そう、あたしはシンちゃんを傷つけた。
 でもシンちゃんは笑ってくれた。
 あたしのために、傷ついてくれた。


「え〜〜〜!、あたしに頼んだくせに、他の人に上げちゃったのぉ!?」
「うん」
 その夜、マナは代理で製作してくれた友達と電話していた。
「だってあれ…」
「いいじゃない、誰にも貰えないみたいで黄昏てたんだもん」
 ぽりぽりとチップスをかじりながら電話している。
「本気じゃなきゃ手作りなんて上げないって言ったら、真っ赤になっちゃって可愛かったの☆」
「可愛かったのじゃないわよ…」
 はぁっと深い溜め息が聞こえた。
「え?、どうしたの…」
「マナ…、先輩に上げるって言ってたじゃない」
「しょうがないじゃない…、先輩彼女に貰って喜んでたんだもん、って、え?、まさか!」
 一つの可能性に思い当たる。
「そ、そのまさか」
「あっちゃー…」
 そのチョコにはホワイトチョコでこう書かれていた。
 コウジさんへ、マイスイートハート☆
「どうしよう…」
「何とかするしかないんじゃない?」
 マナはおしゃべりする気力を無くし、その日は三十分で電話を終えた。


 翌日。
「あ、碇君!」
 びくっと脅えたのが分かった。
 周囲からも妙な視線を感じてしまう。
 どうして?
 奇異なものを見るような、居心地を悪くする目。
 マナはさっさと用事をすませるべく、シンジの席まで歩み寄った。
「あの…、昨日は、ごめん、ね?」
「え?」
「その、チョコ…、ほんとは」
「なになに?、霧島さん碇君にチョコ上げたの?」
 クスクスと嫌な感じの失笑に晒される。
 なにこれ?、え?
 シンジの立場を理解する。
 マナが逃げ出そうとするのを見て、シンジが暗く笑いを漏らした。
「…霧島さんが僕にチョコなんてくれるはず無いじゃないか」
「え?」
「どうせ中に、バカにする様な何かでも入れてたんでしょ?」
「ひっどい奴!」
「霧島さん、そんな奴ほっときなさいよ」
 だがシンジは更に続けた。
「みんなと同じようにさ…、もしかしてほんとにチョコが入ってたの?、どうせ変な物でも入ってたんだろうけど」
 何を言っているの?
 マナは分からなくなってしまった。
 昨日、一人でチェロを弾いていた少年とはあまりに違う。
「帰りに捨てて良かったよ」
 バン!
 白煙にマナは引いてしまった。
 なにが起こったのか分からなかった。
 何かが机で跳ねて落ちる。
 黒板消し!?
 投げたのは女の子だった。
「酷過ぎる!」
「霧島さんが可哀想よ!」
 えっ、えっ?、えっ!?
 マナには全く理解できなかった。


 その日、シンジは早退した。
 何があったのか誰にも聞かず、先生は白煙まみれの机で察した。
「碇君、あの、さ…」
 マナは何となくシンジの後を着けていた。
「ほんとにチョコ、捨てちゃったの?」
 シンジが立ち止まる。
 隣は空き地で、草が丈高く生えている。
「…その辺にね」
「そう…」
 確かに多少のむかつきは覚える。
 上げても良いって、思ったから…
 あの演奏の、試聴料として。
 それを捨てられた事には腹が立つ、だが見られていたらもっと傷つけていた事だろう。
 みんなと同じように。
 それがマナの心を痛ませる。
 あの瞬間。
 シンジから逃げようとした瞬間、シンジが漏らした笑みの意味。
 この人もだ。
 そう言っているように思えてしまった。
 やがて二人は冬月と言う表札の前に辿り着いた。
「…何処まで、着いて来るの?」
「…碇君の部屋まで」
「そう…」
 シンジは黙ってその家に入った。
 開け放たれたままの玄関に、マナは拒絶はされていないと安堵した。
 シンジの部屋は「無機質」を絵に描いたような部屋だった。
 なにもないじゃない…
 ただベッドがあるだけ、洋服ダンスにはきちっと服が揃えられている。
 でもこれって…
 着ている感じは無い。
 寒い…
 シーツはきちっとしていて皺一つ寄っていない。
 何となくためらわれたが、マナはその上に腰を下ろした。
 ええ!?
 スプリングが固い。
 新品!?
 とてもここで寝ている様には思えない。
 嘘…
 本当にここはシンジの部屋なのかと疑ってしまう。
 しかし机の上に並べられた教科書が、かろうじてそうだと教えてくれた。
 生活感なさ過ぎ…
 どこからか水道の音が聞こえる。
 シンジが髪でも洗っているのだろう、白墨を落とすために。
 どれが碇君なの?
 奇麗な音色を奏でる少年、歪んだ笑みを浮かべる少年、そして全てを閉ざした硬質な少年。
 あっ!
 マナは発見してしまった。
 ごみ箱の中のものを。
 それはマナが上げたはずのチョコだった。
 しっかりと開封され、チョコは真ん中から二つに割られてしまっていた。
 あたし…、あたし!
 マナは悟った、自分がどう見られているのか。
 シンジにとって、マナは皆と同じなのだと。
 どういう想いでこれを割って捨てたのだろう?
 そう思った瞬間、何も無い部屋が悲しみに歪むような錯覚を覚えた。
 その部屋はシンジの想いそのものだった。
 何一つ、誰一人受け入れない。
 シンジの心、そのものだ。
 結局、マナは逃げ出した。


「ねえ、あたし、どうすればいいと思う?」
 また電話で相談した。
「上げたのって、碇君だったのね?」
 呆れたような感じだった。
「知ってるの?」
「知らない方がおかしいわよ、いいから、ほっとけば?」
 その一言が信じられなかった。
「だって!」
「碇君ってね?、お父さん人殺しなんだって」
 そのまま想像に膨らんだ話が続く。
 そんな、だって、そんなぁ…
 マナも段々毒されていく。
 電話を切って、マナは困惑したまま横になった。


 あっ、碇君!
 声をかけるとシンジは脅えた。
 え?、どうして…
 マナは客観的にそれを見ていた。
 そっか…
 あのチョコを見た後なら当然だろう。
 でも…、じゃあどうして?
 疑問が起こる。
 どうして、嘘を吐いたの?
 捨てたって。
 見てないって。
 からかったんでしょって?、決め付けるように。
 なになに?、霧島さん碇君にチョコ上げたの?
 そう言う、こと?
 だから悪者になってくれたの?
 あの…、昨日は、ごめん、ね?
 え?
 その、チョコ…、ほんとは…
 ホントは、ホントはね!
 いま口にしても遅過ぎる。
 碇君は。
 暗く、笑った。
 どうして?
 気がついていたのに。
 だから笑ったんだ。
 あの時。
 暗く、陰鬱に。
 皆に攻撃されるよう。
 酷い…、酷いよ…
 それは勝手な思いやりだ。
 そんなのって、ないよ…
 勝手に良い恰好をして。
 あたしにまで、嫌われて…
 ゆっくりと瞼を開く。
 胸がとても重苦しい。
 熱い涙が溢れていた。
「でも」
 気付けて、よかった。
 マナは本気でそう思った。


 その後、霧島さんは僕に何かと構ってくれた。
 初めてデートと言う物をさせてもらえた。
 僕はただ恐くて、会話も続かなくて…
 芦の湖や、展望台へ行った。
 二人で写真を撮った。
 そう言えば、シンちゃんって呼ぶから、名前で呼んでくれってお願いされたっけ。
 呼べるようになったらで良いからって。
 でも結局僕は呼べなかった。
 そのデートをクラスメートに見つかったから。


「あ、霧島じゃないか」
「碇ぃ、なにやってんだよ」
 シンジは黙ってうつむいた。
「霧島、あんまりいじめんなよ?」
「そうそう、先生もうるさいんだからさ」
「もう!、行こ?、シンちゃん!」
 マナが引っ張る、背中にヤジが飛ぶ。
「どうしたの?」
 いつまでも引っ張られていて、歩こうともしないので立ち止まった。
「…嫌、だよね?」
「え?」
「あんな風に、見られるの」
「なんてことないって!」
 マナは笑うが、やはり辛さがにじみ出ている。
「ごめん!」
 シンジははっきりと頭を下げた。
「え?」
「今日は、楽しかった」
「シンちゃん?」
「ありがとう、うれしかった、ほんとに…」
 シンちゃん…、じゃあどうして泣きそうな顔なんてしているの?
 マナにも一つだけ分かってしまった。
 シンジの笑顔は自分では取り戻せないのだと言う事が。
「あの…、ね?、これ」
 マナは終わりになりそうで恐かったが、勇気を振り絞ってそれを渡した。
「なに?」
「チョコと…、ペンダント」
「え?」
「バレンタインの、やり直し…」
 お互い照れよりも不安が先に立ってしまう。
「ありが、とう…」
 それでもシンジは受け取った。
「それと、これ!」
 渡されるメモ。
「あたしの携帯の番号」
 番号と共にマナとサインが入っている。
「何かあったら…、ね?」
「うん…」
 マナって、言うんだ。
 シンジはとぼけた事に気がついた。
「ありがとう…」
 全てが本当に嬉しかった。



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