パン!
派手にシンジの頬が鳴った。
「何をするのよ」
シンジの頭を抱き、アスカから庇うレイ。
「痛かった?、碇君…」
レイはシンジの頬をさすりだした。
「あ、あの、大丈夫だからさ…、頼むからそう顔を近づけないでよ」
さり気なくさり気なく顔を寄せていっている。
「でも、腫れてるもの…」
わたしのせいね…
綾波は悲しげに顔を伏せた。
「ごめんなさい」
ヒュン!
本日二発目がまたもシンジの頬を張る。
「あいったぁ、何すんだよ、僕は何もしてないだろぉ!?」
「いま抱き寄せようとしたでしょ!」
シンジは突きつけられた指を否定できなかった。
「ほらみなさい!」
代わりにレイが払いのけた。
「…何をそんなに苛ついているの?」
「あんたがシンジを誘惑するからでしょうが!」
「だって好きなんだもの、それなのにいけない事なの?」
レイは一歩も引こうとしない。
あ、え?、そうか…
シンジはようやく、レイに感じていた違和感の正体に気がついた。
雰囲気が違うんだ…
シンジはレイを見詰めた。
綾波、笑ってる…
笑ってると言うか、たんに小馬鹿にしているだけなのだが…、それでも確かに笑いには違いなかった。
「ありがとう…、感謝の言葉、素直な気持ち」
でも初めてだ…、綾波がこんなに表情を豊かにしているなんて。
シンジは感動に惚けてしまった。
「気を許しているから…、お互いを思い合っているからこそ、素直に言い表せるものなのよ?」
シンジに寄りかかり、レイはニヤリとゲンドウそっくりに口の端を釣り上げる。
「素直になれば、あなたも言ってもらえるのに…」
そしてシンジの肩に頭を乗せてしまった。
「素直になってないってぇの?、このあたしが!」
そんなレイに、アスカはむかっ腹を立てて手を伸ばす。
「そうよ?」
巻き込まれないように逃げ出そうとするシンジ。
だがレイは逃さずに捕まえて、幸せ一杯に抱きついた。
「ま、あなたには一生かかっても無理でしょうけどね?」
そしてシンジに同意を求め、のしかかるように押し倒す。
「ぬわんですってぇ!」
アスカはシャツをつかんで引っ張り上げたのだが、なぜだか一向に引きはがせない。
なんて重いのよこの女!
「さ、碇君?、わたしと一つになりましょう?」
瞳をうるませるレイに、シンジは「あわわわわ!」っと慌てふためいた。
「え?、え?、え?、な、何をする気なのさ、綾波…」
「あなたと一つになりたいの…」
唇が怪しい言葉を紡ぎ出す。
小さく、そして蠱惑的に開くたびに、その奥で舌が妖しくうごめいていた。
綾波、なんてエッチな…、じゃなくて!
「いかり…、くん」
ジタバタともがき脱出を計る。
一方アスカもその怪力の全てを注ぎ込んで手を貸している。
だが一向に引きはがせない。
「「なんで!?」」
レイはシンジの手に手を重ねて、そのせわしない動きを封じて進行を図った。
「お願いだよ、やめてよ綾波!」
激しい拒絶。
突き飛ばすような抵抗に、レイははっとして飛びのいた。
ゴン!
「ふがぁ!」
鼻を押さえて転がるアスカ。
「どうして、わたしを否定するの?」
じんじんとする後頭部。
そして落ち着きと共にシンジの言葉を飲み込み、レイは激しく落ち込んだ。
「嫌うの?、そう、しかたがないのね…」
レイは傷ついたようにシンジから離れようとした。
「さよ…」
「綾波!」
ぐっと腕をつかむシンジ。
「あ…」
レイは痛みに顔をしかめた。
「怒るよ、綾波!」
「碇君…」
シンジの視線は、脅えなくてはいけない類のものではない。
だからだろう、レイは込み上げて来る嬉しさに戸惑った。
「やめてよ、どうしたんだよ綾波…、こんなの綾波らしくないよ」
真剣な眼差し。
「わたし…、らしい?」
だがその痛みとまっすぐな視線にも、レイは嬉しさを覚えていた。
「うん、いつもの綾波に戻ってよ…、僕が悪いのは、わかってるけど…」
今度はシンジが顔を伏せる番だ。
そっと腕を離すシンジ。
あ…
「綾波?」
その腕をつかみ返すレイ。
「ううん、碇君は何も悪くないわ、悪いのはわたし…」
ぎゅっと痕がつくほどに強くつかむ。
シンジは手に手を重ねた。
「違うよ、綾波の気持ちを知ってるのに、逃げてばかりいる僕が悪いんだ…、綾波は悪くないよ…」
「いいえ、わたしが」
「僕が…」
二人は視線を合わせた。
ぷっ…
そして同時に吹き出してしまう。
「こんなこと、言い争っても仕方が無いよね?」
「そうね…」
レイはシンジから素直に離れると、未だ床を転がっているアスカに目を向けた。
「何をしているの?」
「あんたがぶつかって来たんでしょうがぁ!」
アスカは立ち上がるなり唾をとばして泣き叫んだ。
「…なにをそんなに苛付いているのよ?」
「あんたねぇ…」
肩がわなわなと震えてしまう。
「あなた、碇君のことが好きじゃないんでしょ?」
「うっ!?」
「ならほっといて」
シンジの視線を感じて、アスカはさらに言葉をつまらせた。
「ほ、ほっとけるわけ…、そうだ!、あたしだって取り返してあげたんだから、それならあたしにだって権利はあるってことじゃない!」
レイはキョトンとしてアスカを見た。
「…あなたもしたいの?」
「違うわよ!」
そんなに強く言わなくても…
横でシンジがのの字を書く。
「あたしにだって権利があるってことは、あんたと同じってことよね?、ならそのあたしがしないんだから、あんたもしちゃいけないのよ!」
「何故そうなるの?」
呆れ返る二人。
「あんたがしたら、あたしもしなくちゃいけないからよ!」
「それはさすがに強引だと思うよ、アスカ…」
シンジは思わず墓穴を掘った。
「ほっほぉ?、ならあんたはキスしたいと、そういうわけね?」
アスカに噛付く口実を与えてしまう。
「あ、いや、そうじゃなくて…」
困りまくるシンジの頭を、レイは強引に抱きかかえた。
「いじめちゃダメって、言ってるでしょ?」
「あ、あの、だからって綾波、離してよ」
胸の感触に頬が緩む。
「そうよ、離しなさいよ!、嫌がってるじゃない!!」
「いや、別に嫌ってわけじゃ…」
「なんですってぇ!?」
「ご、ごめん!」
シンジはアスカの剣幕にレイから離れた。
が、頬に残った感触を名残惜しく感じる。
「もう襲ったりしないのに…」
小指の爪を噛んで、惜しげに呟くレイ。
「だから、もうそんなに荒れなくてもいいのよ?」
「あんたがさせてんのよ、あんたが!」
アスカはダンダンっと地団駄を踏んだ。
「そう、そうなのね?、もう…」
しかたがないとばかりに立ち上がるレイ。
「ほら、あなたも抱いてあげる」
と言って、今度はアスカを抱きしめた。
「な!?」
「ほら、碇君の匂いがするでしょ?」
アスカは思わず真っ赤になった。
「うわぁ…倒錯の世界だぁ」
シンジも別の意味で赤くなっている。
「な、何言ってんのよ、この変態がぁ!」
アスカは慌てて突き飛ばした。
「変態?」
よろけながら首を傾げるレイ。
「どうして?、こんなに碇君の匂いがするのに…、あなたはそれがうれしくないの?」
「あったりまえでしょうが!」
シンジはとあることに気がついて、怖々とレイに尋ねたみた。
「さっきからどうも見たことがあると思ってたんだけど…、もしかしてそれ、僕のシャツじゃないの?」
匂いとかどうとか…
シンジはかなり恐かった。
「そうよ?、「どうせなら」って葛城助教授が改造してくれたの」
ガーンっとシンジの頭に巨石が落ちる。
酷いや、僕の服ももう残り少ないのに…
シンジはほろりと涙しかけた。
「でも…、ホントは迷ったの、だって碇君が「僕の服があるよ」って言ってくれてたし…、でも、ごめんなさい」
レイは急に目を伏せた。
「あ、綾波!?、どうしたのさ、急に…」
「碇君が触れたことのない服だってわかったから…」
「だからシンジのものに直接手を出したってわけね?」
レイはアスカの言葉にこくりと頷いた。
「でも…、それが碇君を悲しませることになるなんて思いもしなかったの…」
「あんたばかぁ?、誰でも着るもんなくなったら困るに決まってるじゃない」
「それなら…」
レイは面白そうにパンッと手を打った。
「碇君が貸してくれるはずだった服があるわ!」
「どしぇえええええ!」
シンジは焦りまくった。
「ちょ、ちょっと待ってよ、僕にスカートはけっていうの!?」
「嫌なの?」
口元に手を当てるレイ。
目がしっかりと笑っている。
「当たり前だよ、何だよ急に、そんなのはけるわけないよ!」
嫌がりまくるシンジに、アスカもニヤリと口の端を釣り上げた。
「いいじゃない、どうせサイズは当ってるんだし」
「そ、そりゃあ、あの父さんだから、今の僕のサイズだって全部揃えてはいるんだろうけど…」
シンジはずらりと並んでいるはずの衣装に恐怖した。
「まさに変態の域よねぇ?、あるって言うのは、からかうためだって納得できるけど…」
「なんでできるんだよ」
「うっさいわねぇ…」
アスカの一睨みに、自分で口を塞いでしまう。
「とにかく!、問題はあんたの服をどうするかってことなのよ!」
「違うよ、それ絶対に違うよ!」
シンジはいつもならとっくに邪魔が入るのに!っと、期待と焦りを持って窓の外に助けを求めた。
「シーンジ〜、助けてくれよぉ〜〜〜」
親友の情け容赦のない扱われ方に、目を点にして絶句するシンジ。
「ケンスケ…、何やってんの?」
窓の外には、赤黒い十字架に張り付けにされているケンスケの姿があった。
「ま、このあたしに逆らった愚か者の末路ってわけよ?」
「ちょっと魔がさしただけじゃないかよぉ〜〜〜」
ケンスケは眼鏡を曇らせて泣いていた。
「あんたもああなりたくなかったら、このあたしに逆らわないことね?」
マジだ。
シンジはアスカの本気を感じて戦慄した。
「じゃ、碇君、着替えましょう、そうしましょう、それがいいわ…」
実に楽し嬉しそうに立ち上がるレイ。
「じゃ、また来るから」
っと、スキップしそうな勢いでアスカを従えて出ていってしまう。
一人残され、ルルーっと黄昏てしまうシンジ。
「綾波、性格変わったね…」
シンジはとめどなく溢れ出る涙に、視界を曇らせて悲しむしか無いのであった。
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