「子供です、わたしと、あなたの…」
そうか…と、ゲンドウは告げただけだった。
「淫らな女だと思われてしまいますわね?」
「愛し合う、その行為の先にある、それこそが形ある結晶ではなかったのかね?」
ゲンドウは冷めた口調でユイに諭した。
「実験は?」
「最悪に終わる」
目をそらすゲンドウ。
「君の心は失われるだろう、それは使徒の中に移される…」
「コピー…、ではなく?」
「想いはその人のものだ、他の誰も模倣はできんよ」
ゲンドウはくいっと眼鏡を持ち上げた。
「やつらはお前から特定の感情を抜き出すつもりのようだが…、愚にもつかん話だな?」
そして蔑むように吐き捨てた。
「できるのですか?、そのようなことが…」
「理論上では可能だ、だが心が失われる恐怖に君は耐えられるかね?」
ユイはゲンドウの背中に抱きついた。
「そのようなこと!」
「心は絶望に彩られるだろう…、その想いは誰が受け取る?、誰が受け入れる?、誰のものとなってしまうのか…」
ぎゅっと、シャツの背をつかむ手が強く握られた。
「この子は…」
お腹の温もりを、ゲンドウの背中に伝える。
「心が形作られるのはこれからだ…、歪むかもしれん、だが希望はある」
「希望…」
そうだ、と、ゲンドウは振り返り、ユイを抱きしめた。
「なら…」
「ああ、わかっているよ、ユイ…」
ゲンドウは強くしがみついて来る儚げな女性を、初めて愛おしいと感じていた。
「赤い…、エヴァテクター…」
ゲンドウに襲いかかったのは、現在アスカの物となっているエヴァテクターだった。
「そうだ、わたしと同じ研究員だったナオコ君だ」
それはユイの操るエヴァの視点での映像であった。
拳を繰り出し、回し蹴る。
ゲンドウは必死になって避けていた。
(この結末の全てを知っていて、あなたは!)
誰?
アスカにはそれが誰の声なのか分からなかった。
だが自分のエヴァテクターを着ている女性のものだとは分かる。
(そのためにユイ様のための、特別なエヴァテクターまで用意して!)
誰?
今度はわかった。
ユイって、シンジのお母さん?
エヴァの瞳は嫌らしい笑みに歪んでいた。
まるでダンスでも踊っているかの様なステップで、ナオコの拳をさばくユイ。
(まさか、そんな!?)
その瞳は空虚で、生彩に欠けていた。
赤いエヴァの動きが止まってしまう。
(ナオコ君…)
その変身が解けてしまった。
カラン…と、足元に転がるインターフェイス。
ゲンドウはそれを拾い上げた。
ユイはおもちゃを取り上げられた子供のように、次の遊び相手を探している。
(これが、あたし達のした事なの?)
そんなユイに恐怖を覚える。
脅えるようにナオコは下がった。
ユイから一歩でも遠ざかろうと…
(心…、ユイ様の心、特別なエヴァ、赤い玉、s2機関、心の、想いの蓄積器?)
なんのための?
なんのために必要なのか?
なんのために、必要になったのか?
それを考えついた時、ナオコの意識が罪の色に弾けていた。
(ナオコ君!)
(いやあああああああああ!)
ナオコはわめき声を上げた、その拍子に真後ろの鉄柵によろけてしまった。
(ナオコ君!)
勢いで乗り越え、姿が消える。
慌て覗きこんだ所に、その母の遺体を抱きしめるリツコの姿があった。
「わたし達が間違っていたのかもしれない」
血まみれで、リツコは憎しみの瞳を向けている。
ゲンドウは皆が息を呑む中で、厳かにそう告げていた。
「人の欲には際限が無いからな…、心の交流、その甘美さを味わえば、求めずにはいられない、それは分かっていたはずなのた…」
アスカは、今の自分がそうかもしれないと思っていた。
綾波もそうかもしれない。
二人とも、シンジにかまわずにはいられなかった。
かまってもらわずにはいられなかった。
「彼らは自分だけのユイを求め、そしてユイは彼らに心を奪われてしまったのだ…」
その結末が破滅へと繋がっていた。
「心を奪われてしまう恐怖が、思惑とは違った想いをエヴァに与えてしまった」
巨大な絶望感が世界を覆いつくして焼きあげた。
「生き残った人達はわずかに1割、その半数以下がなんとか正気を保っていたけどね…」
ミサトが後を引き継いだ。
「寂しさを紛らわせるように、絶望から逃れるために、ユイ様の代わりを求めるように、みな誰かと愛し合ったのよ…」
だが、それはさらに残酷な結末を導き出していた。
それで、生まれて来たんが魂の無い子供っちゅうわけかいな…
心の無い人間から生まれた、魂を持たない子供達。
トウジは険しい顔つきで、ゲンドウの話を聞き逃すまいと耳すましていた。
「母さんは、笑ってた…」
シンジは幼い頃の記憶を、何度も何度もほじくり返していた。
「そうだ、笑ってたんだ…」
去っていく時も…
シンジを置いていってしまう時も笑っていた。
「でも、父さんは?」
いつもしかめっ面だった。
違う、堪えてたんだ。
不完全な心しか持たない母さんを見るのが辛くて…
それでも、自分の責任から逃げないように、歯を食いしばって…
「一体、母さんを…、何をしたのさ、父さん…」
…真実は、信じてくれている者だけが知っていればいい。
ふいにゲンドウの言葉が蘇って来た。
疑いを持つことは簡単過ぎる、いじめられて来た自分だからこそ、同じように鵜呑みにして疑うことに、嫌悪感を覚えてしまっていた。
そうだよな、こんな話、たとえ話してくれたって…
リツコの話し、それだけが真実の全てではないのだと言い聞かせる。
それでも寂しさを感じずにはいられなかった。
「母さんは、何故死んだんだろう?」
嘘をつかれていたことが悔しかった。
病気で死んだのではないと気がついてしまったのだ。
いや、本当は全て分かってしまっている。
ただ認めたくないだけなのだ。
「でも、認めなくちゃいけない」
シンジは青い髪の少女と、母の面影をダブらせていた。
同じなんだ…
同じだからと。
ダレモイナイカラ、シンデモイイ…
「そうだ、同じなんだ」
絶望に彩られた少女の、無表情な顔が思い浮かんで、消えていった。
何に対しても、諦め切ってしまっている女の子。
だから、死んでもいいと口にしたのだ。
「母さんも、同じだったんだ…」
絶望、恐怖、あらゆる負の感情を抜き取られてしまったユイ。
何に対しても、喜びと嬉しさしか感じることができなくなってしまったお母さん。
「母さんは…、死ぬことにも喜びを見つけてしまったんだ…」
だから死んでもいいと、生きることをやめてしまったのだ。
それは認めたくない、現実だった。
「これで良かったのか?、ユイ…」
真っ暗な部屋の中で、ゲンドウは冷たい言葉を吐き出していた。
周囲をぐるりと円周状に表示されている外の景色、それはリツコがゲンドウに見せられた、虚数空間の真っ白な世界であった。
部屋を天井から床へ、斜めに貫くように取り付けられているプラグ、その中の座席に座り、ユイはケラケラと笑っていた。
「そうか…」
耐え切れず、抱きつくゲンドウ。
ゲンドウはこの時初めて、自分から熱い口付けをユイに与えていた。
「シンジに右手を握る癖があることを、君達は知っているかね?」
アスカ達は頷いた。
「たまに…、してるから」
「そうか…、あれはわたしのせいでもある」
ゲンドウは自らの右手を眺めた。
「初めて出会った時、わたしはこの手でユイの心に触れた…、だからだろうな?、シンジも右手に何かを感じているのだ」
目を閉じ、そして何かを想いやる。
「また、シンジは誰に教えられるでもなくエヴァンゲリオンのことを知っていた…、それは間違いなく、ユイの血が流れているからだよ」
ユイがエヴァンゲリオンを感じていたように…
シンジもその存在を本能的に知ってしまっているのだ。
「時折シンジは、ユイを近くに感じているようだ…、しょせん血塗られた道だよ」
ゲンドウはアスカに視線を投げかけた。
「それでも、君は歩くかね?」
アスカは即座に頷いていた。
もちろん、ゲンドウの話がどうであれ、そんなことはどうでもよかったのだ。
始めから、自分達には関係の無い話しであったから。
「あたしはシンジを助けたいの、それだけよ」
強い意思をみなぎらせる。
「そうか…」
なら、良いと、ゲンドウは満足げに笑みを広げていた。
ガギエル、その一室でリツコはリョウジと会談を交えていた。
「まったく、来てるのならさっさと教えてもらいたかったわね?」
マヤは自室にこもってしまっていた。
「邪魔しちゃ悪いと思ってね?」
肩をすくめてごまかすリョウジ。
「話は終わったわ、それで、そっちの用件は?」
「必要になると思ってね…、連れて来た」
リツコは疑問符を浮かべて首を傾げた。
「誰を?」
「あの子を」
二人の間で「あの子」と言えるのは、たった一人のことしかなかった。
「では、作戦を説明しよう」
ゲンドウを先頭に、ミサトとアスカが続いて行く。
発令所と同じ階の別施設へ向かっているのだ。
「これは!?」
黄色いプールに、大きな橋がかけられていた。
そのブリッジ上から見る、大きな顔。
「ペンギン!?」
「そ、ペンギン…」
ミサトは自慢気にそれを見た。
「クエエエエエ!」
「な、鳴いた!?」
くりっとした黒い目が、三人を面白そうに見つめている。
「空間航行用高速戦闘艇ペンペン、その初号機よ?」
「ふね?、これが!?」
アスカは信じられないとばかりに、その巨大なペンギンを凝視した。
大きさはエヴァンゲリオンモード時のアスカより、二回りほども大きいだろうか?
「戦闘艇ってわりには、大き過ぎない?」
「空間航行用って言ったでしょ?、本当ならわたしが送ってあげたい所なんだけど…」
この傷じゃね?、っとミサトはお腹を押さえて顔をしかめた。
そんなミサトに、アスカは疑惑の目を向けてしまう。
「…前から聞きたかったんだけどさ」
「なに?」
ケロッとした顔で調子良く返事するミサト。
「あんた一体なにもんなのよ?」
ミサトは、「帰って来たら教えてあげるわ?」っと、やはり問いかけをごまかしたのだった。
「エントリープラグ、挿入…」
ペンペンの背中で、細い棒状のものが回転しながらエントリーされた。
「A10神経接続開始、暴走…ありません」
コクピット内で、逐一報告を入れるアスカ。
小猫を抱く時のような、愛おしさが込み上げて来る。
「良い?、重力や引力のことは考えなくていいから、その程度は簡単に振り切れるし、エヴァテクターがあればGなんて何にも感じないもの」
ミサトの忠告に「わかっているわ」と、アスカはコクピット内で返事をしていた。
「オーケー、じゃあぶっ飛ばして突っ込んでブッちめて帰って来なさい、いいわね?」
アスカはエヴァに変身していた。
股の間にあるパネルで、ペンペンの心理状態を表すニコちゃんマークを確認しておく。
「良い子ね?」
インダクションレバーを握り込んだ。
「ふうん…、さっき見せてもらったのと同じ作りになってるんだ…」
エヴァと同じで、その操縦方法はインターフェースが、一々アスカにレクチャーしてくれていた。
「大丈夫、ちゃんとシンジは助けて来るわよ」
「頼んだわよ?」
それで通信は終わりとなった。
シュッと、四角い投影スクリーンウィンドウが消滅する。
アスカはぐっと気持ちを込めて呟いた。
「アスカ、行くわよ?」
直後、ペンペンの両足に、プラズマ流が渦巻いていた。
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