「ここは?」
マヤは心を決めていた。
真っ暗な通路を進んだ先。
ピッ…
カードスロットに一瞥をくれるカヲル。
だがその眉がわずかに歪んだ。
開かない?
「無駄ね?、あたしがいじっちゃったから」
カヲルはその声に、苦笑するように振り返った。
「君の仕業かい?」
「うん」
マヤのさらに後ろにハルカが居た。
驚き、飛びすさるマヤ。
「邪魔をするのかい?」
「ううん」
大きく首を振って否定する。
「いま中にはお兄ちゃんが居るの」
「そうなのかい?」
「ひっ!?」
恐怖に引きつるマヤ。
ハルカの姿がすうっと消えた。
カヲルはため息をつき、中に居る『誰か』にも会う決心を固めていた。
「これは…」
シンジはそこに広がっている光景に吐き気を覚えた。
「エヴァ…、エヴァなの?」
円形の竪穴と、それを繋ぐ溝が走っている。
その底には、無数の巨大な人骨が転がっていた。
半ば腐敗した状態のものもある。
「エヴァの墓場…」
「と同時に、使徒の生まれた場所でもあるの…」
シンジは驚き振り返った。
「ハルカちゃん…、どこに行ってたのさ?」
内緒っと、ハルカはペロッと舌を出した。
「ここで使徒が生まれたの?」
シンジはもう一度見渡した。
「だって、使徒は…、あの、母さんが…」
シンジは続きを口にできなくて押し黙った。
「ごめんなさい…」
謝るハルカ。
二人とも、数秒だが黙り込んでしまった。
だが堪え切れなくなったのか、二の腕をつかんでいるハルカの手に力がこもった。
「…ほんとうはね?」
ハルカの声に、顔を上げるシンジ。
「あの時生まれたものは天使…」
「天使?」
「そう…、そしてそれと同じ物を生み出したの、コントロールできるようにして」
シンジは今までの使徒達を思い返した。
そう言えば、あの人…
シンジは唯一使徒を暴走させてしまった人のことを思い出した。
いま、どうしてるんだろう?
「エヴァ、エヴァンゲリオン…、エヴァテクターと同じ物を作ろうとして生まれたのが…」
「これなの」
シンジは眉をひそめた。
「…ごめんね?、でもここにある失敗作になってしまった人達の魂は、もうどこにもないの」
「どこにも?」
シンジも気がついてはいた。
エヴァテクター、それを作るための実験を知っていたから。
みんな暴走して…
悲しげな瞳を向ける。
「ええ…、魂はエヴァ…、エヴァンゲリオンと共にあるの、ここには帰って来ないし、昇天する事も無くて…」
シンジは母親が何に命をかけたのか思い出した。
そうか、母さん…
そう言った魂達を抱き留めていったのだと。
永久に、どこに還ることもないのだろう。
助けられないのかな…
その思いに、悲しげに首を振るハルカ。
「だってエヴァと一つになれた人達は幸せだから…」
母さんは、こんな人達も受け止めているのかな?
シンジの右手は、知らずに閉じようと動いていた。
そしてはっとする。
一つになれた人達は?
ハルカの物言いが引っ掛かった。
そうか!?
ATフィールド、その力、その真実の意味。
全ての境界線が解き放たれた世界で、傷つけ合う事もなく、穏やかにたゆたっている魂達。
一つになった命達?
コクリと頷くハルカ。
トウジの想いが、その中からハルカちゃんを切り出したんだ。
「正解」
微笑むハルカ、だが寂しげに…
「だからお願い…」
お兄ちゃんを止めて…
ふんふんふんふん…
え?
倒れそうになるハルカを抱き留めた瞬間、シンジは誰かの歌声を耳にしていた。
「いやあああああ!」
振り下ろされる刃。
肉厚の人斬り包丁が、マユミの使徒としての体に食い込んだ。
「やめて!、お願い、おとうさぁん!」
マユミは涙の向こうに誰を見ているのだろうか?
柄を中心に両方向へ伸びた剣がマユミを切り裂く。
エヴァをも切り裂いたマユミの腕さえ、剣の前には無残に折れた。
ブシュウ!
吹き出す鮮血。
「ミサト!」
「アスカ?」
「ここを離れるわ!」
「でも!?」
外の景色が変わった。
「通常空間に出たの!?」
「到着したのよ!」
ずっと先に、青い星が輝いていた。
「あの子を死なせるわけにはいかないでしょうが!」
振り仰ぐミサト。
ゲンドウはコクリと頷いた。
「反対する理由はないみたいね?」
「じゃあ、あと頼んだわよ?」
「まかせなさい!」
もちろん社交辞令にすぎない。
アスカの代わり、月の起動などミサトにできようはずはないのだ。
でも気持ちの問題よね?
アスカはシートから飛び出すと、そのままエヴァの姿に光り、変身した。
誰なの?
もちろんシンジの知らない少年だ。
シンジの腕の中から、ハルカの姿がすうっと消えた。
なんで笑ってるの?
とても奇麗な微笑みだった。
立ち上がるシンジ。
喜びも悲しみも、憂いも寂しさもなにもなく、ただ美しいだけの笑み。
「君は?」
「カヲル…、そう呼んでくれてかまわないよ?」
シンジは警戒心を剥き出しにした。
ふっとため息をつくカヲル。
「君は人を疑う事で生きて来たのかい?」
その言葉にぎくりとしてしまった。
「…だって、ここは敵の星だから」
いいわけに過ぎないと感じてしまう。
「違うさ」
カヲルはゆっくりと首を振った。
「それを決めているのは君じゃないのかい?」
僕?
驚くシンジ。
「違うのかい?」
おかしげに首を傾げる。
「君の生きて来た時間、それに付随する経験が安易に人を信じてはいけないと警告している、違うのかい?」
シンジは顔を背けた。
「…そうかもしれない」
いじめっ子達の嫌な笑い。
助けてくれない大人達。
あざ笑う女の子達。
深く知り合っちゃいけない、信じちゃいけないんだ…
人には汚い部分があるし、それを見て付き合ってなんていけないから…
そんなシンジに、にこっと微笑みを戻すカヲル。
「人との触れ合い、それを極端に嫌うことは寂しい事さ…」
苦手だな、この人…
「でも僕は恐いんだ…」
シンジが感じているのは劣等感だ。
「どうして?」
「だって…」
カッコイイ、頭がよさそう、運動神経が…
今まで比較されて来た言葉が蘇る。
「でも僕は君を傷つけたりはしないさ…」
自分でそう言う人間ほど信用ならないんだよな…
しかしシンジは、心のどこかでほっとしていた。
くすっと微笑するカヲル。
「それに何も全ての人が君を探してるわけじゃないさ…、エヴァの存在、それは今この星においては禁忌に近いものだからね?」
一応、僕のことは知ってるんだ…
心にとめる。
「禁忌って…」
「そうだろう?、全てを無に帰そうとしたリリス、君も見たはずだよ、あの海を…」
この星の海には、一匹の魚もいなかった。
「…海藻もなにもなかった」
「今この星にある命は、すべて他の世界から持ち込まれたものなのさ」
カヲルは手をさし延べた。
「さあ、行こう…」
「どこへ?」
シンジはその手とカヲルの顔を見比べた。
微笑んでいるカヲル。
「まだ心配なのかい?」
シンジは傷つけるかもしれないと思い、安易に返事できないでいる。
「力を使えばいい、それで僕が君を傷つける存在ではないとわかるはずだよ?」
「でも…」
シンジはそれでもためらわざるをえなかった。
人の心を覗き見ること。
それによって、今の距離が簡単に壊れてしまいそうに思えたから。
エヴァの墓場から、さらに奥へと進んでいく。
「ハルカちゃん、どうしたんだろ…」
シンジの呟きに、カヲルは歌を止めた。
「彼女は帰ったよ…」
「帰った?」
「そう…、もともとこの世界に生きる者じゃないからね?、それにこの先には…」
会いたくない人がいるからね…
カヲルは楽しげに続きを閉ざした。
無言で廊下を歩き進む。
教えてくれそうに無いな…
シンジはその背中に着いていくしかない。
「…歌はいいねぇ」
「え?」
カヲルは唐突に切り出した。
「歌は心を潤してくれる、人は生まれるまえから母親の鼓動を子守り歌代わりに聞いていたからね?、回帰の念、それは誰しもが持っているものだよ…」
そして青白い少年は肩越しに振り返った。
その笑みにドキリとするシンジ。
「…そ、そう言えばさ?」
なぜだかどもってしまっている。
「さっきから歌ってるの、第九だよね?」
カヲルの表情に、初めて陰が差した。
「あの…」
聞いちゃいけないことだったのかな?
不安になるシンジ。
「あっと…」
カヲルは自分の考えから抜け出した。
「ごめんごめん、ここに来る前に、色々とあったのさ…」
「ふぅん…」
シンジには、そう言う曖昧な返事をする事しかできなかった。
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