わからないの。
 わからないの…
 わからないことがたくさんあるの。
 でもわかったこともたくさんあるの。
 碇君。
 彼の気持ちは本当のもの。
 嘘じゃない心、わたしの欲しい気持ち。
 でも違う想い。
 わたしとは違う想い。
 わたしには心があるの。
 違うということ、それがわたしだけの心、わたしだけの気持ちだという証し、心の形、人の証し、かけがえの無いもの、わたしだけの心…
 …でも、寂しい。
 そう、とても寂しいのね、わたし。
 それは一人で居ることと同じだから。
 人と触れ合うことが、人と分かち合うこと、想いを、気持ちを、心を共有できないということだと、とてもとても寂しく感じてしまうのよ…
 それが他人の証し、違いこそがわたしがわたしであることだから…
 …あの人。
 赤い髪の人。
 わたしと同じ想いを持つ人。
 でもわたしとは違う想いを向けられている人。
 違う気持ちで、碇君に迎え入れられている人。
 わからないの、わからないの…
 あの人のことがわからないの。
 あの人の気持ちはなに?
 あの人の想いはなに?
 わたしとあの人のどこが違うの?
 わからないの、わからないの…
 碇君の心がわからないの…
 あの人の心もわからないの…
 でもわかっていることもあるの。
 あの人に向けられている想い。
 それこそが、わたしの欲しい想いだと。
 わたしにだって、わかっているのよ…


 レイは思い悩んでいた。
 訓練の後の水は、火照った体を冷やしてくれる。
 それがとても気持ち良くて、レイはいつものように地下プールを漂っていた。
「あの人は…、弱いわ」
 たぶん碇君よりも。
 それが手を合わせてみての実感だった。
「けれど、エヴァは強い」
 他の誰よりも。
 シンジもそうだ。
 自分よりも弱いと感じる。
 だが変身したシンジは違う。
 それは心の強さの差によるものだ。
「なら、わたしの心は弱いの?」
 不安、疑念。
「いえ、違うわ…」
 だがそれらの感情を、レイは自らの心で払拭した。
「だって、それはあくまで相対的な見方にすぎないもの」
 あくまで、二人に比べて、だ。
 レイの想いが弱いわけではない。
 それはレイ自身が一番よくわかっていた。
 他の想いに比べて、あまりにもはっきりとし過ぎている感情。
「碇君と一つになりたい、わたしの心…」
 そう、シンジの全てを手に入れ、シンジに全てを捧げたいと言うレイ自身の願いであった。
 感情の全てが塗り変えられてしまうほどに…
 レイの瞳が妖しく光る。
「そう、碇君は、わたしの心で満たしてあげるの」
 あの人ではなく、わたしの心で。
 それはシンジと交わした最初の約束だった。
 だからこそレイにとっては一番大切な約束でもあったのだ。
 レイは心にその約束を秘めていた。


「こりゃマジでどうにもならんで…」
「そうだな、完敗じゃないか」
「大丈夫?、アスカ…」
「う〜ん…」
 アスカはヒカリの膝の上で、頭に濡れタオルを乗せてもらっていた。
 トレーニングルームに残っているのはこの四人だけだ。
「あいつは?」
「あいつって…、ああ、綾波さん?、プールに行っちゃったみたい、汗をかいたからって…」
 アスカは「よっ」と起き上がった。
「…くやしいわねぇ」
 そしてそのまま、親指の爪を噛みだした。
「アスカ…」
「別に負けたからじゃないわよ?、どうして勝てないのかがわからないのよ…」
「同じとちゃうんか?、それ」
「違うわよ!、勝ち方すら考えつかないんだもん、悔しいじゃない、何をしたって通じないなんてさ…」
 アスカはしょぼんとしょぼくれた。
「やっぱりさぁ、俺もう一度頼んでみるよ…」
「なにがよ?」
 ケンスケは言いづらそうに口にした。
「エヴァ…、俺にも使わせてくれって」
 はん!
 アスカは鼻で笑った。
「あんたバカァ?、あんたなんかに使えるとでも思ってんの!?」
「そんな言い方…、ないだろう?」
 少し傷ついたのか、ケンスケはくっと顎を引いた。
「だってミサトさんが言ってたじゃないか、エヴァは心や魂で動かすって…、もし俺が使えれば、シンジにかかる負担だって減るんだぜ?」
 もっともなことを言う、だがアスカはそんなケンスケに嫌悪感をあらわにした。
「またそんなこと言って、あんたヒーローに憧れてるだけじゃない」
 アスカはビシッと指差した。
「な!、違うよ!!」
 焦るケンスケ。
「違わないわよ!、なによ取り繕っちゃってさ…、無理なもんは無理なんだから、さっさと諦めなさいよ」
 あんたは応援だけしてればいいのよ?
 そう言ってアスカは締めくくった。
「なんだよ!、俺だって、俺だって!」
 ケンスケの頬を涙がつたう。
「惣流!、言い過ぎやで!」
「そうよアスカ!」
 はあはあと息を荒げるアスカの前で、ケンスケはがっくりと肩を落としてしまう。
「うっさい!」
「くっ!」
 泣きながら駆け出すケンスケ。
「おっと!、あら?」
 入り口でミサトにぶつかりながら、ケンスケは走り去ってしまった。
「なに?、どうしたの…、って一目瞭然か」
 ミサトはすぐにアスカを見て事情を察した。
「荒れてるわねぇ…、まああんな負け方したんだもの、無理もないか」
「ミサトさん!」
 ヒカリはミサトを責めるように睨んだ。
 ぽりぽりと頭を掻くミサト。
「あたしもまさかここまで差があるなんて思わなかったのよ…、いくらレイの動きに無駄がまったくないって言ったって…」
「…それ、どういう意味よ?」
 顔を上げるアスカ。
「言葉の通りよ?、でもはっきり言って、あなたのエヴァの方が強いのよね…、それは数値が証明しているわ?」
 クリップでとめた数枚の紙を手渡した。
「だからもうちょっと、良い勝負になると思ったんだけどね…」
 怖々とアスカを見る、だがアスカは割と平然としていた。
「…あいつが強いってのは認めるわ?、でも想いの強さだけ勝っててもしょうがないのよ…」
 アスカはそのレポートを読んだ。
「それはもう、訓練を重ねるしか無いわね?」
 苦笑するミサト。
「…やってやるわよ、いくらでも」
 アスカは決意にやる気をみなぎらせた。
 今は時間がないんだけどね…
 そうは思いながらも、水をささないよう口を閉ざすミサトであった。


 バスタオルを頭に被り、レイはおおざっぱに拭きながら廊下に出た。
 まだ水着姿のままだ。
 ばったり。
 まさにそんな感じでアスカとレイははち合わせてしまう。
 お互い、間抜けな顔で固まってしまった。
 上へ上がるための階段。
 なぜここに居るの?
 二人とも同じことを考えていた。
 その答えは簡単なもので、シンジが上の部屋に居るからだ。
 …先に表情を変えたのはアスカだった。
 くっと唇を噛む、その背後でヒカリがはらはらとしていた。
 二人は無言で一歩を踏み出した、それも同時に。
 狭い階段でつまってしまう。
「…なによ?」
「なに?」
 お互いの視線がまたも交錯した。
 初めて会った時から嫌な奴だったけど…
 この人、嫌い。
 けど!
 誰か助けて〜っと冷や汗を流すヒカリを置いて、二人は延々と睨み合うのであった。


「それじゃ二人とも、良いわね?」
 言いながらも、ミサトは何がどう良いのだか、聞かれると困るような心境に陥っていた。
 マイクを手に、不安げな表情を見せているミサト。
「アスカが先鋒、レイはとどめを」
 二体のエヴァが使徒に近寄る。
「よかないけど…、我慢するわよ」
「そうね…」
「なんですって!?、え?」
 レイがずいっと前に出た。
「わたしが盾になります」
「あんたなに言ってんのよ?」
 発令所に居る一同…、ミサト、トウジ、それにヒカリは、それぞれにはらはらとした表情を見せた。
 ただ一人、ゲンドウを除いて。
「エヴァじゃあなたの方が上だもの…、わたしが囮になります」
「だからでしょ!?、あんたじゃそう長くは保たないわ!」
「良い、あなたが傷つけば、碇君が悲しむもの、だから良い…」
 アスカはすうっと大きく息を呑み込んだ。
あんたバカァ!?、それはあんたも同じでしょうが!」
 レイの肩をつかんで下がらせる。
「あんたに傷つかれちゃ、あたしが迷惑すんのよ!」
「それ、どういう意味?」
「バカ!、もう知らないわよ!!」
 ずかずかと赤いエヴァンゲリオンが進んでいく、肩を怒らせて。
「何を怒っているの?」
 レイが尋ねても、アスカは答えてくれない。
「どうなってんでしょうね?、あの二人…」
「乙女心とは複雑なものだよ、葛城君」
「はあ?」
 ミサトは生返事を返すことしかできなかった。


 その頃シンジの寝室では…
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 シンジ以外の誰かの息遣いが聞こえる。
「はぁ、はぁ、はぁ、あ!」
 それはケンスケの声だった。
 シンジの枕の下から、ゆっくりと手を抜くケンスケ。
「あった…」
 その手につかんでいるのはインターフェースだった。
 シンジを起こさないように気をつける。
「俺にだって…、俺にだってエヴァは使えるんだ…」
 ケンスケはそれをポケットに突っ込むと、逃げ出すように…、事実シンジの部屋から逃げ出した。
「やってやる、やってやる、やってやる!、もうバカになんてさせないからな、見てろよ!」
 声に出すケンスケ。
 その叫びは、無人の廊下に大きくこだまして消えていった。



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