──あたし、ここで何やってるんだろう?、もうシンジもいないのに
 赤毛の少女はぼんやりと、三角座りをしてテレビを見ていた。
 朝の連続ドラマは幸せそうな家族を演出している。
 白々しい演技がどこか空虚さを感じさせた。
(あの、馬鹿……)
 はっとする。
(何考えてんのよ、アタシは!)
 両のこめかみに指を当てる。
(そうよ!、玩具が無くなっちゃったからつまんないだけよ!、あんな女に渡すわけにいかないから取り合ってただけなんだから!)
 むーん、むーんと唸り始める。
 そんな後ろ姿を微笑ましく見ているのはエプロン姿のユイである。
 ピンポーン、と……
「アスカちゃん」
「はい!?」
「アスカちゃんが出て上げてくれない?」
「え……」
 話しかけられてギョッとしたアスカだったが、にやついた笑みにあっと気が付いた。
(もしかして……、あいつ!)
 ばっと立ち上がって駆け出していく。
 その後を追うように歩くユイ、もちろん、カメラ持参で。
(帰って来た、帰って来た、帰って来た!)
 素直な喜びを黒い心が侵食していく。
(ちゃんとやるのよアスカ!、もう後が無いんだから!!)
 バンッと勢いよく扉を開ける。
「お帰り!、待ってたんだから!、ずっと待ってたんだから!、もう離さないんだからぁ!」
 目をギュッと閉じて一心にしがみ付く。
(くっ、こいつ意外と臭い!?、でもこれも未来のためよ、我慢、我慢!)
 それにしてもだ。
(こいつ思ったより胸板が厚くって……、胸板!?)
 がばっと見上げる、そこにあったのは赤い眼鏡とむさ苦しい髭。
 その上なんだか、顔面蒼白になって口をパクパクとやっている。
「ち、違う、誤解だ、ユイ!」
「え!?」
 驚き振り返ると、にっこりとしながらピクピクと引きつっているユイが居た。
 帰って来た男、それは死んだとされていたはずの……
「おかえりなさい」
「ただいま」
 碇ゲンドウ……、碇シンジの、父親であった。


FIANCE〜幸せの方程式〜
第七話、家族の、


「おはよう、碇くん……」
 今日も憎らしいくらいに清々しい朝だった。
「おはよう、ございます……」
 そして今日もまた聞きたい事を聞けないままに、シンジはただただ挨拶をした。
 くるりと背を向けるレイ。
 エプロンがスカートの広がりを押さえていた。
 そのお尻に視線を集中させてしまう。
(僕は……、ぼくはぁ!)
 しっかりと見えなくなってから突っ伏した。
「なんで覚えてないんだよう!」
 してないのだから当たり前である。
「ほんとにしたのかなぁ?、僕ぅ……」
 右手をじっと見てわきわきしてみる。
 感触が生々しいのだが……
「これって……、前にもつれて倒れ込んだ時の?」
 反復しているだけかもしれない。
「う〜ん……」
「……碇君」
「うわぁ!」
 がたんっと逃げてしまう。
「あ、綾波……」
「なに悩んでるの?」
「何って……」
 下から覗き込まれると非常に弱い。
「ちょっと……、ね?」
「ふうん……」
 −あれ?−
 奇妙な違和感を感じる。
 −なんだろ?−
 興味を示されたからだ。
「……ご飯、できたから」
「ありがと……」
(そう言えば、カヲル君……)
 いつの間にか見えなくなった来訪者のことを思い出す。
 あれから二日が経っていた。


 家の周りをうろつくシンジ。
 その心は憂鬱だった。
(どうなんだろう?)
 一人で出かける事に対して、何も口にされなかった。
 不満も感じなかった。
 出かけ際に見た彼女の背中はいつも通りのものだった。
(本当にシたのかな?、僕は)
 どちらにせよ。
(それで綾波が僕だけの綾波になったわけじゃない……、構ってくれてるだけなのか?、また)
 そう思うと、少し、辛い。
「どうなんだろう?」
 ぽんと肩を叩かれた。
「え?」
「やっぱり!」
「シンジやないか!」
「トウジ、ケンスケ?」
 オッス!、っと手を挙げる二人に、シンジは同じように手を挙げた。


『え〜〜〜!?』
 ところ変わって近所の駄菓子屋。
 その前の長椅子に三人、内ジャージの少年と、迷彩服姿にメガネの子が叫びを放った。
「綾波と」
「婚約ぅ!?」
 うん、とシンジ。
「まだホントに婚約したってわけじゃないけどね」
「そやけど候補やなんて」
「なぁ?」
 二人はかき氷を落とさないように持ち直した。
『いやぁんな感じぃ!』
 シンジは苦笑いを浮かべた。
「仕方ないんだ、母さんが勝手に決めた事だから」
「ま、わしらにはわからん苦労や」
「僕はちょっと羨ましいけど」
 そう言ってメガネの子はビデオカメラを向けた。
「急に転校しただろ?、シンジ、みんな結構残念がってたぜ?」
「転校!?」
「なんや、知らんのか?」
「そんなの聞いてないよ!」
「またおばさんじゃないのか?、結構勝手に決める人だったんだろ?」
「……許嫁のことだってそうだけどね」
 シンジはちょっと項垂れた。
「学校まで……、本気で引っ越しさせるつもりだったんだな、母さん」
「どないするんや?」
「どうもこうもないよ……」
 お腹を抱えてテーブルに突っ伏す。
「どないしたんや?」
「胃が痛いよ……」
 顔だけ上げる。
「母さんさ、綾波と……、アスカって子が気に入ってるだけなんだけなんだよね、でも綾波は孤児だし、アスカは施設に入ってるから特別扱いできないでしょ?」
「それでお前と結婚させよう言うんか?」
「そんなとこだと思うよ?、全然僕の言うことなんて聞いてくれないからね」
「……奇麗な子なのか?」
「アスカ?、まあ、そうだけどね」
「贅沢な奴ぅ」
「ケンスケ……」
 シンジは起き上がると、真面目に訊ねた。
「僕が転校したって聞いて、残念がってたのって女の子ばっかりでしょ?」
「まあ、な……」
「シンジがネルフの会長の子ぉや言うの、知っとるやつばっかりや」
「だよね?、……アスカと、綾波もさ、直接お金ってわけじゃないけど、目当ては母さんなんだよね」
「ほぉかぁ……」
「うん、嫌ってわけじゃないよ、でも素直に喜べないって言うか……」
「ま、それで手が出せるようなら学校中の子に手を出してたよな」
「かもね」
「で」
 曖昧に笑ったシンジに身を乗り出した。
「もうキスぐらいしたんだろ?」
「誰と?」
「どっちかとだよ!」
「……その情報、売る気だね?」
「まさかぁ」
 引きつって下がる、アホか、とはトウジの突っ込み。
「そやけど、綾波とはずっとやろ?、みんなもそれぐらいしてる思とるで」
「ほんとに?」
「だからみんな言い寄ってたんだよ、結構進んでるとか勝手言ってさ」
「で、実際どうなんだよ?」
 シンジはがっくりとうなだれた。
「……実は、シちゃってるみたいなんだよね」
「みたいってなんや?」
「覚えてなくて……」
 くわあああ!
 二人ともかき氷の冷たさにキィンッと来た。
「あほか!」
「そうだぞ!、将来結婚式の時に、「初めては碇君の家でした、彼ったら乱暴で☆」なんて言われてみろ!、覚えも無い事でからかわれる事になるんだぞ!」
 過去に何かあったのか?、くくうっと気持ちを込めている。
「そんなもんなのかな?」
「まあ、そう悪い関係とちゃうんやろ?」
 うん……っと、曖昧な返事をするしかない。
「なら答えは簡単だよな?」
「そうやなぁ……」
「なんだよ?」
 ニマッとシンジは笑われた。
「再度アタックや!」
「はぁ?」
「大丈夫、大丈夫、ほんまにしとったら、拒まれへんって」
「ちょっと……」
「じゃあやめとくか?」
「へ?」
「怒るだろうなぁ?」
「なんでだよ……」
「そりゃそやろ?」
「ああ……、せっかくイベントを乗り切ったってのにな?」
 段々笑みが妖しくなる。
「もうなぁんにも手ぇ出してきぃひん」
「それどころか避けるような……、気が無くなったようなそぶりなんてされた日には……」
『なぁ〜〜〜?』
 二人は頷き合った後で、確認する様にシンジを見た。
「どないしたんや?、シンジ」
「なんでもないよ……」
 はぁはぁと胸元をつかんで苦しがっている。
「ま、同意の上でしちゃってたんならの話しだけどな?」
 グッサァ!
 シンジは確かにとどめをさされた。


(くっそう、からかうだけからかって……)
 頬杖をつき、レイの顔をじっと見る。
「なに?」
「うん……」
 レイは洗濯物をたたんでいた。
 取り込んだ後独特の匂いが鼻につく。
 乾燥した洗濯物の、洗剤と埃の混じった臭いだ。
「……綾波と母さんって、似てるよね」
「そう?」
 陽射しの中、畳の上に洗濯物が並べられていく。
「なんかお母さんって感じがして……、綾波って案外そういうのが似合うのかもね?」
「案外?」
「あ、ごめん……」
 洗濯物を持ち、立ち上がるレイにフォローを入れる。
「きっと綾波なら、いいお母さんになってくれるんだろうなって思ったんだ……」
「なにを、言うのよ……」
 レイはそのまま、暫く動けず、固まってしまった。


(お母さんに、なる……)
 シンちゃん……
 これ、シンちゃん!
 シンジを叱り付けているユイが居る。
 そのユイに自分を重ねる。
「怒られているのは誰?」
 自分に似た男の子。
 それでいて誰かにも似た男の子。
「碇君……」
 ザァ……っと、湯の表面に細波が立つ。
「碇君は、わたしの事が好き……」
 しかし自分には迷いがある。
「何故?」
 わからない……
 わからない程、好きなものが沢山あるから。
「そう……」
(そうなのね?)
 好きなものは一つではない。
 でも好きな人に嫌いと言われればそれは辛い。
 シンジが去ってしまったから追いかけて来た。
 これまでも気を引くようなことはしてきた。
 それは……
「一人は辛いから、碇君の側に居たいの?」
 一人で居ることは寂しいから。
「お風呂……」
 使いまわすお湯。
 浴びるだけのシャワーは寂しい。
(わたしが入り、そのお湯に碇君が浸かる……)
 次の人の為に残すお湯。
 なるべく奇麗に。
 お湯を足して。
 温めて。
 誰のために、なんのために?
 シンジのために?
 いや、違う、そうではない。
 それは共同生活をする上での当たり前の行為。
 義務的行動。
 家族への気づかい。
「家族……、なの?」
 シンジとは。
 ただの家族。
 絆は見えない。
 レイはユイのお気に入り。
 おばあちゃんにも好かれていた。
 そしてシンジははっきりと口に出して伝えている。
 好き、と。
(でも、わたしは?)
 ──わたしは……
 好きな人に、好きと言ってもらえた瞬間。
「嬉しかった……」
 気持ちは通じていた?
 気持ちが通じたから?
 だから好きになってもらえた。
「碇君……」
 だがそれではシンジの言う通り。
 家族としての絆、繋がりが欲しいだけとなってしまう。
 シンジは母親に似てると言った、でもそれは当たり前なのだ。
 同じ人に育ててもらった二人だから。
 自分と、ユイと言う人とは。
「碇君が求めているのは、お母さん、なの?」
 自分と、シンジの望みの合致。
 そこにある共通のイメージ。
 キーワード、自分がそれになるためには?
「お母さんと、呼ばれるためには……」
 そのために必要な物は。
 顔半分湯に埋めてぶくぶくと泡を吹く。
「そうなのね」
 ──わたしが、お母さんと呼ばれるためには。
「子供が、必要」
 つまりは。
「子作りなのね、いきなり」
 ──ぶくぶくぶくぶくぶく……
 ちょっとのぼせ始めたレイだった。


続く



[BACK][TOP][NEXT]

新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。