、気になるんかいな?」
 ん〜ちょっとねぇっとアスカは適当にごまかした。
 嘘だった、本当はものすごく気になっていた。
「…あいつ、ちょっとわけありだからな」
「そや、好奇心ならやめといたれや…」
 好奇心で動く二人が珍しい…
 だから余計に興味を引いた。
「あいつ…、ほらこの間の」
 それでトウジは察した。
「カナリヤか?」
「うん…」
 ジュルルルル…っとパックの中身を吸いきる。
「その時にさ…、自分が殴られた方が良かったって言ってたじゃない?」
 アスカにはわからなかった。
 勝ち気でわがまま、それがアスカのスタイルだった。
 本当は演じているだけ、逆に素直な自分に戻れないだけだった。
 戻ること、変わることが恐かったのだ、周りの目が気になってしまうから。
 そんなアスカに気がついているのはヒカリだけだった。
 だから友達はヒカリしか居なかった。
「なんでそんなこと考えられるのか、わっかんないのよね…」
 そんなアスカだから、そうやって考えを漏らすこと自体珍しかった。
「へぇ、どういう心境なんだろ?」
「なあ?、わしらに相談するやなんて…」
 冷ややかな視線が投げかけられる。
「バァカ、尋ねてるだけよ、誰もあんた達の考えなんて聞いてないじゃない」
 へいへいっと嘆息する二人。
「シンジの奴…、友達いないから」
「そんなの見りゃわかるわよ」
「ちゃうんや…」
 パックのストローを咥えている、だが飲んではいない。
「作らへんのや、あいつ…」
 そんな表情は初めてだった。
「どういうことよ…」
 つい声を潜めてしまう。
「…あいつな、小さい頃からオヤジさんの知り合いんとこに預けられとんのや」
「そ、お母さん、死んじゃったらしくてさ」
 え?
 初耳だった。
 当たり前だろう、シンジが話すわけは無い。
「なんでも新種のウィルスにやられたらしいんだ…」
「それをオヤジさんが…、ちょっとな」
 ちょっとって何よ、ちょっとって!
 小声で詰め寄る。
 トウジはケンスケと視線を合わせた。
 頷くケンスケ。
 トウジはしょうがないとばかりにため息をついた。
「オヤジさん、医者でやなぁ、おかんに実験中の薬を使っとったらしいんや」
「なによそれ…」
 それじゃそのせいで死んだってわけ?
 勝手に勘違いしてしまう。
「ちゃうちゃう」
 それをトウジが手をひらひらと振って否定した。
「薬は効いとったらしいんや」
 アスカはケンスケに視線を切り替えた。
 トウジと同じく、頷くケンスケ。
「…一応言っとくけど、シンジから聞いたわけじゃないぜ?」
「じゃあ、誰からよ?」
「シンジを預かっとるおっさんや」
「ああ、あの時はずいぶん酔っ払ってたみたいだったよなぁ…」
 二人は白髪の、初老のおじさんを思い返した。
「そやけどなぁ…、それ知っとるの、ほとんどおらへんさかいに…」
「よくわかんないんだけど…」
「ああ、惣流は中学からだもんな、ここ…」
 第三新東京市。
 アスカはドイツから引っ越してきていた。
「委員長が第二東京市から来たのも、そのくらいだっけ?」
「うん…、鈴原もでしょ?」
「わしは大阪からやけどな」
 ジュルッとパックの中身を飲みきる。
「ま、始めはおかしなやっちゃと思うたで」
「俺は小学校から一緒だったからさ、知ってるけど…、酷かったんだよ、いじめが」
「いじめぇ!?、今時そんなの残ってるの?」
 ケンスケは小さく頷いた。
「どこかの週刊誌がさ、あいつのお袋さんが死んだのはその薬のせいだって記事載せて…」
「ほんとのところは?」
 先を急っつく。
「…効いとったらしいわ、ほんまやったら、とっくの昔に死んどってもおかしなかったらしい」
 ふうっとアスカは息を吐いた。
 緊張してしまっていたのかもしれない。
 ま、あいつのお父さんが殺人者じゃなくて良かったわ。
 だが話には続きがあった…
「それでさ…、親父さん、否定しなかったんだよ」
「え?」
 思考に没していて良く聞いていなかった。
「なにを?」
「記事をさ」
「なんでよ?」
「…真実は、信じてくれている者だけが知っていればいい」
「なによそれ?」
 ゲンドウの言葉だった。
「シンジの口癖や、元は親父さんの口癖やったらしいんやけどな?」
「信じてくれない人には、何を言ったって無駄ってわけさ」
 ケンスケは一人で机に座っているシンジを見た。
 弁当箱を開けている、だが蓋で隠すようにして食べていた。
「…そんなの、言ってみなくちゃわかんないじゃないのよ?」
 首を振るケンスケ。
「言ったろ?、いじめにあってたって…」
 回想する。
「おまえの母ちゃん、ばい菌で死んだんだろ?」
「へ?」
「そう言って…、信じられるか?、バケツに泥水入れてぶっかけられてたんだよ、あいつ…」
 うそ…
 いくらなんでも信じられなかった。
「その上、教師も大人連中もみんな敵や、そりゃ人間不信にもなるで」
 トウジもちらりとシンジを見た。
「そやけど…、それでもあいつは周りを恨んだりしとらへん…」
「親父さんのことがあるからな…」
 もったいつける二人に苛立つ。
「実験中の薬って言うのがまずかったらしゅうてな」
「人身御供ってわけさ」
 酷い!
 アスカは思わず立ち上がりかけていた。
 だが我慢した、影でこそこそ聞いていると知られたくなかったからだ。
「親父さんはそれを一言も言い返さずに受け入れたんだよ」
「なんで!」
「なんでって…」
「薬の研究は一人ではできんのやと…、それで迷惑かけたっちゅうのに、誹謗で傷つけるわけにはいかん言うてな?」
「一人で背負っちゃったってわけさ…」
 静まり返る。
 アスカは苛立ったように口を開いた。
「で?」
 今はどこに居るの?
 トウジが田舎に引っ込んで、その研究を続けているらしいと答えた。
「あいつはそんな父親を見とうる」
「だからだろうな…、傷ついてる奴を見るのが、極端に恐いんだよ」
 段々繋がってきた。
 碇シンジと言う少年に対してのイメージが固まっていく。
「傷ついてる親父さん、シンジを預かっとるおっさんもそや、その仲間内もな?、みなどこか傷ついて、遠慮して、避けあっとる」
「それを見てきたから辛いんだろうさ…」
 だから避けるの?、人を…
 だから自分を傷つけるの?、他人の代わりに。
 それで傷ついている人を見なくてすむようになるから…
 だが本当のことはわからない。
「ま、シンジが自分から話したわけじゃないからな…」
「わしらの想像やで、半分以上は…」
 二人して肩をすくめあった。
 アスカは混乱していた。
 また困惑していた。
 ドイツから来た頃を思い出す。
 慣れない土地で、周りと違う風貌で、慣れない言葉で過ごしていた。
 あけすけな態度が嫌われた。
 日本ではそれほど親しくはしないらしい。
 だがドイツでは当たり前の感じだった。
 反対にバカ丁寧過ぎる言葉がいけなかったのかもしれない。
 しかしどこに日常用のくだけた言葉遣いを教えてくれる場所があるのだろう?
 結局友達はできなかった。
 ずっと一人だった。
 だから使いまくったのよね、言葉を…
 結果は、ざっくばらんになりすぎた。
 それはそれで敬遠される種になったが、前よりはマシだった。
 それがそのまま、アスカのスタイルとして固まっていた。
 周りのことなんて関係ない、自分が自分としてあるために周りを無視し、裏切ったのだ。
 そして自分に戻ったのだ、ドイツ時代の自分に。
 まるで反対だった。
 他を見たくないから、自分を傷つける少年と。
 自分を見せつけるために、他に誇示する少女。
 だから気になったのかもしれないわね…
 そして起こったのだ、あの事件が…


 まるでスライドショーだった。
 目の前にモノクロのスクリーンがある。
 シンジはその前に座っていた。
 裸だ。
 アスカはその後ろでシンジを見ている。
 同じように、三角座りで。
 赤い髪が白い肌の上を滑らかに流れていた。
「あんたがラブレター出すような奴に見えなかったのよね…」
 アスカが自分で解説した。
「だから全然、そんな可能性を考えもしなかったのよ…」
 結果はお互いに傷つけあうものになってしまった。
「ねえ?」
 シンジの背に疑問符を投げかける。
「どうして手紙なんて出したのよ?」
 他とは接触を持とうとしなかったのに…
 ずっと心に垣根を作っていたのに。
 シンジはスクリーンから目を離さない。
「…憧れてたんだ」
 そして答える。
「憧れてたんだ、自分でいる、自分を見せつけるアスカに」
 それが本音だった。
 自分を隠し続けていた。
 そしてあの時…、カナリアが殺される直前まで、シンジは適当にごまかし、なだめすかそうとしていた。
「自分が情けないよ…」
 傷ついている他人を見たくないわけじゃなかった。
 それを見て、心を苦しくするのが嫌だったのだ。
「結局は自分のためだったんだ…」
 カナリアの代わり…
 レイについてもそうだ。
 自己嫌悪はある。
「だけど守りたいんでしょ?」
 シンジははっきりと頷いた。
「じゃ、いいじゃない…、結果的に良いことに繋がるんなら、それでも」
 シュル…っと髪の流れる音。
 アスカが立ち上がったのだ。
「…あたしはあんたのことが好きじゃないと思う」
 シンジは頷いていた。
 もう、承知していることだったから。
 どんなに苦しくても、受け入れるしかない現実。
「でも、気にはなるのよね」
 レイといちゃつかれると腹が立つ。
「なんだよ、それ…」
 シンジは苦笑してしまった。
「自分勝手だなぁ…」
「そうよ?」
 返事にシンジは振り返った。
「うわぁ!?」
 目の前にアスカの股間があった。
 もちろん一糸まとわぬ姿なので、シンジは思いっきり顔を背けた。
「ご、ごめん!」
 どもりまくる。
「何謝ってんのよ?、ちゃんとこっち見なさいよ!」
「み、見れるわけないじゃないか!、ちゃんと隠してよ!」
 あんたばかぁ?、と、あきれた声が返ってきた。
「どこに隠せるもんがあるってぇのよ?」
「そ、そりゃ、そうだけど…」
「こんなもん、堂々としてりゃ気にしなくていいのよ!」
 ほらっ!っと無理矢理立たせる。
「あ、ごめん、許して…」
 なぜだか前屈みになって隠すシンジ。
「ばぁか…、お子様がそんなとこ隠してどうすんのよ」
 っと、まるでお子様ではないくせに腰に手を当てて胸を張る。
 …まるで僕がバカみたいだ。
 堂々とし過ぎるアスカにそんな感想を持った。
 それも当然、エヴァの中なのでアスカにバレる。
「あんたちょっと意識し過ぎなんじゃないの?」
「そ、そんなの当たり前だろ!」
「へぇ?、なんでよ、何が当たり前なわけ?」
 ぐっ!っとシンジは言葉につまった。
 相手が女の子だから?
 それだけではない。
 だから言えなかった。
 しかしエヴァがアスカに伝えてしまう。
「あんたも無駄だってことに気がつきなさいよ…」
「じゃあアスカはどうなんだよ!」
「あたし?」
 あっけらかんとしている。
「アスカは何ともないんだろ!?」
 シンジはそれが癇に触った。
「そんなわけないじゃない」
 だが照れている様子も無い。
「あんたのことは気にはなっているわよ?、けどなんで気になるのかわかんないんだもん」
 だから男の子として意識してない?
 そんなのとは違うような気がする…
 言葉と意識と、両方で考えをぶつけあう。
 見慣れてきたのか、シンジの興奮もようやく収束の時を迎えていた。



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