ザアアアアアア!
 湖の底が抜けてしまったのか?、膨大な量の水が渦を巻いて吸い込まれ始めた。
 バシャアン!
 その中から黒い物体が空へ向かって飛び出していく。
 ペンペンだ。
 ゴオオオオ…
 巻き上げられた水が、キラキラと氷のように舞って散った。
 ペンペンの足元から伸びるプラズマジェットの青い炎が、地球の自転のために高く昇るにつれて曲がって行く。
「鈴原…」
 館の二階、ベランダ。
 いつもならそこから見える山並みが美しく、湖からの風も心地好い。
 だがこんな時だからだろうか?、ヒカリの心はその穏やかさにかき乱されてしまっていた。
「なんや?、委員長かいな」
「うん…」
 言いづらいことでもあるのだろうか?、ヒカリはまっすぐにトウジを見れない。
「なんや?」
 トウジの方が先に焦れた。
「うん…、あのね?、あたしには何もできないし、何も分からないけど、でも…」
 ヒカリはトウジの背中を見た。
「でも…、もしあたしにも力があったら…、友達を助けてあげたいと思うの」
 遠回し、遠回しにヒカリはトウジに探りを入れていた。
 その黒いジャージが、あのエヴァの背中と重なって見えている。
「そやな…」
 トウジは手すりに手を置いて、アスカの駆け昇っていった後を目で追った。
 そこに伸びているのは白い軌跡…
「そやけど、今は信じようやないか」
 トウジは振り向き、ヒカリに笑いかけた。
「え?」
「あいつらはそないヤワな奴等とちゃうやろ?、ワシらにできることは、信じてまっといたることだけや」
「うん…」
 トウジはヒカリから目をそらし、再び空を見上げて呟いた。
「そや、時計の針は、ようやく動き始める所なんやからな…」
 その呟きは、ヒカリには到底分からない意味を含んだものだった。


「セカンドを連れて来たの?、あなたは…」
 呆れ返るリツコ。
 二人の前には、円筒形のシリンダーに封印された、裸体の少女の姿があった。
「硬化ベークライトで固めてあるが、生きている」
「セカンドチルドレン…」
 髪が今にも揺らめきそうな形で固まっている。
 短いシャギーがかった青い髪。
 簡単に折れてしまいそうな程に細い腰。
 そして華奢な体。
 それはどこから見ても、綾波レイの姿をしていた。
「苦労したよ…、ここまで連れて来るのには…」
「彼女にはコントロールが効かないから…」
 二人の会話には、命ある者としての見方が欠けていた。
「それにしても、よく連れ出せたわね?」
「おかげでまた怒られそうだよ」
 リョウジは苦笑して肩をすくめた。
「まったく…、あなたって人は」
「ま、優秀な部下が多いからな、俺が居なくても何も問題は起こらない…」
 それは冗談なのか本気なのか?、リツコにはどちらともつかなかった。
 ただ分かっていることは、誰もリョウちゃんの行動を抑えられなかったってことだけね?
 リツコはしょうがないとばかりにため息をついてしまった。
「でも、この子をどう使おうと言うの?」
 とにかく、危険過ぎる存在に、リツコは処分を決めかねてしまう。
「それは…、来たな?」
 リョウジは唐突に、司令官としての顔に立ち返った。
 ズウン…
「なんなの!?」
 リツコの疑問は、衝撃によって解消された。
 ビーーー!
 赤色灯に明かりが代わり、次いでシゲルのアナウンスが、リツコの頭上に降り注いできた。


「状況は?」
「はい、小型艇による砲撃です」
 ブリッジで、レーダーを確認するリツコ。
 クルーは皆、その後ろに居るリョウジの姿に唖然としてしまっていた。
 いつ来たのか?、ほとんどの者がそれを知らない。
「や?」
 特定、とくにマヤに向けて微笑みを投げかけるリョウジ。
 マヤはそっぽを向くように顔をそらした。
「連れないなぁ…」
「なに冗談やってるのよ」
「ペンペン…だろ?、ミサトか」
 何故だかリョウジは、何も見ないで決め付けていく。
「いえ、ペンペンですが…、違います」
「パターンレッド!、エヴァパトスですね、これは…」
 頷くリョウジに、リツコは疑惑の目を向けた。
 わたしは、ミサトの事は報告していないのに…
 リョウジのニヤついた笑みは、ペンペンとその頭の上に乗る赤いエヴァテクターに向けられている。


「もう一丁!」
 ペンペンの頭の上で吠えるアスカ。
 アスカは腰だめに構えたライフルの引き金をしぼった。
 横幅は薄く、縦に長いライフルだ。
 エヴァテクターの背中にあるコネクタには、ペンペンからエネルギーを借り受けるためのコードが接続されている。
 ズビュン!
 ペンペンから供給された巨大なエネルギーを使って、ヴェスパーカノンを発射するアスカ。
「いけるわ!」
 シンジを取り戻すのよ!
 その想いが、力となって飛んでいく。
 ちゃんとそこで待ってなさいよ!
 アスカはシンジに向かって、心の中で叫んでいた。


「アスカ?」
 ふいに顔を上げるシンジ。
 ズゥン!
「うわ!」
 突如襲われた激震に、シンジは椅子からひっくり返ってしまっていた。
「アスカなの!?」
 綾波の時のように、アスカの声を聞き分けられなくて歯噛みする。
「アスカ?、アスカ応えて、応えてよぉ!」
 シンジの絶叫は、それでもアスカには届かなかった。


「応戦しなさい!」
「で、ですが…」
 リツコは反論するマコトに、苛立たしげな目を向けた。
「ここなら使徒の力を存分に発揮できるわ、ありったけのラミエルを出して、早く!」
 リツコの指令に、ガギエルの腹部から何十もの正八面体が放出された。


「来たわね?」
 舌なめずりして、その光景を見ているアスカ。
 ガギエルの下方に、青い光が広がっていく。
 星の瞬きよりも幻想的で、それはまさに宝石の輝きのようにも見えていた。
「来る!」
 アスカはペンペンを回避旋回させていた、操作にはもう慣れている、ほとんどがスケボーのノリだった。
 ペンペンの首を右に左に足で向け、進行方向を変えさせる。
 先程までアスカが居た位置を、幾筋もの高エネルギーがもの凄い勢いで通過していった。
「遅いのよ!」
 アスカはさらに、ヴェスパーカノンを発射していた。


「新しい使い方ね?」
「ああ、ATフィールドだな?」
 呑気に会話を交わすリツコとリョウジ。
 ATフィールドを弾として撃ち出しているのだ。
 アスカが打ち出したATフィールドは、回避行動をしているラミエルですら、その余波のようなものだけで撃ち落としてしまっていた。
 ボボボボボ!
 カノンの光が通過した場所で、ラミエルの数だけ爆発が起こる。
「こりゃ勝てないな…」
「じゃあ逃げる?」
 リツコは意地悪くリョウジに尋ねた。
「オリジナルは手に入れたわ、これ以上欲張る事はないんじゃない?」
「…逃げるのはいつでもできる、その前にちょっとやって見たいことがあるんだが」
 リョウジはマヤに向かって手を振った。
「…やって見たいことって、それ?」
 軽蔑の眼差しを向けるリツコ。
「まさか?、マヤちゃん、あの子の様子を見せてくれ」
 マヤは困ったようにリツコを見たが、リツコが頷いたのでセカンドと呼ばれたレイの姿をモニターに映そうとした。
 だが…
「あ…」
「どうしたの?、マヤ…」
 マヤは恐る恐る、リツコとリョウジに報告した。
「セカンドの封印が、解かれています」
 その報告にリツコは凍り付き、リョウジは状況を楽しむかの様に笑いだした。


「出して、ここから出してよぉ!」
 ドンドンドン!
 シンジは拳の皮が破れるほどに、強く扉に叩きつけていた。
「今行かなきゃ、アスカを…、綾波を…、僕は…」
 今なら思い出せる、だが全ては夢だったのかもしれない。
 しかし夢としても、耐えられなかった。
 綾波の伸ばされた手がすり抜けた瞬間。
「あんなのはもう嫌なんだよ…」
 だからシンジは拳を打ち付けていた。
 肉体の痛みでごまかすように。
「だからここから出してよぉ!」
 ダン!
 だが無情にも、扉は一向に開いてくれない。
「なんで…、どうして開かないんだよ」
 綾波…、アスカ、ミサトさん…
「父さん」
 シンジは涙を堪えて顔を上げた。
「誰か応えて、応えてよぉ!」
 ダン!
 シンジは更に強く、扉がへこむほどに拳を打ち付けてしまっていた。
「う、うう…」
 額を扉につけ、溢れ出した涙を堪え切れずに泣いてしまう。
 カナリヤの時も、綾波の時もそうだった…
 街での戦闘で、レイをひき止め、苦しめてしまったことについても。
「僕は結局、肝心な時には何もできないで…」
 それが悔しくてたまらなかった。
「だから、僕は!」
 顔を上げる。
 クスン…、グス…
 シンジの耳に、誰かの泣き声が飛び込んで来た。
 誰?、誰か居るの?、扉の向こうに…
 ドォン
 爆発。
 シンジの体を、光の炎が突き抜けていった。


「…直撃しましたけど、大丈夫でしょうか?」
 ミサトは心配げにゲンドウに尋ねた。
「問題無い…、あの光はアスカ君の心でもある、シンジを傷つけることは絶対に無い」
 それはそうでしょうけど…
 誘発された爆発に巻き込まれる危険性はどうなっているのでしょうか?
 ミサトは冷や汗を堪えながら、恐い考えに浸ってしまっていた。


 ゲホッ、ゲホゴホ…
 シンジは咳をしながら、なんとか壊れたドアから部屋の外に逃れていた。
「まったく、アスカってば無茶をするんだから…」
 シンジはまだ煙が巻き起こっている中で、先程の声の主を探していた。
 空気が大穴から流れ出ていく様に、一瞬恐怖を感じてしまう。
 だがそれはすぐ勝手に塞がりだしたので、シンジはなんとか安心感を手にできた。
「だけど、こう瓦礫の山じゃ…」
 煙が晴れても見付け出せない。
「ん…」
 小さいが、くぐもった声が聞こえてきた。
「誰?、そこに居るのは…」
 シンジは瓦礫の下に少女を見つけた。
 空色の髪の…、シンジの一番会いたかった女の子。
「綾波?、綾波じゃないか!」
 シンジは瓦礫をどけ抱き起こすと、強く強く抱きしめた。
「ん…、嫌…」
 だがシンジの耳元で、脅えるような拒絶が展開された。
「綾波、どうして!」
 体を離し、その目を見つめる。
 違う!?
 シンジのショックは、すぐに別な物に刷り変わってしまった。
 同じ顔、同じ髪、同じ瞳の中に、綾波とは違うものを見つけてしまう。
「君は、綾波じゃないの?」
 怖々とレイに尋ねるシンジ。
「ごめんなさい…」
 レイそっくりな少女は、おどおどと視線をそらせて逃げ出そうとした。
「あ、ご、ごめん…」
 シンジはその様子に、自分が酷く少女を脅えさせているのだと気がついた。
「僕、今焦ってて、それで…」
「いいえ」
 少女は首を振って、シンジの言葉を否定した。
「悪いのはわたし…、だから、気にしないで」
 綾波と同じ声で、彼女はシンジに謝った。
 だからこそ、シンジは余計に混乱してしまう。
「君は…、綾波レイとは違うの?」
「レイ?」
「うん…」
「レイ…」
 少女は深く考え込み、それからやはり怖々とシンジに答えた。
「ごめんなさい、わからないの…」
 自分のことなのに…
 直感的にシンジは、彼女にもレイと同じものを感じ取った。
「君は、綾波と同じだね…」
「そう…」
 泣きそうな顔をする。
 シンジの言うことが分からないのだ。
 だから怒られると思ってるらしい、シンジもすぐに察しが付いた。
「いいよ、謝らなくても、僕が悪いんだ…、だから恐がらないでよ」
 シンジは優しい微笑みを向けた。
 だがそれも効果が無い。
「ごめんなさい…、わたしよくわからないの」
 少女はシンジに脅えた目を向け続けている。
「わたし、多分二人目だと思うから…」
 それはシンジにこそ、良く分からないセリフであった。



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