「しっかし、よくもまぁ色々と思いつくものねぇ?」
ユイから話が回ったらしい。
ここはリツコの研究室だ。
ミサトがシンジの検査結果を読みに来ている。
「あら…、そんなにおかしいかしら?」
実に意外そうなリツコである。
「まだ十四歳よ?、ちょっちそういうのは早いんじゃないかしら?」
間違いくらいはあるかもしれない、と言うか、保護者にはそれを望んでいる節がある。
「帝星では十六じゃなかったかしら?、平均出産年齢って…」
「ここは地球よ?、地球人の体じゃ二十歳でようやく適齢期なの、それぐらい知ってんでしょう?」
ミサトはちょっと呆れ返った。
「別に子供なんて人工子宮でもなんでも育てられるし、その気があるならシンジ君に代理母を作ってもらえばいいじゃない」
「代理母?」
「使徒よ」
「リツコ!?」
「冗談よ」
軽くいなす。
「そんな事が出来れば面白いと思っただけよ」
「あのねぇ…」
洒落になんないわよ…、とコーヒーのお代わりを注ぐミサト。
「ま、ユイ様は早くお孫さんが欲しいようだし…」
「ちっ、若いくせに高望みしやがって…」
単なるやっかみである。
諸諸の事情でおおよそ二十七歳前後の容貌で帰って来たユイである。
見た目も何もかもミサトの方が越えてしまったのだ。
「ほんと、あったま痛いわ…」
苦悩するミサト。
「大変ね?、作戦指揮だけじゃなくて情操教育もだなんて」
「お守…、の間違いにしといて」
憮然と音を立ててコーヒーをすする。
「で、どうだったの?」
「ええ…」
シンジの診断書をめくるリツコ。
「…フィジカルチェックの結果、芳しくないわね?」
「どの程度?」
「全体的なバイオリズムの低迷が目立つわ…」
幾つかのモニターにシンジのパラメーターを表示する。
「なにこれ?」
「シンジ君の力に関する消耗の度合をグラフ化してみたの」
変身は身体以上に魂へ直接負担をかける。
想いが力になる、それはストレスがかさむほど強くなれると言う事だ。
「ふ〜ん、安定性に欠けてるわねぇ?」
「気分屋なのよ、あれでもシンジ君は」
負の感情ほど容易に心を侵食し、強大な破壊力を生み出そうとする。
しかしまた、それ程に心を傷つけ続ける思いも無い。
「ま、帝星までレイを追いかけ行っちゃうくらいだもんねぇ?」
「そうね…」
「わっかいんだからぁ!」
けけけと笑うミサトとは対照的に、リツコは静かにマグカップを置いた。
「そう楽観的にもなってられないわよ?」
「へ?」
「あの年頃の子供が寝て起きても回復しないというのは異常よ?」
「わかってるわよぉ…」
ミサトも悩んでいた事である。
(今度の戦いには、あの子達を巻き込むだけ理由が無い…)
友達の女の子が先日は死にかけた。
それを救うためにどれだけの無茶をさせたのか?
「作戦課のトップったって、最後は見てるだけですものね?」
それが歯がゆいのだ、JAなど科学の産物であって使徒ではないのだから、シンジ達の手をわずらわせる必要は必ずしもあったわけではない。
「でも矢面に立ってもらうのがベストな以上、お願いするのが一番なのよ?」
そうかしら?
ネルフと言う組織そのものに、まだ力が足りないように思えてしまう。
それを子供達に無理に補わせている節があるのだ。
「わたしは準備しかできないけど、あなたはあの子達のすぐ側で見ていられるじゃない」
だからリツコの慰めは届かない。
「それだけじゃ嫌なのよ…、で、うまく疲れを取ってあげるアイディアを用意してくれたってわけか」
あの晩ご飯はそう言う事だ。
「でもよくあんたがこんなの思い付いたわね?」
「あら?、あれ、加持君のアイディアよ?」
げぇ…
何故だかミサトは、酷いくらいにとてもとても嫌そうな顔をした。
「はぁ…」
深く深くため息をつく。
「なに?」
苛立たしげな目を向けるレイ。
「ほんとならシンジと二人っきりの夏だったのに…」
アスカはきゅっきゅと皿を拭く。
「でも戻って来てくれなかったら、きっとシンジは沈んだままだったんじゃない?」
クスッと微笑み、ユイは柔らかい眼差しを向けた。
「それはそうですけどぉ…」
不満に唇を尖らせるアスカ。
「でもシンジってば、どこに行っちゃったのかしら?」
みんなで仲良く食器を片付けていく。
「心配?」
「これ片付けてから探しに行きます」
ふんっと脇を締めるように気合いを入れる。
「…シンジは幸せ者ねぇ?、こんなに可愛い彼女が居るんだから」
だがそのセリフにアスカはちょっと暗くなった。
「あら…、どうしたの?」
「知っているものね…」
「なによ!」
サードを睨み付ける。
「シンジ君の気持ち…」
「…まだ、決まってないわよ」
「ほら認めてる」
意地悪く笑む。
「じゃあなんでシンジはあんたからも逃げてるのよ!」
ぴたっとレイのお皿を乾拭きする手が止まった。
「…シンジ君は」
「確かに大切に思ってる、大事にもしたがってるわ?、でもね?、あたしは見たもの!」
レイがインパクトを起こした時、あの金色の向こうの世界で。
「シンジはあんたとも「仲良く」やっていきたかったのよ!、あたしともね?、それだけなんだから、まだ決めたわけじゃないわよ…」
「そう?」
「それに!、シンジはあんたよりレーの方がお好みらしいしね?」
ビシ!
よほど動揺してしまったのか?、レイの持っていたお皿がひび割れた。
「しかしあんたも、ろくな事考えないわねぇ?」
「そうかぁ?」
ジオフロント内の一角に勝手にスイカ畑が作られている。
「ああいう事はどこの星でも変わらないだろ?」
「じゃ、あたしのカレー食べて見ない?」
「遠慮しとくよ、まだまだ死にたくはないからな?」
「どういう意味よ…」
「そのまんまだよ」
ジオフロント内は異様に広く、ミサトはここまで彼女がもたれかかっている電動ジープで走って来ていた。
「なあミサト…」
「なによ?」
「コアって何だか知ってるか?」
唐突な質問に目を丸くする。
「…確か想いが物質化したもの、でしょ?」
「そうだ、だから明確なサイズは無い、エヴァの胸に見えるコアは三次元界に具現化した物だ、だからこそその都度大きさが変動する」
「回りくどいわねぇ、だからなんなの?」
苛立たしげに組んだ腕の上で指を叩く。
「まあ聞きけって…、ATフィールドはなにも人と人を隔てるだけの壁ってだけじゃないってことさ」
「ん…、場、なんでしょ?、雰囲気とか空気とかの…」
「そうだ、その生き物が振りまく空気、でもそれは心の生み出す精神的な力場だよな?」
ミサトは動かしていた指を止めた。
「…ATフィールドがコアになる?」
「拡散していくだけの波動、エネルギーを凝縮するんだよ、でもそのためにはより質のいい感情が必要だろう?」
「そのためのレクリエーションってわけね?」
「ああ…」
加持はジョウロで水を撒く。
「で、こんなとこに畑作ったのはなんのため?」
ミサトは冷たい視線で一帯を眺めた。
「酷いなぁ…」
苦笑い。
「これも仕事の内さ、ジオフロントは自給自足の出来るコロニーとしての計画もあるからな?」
そのために食物の試験栽培を行っているのだ。
もちろん栽培されるものは、全てリツコによって品種改良を受けているのだが。
「で、シンジ君の方はどうなんだ?」
渋い顔をするミサト。
「元々あたしたちって、あの年頃の地球人が何をして遊んでるかなんて知らないじゃない?」
「そんなに変わるもんじゃないだろう?」
おやおやと加持はミサトににやける。
「でも不安なのよ…、どこかテレビから仕入れたイメージって気がするし」
「なんだ、泣き言か?」
「ちっ、あんたなんかと付き合ってたおかげで、ろくな青春おくれなかったのよ」
「はいはい」
何しろ近衛兵として色気のない生活を送っていたのだ。
その頃のリョウジとは、ただの仲の良い同期生だった。
「まあそうトゲトゲしなさんな…、それで?、そんな話をするために来たんじゃないだろう?」
貴重な時間を割いてまで、と、この皮肉は口にしない。
「これ読んで」
ミサトはファイルブックを手渡した。
「なんだ?」
「報告書よ?、意見を聞かせて」
「いいのか?」
ぱらぱらと適当にめくっていく。
それは前回の戦いをまとめたレポートだった。
未確認、未公開の情報についても記載されている。
その手がピタッと一枚の写真の所で止まった。
「…フェンリル」
「やっぱりそう見える?」
あのドラゴンだ。
「しかし、この動きは…」
「ただの生き残りとは思えないのよ」
かつて帝国と戦争状態にあり、レーが壊した星の生き物。
「ああ…、フェンリルは恒星間戦争用に特別調整された戦闘種だからな?」
「動くはず無いのよ、マスターが居なければ…」
少しの間、沈黙が流れる。
「…わかった、調べてみる」
「頼むわ?、報告書は司令からのものだから」
「じゃあこれは非公式の要請と言うわけか?」
「隠し事が増えるわね?、組織って」
「まあ、な…」
なんとなく気まずい空気が流れてしまう。
これもまた何かの真実に繋がるんですか?、碇司令…
その好奇心に満ちた瞳を、ミサトは横目に眺めていた。
…葛城助教授が言ってた。
「いいことレイ?、とにかく積極的なのが一番大事」
コクコクと真剣に耳を傾ける。
「大丈夫よぉ、シンちゃんも男の子なんだから、その内理性ぶっ飛んで襲って来るわよ」
「…シンジ君が、ですか?」
襲う、と言う単語に恐怖的なイメージを浮かべる。
「あ、襲うって言っても恐くは無いわよ?」
「よくわかりません…」
「そりゃもう貪るようにレイを求めて来るって事よ」
ポッと頬が赤くなる。
「わたしを…」
「そうよん?、もうレイが壊れちゃうぐらいにね?」
「シンジ君が…」
真っ赤な上に湯気まで立つ。
「レイがもう嫌!って抵抗しても無駄、シンちゃんは自分のものにしようと攻めて攻めて攻めまくるの!、いろんなところに触って、キスして!」
「色々な、ところ…」
シンジ君ものになるの?
そう、なるのね、わたし…
シンジ君だけの、わたしに。
「だからレイ、頑張って…、って、あら?」
椅子に座ったままで目を回している。
「し、シンジ君…」
「刺激、強かったかしら?」
レイは両手を膝の上に揃えたままで、くらくらくらくらと頭を時計回りに回していた。
シンジ君…
キュッと胸元に拳を当てる。
「そう、これはシンジ君と一つになりたい、わたしの願い…」
熱い眼差しで自室の扉をじっと見る。
「シンジ君…」
レイ…
「シンジ君」
レイの瞳には、今しも両手を広げながら入って来るシンジの幻が見えていた。