「シンジ君…」
 マヤはモニターカメラで盗み見ていた。
 シンジはうなだれるようにして話を聞いている。
 リツコとは違う星の生まれだった、だからこそショックを受けていた。
(こんな話は、あたしも聞いたことが無かった…)
 リツコの話は、まだ始まったばかりであった。


 もういいの?
 尋ねるような口調で、彼女は彼の額に手を置いた。
「君は、誰だ?」
 目を開ける、真上に栗色の髪をした女性が、柔らかな微笑みを湛えていた。
 裸身、乳房の山が多少邪魔に思えてしまう。
 膝枕をされているのだと気がつき、ゲンドウは苦笑を浮かべてしまった。
「あら?、何がおかしいのですか?」
「…死に際の夢がこれとはな、わたしもつまらん人間だったと言うわけか」
 起き上がる。
 くくっ…
 我慢し切れなかったのか、彼女は笑いを漏らしてしまった。
「何がおかしい?」
 怪訝そうに尋ねるゲンドウ。
「だって、あなたはまだ死んでいませんもの」
 ほら…と、彼女は立ち上がり、腕を広げた。
「ほら、ほら!」
 そしてクルクルと踊るように回り出す。
 その度に、周囲に世界が広がっていった。
 黄金色の世界だ。
「地球…」
 そこには月と地球と太陽が並んでいた。
「そう、あなたの星」
「違う、わたしは捨てられた人間だよ、わたしの星ではない」
 そしてゲンドウは、ようやく彼女が実在する存在だと認めた。
「君は?」
 にっこりと微笑む、歳は二十歳を越えた辺りだろうか?
「ユイ…、と申します」
「そうか…」
 ゲンドウはそれ以上の質問をせずに、手を後ろに組んで地球を眺めた。
「美しい星ですね…」
「だが住み辛い世界だった」
 ゲンドウの表情はどこまでも厳しい。
「住み善くはできなかったのですか?」
「信じられなかったからな…」
 こんな世界でも、美しくなるのだと、できるのだと…
「だから、ここまで?」
「そうだ、だからこそわたしは来たのだ」
「そして、満足された…」
 ユイは悲しげにうつむいた。
「何を憂う?」
 ゲンドウには理解できない。
「あなたの心が、悲鳴を上げているからです」
 ほら…と、ユイはゲンドウの手を取った。
 その手を自分の胸へと当てる。
「む?」
 ずぶりと、掌がめりこんだ。
 彼女の心臓の辺りに温もりを感じてしまう。
「…温かいな」
「あなたの手が冷たいからですわ」
 心が冷めてしまっているから…
 ユイは言葉の外でそう伝えていた。


「エヴァの…、力」
「そしてユイ様は、あなたのお父様をわたし達の星へ連れ帰って来たのよ」
 瞼の裏に、一時の幸せな光景が蘇って来た。
 王宮の庭、困ったようにしているゲンドウが居る。
 質問攻めにしているのは少女時代のリツコだ、たしなめる母、ナオコ。
 ユイが城の中から手を振っていた。
 だがゲンドウは一瞥しただけで、無視するように歩き出していく。
「失礼なことをしているとは思わなかったわ…」
 二人を見比べ、最後に母を見るリツコ。
「二人がエヴァで分かり合っていたから?」
 リツコは静かに首を振った。
「軽蔑していたからよ」
 口元には自嘲気味の笑みが浮かんでいた。


「この星も同じだな…」
 何かの研究室なのだろう、ゲンドウは椅子に腰掛け、感想を述べた。
「あら?、それは早計なんじゃないかしら?」
 巨大なコンピューターを取り巻くようにして、壁側に各員のための端末機と作業代が並べられている。
 ナオコが何かの飲み物をいれて手渡した。
「同じだよ、誰しもが己のことしか見ていない…」
 ゲンドウはそれを受け取る時、あえてナオコの口付けを受け入れていた。
 数秒の後に、糸を引きながら離れていく。
「あら?、じゃあなぜわたしのキスを受け入れるの?」
「君も彼らと同じだからな」
 ゲンドウのナオコを見る目は、とても冷たい。
「他人と比較し、己に無い物に劣等感を感じる…、逆に他に無い物を手にしていると自覚すれば、一転、自己満足に浸り、他人をおとしめる」
「じゃあ、ユイ様は違うと?」
 ナオコは、ゲンドウが微笑むのはユイと二人きりの時だけだと知っていた。
「ああ、彼女は違うな…」
 ギィッと、深くもたれたために椅子が鳴いた。
 ナオコは、嫉妬の目をゲンドウに向けてしまう。
 それこそがゲンドウの言うこと、そのものだと分かっていたとしても、ナオコにやめることはできなかった。


「人は一人でも生きていけますわ」
 寂しい話だな…
 絶望的な想いに囚われていた。
「人は心を充足させるために、他人を傷つけ、蹴落とし、優位に立とうとします…」
「見下されることを恐れて、誰にも傷つけられないためにかね?」
 ユイは皆そのための強さを求めているとゲンドウに頷いた。
「しかしそれでは、人が他人と生きようとする説明にはなるまい?」
 ユイもゲンドウの言葉の意味は良く分かっていた。
 兄弟、恋人、家族。
 血の繋がり、あるいは紙切れ一枚の関係でも、人は他人との繋がりを求めようとする。
「簡単なんですよ、人が幸福に満たされるのなんて…」
 なにも自分より不幸なものを作り出す必要は無い。
 常に上に立って、安心感を手に入れ優越感に包まれることも必要無い。
「心が寒さを訴えているのなら、それは誰かに埋めてもらえばいいんです…、だって人は一人で生きているわけではないのですから…」
「永遠に分かり合うことは無くてもかね?」
「…そのための方法があるんです」
 ユイは決意に満ちた瞳をゲンドウに向けた。
「ああ、わかるよ、ユイ…」
 初めてユイの名を呼ぶゲンドウ。
 ゲンドウはユイの心に触れた、右の手の平をじっと眺めた。
「そのための、エヴァンゲリオンか…」
 ゲンドウの答えに、ユイは満足そうに頷いていた。


 一体…
 シンジはゆっくりと顔を上げた。
「エヴァンゲリオンってなんなんですか?」
「そんなことも知らずにエヴァの力を使っていたの?」
 リツコは蔑むような笑みをシンジに向けた。
「だって、教えてもらえなかったから…」
「なら教えてあげるわ」
 バン…
 壁の一つがモニターに変わった。
「これは?」
「大宇宙図よ」
 そこにはシンジたちの銀河系とは、宇宙の中心を挟んで間反対側になる位置の地図が表示されていた。
 それが赤いラインで区切られていく。
「そしてこの世界は6つの文明によって統治されていたの」
「統治…」
「俗に六分儀と呼ばれた文明よ?」
 シンジははっとなった。
「六分儀…」
 前に、冬月のアルバムを見ていて気がついたことがあった。
「昔の父さんの名前だ…」
 リツコも「そうね…」と一緒になって頷いていた。


「失われ行く人の繋がり、それを取り戻すための補完計画かね?」
 暗い室内、長大なテーブルに6人の男が座っている。
「しかし王女であるユイ様を被験体とするこの計画、国を上げての暴動だけではすまんよ」
 懐疑的な10の目が、一斉にゲンドウに集中した。
「エヴァンゲリオン…、六分儀文明最古にして最後の遺産ですが…」
 ゲンドウは目だけを上げた。
「あの存在とコンタクトを取れるものがユイ様ただお一人である以上、必要不可欠な要因だと思われますが?」
 むうっと、一同から再考の言葉が漏れた。
「だがね、エヴァは我々にとっての神でもある、それをこのような…」
「神は身近にあるからこそ崇められるのです、我々は自らの手で新たな神を作る必要はありませんよ…」
 ゲンドウは言葉の先を制するように口を挟んだ。
「エヴァンゲリオン…、その存在を感じさせようというのかね?」
 ニヤリと口の端を釣り上げるゲンドウ。
「わかった、これはユイ様の発案でもある、例の研究所の建造については公認しよう」
「ありがとうございます」
 ゲンドウは席を立った。
「だがな、ゲンドウ…」
 その背に、議長格の老人が囁いた。
「失敗は、死を持って償ってもらうぞ…」
 ゲンドウに、その言葉は脅しの意味を持ってなどいなかった。


「エヴァンゲリオン…、福音をもたらす者…とでも呼ばれるのかしらね?、あなたたちの星じゃ…」
「福音…」
 シンジはその意味を考えた。
 喜ばしいこと?
 綾波や、アスカと分かり合えたこと…
 繋がりが生まれたこと、その嬉しさが込み上げて来る。
「わたし達がこの宇宙に飛び出す遥か以前から、あるいは何者かの手によって作られた存在…、けれどそれを感じ、力を使えたのはユイ様ただお一人だったわ…」
「一人?、だって、じゃあ僕たちは…」
「だからこそ、インターフェースが作られたのよ」
 シンジのインターフェースを確かに見たことがあると、リツコは記憶を掘り返していた。


「これが心か、愛?、そうなのですね、ユイ様!」
 男が一人、隔離実験室の中で叫んでいた。
 髪にはインターフェースが取り付けられている。
 それを足元のモニターで見ているゲンドウ、部屋は暗く、周囲を黄色い液体で満たされた水槽が、円を描くように部屋を取り巻いていた。
「シンクロはうまくいっているな?、ユイ…」
 ゲンドウは振り返った、そこには部屋の天井から床へ、斜めにプラグのような物が固定されていた。
 その上部の一部が切り取られ、中はコクピットのようになっている。
 ヘッドセットを被り、インダクションレバーを握っているユイの口元が、ニコッと小さく笑みを浮かべた。
「実験を次の段階へ移そう…」
 ゲンドウは小型のマイクを取りだし、指令を下した。
「フェイズ2へ移行する…」
 画面の男が頷いた。
「エヴァ・テクター」
 そして小さく呟く、瞬間、オレンジ色の光が男を包み込んでいた。
 現れいでるエヴァマスター、だが。
「う、うあ?」
 エヴァマスターは急に苦しみだし、頭を抱えてうめき声を上げ始めた。
「うああああああ!」
 絶叫、続いて壁に頭を打ちつける。
「ユイ?」
 ユイの口元が引き結ばれていた、汗も流れ出している。
「ユイ、大丈夫か、ユイ!」
 手がぶるぶると小刻みに震え始めていた。
「うわああああ!、ユイ様を、ユイ様をよこせぇ!」
 ドォン!
 爆発が起こった。
「げ、ゲンドウ様!、被験者が脱走を…」
「いえ!、彼はそちらへ向かっています、待避を!」
「うわあああああああああああ!」
 ゲンドウは冷ややかに暴れ回るエヴァを見た。
「心の暴走か…、ユイに触れ過ぎたな」
 ユイのヘッドセットを持ち上げて外す。
「もういい、I/Oシステムをダウンする」
「はい…」
 ユイはどさっと力尽きたように、ゲンドウの胸に倒れ込んでいった。



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