「来る!」
(来るわ…)
「やれるね?」
(ええ…)
「じゃあ!」
(うん!)
 やり取りはほんの一瞬、しかし本来、今の二人には必要が無い。
 ゴゥ!
 ペンペンとエヴァリオンを中心として、南天と北天を分け隔てるように、白銀の環が広がった。
「これは!?」
 動揺するリョウジ。
「エンジェリックインパクト…、なのか?」
 しかしそれは、今までに見たものとは明らかに違う。
 銀の輪が、月と地球を寸断する。
 パン!
 ロンギヌス砲のエネルギー弾が、まるで水を切るように銀盤の上を跳ねて軌道を変えた。
 遥か虚空の彼方へと消えていく。
 ゴォン!
 それだけにとどまらず、ガギエルも銀環が通り過ぎた直後に、ボコボコと沸騰するようにして爆発した。
 ゴオオオオ…
 その輪の中に、一つだけ穴を空けて浮かんでいる物がいる、サナギだ。
「ATフィールド、か」
 背後のコアの光を見た。
 それは今までになく激しく輝き、いつ爆発してもおかしくないような危険さを秘めていた。
 赤い光に満たされた部屋の中で、リョウジはエヴァでは無く、地球をずっと睨んでいた。


「始まった…、か」
 発令所、ゲンドウは目を細めていた。
 天から斜めに「壁」が降り落ち、それは地球を寸断して二つに分け隔てていた。
「所長!」
 ミサトが振り仰ぐ。
「ネルフより緊急通信です」
 ミサトはゲンドウの返事を待たずに、通信回線を開いてしまった。
 正面スクリーンに現われたのは、白髪で目の細い初老の男だ。
「冬月か」
「ああ、久しぶりだな」
 一瞬の邂逅。
「状況はどうかね?」
「ああ、これから発つ所だ」
「各国の首相からことづてがあるが?」
「わかっている、早く出て行けと言うのだろう?」
「まあ、そうだな…」
 冬月の背後で、慌ただしい人の動きが見えていた。
「外宇宙生命体、特別調査機関ネルフ、か…」
「ああ、お前の提唱と技術提供によりようやくここまで来た…」
「これからの組織だ、冬月、後は頼む」
 返事は無く、冬月の姿はモニターから消えた。
 ふうっと、息をついたのはミサトであった。
「…子供達は?」
「相田君と洞木さんは、ネルフの職員に保護され、現在避難中です」
「では行こう、我々はこの時のために準備を進めて来たのだからな?」
「はい」
 ミサトは神妙な面持ちで、スクリーンの中のオーロラの輝きを見上げに戻った。


 あなたは誰?
 わたしはわたしよ、他の誰でも無いわ!
 うそ…
 なんでよ!
 だって、あなたは惣流・アスカ・ラングレーじゃないもの…
 バッと、世界が真っ白になった。
 ここはどこ?
 記憶の中よ?
 誰と対話しているのか分からない。
「ママ、良い子になる、だからあたしを見捨てないで!」
「一緒に死んでちょうだい…」
「嫌!、あたしは自分で考え、自分で生きるの」
「一緒に死んでちょうだい…」
「嫌よ!、あたしはあたし、ママのお人形なんかじゃない!」
 いやぁ!
 アスカは髪を振り乱した。
 こんなのあたしに見せないで!
 こんなの思い出させないで!
 もう嫌なの、誰かにすがるのは嫌なのよ…
 とても幼い頃の記憶。
 伸びる手に首を締められる。
 涙で滲んだ視界。
 写っているのは、口を狂気に歪めた母の姿。
 はぁ、はぁ、はぁ…
 漏れて来る息遣いは母のもの。
「あなたはあたしだけのものよ…」
 耳の奥がキンとする。
「アスカぁ!」
 木漏れ日の並木道で振り返る、ずっと大きくなったアスカ。
「日本に行くんだって?」
「まあね、こっちの方が気楽なんだけど」
 祖母が日本に居る。
「新しいママとなじめなくってね、ママも気をつかってくれてるんだけど、そのせいで疲れちゃってるみたいだし…」
 同じクラスの男子生徒…、とは言っても大学生だ、アスカよりずっと大きい。
 アスカは12歳。
 彼は21歳。
「なら俺んとこに来ればいいじゃないか、お父さんにだっていつでも会いに行けるだろ?」
 プッとアスカは吹き出した。
「あんたロリコン?、あたしいくつだと思ってんのよ?」
「自意識過剰って言うんだよ、俺は妹として心配してんの!」
 嘘…
「あ、何か言った?」
「べっつにぃ」
 そう言ってアスカはすたすたと歩き出した。
「あ、おい!」
 飛び級で大学を卒業する寸前の頃の想い出。
 大人に囲まれて大きくなったからかな?
 アスカも、彼の視線の意味ぐらいは気がついていた。
 そして日本。
 何でよ!
 話しが合わない。
 どうして…
 アスカが大人過ぎたから。
 中学生、同年代。
 付き合い方が分からない。
「惣流さんって、どんなテレビ見てるの?」
 そんな低俗な物見ないわよ。
 趣味が合わない、精神年齢が違い過ぎる。
 それでも我慢し続けた。
 でも祖母は…
「無理しなくてもいいのよ?」
 辛そうにしか見てくれない。
 良い子になって、誉めてもらうの…
 今度こそはと思っていた、なのに…
「もう嫌ぁ!」
 風呂場で泣き叫ぶ。
 死んではいない、だが寝たきりになってしまった祖母。
 おばあちゃんに流す涙では無く…
「良い子って、なによ…」
 誰かのためにそうなろうとして…
 二人とも見てはくれなかった。
「もう、嫌よ…」
 えっく、ひっくとしゃくりあげる。
 でももう、この家には一人きり。
 同居人は、今も病院で眠っている。
「もう、嫌ぁ…」
 ガシャアン!
 鏡に拳を叩きつけた。
 割れるガラス、切れた手の甲。
 赤いものが、シャワーの水に混じって流れる。
 排水溝に消えていく。
「もう、良い…」
 それが乾くまで、アスカはじっと動かなかった。
 翌日からアスカは変わった。
「髪の色が違う?、それがどうしたのよ?、黄色の肌なんてしちゃってさ、いやらしいのよ、目つきが!」
 その変貌に戸惑う周囲。
 張られたレッテルは「嫌な奴」
 それでも良いわよ、誰があんた達なんかに合わせてやるもんですか!
「惣流さん…、もうちょっとみんなと仲良く出来ない?」
 なによあんたは!、良い子ぶっちゃってさ!!
「みんなが酷いこと言ってたのは知ってる…、あたしも悪いけど、でも今のままじゃ惣流さんが…」
「関係無いでしょ!」
 パン!
 頬を叩く。
 教室で、皆が注目していた中で。
 みんなは目を丸くした。
 アスカが泣いていたからだ。
「あたしがどうだってのよ!、あたしのことなんてどうだっていいくせに、なによそんなに良い子でいたいわけ!?」
 最後の部分に過剰な感情がこもっていた。
「あたし一人がターゲットなら問題無いわけ?、やり返されたらそうやって、みんなあたしのせいにするわけね?、つまりどっちでも良いんだ、あたしが悪者ならどうだって!」
「ち、ちが…」
 倒れた少女に向かって唾を吐く。
「違わないわよ!、勝手にすれば?、もう知らない、学校になんて来ない、そうしてやったら嬉しいんでしょ!」
 アスカは一息大きく吐きだした。
 そしてはっきりとした動作で、鞄に教科書を片付けていく。
「さよなら」
 そのままアスカは教室を去った。
 涙も拭かずに去ってしまった。
 少女は…、ヒカリは呆然としていた。
 何がいけなかったの?
 なにが悪いの?
 悪いのは誰?
 渦巻く想い。
 助けてあげなかったあたし?
 守ってあげなかったあたし。
 違う。
 気がつく。
 なにも知らなかったあたしね。
 相手のことをなにも知らない自分。
 知ろうとも思わなかった自分。
 自分から見た、上辺だけの姿を全てだと信じ、勝手に相手を思い描いていた自分だ。
 惣流さんの本当の姿はどこにあるの?
「何をぐじぐじ考えとんのや」
「鈴原…」
 ヒカリはトウジに引っ張り起こされた。
「早よ追え」
「でも…」
「でももくそもあるかい!」
 耳がき〜んとした。
「泣かせたんやろ!、お前が行かんかったら、誰が連れ戻せんねん!」
「…うん」
 足取りは重い、それでもヒカリはアスカの後を追いかけた。
「さてと…」
 おせっかいかもしれんけどな。
 ひとこと言っておこうと思った。
「ふん」
 しかし思いとどまった。
 みなアスカの涙に、口をつぐんでしまっていたからだ。
 そのまま自分の席へと戻り、どかっと椅子に座り込む。
 トウジが机の上に脚を上げるまでの間、みんなはビクビクと脅えていた。
 怒られる!っと。
 …あれから、色んな事をヒカリに話したっけ。
 初めは感情に任せて。
 時にはつい口が滑って…
 アスカは学校に戻ったし、表面上は穏やかな日々が戻って来た。
 みな泣かせてしまった罪悪感から逃れるために、アスカに対しての接し方を改めた。
 でも、いいの…
 何が?
「優しくしてくれるからよ!」
 アスカは誰かに向かって叫んでいた。
「優しくしてくれるのよ!、良いじゃないそれが嘘でも!!」
 じゃあどうしてあの子を泣かせたの?
 あの子?
 数秒して、思い出す。
「シンジ…」
 そうよ?、相手のことなんてわかるはずない、あなたがママに殺されかけた事を隠しているように、あの子だって色んな事を隠していたのに…
「だって…、だって」
 手紙は違う人からだったかも、でもあなたにバカにされて、泣く子が変わってしまうだけの話し。
「あたしは気になってたのよ!」
 他人のことを考えない、あなたも同じね?
「誰とよ!」
 みんなと…
 アスカはゆっくりと顔を上げた。
 くす、くすす、くす…
 笑っているのは、魂の無い人形達。
 自分は自分、人とは違う。
 自分は見本にされる側。
 惣流・アスカ・ラングレーと言う人間。
 でもそれは嘘。
 深い所では皆と同じレベルの、低俗なだけの女の子。
「そうかもしれない…」
 アスカは唇を噛み切っていた。
「でも、一つだけ間違ってるわ…」
 アスカは悪夢を振り払う。
「あたしがシンジに教えないのは、それが恐いからじゃないわよ!」
 強く強く、心を決める。
「そんなことで気を引きたくないの!」
 あたしをはあたし、今ここに居るあたしが全部。
 可哀想なあたしはいらないのよ、あたしとシンジの間には…
 アスカはレイと、同じことを考えた。
「さあ、行くわよ?、あたしの見つけた強さ、それが誰のためのものだか教えてあげるわ」
 アスカはエントリープラグの中で、深い瞑想状態に入っていった。



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