起きるとシンジが居たの。
ほわっとした温かさ。
そんなに嬉しかったの?
コトコトとお鍋が鳴っている。
勝手に上がり込んだ事には怒ったけどね?
ごめん…
それを許せるほどに空気が違った。
肉じゃがの香り、人の気配、落ちつく雰囲気。
心が和む。
あの時と同じ…
それはそう…
誰かが言う。
これがATフィールドだもの。
人の放つ気配、心の壁。
それは決して悪い事じゃない。
人は自分の雰囲気や気配を周囲に発している。
テリトリーの主張。
自分の世界を持っているから。
寂しいの…
それも空間。
楽しいの。
それも世界。
嫌なのよ!
だからこっちに来ないで。
どれも違う空気を身にまとう。
でも同じATフィールド。
「あの時、あ、いいなって思ったのよ…」
アスカが振り向く。
シンジが放つ、ぽわっとしたもの。
アスカの家が、ぽかぽかとした雰囲気に満たされた。
その雰囲気こそがシンジの世界。
シンジのATフィールドの中の世界だ。
「そう言うものかな?」
シンジはアスカを抱き寄せた。
「シンジに包まれた気がしたの…」
ATフィールドが広がっていく。
アスカをアスカの心ごと包み込む。
「そう、こんな感じ…」
とても嬉しい、溶け合う感じ。
「壁なんていらない」
自分もいらない。
「シンジが優しくしてくれる…」
だから自分を作らなくていい。
ただ素直であればいい。
温かい温もりで包んでくれているから。
いつでも守られているのが分かるから。
守ってもらいたいから…
「それが欲しかったの?」
だから一緒に暮らしたくなった。
「あたしだけのものだもん…」
ATフィールドが逆転する。
こんなに想われてたんだ…
今度はアスカがシンジを包む。
シンジを自分の世界に閉じ込める。
シンジに包まれたい自分と、シンジを捕らえたいと言う自分。
アスカを守りたいと言う自分と、アスカに捕まりたい自分。
二つのATフィールドが重なり、溶け合う。
そしてエヴァリオンが降臨した。
「シンジ君!」
がくんと力尽きるように倒れかけた。
「大丈夫…」
セカンドが抱え直す。
「碇君は、飛んだから」
「飛んだ?」
セカンドの視線を追う。
「凄いね?」
カヲルの呟きを無視し、サードは悔しそうに唇を噛み締めた。
エヴァンゲリオンが形を変える。
全身を装甲が覆うが、それだけではない。
「顔!?」
フェイスガードが開いた。
その奥に人の顔がある、長い髪が伸び、金色にきらめいた。
(負けらんないのよ!)
ガンガンとミサトの脳裏にすら思念が伝わる。
(このあたしはぁ!)
トウジを押しのけ、拳を繰り出す。
炎が拳に吸い込まれて圧縮された。
ゴォン!
ヒットした瞬間に爆発を起こす。
オオオオオ…
火が飴のように滴れ落ちた。
獣の顔はえぐられたように溶け潰れている。
(シンジ!)
アスカに答えるように、肩から出したナイフが光って伸びた。
(このぉ!)
ズバ!
獣の肩口から入ったサーベルが、その奥にある固い物にぶつかった。
コア!?
ビシッ!
何かが漏れ出す。
(なによこれ!)
今まで感じなかった物。
何かがコアから吹き出した。
障気とでも言うのだろうか?
ガァ!
嘲るような顔のもやが、アスカを包み抜け去っていく。
いやあああああああ!
ぞっとした。
それが何かはわからなかった。
だがぞっとした。
(アスカ、落ちついて!)
(嫌あああああああ!)
全身を手が這っていった様な感覚。
毛穴からキメの溝の一筋一筋にまで、何かが愛撫するように触れていった。
(アスカ、アスカ!)
一つになっていた意識が二つに分かれる。
シンジはアスカを抱きしめた。
(アスカ、落ちついて!)
(シンジ、シンジぃ!)
酷く脅え、泣きじゃくる。
(このぉ!)
アスカを調べてる!?
正確にはエヴァリオンを。
(アスカに触るなー!)
瞬間、エヴァリオンの全身から黄金の光が放たれた。
グオオオオオ…
もやが光に散らされるように消えていく。
あれは…
なんだったのかはわからない、だが”それ”が逃げ去った事だけは感じれた。
あれは一体?
エヴァリオンがエヴァンゲリオンへ、そしてエヴァテクターからアスカへと戻る。
「シンジ、シンジ?」
子供のように泣きじゃくり、アスカは心細げにシンジを探した。
「シンジぃ…」
素っ裸で自分の巨大な足跡の中にうずくまる。
ザァアアアアア…
獣が砂と土と木と草に戻って崩れ始めた。
トウジはその土砂がアスカに及ぶのを、手で遮って守ってやった。
「お疲れ様…」
「ありがと」
専用の執務室が与えられているにも関らず、ミサトがリツコの研究室に訪れるのは…
「この一杯の為なのよねぇ〜」
ふうっと想わず吐息が漏れる。
「煎れてるのはマヤちゃんだけどね?」
「何か言った?」
リツコがようやく顔を上げた。
「何か分かったのかなってね?」
残ったのは巨大な砂山と壊れたビー玉。
今は群がるように研究班が取り付いて、データをこちらへ転送していた。
「で、使徒開発の第一人者としての見解は?」
リツコも立ち上がり、コーヒーメーカーからカップへ注ぎ足す。
「そうね…、使徒に酷似したエヴァに似たもの、と言ったわね?」
「ええ?」
「エヴァンゲリオンの基礎理論自体は、もう一昔も前の物なのよ?」
基礎ゆえにそれなりに知られている。
「そこから派生した?」
「別の理論体形…、コアがあるのはその証拠ね?」
それにシンジ君の言葉、か…
「人の魂らしきものが”逃げ出した”、そんなことありえるのかしら?」
眉目を歪める。
「科学者としては、否定はできないわ?」
「そうなの?」
「現にシンジ君がやってみせたじゃない?」
まるでその話題が出るのを待っていたように電話が鳴った。
「はい、ええ…、そ、伝えておくわ?」
要点だけを聞き取り電話を切る。
「アスカ、精神汚染の心配は無いって」
「よかった…」
どっと肩を落とす。
「これで部屋に戻れるわね?」
「からかわないでよ…」
直接報告を聞くのが怖くて、逃げてもいたのだ。
「シンジ君に感謝しなさい?」
「わかってるわよ…」
ミサトは表情を引き締めた。
「後は敵の正体か…」
エヴァリオンでも、一筋縄では行かない相手。
それは昨今まで敵対していた勢力とは、比べ物にならない事を意味している。
「何とかしなくちゃね?」
ミサトの頭は痛かった。
アスカ…
その頃、シンジはアスカを部屋に運び込んで看病していた。
エヴァリオンか…
去年、セカンドと宇宙に出た時がそうだった。
シンジは肉体的な接触も無しに、他をエヴァリオンへと変化させている。
リツコさん、言ってたっけ…
アスカの髪をすくってみる。
肉体は魂の器、あなたのイメージそのものなのよ?
人の心に溶け込むことは出来ても、巣食うことは出来ないのか…
それは他人に自分のイメージも負わせる事になってしまうから。
それが嫌ならば、他人の魂と一つになるしか無い。
例えそれが”消滅”を意味しているとしても。
でも、よかった…
本当に良かった。
アスカが無事で…
本当に良かった。
肉体を放り出したことは、あまりにも危険な事だったのだ。
シンジは自分の手のひらを見る。
心も体も一つにならなければ…
「本当のエヴァリオンにはなれないのか」
二つの存在が一つになるからこそ。
他人同士が同じ願いを持つからこそ。
「新しい力が生まれる…」
それは命の派生と同じこと。
エヴァリオンの力は命が生み出される力と同じだ。
二つの命が、一つの新たな魂を育む。
二つの命は二人の人を差し、一つの魂が力を表す。
無限の可能性を秘めた力。
「僕は、それを手に入れたい…」
シンジの手から、髪が一房流れ落ちた。
続く