「綾波!?」
 じっとして動かないエヴァの前に、青いエヴァが現れた。
「そんな、初めからハイパーモードだなんて!?」
 驚きに声を上げるミサトとトウジ。
「まさか、やるつもりなんか?、あかん!」
 トウジはもう隠そうとしなかった。
「どういう事なの!?」
「あいつは…、あいつはヤバいんや、あいつは…」
 人の気配に、はっとして振り返る。
「あなた!?」
 ミサトも驚きに声を上げた。
「リョウジ!?」
「どぉもっ」
 陽気に片手を上げる、無精髭に尻尾髪の男。
「どうして…、ここに、あ!」
 動揺してしまったが、すぐに映像だと気がついた。
「使徒!?」
 空を見上げる、ミサトの「尋常ではない視力」が、はるか衛星軌道上に居る半円球の使徒を捉えていた。
「さてとトウジ君、時計の針は再び進み始めた、俺達にはもう、時間がないんだ」
 ちょっとだけ驚いた後、トウジは自分に言い聞かせるように頷いた。
「ちょ、ちょっとあんた、一体なにをさせる気なのよ!?」
「悪い、お前との再会を喜んでいられる余裕は、振られた時に失くしたよ」
「こんな時になに冗談言ってるのよ!?」
 リョウジの顔つきが本気になった。
「こんな時だからだよ」
 ごくっと、生唾を飲み込むミサト。
「マジなの?」
「鈴原ー!」
 そこへ運悪く、ヒカリ達が走って来る。
「ミサトさん…」
 トウジはつとめて声を押し殺した。
「ワシのことは、悪い奴やったと言うといてください」
「本当に、それでいいのね?」
 ミサトの確認に、トウジはこっくりと頷いた。
 そして後ろ向きに、一歩、二歩と距離を取る。
「エヴァン…ゲリオン」
 漆黒の暗闇が爆発した。
「鈴原!」
 吹き飛ばされないように伏せるヒカリ。
「そんな!?」
 闇の風が去った後、目の前には巨大な獣の大きく太い足があった。


「エヴァが二体も!?、綾波一人じゃ…」
「そうね…」
 アスカは冷静に口にした。
「あんたがいかないと、ダメかもね?」
 感情を押し隠す。
 こいつに自覚させなきゃ、あいつが可哀想じゃないのよ…
 シンジはまだ自分のことを好いていると分かっている。
 だから余計に辛かった。
 大丈夫、あたしはまだやれるわ…、そうよ、シンジがいなくても戦える、こいつなんて居なくてもいいのよ!
 自分自身に言い聞かせる。
「あんた結局、誰でもいいんじゃない…」
 だからアスカは嘘をついた。
「あたしでもあいつでも、他の誰でも、守れる人がいればいいんでしょ?」
「どうして…、そう言うこというのさ?」
 もちろんアスカの言葉が嘘だとは分かっている。
 エヴァが、見せてくれているから…
 お互いの、嘘のない気持ちを。
 なのにアスカは僕を怒らせようと…、嫌われようとしている。
 どうして?
 わからない…
「僕にはもう、アスカが何を考えているのか、わからないよ…」
 悲しくうつむくシンジ。
 その一言は、アスカの癇に触っていた。
 シンジの胸倉をつかんで顔を上げさせる。
「あんたが!、あんたがあたしの何を判ってたって言うのよ!」
「あ、アスカ…」
 脅えた目を向けてしまうシンジ。
「何も判ってないくせに、あたしの心に入り込まないで!」
 拒絶、拒否。
 否定?
 青い瞳が揺れている。
 シンジは動揺した、アスカの言葉がインターフェースで刃となって流れ込んで来る。
「あんたあたしに甘えてるだけじゃないの!」
 シンジを突き放すアスカ。
「あいつに甘えたって叱ってくれないから、自分を奮い立たせてくれないから、情けない自分を叱り飛ばしてくれないから、あたしに頼ってるだけじゃないのよ!」
 自分の体を抱き、がくがくと震えるシンジ。
「そんな、違うよ…、違う…」
「違わないわよ!、エヴァに嘘は付けない、それはあんたが一番良く知ってることでしょうが!」
 顔を上げるシンジ。
「ほら、変身して見せなさいよ?、あたしのことを思って、あたしだけを見て、他の全部を追い出して、忘れて、変身して見せなさいよ…」
 一転して穏やかに、アスカはシンジに声を掛けた。
「変身してよ、ねえ?」
「…エヴァン、ゲリオン」
 だが紫色の閃光は、シンジを包んではくれなかった。


 綾波の前に、黒いエヴァが割り込んだ。
 たたらを踏むレイ。
 じっとその爬虫類のような顔を睨み付ける。
 …変身したのは、彼。
 一瞬で見抜けた。
 今までの綾波ならば、敵ならば倒す、それだけだっただろう…
 だが今はできない。
 碇君の、大切な友達…
 だから迷ってしまう。
(なぜ?)
 まず説いてみる。
(隠す必要が無くなったんや…)
 心が開かれた。
 流れ込んで来る情景…
(これは!?)
 それは、とても悲しい物語だった。


 うふふ、うふ、ふふふふふ…
 布団の中に潜り込み、トウジは必死に耳を塞いでいた。
 母の声が今日も聞こえる。
 こんなん、嫌や!
 泣きそうになる、トウジ六歳。
 妹いうたかて…
 母のお腹は膨らんでいた。
 父のせいだ、エンジェリックインパクトと呼ばれた大崩壊によって心を奪われた父と、心を壊された母。
 父は奪われた物を求めるかの様に、母をむさぼった。
 そやかて、こんなん!
 無表情に、うすら笑いを続ける母に恐怖する。
 トウジの母は…、妹、ハルカの出産と引き換えに命を失った。


 なだれ込んで来たのは、ほんの一端の記憶。
(わかるやろ?)
 だがレイを飲み込むには十分だった。
 変身していなければ、その共感に泣いてしまっていたかもしれない。
(だから、わたしなのね?)
(そや、心を作るには、それしか…)
 同情心が沸き起こる。
 どうすれば、いいの?
 レイは迷った。
(何ぼさっとしてんのよ!)
 レイの背後で、赤い閃光が放たれた。
(こいつらだって守んなくちゃならないのに!)
 足元を見やる。
 大勢の人達がいた、中にはカメラを構えていたり、泡を食ってレポートしようとしているテレビ局の人間の姿も見えた。
 真紅のエヴァンゲリオンが立ち上がった。
(あんたはそいつを押さえて、あたしが守るから)
(なぜ?)
(何故って…)
 いつもなら自分が倒すと言い出すのに…
 言葉にしなくても、エヴァがその質問を伝えてしまう。
(あんたが前に出た方が、シンジがやる気になるからよ!)
 アスカの叫びは、泣き声に近い物だった。


 レイが動いた、腰まで水に浸かって詰め寄っていく。
 ガキィ!
 繰り出されたパンチを左腕で跳ね上げ反らし、トウジは右のパンチを腹部に叩き返した。
 ちょっとなにやってんのよ!
 あわてて駆け出すアスカ。
 ガキィン!
 だがATフィールドに遮られた。
 なんて、強力なの!?
 白銀のエヴァが作り出していることは間違い無い。
「早く、碇君を見つけないと…」
 そんな中、セカンドは息を切らせて走っていた。
 あの脅えてばかりいたレイはどこにも居ない。
 おかしなものね…
 危険が迫るほど、勇気が沸いて来る。
 頑張れる。
 逆に幸せを感じている時ほど、臆病になっていた。
 でも、それで良いのかもしれない。
 頼れる人がいる。
 それはとても幸せなことだから…
 レイは、道の先に自分の幸せを見つけていた。
「碇君!」
 シンジは、途方にくれた顔をレイに向けた。


「レイ…」
「ごめんなさい、遅くなって…」
 頭を下げるレイに、シンジは冷静に戻ろうと努めた。
 そうだ、今は落胆してる場合じゃない、僕にできることをしなくちゃ…
 レイの肩をつかむ。
「ダメじゃないか逃げなくちゃ、ここは僕が何とかするから…」
「でも…」
「でもじゃないよ!、…恐いんだろ?、恐かったら逃げてもいいんだ」
 言い聞かせるようにシンジ。
 そしてこらからどうするべきかに、シンジは思考を切り替えようとした。
「変身…、できないんでしょ?」
 ぐさりと胸に突き立つ言葉。
「だ、だけど、僕はATフィールドを使える、みんなを守ることはできるから、だから、アスカの助けを、したいんだ…」
 嘘だ!
 言葉を紡げば紡ぐほどに空しくなっていた。
 アスカの助けになんて…、僕はアスカのことを、本当は…
 辛くなっていく。
「僕は、アスカのことが好きだって、思ってたのに…」
 本当は違うの?
 自分の心に嘘をついていたのかもしれない。
 どうして?
 きっと、自分に好意を持ってくれているアスカを、裏切りたくなかったからだ…
 捨てる。
 誰かの様に。
 傷つける。
「それが恐かったんだ、僕は」
 自分が、傷つける側に回りたくなかったから…
 いじめっ子達の顔が浮かぶ。
 歪んだ笑いを浮かべる顔が…、シンジのものになる。
 嫌だ!
 シンジは泣きそうになっていた。
 あいつらと同じになりたくない!
 だから、アスカを好きなままだと決め付けていたのかもしれない。
 …自分の心まで、騙して。
「僕は、最低だ…」
 シンジはいつの間にか、レイに手を握られていた。
 それさえも気付けないほど、自分の考えにのめり込んでしまっていた。
「…自分の想いを、疑わないで」
「え?」
 赤い瞳が迫る、唇に弾力のある感触。
 レイ!?
 合わさる唇。
 心を、探して…
 判り合うために。
 そしてレイの唇がシンジの唇を動かした。
 エヴァンゲリオン、と…



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