(ていやあああああ!)
真正面から拳をぶつける。
ガァン!
その鉄拳は予想通りに獣をぐらつかせたが…
(なんですって!?)
頬を殴られた怒りに目をぎらつかせ、獣はアスカに襲いかかった。
(ATフィールドは!)
拳を堅く、強くしたはずなのに!?
アスカにのしかかり、頭をかじろうとする。
(このっ!)
喉元に手をかけ押し返す。
ガチン!
耳元で牙が合わさった。
(なにをやっとるんや!)
ザシュ!
獣の脇腹にナイフを突き立てる。
フルォオオオオオーン!
叫び声を上げた隙を突き、アスカは獣の下から逃れ出た。
(アンチATフィールドや…)
(あん?)
(アンチATフィールド!、あいつはわしらの力を無力化できるんや!)
(そんなのどうしようもないじゃない!)
ゴウ!
開いた口から炎が吹き出た。
きゃああああああ!
思念で悲鳴を上げる。
自分を守るべき力が、理屈も分からないままに無効化されている。
あああああ!
やや自分を襲う火力が弱まった。
(あんた!?)
(勘違いすんな!)
アスカとの間にトウジが割り込んでいる。
(後ろにはミサトさんがおるんや!)
シンジ達は良い、いざとなれば自分の身は守れるはずだから。
(役に立たないんだから!)
でも、どうすれば?
トウジもアスカも装甲が溶け始めている。
どうすれば!
同じ想いと苛立ちを、シンジも感じ始めていた。
「どうして、避けないの?」
それはセカンドからの素朴な疑問。
「僕たちが居るから、逃げられないんだ!」
考えなければいけない、戦う方法を。
「エヴァンゲリオン…」
「だめよ」
「でも!」
ミサトは目でシンジをいさめた。
「なら、エヴァリオンなら…」
『それもだめ』
「どうしてですか!」
エヴァリオンなら!
シンジには分かる、あの程度なら敵で無い事が。
「今から合体している余裕は無いわ?」
却下された理由は現実的な事だ。
「だけど…」
『考えなさい』
「だけど!」
「考えるの!」
シンジの胸倉をつかみ、引き寄せる。
「あんたは誰なの!」
唾が吹きかかる。
「あんたにしか出来ない事なんだから考えなさいよ!」
もっともだが…
「そんな都合の良いやり方なんて…」
歯噛みする。
嫌な空気が流れた。
それに耐え切れなくなった時、ようやくポツリと呟かれた。
「…飛べばいい」
険悪感を無視した言葉が耳に止まった。
「カヲル君?」
「飛べばいい、簡単な事だよ?」
カヲルは笑う。
「絆があるなら」
「絆?」
頷く。
「絆をたぐれば、良いと思うよ?」
絆…
シンジは背後から腕を回された。
抱きしめたのはセカンドだった。
「碇君…」
囁きが聞こえる。
「鼓動を、聞いて…」
合わせて、この音に…
トクン、トクン、トクン…
レイのあまりふくよかでない胸から、その分だけはっきりと心音が伝わって来る。
これって…
トクン…、ト、クン…
ゆっくりと音が静まっていく。
時の流れがナノ分の一秒以下にまで落ちていく。
これは、なに?
光が見えた。
空から降り落ちる光が見えた。
奇麗だ…
それは人の目では捉えられない何かの流れだ。
これが時間?
あるいは光そのものかもしれない。
抱きついたレイの鼓動も止まっている。
いや、そう感じるだけだ…
ゆっくりとした何かを感じる。
(シンジ?)
(アスカ…)
二人の時間だけが等しい早さを保っている。
(あんたなにやったのよ?)
自分ではまるで分からない。
(分からないって…)
呆れる感じ。
(でも…、気持ちいいわ)
(そうかな?)
(うん…)
(気持ちが、いい…)
それはあの日からと同じ感じ…
アスカは何処か嬉しそうに瞳を閉じた。
アスカもとっくに気がついていた。
特別じゃないんだ…
ただ優位な位置に居るだけの自分。
アスカもシンジに憧れていた。
手が届いてるのに…
シンジの憧れだったはずなのに。
いつの間にか、立場が逆になっている。
だからあの時は怒ったのよね?
それはユイとゲンドウが、あの研究所へと移ってから、一週間程したある日のことだった。
「あ、あ、あ、あんた!」
碇家の台所。
「なにさ?」
エプロン姿のシンジが立っている。
お玉ですくった味噌汁を、小皿に移して味見していた。
「なにやってんのよ!」
「なにって…、お腹空いたから」
悔しかった。
悔しかったのよ!
そんでも美味しかったのよ!
「泣くほどってわけじゃないだろう?」
ううっと、涙を流しながら、おかわりとお椀を差し出す変なアスカ。
シンジには結構無気味でしょうがない。
「へぇ?、シンちゃんってそんなに料理うまいんだ」
ミサトは主食のビールを煽りながらニマッと笑た。
「凄くブルー入ってるじゃない?」
テーブルの下で、うりうりっと足を突っつく。
「ま、成績も追い付かれちゃってるし、この上女の子の領域まで犯されちゃったらねぇ?」
はっきり言って図星だった。
「あたしも食べたかったなぁ…」
がっくりとうなだれたアスカにだけ、敗者専用のスポットライトが当たっている。
「あ、そうだ!」
ミサトはパンッと手を叩いた。
「それじゃあ明日はシンちゃんに来てもらわない?」
「へ?」
「アスカもぉ、いつもシンちゃんとこっちで二回もご飯作るの、面倒でしょ?」
「い、嫌よ!」
こんな所に…
ゴミの山。
「そお?」
「そうよ!」
「ふうん…」
「なによ!」
意味ありげな視線に噛みつく。
「その方が良いと思ったんだけどなぁ…」
「なんでよ!」
タンッとテーブルに缶を置き、クイクイッとミサトは呼び寄せる。
「アスカぁ…、シンちゃんの料理を研究しとかないと、ヤバいんじゃない?」
うっと引く。
「シンちゃん、家事洗濯もできるんだろうなぁ」
「うう…」
「奇麗だもんねぇ?、シンちゃんの家」
「くううう…」
身の回りの惨状を見れば反論できない。
そんな理由があったのか…
一年前の二人のように、不思議と心が通じ始める。
なんだかドキドキするなぁ…
ユイとゲンドウがあの研究所へ移ってしまってから一週間。
シンジは改めて鞄を持ち直した。
中には幾つものタッパが入っている。
今日のアスカ達の晩ご飯だ。
「照れるよなぁ…」
たまにはシンジが作ってよ!
「まったく、わがままなんだから…」
門柱の前に立ちシンジは深呼吸をくり返していた。
アスカの家に上がるのが初めてだからかも知れない、酷く緊張している。
「ミサトさん…、今日は遅くなるって言ってたっけ?」
別に珍しい事ではない。
その度にアスカは碇家へ泊まりに来ていたのだから。
いまさら照れるような事はなにも無い。
そう、なにもない、はず…
「だよね?」
ピーンポーン…
震える指でインターホンを押す。
あれぇ?
しかし反応が返って来なかった。
「おっかしいなぁ?」
もう一度鳴らしてみる。
ピーンポーン…
それでも返事が無い。
「帰ってないのかな?」
玄関まで進み、なんとなく引き戸に手をかけてみた。
ガラ…
「開いてる…」
さらには見なれたアスカの靴があった。
「アスカぁ…、いないのぉ?」
家の中を覗き込む。
電気が付いてない。
耳が痛いほどの静かな空気。
ただ暗いだけなのに…
とても寂しい感じがする。
自分の家もそうなのだが、シンジはそれほど気にしていない。
やだなぁ、これ、この感じ…
恐らくはミサトだろう、やけに生活感が溢れている。
言い換えればやたらと散らかっている。
そのせいかな?
やけに静けさが切ない。
迷った末にシンジは決めた。
いいや!
アスカも勝手に上がって来るんだから…
意を決し、上がり込む。
「おじゃましまぁす…」
それでも忍び足になるのは何故だろう?
「なんだ、居るんじゃないか…」
シンジは胸をなで下ろした。
くぅ、すぅっと寝息が聞こえる。
一階の居間で、座布団を枕に寝入っていた。
自分から呼び出したくせに…
「アス…」
起こそうとして、手を止める。
いいや…
シンジはそのまま立ち上がった。