−待ってよ、待ってよ綾波!−
 波打つように揺れる地面に、シンジはその場に転がった。
『さよなら……』
 −待ってよ、綾波ぃ!−
 暗黒の果てに消えて行くレイ、追いかけようにも足を取られていては這いつくばるのが精一杯だった。
 −待ってよ……、待って……−
 伸ばした腕がとても空しい。
お願いだから待ってよ、綾波!、はっ!?」
 シンジは大きく目を見開いて、真上の屋根の形状を凝視した。
「知らない……、天井だ、て、どこだここ!?
 そこは船室の中だった。


FIANCE〜幸せの方程式〜
第五話、仕組まれた


 慌てて外に飛び出したシンジの目に飛び込んで来たのは、どこまでも果てしなく続く水平線だった。
「海!?」
 船体は漂うように揺らめいていた。。
「シンジくん、起きたの?」
 操舵室からの声、そこには漁師姿にはまっているミサトがいた。
 もっとも、はまっていると言っても手に持つボトルと酒気帯び顔がはまり過ぎだったが。
「ミサトさん……、どうして」
 ボロ船の上、辺り一面、海、海、海である。
「せっかくのお休みだからと思って、デートに誘ったんじゃないのよん☆」
「デートって……」
「豪華なお船で、太平洋をクルージングって感じ?」
 この場合の誘ったは、誘拐と全く同義である。
「船って、これ小型の漁船じゃないですか!、それに本物の船長はどうしたんですか!?」
 ミサトの頬を、汗が一筋ツーっと伝った。
「ミサトさん!」
「なはははは、ちょっちねぇ」
 ミサトの乾いた笑いに、シンジは泣きたくなって来た。
「陸は何処なんですか?」
「さあ?」
「レーダーとかは……」
「殴ったら動かなくなっちゃって……」
「……これも、母さんの企みですか?」
「まさか!、純粋に好意じゃない」
「嘘だ!、極限状態に追い込んでマインドコントロールをかけるつもりなんだ!」
「……」
「なんで否定しないんですか!」
「さあ?」
「嫌だぁああああ!、ミサトさんみたいにイカとかクラゲとか酒のツマミさえ手に入れば生きていけるような人と遭難するのは絶対に嫌だぁ!」
「あんたちっとも信用してないわね?」
 自分でやっておきながらこめかみに青筋を浮かべたりする。
 照り付ける太陽はどこまでも熱く、そして水平線には影一つ見当たらなかった。


 一時間後。
 さしたる苦難も無くシンジは救助されていた。
「ようこそ海上自衛隊所属巡洋艦『はたはた』へ!、……なぁんちゃって、カッコイイ?、ね?」
 やたらとはしゃぐ女の子。
「あのぉ……」
 どう見ても自分とさして変わらない歳に見える、場所が場所だけに違和感が異様に際立っていた。
「この船って、なんなの?」
 甲板を十四、五歳の少年少女が、デッキブラシを手に駆け回っている。
「驚いたぁ?、って当たり前っか、実は学校で一日研修に来てるの」
「そうなんだ……」
 誰かを見つけたのか、スッと離れて行くミサト。
 目で追うと、艦長らしき人に話しかけていた。
「ねえ!」
「え?」
「名前!、なんて言うの?」
「碇……」
「碇?」
「うん……、碇、シンジだよ」
「碇……」
 何故だか考え込む栗毛の女の子。
「なに?」
「あ、何でも無いの、あたし霧島、霧島マナ、よろしくね?」
「うん……、よろしく」
 差し出された手に、挨拶し返す、おずおずと。
 そんな仕草に彼女は笑った。
「奥手なんだ、碇君って」
「奥手って言うか……」
 離した手を所在無げに振る。
「なに?」
「女の子って、苦手で……」
「人見知りするんだ?」
「そんなとこかな……」
「まあ、良いけどね?」
 マナはくんくんっと、シンジの胸元の匂いを嗅いだ。
「な、なに?」
「……魚臭い」
「ああ……、船の匂いじゃないかな?」
 シンジは自分でも嗅いでみた。
「……シャワー使えば?、着替えもあるし」
「いいの?」
「あたしのだけどね?」
 断る暇も無く、シンジは彼女に引っ張られていた。


「うおっそーい!」
 そこからさらに数時間後。
「このあたしを待たせるなんてぇ、実際、覚悟出来てるんでしょうね?」
 新横須賀港にて、入港して来る軍艦を睨み付けている女の子が居た。
「あの船?」
「そうよ!」
 青い髪と赤い髪、もちろんアスカとレイである。
 ゆっくりと近付いて来る威圧的な船。
 その動きが遅くなればなるほどに、我慢が出来ないと苛立ちが色濃くなって行く。
 −ゴォオオオン……−
 錨が降ろされ、タラップが二人の前に下りて来た。
こらぁ!、バカシンジぃって、ああっ!
「アスカ?、綾波も……、どうしたの?」
「どしたの?、シンちゃん……」
 ひょこっとシンジの後ろから顔を出すマナ。
「バカシンジィ!」
「ひゃ!」
「あんたこんなとこで浮気してっ、良い度胸してんじゃない!」
 タラップを一足飛びに駆け登る、シンジは反射的に逃げ場を探したが……
「戻って、戻ってってば!」
「無理よ、シンちゃん……」
 すでに下船しようとしていた中学生軍団によって、退路は思いっきり埋まっていた。
「お願い、なんとかして!」
「って、あたしに言われても……」
「あああああ!、何よあんた達!」
「へ?」
「ペア〜ルック!」
「って……、言われても」
 着ているのは学校側で用意されたセーラーだ。
「一応、みんな同じ格好してるんだけど……」
「うっさい!、バカシンジィ!」
 −げいん!−
「うわああああ!」
 転がり落ちていく。
「!?」
 傷みに悶えて転がったあげく、涙目を開くとそこは暗闇で奥に白い逆三角形のものが見て取れた。
(なんだこれ?)
「碇君……」
「綾波!」
 シンジはがばっと起き上がった。
「ご、ごめん、わざとじゃ……」
 平謝りに謝る、しかし彼女は船の方を見上げていた。
「……何をしてたの?」
「へ?」
「浮気?」
「違うよ!、誤解だよ!」
 シンジは真剣に否定した。
「気がついたらミサトさんに拉致られてて!」
「……そう、よかったわね」
「なにがさ!」
「……どうせ乳繰り合ってたんじゃないのぉ?」
 シンジはアスカの気配に脅えた。
 サーッと血の気が引いていく。
「何言ってんだよ!、僕が綾波を裏切るわけないじゃないか!!」
 たらぁっと頬を伝う汗。
「だめよぉシンジ君、こういう時は『嘘』でも『二人を』って言わないとぉ」
「って、なに言ってんですかっ、ミサトさん!」
 つい振り返ってしまい、シンジは露骨にしまったと言う顔をした。
 怒り一色に全身を染め上げているアスカと目が合ってしまったからだ。
「ほほぉ、なぁにが違うってのよ?」
「あ、あの、僕は……」
「シンジくぅん、はっきりした方が良いわよぉ?」
 −ミサトさん!−
 ……と言う叫びは間抜けな声に続けられなかった。
「お〜い、葛城ぃ」
「加持さん☆」
「げっ、加持……」
 ころっと態度を変えるアスカと、対照的に引きまくるミサト。
 アスカが腕に組み付いて来るのもかまわずに、加持はミサトに笑いかけた。
「おいおい酷いじゃないか、船から放り出すなんて……」
「しー!」
 ミサトの口封じは遅かった。
「ミサトさん……」
 ジト目のシンジ。
「あはははは、ごめん!、こいつがあたしのお尻を撫で回すもんだから……」
「つい放り出しちゃったんですね?」
「まあねん」
 ミサトの表情に悪びれたものはない。
「まったく、俺じゃなかったら死んでるとこだぞ?」
 この男がどうやって助かったのかは謎である。
「それにアスカ、離れた方がいいんじゃないのか?」
「えーーー!、どうしてぇ?」
「おいおい、シンジ君の前だぞ?」
 はっとするアスカ。
「あ、僕のことならお構いなく」
 シンジは「助かったぁ……」っと、露骨に安堵していた。
「じゃあ、あなたが漁師さんですか?」
「いや、俺の名前はリョウジだが」
「?」
「???」
 それはともかく。
「アスカって、好きな人が居たんだね」
 と、シンジは自分の命を捨てにかかった。
「ね?、綾波」
「みたいね」
「うん、これで僕も安心して綾波と付き合えるよ」
「……そうね」
「綾波?」
「なに?」
「いや……、なんだか不満そうだから」
「そう?、……そうかもしれない」
「え……」
(葛城さんのウソツキ……、緊張から解放された人間は、保護を求めて甘えるって言っていたのに……)
「ほほほほほ!、残念だったわね!」
 その手の甲を口元に当てたわざとらしい笑いは一体どちらにむけられたものだったのだろうか?
 だがその笑みもシンジの両肩に手が置かれた瞬間強ばった。
「シンちゃん……」
「なに?、霧島さん」
「ってあんた、馴れ馴れしくしてんじゃないっての!」
 マナはニヤリと笑い返した。
「あなた、あの加持さんって人が好きなんじゃなかったの?」
「うっ!」
「それに、さっきから見てるとどうもシンジ君のことが好きだってパフォーマンスしてるだけみたい……、ねぇ?、ほんとのところはどうなの?」
 ぎくぎくっとアスカ。
「なんのことかしらぁ?」
「語尾が上擦ってる」
「無様ね、アスカ」
「そこうるさい!」
「やっぱり!、碇って聞いてまさかと思ってたけど、会長の息子さんなんでしょ?」
「どうしてそれを!?」
「なるほどねぇ、財産目当ての政略結婚?、で、本命はその人ってわけだ」
 暴露され、真っ青になるアスカであったが……
「違う!、違うのシンジ!、それは誤解……」
「いつも寝言で『遺産さえ手に入ればシンジなんてポイ』って言ってるくせに」
「うるさい!」
 くすくすと笑うレイに赤くなる。
「あんただって!、人が作ってくれたご飯は美味しいって、おば様狙いのくせに何よ!」
(え?)
「……そんなこと思ってないわ」
「嘘!、今日だってご馳走食べに連れていってあげるからって言われてしぶしぶ来ただけのくせに!、シンジが向こうに帰りたいって言ったの聞いて、もう、美味しい物を食べに行けなくなるのね、って言ってたじゃない!」
(綾波?)
「あんた……、シンジなんて関係無いんでしょ?、贅沢出来る方が嬉しいんでしょ?、楽しいんでしょ!?、あんたこそシンジじゃなくておば様が目当てのくせに、何よ!」
 言い合う二人はライバルから視線を外さない、だからこそ、よろめいたシンジを見逃してしまった。
(僕は……、母さんの代わりなの?)
 いや、とかぶりを振った。
(そうだ、そうだよ、元々は婆ちゃんの代わりだったじゃないか、僕だって婆ちゃんの代わりにしてた、……お互い様、か)
 −それが母にスライドしただけ−
「もうやめてよ、二人とも……」
「シンジ?」
「碇君?」
 軽過ぎる声に二人は怪訝な目を向けた、いつものように笑っている、だが声と同様にそこにはなんの感情も見受けられなかった。
 だからこそ、寒くて、軽かった。
「綾波?」
 じっと見つめる。
「綾波は、残りたいんだね?」
 シンジの問いかけに、レイは無表情で答えない。
 シンジはそれを肯定として受けとめた。
「なら綾波はこっちに残ればいいよ……、母さんが居るから寂しくないでしょ?」
「それで良いの?」
「無理に付き合う必要はないよ、勝手にすれば良い」
 空虚な瞳には、微妙に震える赤い目など映らなかった。
「碇君は、寂しくないの?」
「アスカ……」
「なっ、なによ……」
 ふうと溜め息を吐く。
「母さんと、綾波と、勝手に相談して決めてよ、それで良いから」
「それで良いって……、どう言う意味よ!」
「そのまんまだよ……、どうせ僕が何を言ったって関係無いんだから、結婚しろって言うならするさ、言われた通りに、二人の狙いとか、目的とか、そんなのどうだっていいよ」
「そんな言い方……」
 さすがにバツが悪くなったのか、アスカは顔を逸らして適当な事を言った。
「あんただって、その女と仲良くやってたくせに、何よ……」
「じゃあ、あの加持さんって人は誰なんだよ?」
「そっ、それは……」
「どうだっていいさ、アスカのことなんて」
「碇君……」
「じゃ……、僕は帰るから、何か食べに行くんでしょ?、みんなでさ」
 シンジは二人の間をわざと通る様にして呟いた。
 −さよなら−
 慌てて振り向く二人、しかし追いかける事は出来なかった。
 何事かと眺めていた研修生の一団を真っ正面から割って通るシンジの背中には……
 今までにない、深い拒絶があったから。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。