「着いたぁ!」
 ようやくトランクから解放されて、シンジはへたり込むように座り込んだ。
「お疲れ様」
 そんなシンジの前にしゃがみこむ。
 両頬に頬杖をついてにこやかに。
「アスカ…」
「ん?」
「見えてる」
 パン!
 衝撃から立ち直ると、もうアスカはいーだっと舌を出して遠くなっていた。
 ふう…
 ようやく一人になって落ち着ける。
 レイは…
 二人とも浜辺に下りていた。
 トウジがその後ろで見守っている。
 そこへと駆け寄っていくアスカが見えた。
 アスカ、か…
 レイにさよならを決めても、シンジはアスカと付き合おうとはしなかった。


「シ〜ンジ!」
 おかしなもので、それが出来る人間がいると、どうしてもサボりがちになってしまう。
 惣流家の場合はそれが家事に当たり、シンジが食事を作る羽目になっていた。
「もう!、そっけないんだからぁ」
 つんつんと背中をつつくのだが、シンジは一向に振り向いてくれない。
「せっかくの新婚生活じゃない、楽しくやりましょうよぉ!」
 シンジはようやく反応した。
 はぁ。
 それもでかい溜め息で。
「なによその態度は?」
 アスカの機嫌があからさまに悪くなった。
「あんたまだ気にしてんの?」
 気にしないわけないじゃないか…
 なるべく同居のことは隠しておいて欲しかった。
 だがミサトの「じゃあシンちゃん、戸締まりは頼んだわよん☆」の一言で全部バレてしまったのだ。
「胃が痛い…」
 明日には全校にバレているだろう。
「良いじゃない、放っとけば?」
 アスカは言う。
「どうせ嫉妬してるだけじゃない?」
「だからって…」
 嫉妬自体は嬉しいのだ。
 でも文句は言いたい…
 付き合ってるわけじゃないのに…
 ほとんどがそれ関係の苦情なのだから不満が募る。
「大変なんだよ?、別れろとか…」
 手紙だけならまだ良い。
 アスカには言えないよなぁ…
 トイレに入ると無防備な背中に蹴りを入れられる。
 靴箱には果たし状の山。
「なによそんなの…」
 アスカにだって不満はあるのだ。
 シンジはあの夏以来変わっていた。
 シンジが気付かずとも変わっていた。
 結局心は変わらなかった。
 人には気を許そうとしない、だからこそアスカとの仲の良さが際立つのだ。
 でもそれだけ。
 ただそれだけ…
 シンジは気がついていない。
 周りのシンジを見る目が変わった事を。
 急にカッコ良くなっちゃってさ…
 100m走、一番でトラックを周るシンジがいる。
 サッカー、フェイントも無しに敵を抜くシンジがいる。
 凄い…
 その時、アスカは女の子達の一人だった。
 ただただシンジに見惚れていた、頬を染めて、言葉もなく。
 シンジの憧れてるあたしでなくちゃ!
 そう思っていたのに、かなり悔しい。
 これで顔さえよければねぇ?
「なんだよ、人のこと睨んでさ?」
「べっつにぃ!」
 まだアスカの方が背は高い。
 それでもその気があれば、十分アスカには釣り合える。
 アスカが人前では迫らないから?
 あまりにも人目を気にするから?
 それもあまり気にならない。
 でもだめだ…
 シンジはアスカを意識できない。
 だめなんだよ…
 その気になれない。
 でもどうして?
 あいつのことをまだ想ってる?
 アスカが時折呟く言葉。
 それは違う。
 シンジはいつも否定する。
 別れろ!
 理由は分かっていた。
 別れろよ!
 そう言われても、と思っている自分がそこに居る。
 周りの声が気にならないのだ。
 付き合っているわけじゃないのに…
 意識してない自分がいる。
 離れる事に怖さを感じない。
 独りでいる事に慣れている。
 僕は何も変わってない…
 変われてない…
 それが引っ掛かりとなっていた。


「何を考え込んでいるんだい?」
「カヲル君…」
 シンジのすぐ側で、カヲルはガードレールに腰かけていた。
「…みんなの中に居るのに、一人でいるような顔をしている」
「そうかな?」
 カヲルはただ微笑むだけだ。
「心を解放できないのかい?」
「心?」
 カヲルの笑みに不思議さを感じる。
「…カヲル君はいつも笑ってるんだね?」
 ふっと苦笑するような感じに変わった。
「幸せが微笑みを作るから…」
「幸せなの?」
「幸せじゃないのかい?」
 そうかもしれないとは、シンジも思う。
「でも幸せが何処にあるのか分からないんだ…」
 何も成せなかった自分。
 強くなった自分。
 その強さが「こんなに力があるのに」と、余計に自虐的な方向へと追い込む結果になっている。
 意味のない強さ、無駄な力、必要のない自分と言う存在。
「でもそれは誰しもが持っている悩みじゃないのかい?」
 アスカ達へと視線を移す。
「自分が望んでいる力、自分が持っている力、必要としている力、人に望まれる力、どれも同じ力だけど、シンジ君の持っている力に当てはまる物は幾つも無い…」
「うん…」
「ならその力を見つければいい、いま必要な事は悩む事では無く、探す事だよ」
「うん」
「身に付ける事でも、良いんじゃないのかい?」
 シンジはようやく立ち上がった。
「ありがとう…、少しすっきりしたよ」
「そうかい?」
 奇麗としか形容のしようがない。
 そんな笑顔を浮かべられ、シンジは赤面しながら護魔化した。
「そ、そう言えばさ?」
「ん?」
「昨日の怪獣、どうしたのかな?」
 エヴァンゲリオン5体を相手に、突如飛来した謎の巨鳥は逃げ去っていた。




 ズゥウウウウン…
 怪鳥は降り立つと、その巨大な翼を折り畳んだ。
(なんだ、あれ?)
 何処か爬虫類じみている。
(翼は?)
 背中へ溶け込むように消えていた。
 黒い獣。
 例えるならば、ドラゴン。
(気をつけて、あれも使徒らしいわ?)
(使徒!?)
 空のガギエルからミサトが伝える。
 獣は何かを探しているようだ。
(だったら楽勝じゃない!)
(アスカ!?)
 赤いエヴァが先手を取る。
(街を踏み潰すつもりなのかい?)
(ち!)
 カヲルの落ちついた声にたたらを踏んだ。
(じゃあどうしろって…、あ!)
 怪獣が再びその翼を大きく開いた。
(待ちな…、きゃあ!)
 空へと羽ばたき、浮かび上がる。
 風圧に踏ん張り、再び顔を上げた時には遅かった。


 あの後、アメリカに飛んでいったらしいけど…
 途中で見失ってしまったのだ。
「失敗したなぁ…」
 ミサトは一人ごちた。
「第一戦からこれじゃあ…」
 シンジ達には教えていないのだが、いろいろと突き上げが来ているだ。
「まったく、こっちは正体も分かんない敵と戦ってるってのに…」
 地球の科学力では対抗できない。
 だがエヴァンゲリオンであれば、せめて戦いと言うレベルには持ち込める。
 その程度の期待をしてくれてりゃ良いのよ…
 だがどうしても溜め息は止められない。
 この星にユイが居る。
 ゲンドウがいる。
 シンジがいる。
 そしてレイまでもが揃っているのだ。
 敵の目的は、地球ではない。
「ほんとのことを知られたら、許しては貰えないでしょうね…」
 出て行けとは言わせない。
 それがミサトの意地なのだ。
 皺が増えちゃうわね…
 なんとなくルームミラーを見てしまう。
「ん?」
 何かがミサトの六感に触れた。
 違う、か?
「横!」
 ほとんどが偶然だった、黒い影が木陰から木陰へ渡るのがなんとか見えた。
「敵!?」
 正体が分からない、だが時速80キロで峠を飛ばす車と平行に、それも隠れながら着いて来る何かがただの獣であるはずが無い。
 ちょっちヤバいかも…
 一対一で負けるつもりは無い。
 だが車が爆発炎上すればタダではすまない。
 車を停めて戦う?、ダメね…
 ミサトの脳裏に、ローンの二文字が大写しになる。
「こうなったら!」
 更に強くアクセルを踏む。
「勝負よ!」
 瞬間景色がぶっ飛んだ。
 ただものではないミサトの動体視力と反射神経だからこそ、200キロ近い速度でカウンターが切れるのだろう。
「勝ったわ!、え!?」
 ボン!
 何かがボンネットの上に飛び乗って来た。
「あああああ!」
 へこんだボンネットに涙する。
「なんてことすんのよ、買ったばっかりなのよ!?」
 相手は黒い獣だった、獣としか形容できない相手だった。
「なに黙ってんのよ!」
 ぐるるるるっと、唾液を垂らしながら口を開く。
 狼の口、だが前足は腕のように発達している。
 全身の獣毛は脂ぎり、しかし針金のような剛毛でもあった。
「あたしとやろうっての?」
 二本の足で立ち、猫背気味にねめつけている。
「上等!」
 怒りに満ちたフルブレーキ。
 ガクン!
 獣は慣性に従って前方へと放り出された。
「この!」
 再びアクセルを一気に踏み込む。
 よたつくように起き上がった獣がミサトを見た。
 まずい!
 それは直感だった。
 スピードが足りない!?
 瞬間で100キロ近くまで叩き込んだが、恐らく…
 こっちのフロントがひしゃげるだけだわ!
 相手は獣なのに、そう思った。
 相手は生き物なのに、潰れるのは車だと感じた。
 だからミサトは飛び降りていた。



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