−カチャカチャカチャ……−
 無言の食卓に、食器の奏でる音だけが踊っていた。
 そんな息詰まる緊張感……
 シンジの正面には母が座っていた、目だけを横向けると右にはアスカ、左にはレイが座している。
 ここは母ユイの住居でもあるマンションの一室、そのダイニングキッチンだ。
(早く帰りたいよ、婆ちゃん……)
 無理矢理引き止められているこの状況。
 ついつい、溜め息なんぞを吐いてしまう。
(自分の家だと思ってくつろげって、それって母さんの家で僕の家じゃないって言ってるのと同じじゃないか)
 そんな風にひねくれてしまうのは、甘え交じりの反抗期だからかもしれない。
 ちらと無理矢理間借りを強要している母を見やると、なにやらアンニュイな表情を浮かべて頬杖なんぞを突いていた。
 スパゲティをフォークで弄び、そしてふぅっと憂いた吐息を大きく吐く。
 ……かなりわざとらしかった、が、聞こえた以上は無視出来ない。
「なんだよ、母さん」
「ええ……、ちょっとね」
「なんだよ、言えばいいじゃないか」
「ううん、こればっかりは」
「聞かせたいくせに……」
「なに?」
「なんだよって言ってるの」
「そう?」
「そうだよ、で?」
「うん……、本当に大したことじゃないのよ?、ただちょっとね……」
 ユイはアスカとレイに視線を送った。
はやく孫の顔が見たいなぁって、思ったの


FIANCE〜幸せの方程式〜
第四話、ユイさんの憂鬱


「あああああ……」
 取り敢えず頭を抱えるシンジであった。
「なに考えてんだよ、母さん!」
「言葉の通りなんだけど……」
「僕まだ中学生だよ!?、どうしろって言うんだよ!」
「とりあえずレイちゃんと一緒の部屋に住むって言うのは?」
 ガタン!、とアスカが乗り出した。
「却下、却下、却下、却下、却下ぁ!、そんなのズルい、反則よぉ!」
 シンジの頭を押さえつける。
「あら?、じゃあアスカちゃんが同じベッドに?」
「うっ!、そうじゃなくて、あの……」
 真言葉に困って引き下がる。
「残念ねぇ、アスカちゃんは駄目なんだって」
「そうじゃないだろ!?」
「でもレイちゃんはいつでもOKみたいだけど?」
「え?、そうなの?」
 ビクッと我に返るレイ。
「あ、な、なに?」
「どうしたの?、顔赤いけど、大丈夫?、熱でもあるの?」
「なんでもない」
 シンジは無視して彼女の額に手を当てる。
「熱は無いみたいだけね……」
「純情なのねぇ、レイちゃんは」
「純情って……」
「最近の子は進んでるって思ってたんだけど……」
「雑誌の読み過ぎだよ、母さん……」
「そう?、そんなこともないんじゃない?、ねぇ?、アスカちゃん?」
「はい!?」
「ボーイフレンドの一人や二人、居たんでしょ?」
 −うっ!
 その言葉は自尊心をくすぐった。
「もちろん!、そりゃあいないことは無いですけどぉ……」
 −嘘よ、悪かったわね!、ああ、おば様のあの目、すっかりバレてる−
「うふふふふ……」
「そうなんだ、アスカってもてるんだねぇ」
 −あんたが感心してどうすんのよ!−
 ギリギリと笑顔で奥歯を噛み締める。
 ヤキモチすら焼いていないのだ、裏返してみれば全く意に介しておらずその上脈も何にもありゃしないと言うことであった。
「じゃあ、アスカはもう経験しちゃってるんだ?」
「んなわけないでしょうが!」
「まだなの?」
「まだなんだ……」
(親子でこいつら!)
 くうっと唸るアスカである。
「で、レイちゃんは?」
 スパゲティをちゅるるるスポンと吸い込むレイ。
「はい?」
「レイちゃんは、男の子と付き合った経験は?」
「あります」
 即答に絶叫が上げられた。
ええーーー!
 −何よこの女、やるじゃない!−
 −綾波っ、そんな、いつ、誰と付き合ってたんだよ!−
 シンジはテーブルの上に突っ伏した。
(聞きたい、聞かなくちゃ、いやダメだ、そんなの恐くて聞けないよ!)
「で、そいつとどこまで行ったのよ!?」
 あっさりと追い打つアスカである。
「なに?」
「キスとかしたのかって聞いてるの!」
 ああ……、とレイは、中央の大皿からさらにスパゲティを取り去った。
「キスはしてないわ」
(よかった……)
 ちょっとほっとするシンジ。
「でも抱き合ったことはある」
「ええーーー!?、うそ!」
(やっぱり聞くんじゃなかったぁ!)
 とりあえずのたうち回るシンジ。
 アスカの嬉々とした興味本意の表情と、シンジの奈落の底へ突き落とされたような絶望感が対照的だった。
「で、で、で?」
「後……、裸を見られたり、押し倒されたり……、それから胸を触られたことも」
 −うわあああああ!
 シンジの自我境界線が崩壊していく。
「一緒に寝たこともあるわ」
「それっていつの話?」
「……一月前」
(そんな!)
 シンジは頭を掻きむしった。
(酷いよ綾波!、じゃあ僕と夕飯を食べた後にそんなことしてたの?)
 やっぱり一人暮らしだから?
 家に帰ってからそんなことを?
 彼氏を呼んで?
 酷いや綾波、僕のこと騙してたんだ。
 僕のことなんていらなかったんだ。
 僕はいらない奴なんだぁ!
 もうちょっとで血の涙を流すかもしれない。
「あんたそれでよくシンジと付き合おうなんて思ったわねぇ?」
「なぜ?」
「そんな淫らでふしだらな奴は、シンジにふさわしくないって言ってるの!」
「それはあなたもでしょ?」
「うぐ!」
「それに……、わたしのことなら問題無いわ」
「なんでよ?」
 レイの表情に、いつもの不敵な物が過る。
「わたしが付き合っているのは、碇君だもの」
ぬわんですってぇ!
「え?、いま何か言った?」
 腐敗寸前からシンジは一気に立ち直った。
「一緒にお風呂に入った仲だし……」
「ちょっとシンジぃ!」
「同じ布団で寝たことも……」
「一体どう言うことなのよ!」
 あわわわわっと泡を食う。
「そんなのぼく覚えがないよ」
「よくそんな嘘がつけるわね!」
「ほんとだよ!、あ……」
「『あっ』てなによ、『あっ』て!」
「ち、違うよ、誤解だよ、あれは……」
「あん?」
「綾波がお風呂でのぼせたから介抱したとか……」
「ふんふん?」
「その時に触っちゃったこと言ってるのかな?、あと足を骨折した時に背中流してもらったり」
「ほほぉ?、それで『一緒に寝た』ってのはどうなのよ!」
「そ、それは……」
「それは?」
 恥ずかしいことなのか赤くなった。
「ああーーー!、なに照れてんのよあんたわ!」
「く、首、苦しい、絞めないで……」
「くやしぃ!、あたしのことは遊びだったのね?、ひっどーい!」
 きゅーっとシンジを締め上げる。
「ほらほらアスカちゃん、そのぐらいにしておかないと、あなたの華麗な経歴に傷がついちゃうわよ?」
「はっ!、そうですね、やめときます、もったいないから」
 ゲホゲホゲホッとむせ返るシンジ。
「酷いや、ちょっとぐらい心配してくれたっていいのに……」
「うっさい!、あんたみたいな女ったらし、それくらいの扱いでちょうどいいのよ!」
「何だよ勝手に決めるなよな!、僕がいつ誰を弄んだんだよ!」
「あたしを!、現在進行形で!!」
「してないって!、よくそんなことが言えるよな、僕をいじめてるのはアスカじゃないか!」
「当ったり前よ!、あんたはあたしのもんなのよ、所有物なの!、反抗するんじゃないわよ!」
「……そんなこと、誰が決めたの?」
「あたしよ!、文句ある!?」
 レイとアスカの視線が激突する。
(あ、綾波……)
 助けてっと視線を送るが……
「ないわ」
 っとあっさり見捨てられてしまった。
「よかったわねぇシンジぃ、これであんたはあたしと付き合うことになったのよ!」
「そんなの横暴だよ!、綾波、何とか言ってよ、綾波!」
「……仕方が無いわね」
 フォークを置くレイ。
 アスカに流し目をくれて口を開く。
「碇君はずっとこれからもわたしと付き合っていくの……」
「なんでよ!」
「だって……」
 レイはじっと大皿を見る。
「わたしは、碇君のものだから……」
 瞬間、場が凍り付いた。
 頬を染め、すっと顔を逸らすレイ。
 もちろん山盛りあったスパゲティは無くなっている。
ちょっと、バカシンジぃ!
「あ、綾波、それって!?」
「シンちゃん、お母さん感激しちゃった!」
「あんた一体、こいつに何をしたのよぉ!」
 瞬間いろんな妄想が頭を過るが……
「なんにもしてないよ!」
「なにもしてなかったら、普通そこまで言わないでしょう?」
「そうよ!」
「決め付けないでよ!、何もしてないったら、ほんとだよ!」
「嘘よ!、汚らしい、あんなことやこんなことしてたんでしょ!」
「そんなの勝手に想像しないでよ!」
「シンちゃん?、お母さんもそれはちょっと早いと思うの」
「何だよ母さん、さっきと言ってることが違うじゃないか!」
「お母さん、バックでなんて許しませんからね?」
「なに言ってんだよ、こんな時に!」
「する時は普通にしなさい、いいですね?」
するんじゃないわよ、こんな女と!
「じゃあアスカちゃんとだったら良いのね?」
 −ふぐ!−
 アスカは言葉につまってしまった。
「あら?、残念、そういうわけでもないのね?、じゃあやっぱりレイちゃん……、ってあら?」
 寸胴鍋でパスタ麺を茹でていた。
「……レイちゃんてばお料理が上手なんだから」
「そう言う問題ですか……」
「良かったわねぇ、シンちゃん?」
「なにが?」
「手料理作ってくれるって」
「そんなの……」
 疲れた表情。
「いつも食べてるし」
あらもう、のろけちゃって、やぁねぇ!
 バシッとシンジの頭を叩く。
 アスカはむーっと頬を膨らませた。
「好きな人のために毎日ご飯を作ってあげてるなんて、けなげな子ねぇ」
「そうなの?、かな……」
 ちらりとレイを見る。
 なんだか、そわそわそわそわしている、麺が茹で上がるのを待っているのだろう。
(綾波って、そんなに食い意地張ってたかな?)
「やっぱり女の子が居ると良いわねぇ、華やかで」
 ニコニコとその背中を見ているユイ。
 レイは出来上がったのか、手早くミートソースをからめて持って来た。
「レイちゃんの作るお味噌汁って、お母さんの味がするのよねぇ……」
 味噌汁などどこにも無い、キョトンと話の見えないレイ。
「当たり前だろ?、おばあちゃんに習ったんだから」
「レイちゃん、お嫁さんに来る?」
「母さん!」
「おば様!」
 赤くなってうつむく、が、ちゃんとコクリと頷くレイ。
「よかったわねぇシンちゃん、これで一人寂しい老後なんておさらばね?」
「なんで今からそんな話になるんだよ!」
「碇家に入るのはあたしです!、おば様!!」
「あら?、なんなら二人ともって言うのは?」
嫌よ!、誰がこんな女なんかと!
「わたしも願い下げだわ」
「上等!、やる気!?」
「やめてツバが飛ぶから」
「なんですってぇ!」
 ユイは微笑んでその様子を眺めている。
「賑やかな食卓って夢だったのよねぇ……」
「って、なに呑気なこと言ってんだよ、母さん」
 ユイはそれはそれは楽しげに、彼女達のケンカをほうっと眺めた。
 それはまるで、未来の碇家の縮図のような状態でもあったから……
「とても老後が楽しみね?」
 などと、とてもおばさん臭い考えをしてしまうユイだった。


続く



[BACK][TOP][NEXT]

新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。