ザァ…
 赤くなった空と海。
 割れた巨大なレイの顔が落ちている。
 張り付いているうすら笑い。
 そしてその側に黒い球体が転がっていた。
 ザァ!
 海が衝撃波に切り裂かれる。
 低空で駆け飛ぶ赤いもの。
 待ってなさいよ!
 アスカは真っ直ぐ、海に浮かんでいる月を目指した。


 黒き月が波に揉まれながら転がっている。
 そのターミナルドグマの最下層。
 ユイがゲンドウを振り切ったその場所で、ファーストチルドレンはしゃがんでいた。
 巨大な十字架を見上げている。
 死ねばいい、死ねば。
 全てが。
 わたしが脅えなくていいくらい。
 死ねばいいと願っている。
「ガラスのように繊細だね?、特に君の心は…」
 誰かの呟きと共に、ドガン!っと壁の一部に大穴が開いた。
 ごろんと転がり倒れて来たのは黒いエヴァンゲリオンだった。
 その眉間には、一本のナイフが突き立っている。
 無言で振り返るファーストチルドレン。
 のそりと現われるエヴァ・オリジナル。
 シュ!
 オリジナルの手が伸びた。
 レイを握り潰すようにつかみ上げる。
「殺すのね?、わたしを…」
 レイはうすら笑いを浮かべてシンジを見つめた。
 その顔は至高の喜びに満ちて、期待している。
 グルルルル…
 シンジは引く唸りを上げた。
 ぐっとその手に力をこめる。
「シンジ君…」
 だがシンジはやめた。
 伸びた腕、レイをつかんでいる拳の向こうに、カヲルが浮かび上がって来たからだ。
「ありがとうシンジ君、彼を止めてくれて…」
 カヲルが指しているのはトウジであった。
「今とめてくれなければ、あのままの生き方をしたかもしれないからね?」
 グル…
 シンジの目が細くなる。
「さあ、彼女を解放してあげてくれ」
 カヲルはシンジに懇願した。
 シンジは足元に二人の少女を見つけた。
 セカンドとサードだ、共にシンジを見上げ、シンジの決断を待っている。
 シンジはぐっと力をこめ、…そして諦めたかの様に手のひらを開いた。
「ありがとう、シンジ君…」
 しゃがみこんでいるレイ、その背後へとカヲルは降り立つ。
「さあおいでアダムの分身、そして人になるために…」
 ピッ!
 カヲルの頬に赤い筋が生まれた。
 頬を血が流れ落ちる。
「わたしは人形じゃないわ…」
 ぴくっ!
 シンジの手のひらが反応した。
 ビクッと脅えを見せるレイ、だが…
「なに泣いてるの?」
 レイはエヴァの瞳を見上げた。
 涙など流していない、だがレイには泣いているのだと分かってしまった。
「何故泣くの?」
 そんなレイを抱き上げるカヲル。
「わたし、可哀想、なの?」
「そう思う心が、君にならわかるんじゃないのかい?」
「そんなの…、知らない」
「ファーストはふいにしゃくりあげた。
「だって、誰も、優しく、してくれなかった!」
 そして勢いよく泣き始める。
 カヲルは優しく背中を叩く。
「みんな嫌い、みんな嫌い、みんな嫌い!、大っ嫌い!」
 レイは激しく叫んでいた。
「でも、恐い事をすると更に嫌われる」
 カヲルの説き伏せに、ぴたっと泣きやむレイ。
「君にはもう、わかっているんだろう?」
 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたまま、レイは小さく頷いた。
「人を好きになれば、傷つくかもしれない、でも人を好きにならなければ、人は答えてくれないさ…」
 レイを抱いたまま、シンジの手から飛び降りる。
「…でも、恐い」
 ファーストは呟く。
 降り立ったカヲルの側に寄る二人。
「わたしが希望を分けてあげる」
 そんなファーストを抱きかかえる。
「希望を叶えるだけの勇気を分けてあげる」
 サードはファーストごとセカンドに腕を回した。
「「だから、悲しい子供達を愛してあげて…」」
 カヲルはシンジを振り仰ぐ。
 既にシンジの目からは光が消えうせていた。
「…僕は、君に会うために生まれて来たと思う」
 カヲルは呟く。
 君は?
 シンジの心がそう尋ねていた。
 夢なのさ。
 夢?
 そう、夢、誰しもが持つ夢、憂いも悲しみも乗り越えていける完璧な人間の理想像。
 それはシンジが持つはずだった、可能性の極限の姿でもある。
 でもそれはとても悲しい事だよ。
 そうかもしれない…
 カナリアを殺されたシンジ。
 力をふるい、ふるっていれば守れたのにと後悔していた。
 でも、違ったんだね?
 カヲルは頷く。
 完全であることは、他を必要とはしないこと。
「愛する人を守ることは大切だよ、けれど一人で背負い込み、人の苦しみまで引き受けるのは辛いものさ…」
 触れ合うこと、支え合うこと、思い合う事こそが愛し合うって事なんだ…
 カヲルは心をこめてシンジに伝える。
「ありがとう、シンジ君、君に会えて、本当に良かった…」
 シンジの向こうから、駆け寄って来る赤いエヴァンゲリオンの姿が見える。
 二人のレイが、一人のレイを抱くように寄り添い立つ。
 赤ん坊のように落ちついた表情を見せているファーストチルドレン。
 その手は玩具を握っていた。
 三人にとっての、この上もないもの、インターフェイス。
 シンジのインターフェイスだった。
 表面の筋にそって、前後にカシャンと開かれる。
 金色の粒が舞い出した。
 三人取り巻くかの様に躍り上がる。
 碇君…
 最後の意識が誰のものかはわからなかった。
 溶け合う意識が喜びに満ちる。
 カヲルは背を向け、そして静かに歩き去った。


 シンジは夢を見ていた。
 レイと、アスカと、みんながいる。
 あの楽しかった夏の始め。
 少しずつ強くなる事を学んだ夏の夢だった。
「バカシンジ!」
 シンジはゆっくりと瞼を開いた。
「なんだ、アスカじゃないか…」
 今度は夢でも幻でも無い。
 そこにある天井は、この間引っ越したばかりの家のもの。
 家の住所は、地球の日本、第三新東京市だ。
「何やってんのよ、遅刻しちゃうでしょうが!」
 ばっと布団をめくりあげる。
「朝からそんなとこ立ててんじゃないわよ!」
 アスカはガスッと、鞄の角でぶっ叩いた。

 あいったぁああああああ!
 最近朝の恒例となってしまったシンジの悲鳴が聞こえて来る。
 朝なんだから、しかたがないだろう!?
 悲痛な悲鳴が二階から響いて来る。
 台所に天井を見上げている女性が居る。
 落ちついた物腰とエプロンが似合っている。
 栗色の髪。
「あなたも早くしないと、冬月先生にお小言を言われるのはわたしなんですからね?」
 文句を言うのはユイだった。
「ああ…」
 ゲンドウは広げた新聞ごしに彼女を見ていた。
 じんっと、少し感慨深げに涙を滲ませる。
 あの時は驚いたものだがな…
 ゲンドウは少し回想した。


「あたしをこんなに待たせた奴は初めてよ…」
 ミサトは加持の首にしがみついた。
「そうだったか?、デートの時はいつも遅れてたつもりだけどな?」
「そうすればミサトが帰っちゃうからでしょ?」
 リツコは冷たく茶々を入れた。
「でないと浮気できなかったものね?」
 ペンペンの吐き出した肉片を調べている。
「どう?」
 ミサトも覗き込んだ、肉片に融合してしまっているのはマユミであった。
「…何とも言えないわね?、両手両足が完全に溶け合っているわ」
「…使徒の部分が死んだから?」
「コアの消失で暴走した素体が彼女を取り込んでしまったのね?」
「治せるの?」
 エヴァを成す構成素材が、マユミも同じ物とみなされて混ざり合ってしまったのだ。
 マユミの体は、半ば鉱物化してしまっている。
「無理ね」
「そんな!?」
「あたしには、よ」
 意地悪く笑うリツコ。
「それじゃあ!?」
「物質的にはエヴァに汚染されているわ、オリジナルか…、とにかくエヴァを扱える誰かが居れば大丈夫よ」
 リツコはミサトに任せると、立ち上がってゲンドウへと歩み寄った。
「…まだ、あたしの知らない真実があるのですか?」
 ゲンドウは無視するように星を見やる。
「…真実は君の中にある、わたしの真実を押し付けるつもりは無い」
 ずるい人ね?
 嘆息する。
「なら、あたしはあなたの側でそれを探すしかありませんね?」
「そうか…、好きにしたまえ」
 ゲンドウは月の落ちた辺りを眺めていた。


 全てが消えてしまったはずのターミナルドグマ。
 未練か…
 ゲンドウはユイにさよならを告げるためにここに来て居た。
 あれは?
 中央プラグの上に、光り輝く少女が座っていた。
 レイ?、いや、ユイか!?
 彼女は微笑み、そしてプラグの中へと消えていく。
「ユイ!」
 ゲンドウはシートの中を覗き込んだ。
 子を宿した事のある、女性特有の肌。
 ユイか…
 シートに胎児のように横たわっている。
 ユイなのだな?
 確認するように、そっとその頬に手の甲を当てる。
 ん…
 ユイが小さく身じろぎをし、ゆっくりゆっくりと瞼を開いた。
「あなた…」
 ユイは控え目に微笑み、ゲンドウは喜びの余りに声を失っていた。



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