「辛い所ね、あの子も…」
 アスカが先先行ってしまうのを、ミサトはわざと見送った。
 レイを引き連れて、走っていくアスカ。
「見えん方がええ事もある、そう言うことですか?」
「ま、ね」
 ミサトの顔にも苦い物が込み上げている。
「あなたは、どうなの?」
 言葉に突然、険しさが増した。
 なんや、バイトがバレとるんかいな。
 苦笑するトウジ。
「ほんまに…、ほんまにシンジとは偶然知りおうたんですわ、でも…」
「でも?」
「運命っちゅうもんは、こないなもんかも知れんと思とります」
 トウジはシンジと出会った時のことを思い返してしまった。


「邪魔なんだよなぁ!」
 バキィ!
 派手な音が鳴った。
 なんや?
 登校途中、トウジは興味を引かれて公園を覗き込んだ。
「俺達までなんて言われてるのか知ってるのかよ!」
 髪の短い少年が横たわっている。
 それを蹴り転がしている3人の男子。
「病気が移るってよ、来んなよ、学校に!」
 ガス!
 蹴りがよほどの場所に入ってしまったのか、彼は…、シンジは悶絶して声も出せない状況になっていた。
 派手に咳き込んでいる。
 なんやなんや?
 しかし反論することもなく、シンジはされるがままになっていた。
 あ、あかん、見てる場合とちゃうわ。
「お前ら、なにしとんのや!」
 飛び出すトウジ。
「なんだよ、お前?」
「関係あらへんわ!」
 バキ!
 トウジは飛び出すなり、いきなり殴り飛ばしていた。
 簡単に転がる少年。
 あ、あかん、こんだけ手ぇ抜いてもやりすぎてまうんか!?
 だが効果はあった。
「う、うわああ!」
 起き上がるなり逃げ出したのに続いて、残る二人も駆け出した。
 ほっとして、肩の力を抜くトウジ。
「おい、大丈夫やったか?」
 ゾク!
 トウジの背中に冷たい物が駆け昇った。
 なんちゅう目をしとるんや…
 冷めた、なんてものではなく、何も感じていないような、心を閉ざした空虚な瞳がそこにあった。
「…僕に関らないほうがいいよ」
 差し出されたトウジの手を無視して、ゆっくりと起き上がるシンジ。
「なんやて?、それが助けてもろた恩人に言う言葉か」
「…君も、どうせ僕をいじめるようになるよ」
 皆と同じように…
 シンジは何に対しても、希望と言う物を失っていた。


「愛情を知らんと、あないなるのかもしれへん、そう思いましたわ」
 勇気などはくじかれるだけ。
 希望は無駄に消えていくだけのものである、だからシンジは心を閉ざしていた、ずっと。
「そう…」
 神妙な顔で頷くミサト。
 その後やったなぁ…
 トウジは心の中だけで思い出した。
 見つけたでぇ?、六分儀と繋がる唯一の鍵、冬月教授の家、ここやな?
 お、なんや碇やないか?
 ゲンドウ?、六分儀から碇に姓を変えとったんかいな、せこい真似しおって…
 病気で、死んだやて?、嘘や、信じひんで、わしは!
 エヴァンゲリオン、まさか!?、希望は繋がれとるっちゅうわけやな…
「でもまあ、あなたもシンジ君にとっての救いの一つだったのかもしれないわね?」
 微笑みかける、トウジはそんなミサトから視線をそらした。
 そらせることしか、できなかった。


「ねえ、金魚すくいとかってしたことある?、結構面白いのよ?」
 異常なほどに明るいアスカに、居心地の悪さを感じるレイ。
「…どうして、わたしに優しくするの?」
 だから聞かずにはいられなかった。
「あなたは碇君が欲しいんでしょ?、なら、なぜわたしに譲るの?」
 朝食の用意を…
 連れ立って歩くことを。
 側に居ることを。
 話し相手になることを…
「なぜ?」
 いつもなら激しい言葉が返って来る。
 レイもそれを予想して待っていた。
 だが今日のアスカの背中は淋しげだった。
「…だって、しょうがないじゃない?」
 顔だけ振り返る、が、髪が邪魔で瞳が見えない。
「あいつは、あんたを選んだんだからさ…」
 アスカは再び、ゆっくりと前を向いて歩き出した。


「ふう、ここならゆっくりと話せるわね?」
 二人は放置されたままになっている、ミサトのルノーの残骸の近くまで歩いていた。
「はい、これでも飲みなさいよ」
「…ありがとう」
 素直にラムネを受け取るレイ。
「あの時…」
 アスカは唐突に切り出した。
「あんたが消えそうになった時…」
 アダムに飲み込まれそうになった時の話だ。
「シンジはあんたのことしか考えてなかったわ」
 何故だろう?
 レイは自分の中にある、おかしな感情を見つけていた。
「その時、思ったのよね…、ああ、あいつは、あたしに憧れることはもうないんだって、あいつは…」
 レイを見る。
「あたしの存在なんか、必要としなくなっちゃったんだって…」
 いつもなら喜んでしまっていただろう。
 シンジは自分を選んでくれたのだと…
 なのになぜ?
 わからない。
 この人に、こんなこと言われたくない。
 言って欲しくないと感じている。
 動悸が激しくなっていた。
「でも、ごめんね?」
「どうして謝るの?」
 くすっと笑うアスカ。
「あたしも、シンジのことが好きなんだって気付いちゃったの…」
 だけど、遅かったから…
 わからない。
 だが、アスカの心の中が読めるような気がした。
 わかるはず、ないのに…、人の心なんて。
 しかし、痛いほど伝わって来ていた。
「離れたくない、でもシンジの隣にはあんたが…、あんた達が居るわ、あたしには、もう…」
 居場所が無いの。
 痛い!
 その言葉になぜだか、レイの瞳から涙がこぼれ落ちていた。


「痛い?」
「ど、どうしたのさレイ!」
 突然流した涙にシンジは慌てた。
「…ごめんなさい、よくわからないの」
 シンジにハンカチで拭ってもらいながら、レイは困惑を浮かべていた。
 見る、見た、何を、真実?、本当の気持ち…、違う、理解してない、分かってない、本当を知らない、分かったつもりになっていただけ、苦しい、辛い、分かりたくなかった?、なにを?
 人を、好きになっていくことを。
「レイ!」
「あ…」
 揺さぶられて、レイは再びシンジを見た。
 入り込んで来るような真っ直ぐな眼差しに脅えてしまう。
 これが、恐いの?
 違う、失うことが…、無くすことが…
 だから、触れ合いを拒む…、拒み切れない心。
 誰の?
「恐い…」
 苦しげにセカンドはしがみついた。
「心が流れ込んで来る…」
「レイ、何を言って…」
 激流のような流れを感じる。
 それをせき止めてもらうかの様に、セカンドはシンジの体に抱きついていた。


 ほぼ同時刻、銀河を挟んで反対側にある世界。
 シンジたちが一時の平和の中で、ささやかな波紋にあがいている頃、ここではリツコが顔をしかめていた。
「まったく、嫌な星ね…」
 海岸線に立ち、夕焼けを眺めている。
 朽ちかけたビル群が、所々海面に顔を覗かせていた。
 それに使徒。
 巨人とも言える、半ば石化した天使の様な使徒の姿があった。
 首が落ちて、無くなっている。
「これが、わたし達の世界…」
 美しい情景ではない、何処か空しい、作り物めいた色をした夕焼けだった。
「センパーイ!」
 振り返る。
「マヤ…」
 マコトとシゲルも居る、三人はオープンカーで迎えに来ていた。
 苦笑して、歩き寄る。
「…せっかくの休みでしょうに」
「監視付きじゃ落ちつきませんよ」
 苦笑して、天を指差す。
 マコトが言っているのは、衛星軌道上に浮いている使徒のことであった。
 半円球状の使徒で、全体に瞳のマーキングが為されている。
 蜘蛛のような足は、今は必要が無いのか閉じられていた。
 大きさは10メートル前後、それが幾つも浮いている。
「嫌な感じですよね、あれを持ち帰ったのだって、あたし達なのに…」
 インターフェイス。
 それは皇帝配下の、実質政治権力を握っている老人達の手に渡っていた。


「インターフェイス」
 ゴウン…と暗闇の中に、いくつものモノリスが浮かび上がった。
 漆黒のモノリス、その表面には名前の代わりにナンバーが刻まれている。
「15年前に失われし物が、再び我らの手に戻ったか…」
 いまいましげに吐き捨てる。
 その口調には、苦い物が混ざっていた。
「計画は?」
「15%も遅れていない」
「だがサードに続いてセカンド」
 中央に、裸身のレイが映し出される。
「これの消失、一体どう償うつもりかね?」
 リョウジ。
 いつものように、うすら笑いを浮かべてそのレイを見ているリョウジ。
 立体表示されたレイは、ゆっくりと回転して、その姿を見せていた。



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