ユイはこんな相談をゲンドウにしていた。
「ねえ…、あなた?」
 紙面の上半分だけを折り曲げる。
 ゲンドウはまたかとユイを見た。
「なんだ?、また子供達のことか?」
「はい…」
「心配症だからな、君は…」
 苦笑し、新聞を畳んで片付ける。
「…あなたは心配ではないのですか?」
「レクリエーションだよ…、みな今の関係を楽しんでいる」
「そうでしょうか?」
 レイとアスカのケンカには、ついはらはらとしてしまうのだ。
「何が不満だ?」
 ゲンドウは新聞と湯呑みを交換した。
「平穏な日常、そのものだ…」
 ユイにもそれはわかっていた。
「…でも、だからこそですわ?」
 人の欲というのは際限がない。
「満たされていますから…」
「ようやく実感したと言う所だな?」
「…はい」
 幸せな悩みだ。
 大きな不安が無いからこそ、小さな不満を気にしてしまう。
 そんなユイのために、ゲンドウは思考を策士モードに切り替えた。
「なら煽ってみるかね?」
「はい?」
 ニヤリと笑う。
「平穏が退屈というのなら、刺激のある日々はさぞ楽しいことだろう」
「はい!」
 ユイにからかい方をレクチャーする。
 こうしてユイは、日々子供達とちょっぴり自分のために精進していた。


 そんなユイの墓石が置かれていた山の中腹。
 今あるのはユイの墓…、ではなくて、大きな石に変わっていた。
 墓から出されたものはユイがちゃんと使っている。
 その場所に何を感じているのだろうか?、赤い瞳はじっと見つめて動かない。
「レイちゃん、なにしてんの?」
 ケンスケはそんなレイを覗き込んだ。
「…なにも」
「そう?」
 首を傾げながら、ついレイの恰好を確認してしまう。
 白いTシャツに砂色の半ズボン。
 麦わら帽子は絶対にかかせないよな?
 首から下げた虫かご、安物の網。
「ねえ、レイちゃんは何か取れた?」
 プラスチック製のカゴを覗き込む。
「なんだ、なんにも入ってないね?」
 レイはカゴを持ち上げた。
「カゴは、嫌い…」
 カブトムシ。
 クワガタ。
 蝶々。
 色んな虫が居たが、捕らえる必要はどれも無かった。
「あ、れ、レイちゃん蜂がとまってる!」
 麦わら帽子に一匹ぴたっと張り付いていた
「大丈夫…」
 そっと帽子を脱ぐ。
「なにも恐くないから…」
 虫もまた単純なものながら意識というものを持っていた。
 本能に基づくものだ、カゴに入れれば恐怖を感じて逃げようとするし、警戒心を持てば敵愾心を持って返される。
 レイは蜂をつまむと、ぽいっと林に向かって放り捨てた。
 ぶぅうんと木々の奥に消えていく。
「凄いな…」
 目を丸くするケンスケ。
「そ?」
「レイちゃんって、ホントすごいよ、虫の居るとことかわかるしさぁ」
 でも取ろうとすると、とたんに機嫌悪くなるんだよなぁ…
 ちょっとそれが恐かったりする。
「おおっ!、あれは絶滅寸前のオオクワガ…、わかってるって…」
 チャンスなのにぃ!
 ダァッと涙で眼鏡を曇らせる。
「これじゃあ虫取りになんないよぉ…、わかったって、もう諦めてるからさぁ?」
 だがレイはきつい視線を緩めようとしない。
 それどころか、さらに怒ったような顔つきを作り始めた。
「だから意地悪はもうしないって…」
「あなた、誰?」
 え?
 ケンスケもようやく異常な気配に気がついた。
 茂みの向こう、その大クワガタに尋ねるレイ。
 シン…
 空気が異常なくらいに静まり返った。
「そ…、なら」
 レイはそっけなく呟いた。
 ブワッ!
 レイを中心に竜巻が起こる。
「うわぁ!」
 慌ててしがみつくケンスケ。
 ATフィールドが、悪意あるものに牙を剥いた。


 ビービービー!
 非常警戒音が鳴っている。
 シンジ君の、唇…
 負けずに没入しているレイ・サード。
 碇君の、キス?
「おはようのキスでも、お休みのキスでも無いのね?」
「シンジぃ!」
「してない、してないよ!」
 言ってもアスカは信じてくれない。
 ふしゅうっと、ついにレイの耳から排気熱が吹き出した。
「あら、レイちゃん?」
 どうやらオーバーフローを起こした模様だ。
「どうしちゃったのかしら?」
「知りません!」
 へるぷみぃ!っと泣き叫ぶシンジ。
 見事なキャメルクラッチだ。
「ほらアスカ、敵だってば!」
 ギブ、ギブー!と何度も叫ぶ。
 しかしアスカは取り合わない。
「ここにも女の敵がいるってぇの!」
 シンジは助けを求めて気がついた。
「あれ?、レーは…」
 居ない。
「鈴原と一緒に行っちゃったけど?」
「僕も急がなきゃ!」
 ボキ!
 あぎゃああああああああ!
 背骨が妙な音を立てて折れ曲がった。


 ファーストの力がクワガタの手前で責めぎ合い、奇妙に歪んだ鏡面を作り出す。
「うひゃあ!?」
 クワガタ虫の周囲の空間が剥ぎ取られ、中からは黒い巨大な生き物が姿を現した。
「なんだあれ!?」
 青ざめるケンスケ。
 それはカブトムシとクワガタムシ、他にも数種類の昆虫をグロテスクに合成したアンバランスさを持っていた。
「レイちゃん、逃げよう!」
 しかしレイは引っ張られた腕を引き戻した。
「レイちゃん!?」
 思わぬ抵抗に焦ってしまう。
「早く!」
 悲鳴に近い、しかしそれでも動いてくれない。
「今、来るから…」
「来るって、え?」
「ほら、来た…」
 ニヤリと笑む。
 虫は羽ばたき飛び掛かった。
「レイちゃん!」
 庇うように抱きつくケンスケ。
 ドガン!
 だが誰かが横っ腹から飛び蹴り割り込んだ。
「すまん、待たせたのぉ!」
「トウジ!」
 トウジは肩越しに笑いかけた。
「やるやないか?」
「なにがだよ?」
 言いながらもわかっている。
 反射的にレイを庇った事についてだ。
 半身に構えるトウジ。
「遅い…」
「これでも、走ったの…」
 謝りながらレーはスカートを翻した。
「お兄ちゃんは?」
「まだよ…」
 恐いの?
 ケンスケの腕に、レイも腕をかけ返している。
「…よかった」
 守ってもらえたのね…
 抱きしめられているレイに微笑む。
「エヴァテクター」
 静かな響きが耳に聞こえた。
 静かだが、どこか狂気にも似た響きを持つ。
 黒い闇がトウジの足元から沸き上がった。
 闇が光沢を浮かべ、それは獣の鎧と変化する。
 あれは敵…、倒すべき、敵。
 レーも『敵』に向かい直した。
 だがその正体は今だ不明である。
 ゆっくりと横へと移動を始める。
 三対の節足がその動きを追うように動いた。
 なんや?
 バシッと金色の光が空中で爆ぜた。
「気をつけて…、ファーストのATフィールドに干渉してる」
 精神攻撃、ファーストを探っとんのか?
 ATフィールド、心の壁を剥がしてその奥にあるものを探ろうとしているのかもしれない。
 トウジは考え込もうとして、つい笑いが吹き出してしまった。
「まあええわ…」
 似合わん事はやめとこ…
 油断がならない、気を抜けない。
 こんなん、シンジ以来やで…
 歪まないはずの仮面に笑みが浮かぶ。
「ケンスケ…、逃げぇ」
 トウジの声に、ケンスケはレイを抱き上げ腰を引く。
「じゃ、じゃあ…、そうさせてもらうよ」
「行きましょう」
 急かされるようにケンスケは逃げにかかった。
 庇うように追っていくレー。
「さてと…」
 トウジはもう一段階深く構え直した。
「ちょっと捻ったればええと思たんやけどなぁ?」
 虫から殺気が伝わって来る。
 そう敵意剥き出しにされると、甘い事も言うてられんし…
 お互いゆっくりと呼吸を消す。
 シンジに出番取られとうないしな?
 レイのATフィールドによるプレッシャーが消えた途端、虫はトウジへと襲いかかった。



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