「海…、だよね?」
シンジは崩れた壁のすき間から、外の景色を眺め見た。
ふわっと潮風が前髪を掻き上げる。
「何もいない世界だった…」
魚も、貝も、海藻も、プランクトンさえ居なかった。
「とても寂しい世界だった」
ハルカは真顔で頷いた。
「みんないなくなっちゃったの」
ハルカは、『その時そこにいた』かのような物言いをした。
「消えてしまったの?」
「お兄ちゃんのお母さんと一緒だよ?」
それはどこの事なんだろう?
シンジは思いつかない言葉を探す。
「でもね?」
ハルカは泣きそうに笑った。
「あたしはここに居るんだよ?」
お兄ちゃんをとめて欲しいの…
そしてハルカはしがみついた。
「ここは?」
マヤは我が目を疑った。
知っている道だった。
だが知っているだけで、それは「近寄ってはならない区域」だと言うことを示していた。
「本当にこの先なの?」
気がついた時には、その区域に入り込んでしまっていた。
王宮側にある駅。
それは各研究機関へと通じている交通網だ。
「どこなの?、家って…」
そう言えば、この子、あたしのこと知ってた、立場って…
「あなたは…、あたしに何をするつもりなの?」
マヤはようやく警戒心を抱く事ができていた。
マヤは車ごとカートレインに乗り込み、カヲルの誘いに付き合っていた。
カートレインは、どこかの施設へとたどり着いた。
「おい」
「なんだよ?」
洋上に浮かぶ巨大な実験施設兼海上プラント。
「あれ、マヤちゃんじゃないのか?」
マコトにシゲル、二人はリツコ失踪の煽りを食らって、この施設の警備係…、つまりは閑職に飛ばされていた。
「ほんとだ…」
監視モニターをぼうっと眺めていたのだが、ようやくシゲルも気がついた。
「まずいんじゃないのか!?」
「ああ、いまマヤちゃんには行動に制限がついていたはず…」
リツコがいなくなった事で、彼女が指揮していた艦の責任は、全てマヤに回って来ていた。
それもリツコと親しかったと言う事で、監視付きで…
「おい、なにしてるんだよ?」
シゲルはマコトが次々とシステムを落としていくのに気がついた。
「お前…、自分が何やってるのかわかってるのか!?」
シゲルの切羽詰まった声に、マコトも声を張り上げる。
「わかってるさ!、けどマヤちゃんがここまで来れたって事は…」
「まさか…」
シゲルは青くなった。
「MAGIのハック?」
「可能性は高いよ、なにしろこの星は全てMAGIによって統括管理されてるんだから…」
その間にも、ここでできうる限りの記録削除を行っていく。
「なあ…」
シゲルはため息と共に手伝いながら、マコトに問いかけた。
「なんだよ?」
次第に汗が吹き出してきている。
「あれ…、マヤちゃんと一緒にいるの、誰だ?」
先を歩くようにしている少年。
「あれって…」
マコトは嫌な予感を覚えていた。
中央ブロックにあるエレベーター。
それは延々と地下に向かって下りていた。
「…ここ、なんなの?」
二重螺旋を描くフレーム。
その中央を、光る円盤に乗って降下していく。
それはゲンドウの研究所の地下施設にそっくりであった。
とっくにプラントを抜けて、地下深くに潜り込んでしまっている。
寒い…
マヤは出たままの二の腕をさすっていた。
空調が効いていないの?
水中から地下へ入っているためだろうか?、かなり空気が冷えている。
「ここは…、初めてエヴァが生まれた地」
カヲルはようやく口を開いた。
「ここが!?」
マヤは驚き、カヲルの背に問いかけた。
「聖地、そうとも呼ばれているね?」
カヲルの返事はそっけない。
「ここが…」
あの惨事の始まりの地…
隠され続けて来た場所。
知っている者たちはみな心が砕けてしまっていた。
唯一記憶にとどめているのは老人達のみ。
「ここが…」
フィイイイイン…
その呟きと共に、エレベーターは終着点についていた。
あなた、誰?
セカンドは一人の少年を見つめていた。
広がっているのは血の海だ。
僕は僕だよ、他の誰でも無い…
少年、シンジは口を開いた。
「君は誰なの?」
「レイ…」
嘲笑するシンジ。
「それは仮の名前だよ…」
「違うわ」
レイは『勇気』を持って答えた。
「碇君がそう呼んでくれたもの…」
「でもそれは形だけのものにすぎない…」
彼はその繋がりを小馬鹿にした。
「どうして…、そう言う事を言うの?」
悲しげに顔を歪めるレイ。
「だって本当のことじゃないか?」
シンジにあらざるシンジ。
「君は何も知らないくせに…」
シンジはレイを否定していた、その想いの全てを。
「知っているわ」
しかしレイは抵抗を試みる。
「なぜ?」
「…一つになれたから」
碇君…、と頬を染める。
レイの中には、僕を信じてと抱きしめてくれたシンジがいるのだ。
「でもそれは本当の事だったの?」
彼は疑問符を投げかけた。
「なに?」
「なら、なぜ君は今もこうしてここに居るのさ?」
それはレイにはわからない、意味不明な質問であった。
「だって君達は同じ所から、同じ物から生まれたんじゃないか、なのにどうして、今も分かたれたままでいるのさ?」
その答えは簡単だった。
「それはわたしがレイだからよ」
他に代えのいない、この世にたった一人だけの「人」だから。
碇君…
レイは己の世界に埋没していこうとする。
「でもそれは見せ掛けだけにすぎない」
「どうして?」
世界が揺れた。
「強くなったね?」
それは勇気を持たせてくれたから。
「そう思っているのは、君だけなのに…」
レイの心、その自信の源が不安に形を歪ませる。
「なぜ?」
「だってそれは、元々君の中にあった強さじゃないか…」
びくりとレイは脅えた。
震えが全身を駆け巡った。
「碇シンジ…」
彼はその震えを見逃さなかった。
「彼はきっかけにすぎない、でなければ一つになれたのに…」
ニヤリと笑う。
「どうして、また二人に別れたの?」
レイの鼓動が早くなった。
不安に不規則な音を立ててしまう。
「それは君がセカンドチルドレンだから…」
こくっと唾を飲み下す。
「君は彼と一つになる事を拒んだんだね?、恐くて」
レイは声を振り絞った。
「違う…」
しかし彼の声の方が大きい。
「消えるのが恐かったんだ、そこに安らぎがあるのに」
「違う」
「永遠の孤独を選んだんだ」
「違う、違う、違う!」
最後の攻撃。
「心に壁を作り、拒絶した」
「碇君!」
振り絞らなければ声も出せない。
レイは耳を塞いで、血の中にしゃがみこんでいた。
はう…、あう、はぁ!
マユミの腕をすり抜け腕を伸ばす。
言葉にならない吐息が、赤子の声のように空間に響いた。
微笑むシンジの顔、エヴァンゲリオン。
「いやああああああ!」
マユミが絶叫した。
それと同時に、レイの体に異変が起こった。
「なによあれは!?」
ミサトの目には天使の輪に見えた。
その背に一対の翼が広がる。
僕と一つになろう?
何これ?
誰かの声が耳に入る。
「アンチATフィールドだ」
ゲンドウがミサトに解説した。
「これが!?」
頷くゲンドウ。
「心の壁、己を形作るものこそATフィールドの正体だ」
「……」
「それを崩したければ不安を取り除き、心を満たしてやればいい…」
「では、やつらは…」
ミサトは一つの懸念を抱いた。
「いや…」
しかしゲンドウは否定する。
「やつらはレイの求めているものなど、何一つ見いだしてはおらんよ」
「どういうことですか?」
どうしてアスカは耐えていられるの?
ミサトは同時にそうも尋ねている。
「あの顔を見ろ」
ゲンドウは巨大なレイが恍惚とした表情を向けているエヴァを指した。
「シンちゃんの、顔?」
「そうだ」
「そうよ!」
アスカがやっと返事をした。
「あれはあたし達の心、シンジと一つになりたい、シンジを自分のものにしたいって思う、あさましくて厭らしい、あたし達自身の心なのよ!」
だがレイの耳には届かない。
「いやあああああああああ!」
マユミはついにレイを放した。
一気にエヴァに抱きつくレイ。
その首に噛り付く。
碇…、くん。
パン!
その呟きの直後、レイの体は金色の液体となり、弾け飛んでしまっていた。
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