もう、だめ…
 マユミの意識は飛びかけていた。
 その時、囁くような声が耳元でした。
 もういいのかい?
 それが誰のものだかわからない内に、周囲に変化が起きていた。
 …速度が落ちてるの!?
 しかしその理由は到着したからではなく…
「なによあれぇ!?」
 と、アスカが奇妙なものを見つけた事によるものであった。
 それは奇妙な存在だった。
 距離を考えれば、それはあまりにも巨大な形を描いていた。
 何重もの円、それがお互いを繋げるように、∞を描いて広がっている。
「こっちに来る!?」
 違う、自分から近寄っているのだ。
「こんちくしょーーーー!」
 アスカはATフィールドを錐上にして前方に展開した。
 ズバァ!
 しかし模様を破ることはできなかった、模様の両端は数十キロにも及ぶ。
 破る代わりに、光り輝く幾何学模様はちりとなって姿を消していた。
「何だったの?、え!?」
 幾何学模様は消滅した、だが代わりに輝く物達がいた。
 エヴァ!?
 それは異質なエヴァであった。
 白い大きな翼を広げ、円を描くように月の周囲を回転し、追いかけてきている。
 うそ!?、だって…
 今の速度は光速を遥かに越え、単位で表せない早さで進んでいる。
 それなのに追いかけてこれるなんて!?
 アスカは周囲を取り巻くエヴァの一体に集中した。
 ニタリ…
 目の無い顔は、どこか魚を思わせる。
 その赤い唇が笑いに歪んだ。
 気持ち悪い…
 正直に感想を漏らすアスカ。
「おじ様!、あれもエヴァなの!?」
 アスカの叫びは通信機を介してゲンドウに伝えられた。
「エヴァシリーズ、完成していたの!?」
 ミサトが驚きの声を漏らしている。
「そんな…、インターフェイスが盗まれてから、そう幾日も経ってないって言うのに…」
 ゲンドウは、二人に対してゆっくりと答えた。
「エヴァシリーズは既に完成していた、そう見るべきだろうな…」
「じゃあ、どうして!?」
 全てのデータを再検索するミサト。
「しかしコントロール下に置くためにはコア、魂をコア化するためのシステムが不可欠になる…」
「だから!?」
「そうだ…」
 ゲンドウはいつものポーズでメガネの位置を正した。
 インターフェイスにはエヴァに関する情報の全てが組み込まれていた。
「敵に変化は?」
 最悪の状況、それを脱する為の方法を模索する。
「今の所は…、見ているだけなんて、そんな生易しい連中ではないはずなんですが…」
 きゃあ!
 突然の悲鳴に、ミサトは耳を押さえてしまった。
「レイ!?」
 月の外壁にあるカメラを選択する。
「あああああ…」
 巨大なレイが激しくもだえていた。
「あああああ、くぅ…」
 マユミも同時にあえいでいた。
「なんなのよ、一体!?」
 ガシガシと頭を掻きむしるミサト。
「アスカ!?、アスカ聞いてるの?、アスカ!」
 通信はフリーのはずなのに!?
 アスカからの返事はない。
「次元測定器だ…」
「はい?、…まさか!?」
「アンチATフィールド、ゼーレめ、エンジェリックインパクトでわたし達を葬るつもりだな…」
 ゲンドウは渋い顔で吐き捨てるた。
 そのころ月の外側では、月を中心とした『セフィロトの樹』の図形が光り輝いていた。


 それを遠くから眺める者達がいる、ゼーレのトップを司る老人達だ。
「神に等しき力を持つ者がいる…」
 闇の中に浮かび上がる無気味で怪異なメンバー達。
「神の力を手にしようとしている少年がいる」
 シンジの像が浮かび上がった。
 その少年の行方は今は知れない。
「いまそこにある希望が現われる前に、扉を封印しようとしている少年がいる」
 銀髪の少年は皮肉るように尋ねた。
「希望?、ユイ様のところへ行くことがですか?」
 それに対しての言い訳。
「希望の形は人の数ほど存在する」
「希望は人の心の中にしか存在しないからだ」
 少年の笑みは消えない。
「だが我らの希望は具象化されている」
 あがきとしか受け取れない。
「それは偽りの命であり、この崩壊した世界を黒き月よりもたらしたリリス、そして白き月より授かった正当なる真の使徒、その始祖たるアダム」
「ゲンドウにより生み出された福音を生み出す者たち」
 声に落胆の色が混ざり出した。
「だがその双方は失われた」
 くす、くすくす…
「しかしリリス、アダムともにそのサルベージされた命はチルドレンの中にある」
 小さな女の子の口元が見える。
「唯一その肉体を除いては…」
 口に手を当て、笑っている、色素のない、真っ白な肌。
「碇シンジ…、彼も僕と同じか…」
 少年は…、カヲルは笑みを消し、代わりに憂いを湛え出した。
「だからこそお前に託す、我らの願いを…」
「わかっていますよ…」
 顔を上げる。
「そのために僕は彼と出会うのでしょう?」
「そして赤木博士に代わる真実を知る者が必要だ」
「その時のために」
「成すべき事を遂行する者がいる」
 全てはリリンの流れのままに…
 話している間も、カヲルは口を開けてはいなかった。
 ブォオオオオ…
 暗闇が晴れた。
「なに、独り言?」
 車の中だ、マヤが運転している。
「いえ…」
 苦笑するカヲル。
 ご一緒してもいいですか?
 え?
 街へ…、帰るんでしょ?
 そう言って、カヲルはマヤの車を仰ぎ見た。
 そして今は隣に腰掛けている。
 あたしも…、なに意識してるんだろう?
 マヤの頬は、まだ熱を持っていた。
 帰るんでしょう?
 そう問われた時、マヤは素直に頷けなかった。
 どうして?
 嫌なのかい?、寂しい部屋が。
 マヤは見透かされたような気がしてしまった。
 しかしカヲルは、詮索する事もなくただ微笑んでいた。
 だめなのかい?
 ただそう、再度尋ねただけだった。
 答えにきゅうしたマヤに、カヲルはダメなのかい?と返事を求めた。
 マヤはますます赤くなって、うつむいた。
 年下の男の子に…、でも。
 流れていく景色を楽しんでいるカヲル。
 その横顔に見とれてしまう。
「前…」
「え?」
「見たほうがいいと思いますよ?」
 カヲルは窓に映りこむマヤに向かって注意していた。


「ここは…」
 その頃シンジは廃墟の中で目を覚ましていた。
 体を起こすと同時に、積もっていた埃が舞った。
「すごいや…」
 口元を押さえて顔をしかめる。
「どこなんだろう?」
 倒壊したビルの中だった、崩れた壁のすき間から、陽の光がさし込んで来ている。
「気がついた?」
 女の子が『現われた』
 いくらなんでも、人が居て気がつかないほど暗くはない。
「君は…、ああ、いや」
 シンジにはすぐにわかってしまった。
「トウジの…」
「ハルカ」
 ニコッと笑う。
「ハルカって言うんだよ?、お兄ちゃん」
 その笑みは、どこかヒカリを思い起こさせるものだった。


「きゃう!」
 エヴァンゲリオンの形が変化した。
「レイ!?」
 驚くミサト。
 それはサードがアダムと融合した時と同じであった。
 装甲に覆われていた姿が、一瞬で真っ白な裸体に変わる。
 ああ、はぁ、ああ!
 マユミの腕をすり抜け、その先にある何かをつかもうとする。
「エヴァが!」
「むう!」
 白いエヴァの一体が飛びよっていた。
 ボコリ…
 その口が大きく開き、中から少年の顔が現われ伸びる。
「シンジ君!?」
 ミサトは目を見張った。
「ダメよ!」
 スピーカーからアスカの叫びがこだました。
「ダメよ!、あんたも分かってるんでしょう!?、それはシンジと一緒になりたいあんたの心、それを突きつけられているだけなのよ!」
 そんな!?
 ミサトには感じられない場所での戦いがあった。
 アスカが黙り込んでいたのは、その『侵食』に抗っていたためであった。


 ふっと、ハルカの体が半透明になり、次の瞬間には消えていた。
「ごめんなさい…」
 次にはシンジの背後に現われている。
「安定させられなくって…」
 シンジは心得ているとばかりに頷く。
「わかってるよ…」
 本体じゃない、エヴァなんだ…
 それはトウジと共に襲いかかって来た、銀色のエヴァの正体でもあった。
 エヴァンゲリオンが力を貸しているの?
 実体ではない、だが現象でも無い不安定な状態にある。
「ここは?」
「海の上」
「へ?」
 ころころとハルカは笑った。
 あまり歳は違わないだろう、少なくとも3つは離れていない。
 可愛い…、かな?
 その感想はハルカに伝わった。
 急に赤くなって黙りこくる。
「あ、ごめん…」
 シンジは素直に頭を下げた。
「ううん、嬉しい…」
 両手で頬を挟んで恥じらっている。
 しばらくして、まだ赤い顔をハルカは上げた。
「えへへ…」
 てれ笑いでごまかしながら、ハルカは先程の説明の続きに戻った。
「ここはね?、海に沈んだ高層ビルの中なの」
「ビルの?」
「そう…」
 くるっと回る。
「三階分ぐらいかな?、海の上に出てるフロアなの」
 シンジははっと気がついた。
 ハルカが「笑っている」と言うことに。
「ねえ?」
 質問は、その一言だけで十分だった。
 トウジはハルカの心を作るために、レイを連れさって行ったのだ。
「なのにどうして?」
 ここに居るの?
 その問いかけに、ハルカは「う〜ん」と首を捻った。
 腕を組んで、小首を傾げる。
「よくわからないや」
 てへへっと明るく答えるハルカ。
「ねえ?」
 ハルカは物思いに沈み込みそうになっているシンジに問いかけた。
「海を見た?」
 それは唐突ではあったものの、シンジを驚かせるには足りない質問でもあった。



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