もう手荷物さえも無く、まるで近所に遊びに出て来たような身軽さで、シンジは再び第三新東京市に戻って来ていた。
財布はとうとう空になり、残されているのは銀行のカードだけだった。
(戻らないって、決めたんだ)
その決意を確固たるものにするために、少年は他のものを全て捨てていた。
レンタル店カード、割引券、スタンプシート。
向こうにある店のものは全て処分してしまっていた。
FIANCE〜幸せの方程式〜
第九話、そして、流転
「ほんともう最低、最悪!」
某ビル、二階にある喫茶店。
ズゴーッと品なくジュースをすすったのはアスカであった。
「そりゃ災難だったな?」
「ホントよ!、髭面に赤いサングラスなんてダッさぁ、趣味悪ぅって感じ!」
ちなみに加持とデート中。
素早くパフェを追加注文。
彼はその食いっぷりに、彼女のストレスの度合を計って心で苦笑していた。
「それでどうだ?、未来のパパは……」
アスカはうげぇっと吐き出した。
「その言い方やめて!、おでこの広さとか卑屈そうな目とかシンジにそっくりで気持ち悪いんだから……」
来た来たっと、目前のパフェに舌をなめずる。
「……そんなに嫌いか?」
「誰が?、シンジが?、当ったり前じゃない!」
加持はわずかに眉を寄せた。
「加持さん?」
「……ああ、すまん」
「どうしたの?」
加持は苦笑し、顔を背けた。
「ちょっと、な、失望しただけだよ」
「失望?」
「ああ……、正直、俺はシンジくんとアスカに自分の夢を重ねていたからな」
「夢……、億万長者って事?」
それなら!、っと身を乗り出すのを加持は押さえた。
「アスカはそれでいいのか?」
「って?」
「シンジ君を利用して、シンジ君を踏み台にして、自分だけが幸せになって……」
「そんなの……、あれだけ恵まれてるのよ?、ちょっとぐらい分けてもらったって」
嫌悪を感じる。
「人を踏み付ける奴は人を踏みにじる人間だ、シンジ君を利用するアスカはいつか俺も捨てるかもしれない」
「そんなことない!」
「いや、それが人間ってやつさ、だから俺はシンジ君を好きになってもらいたかった」
「あたしが好きなのは加持さんだけよ!」
「悪いな?、俺が好きなのは物分かりの良い女の子で、金も地位も無い子供じゃないんだよ」
「だからあたし!」
「今のアスカに何の価値があるんだ?」
「!?」
アスカは真っ青になって固まった。
「……あたし」
「いま言った事の全てが本心とは言わない」
「加持さん……」
まだ捨てられてない、と縋るような目をする。
しかし。
「だが俺が言った事で傷ついたのなら、アスカのしている事で同じようにシンジ君が傷つくと言う事だ、あるいは、傷ついたと言う事だ」
アスカはギュッと唇を噛んで俯いた。
「良く考えてくれ……、ま、無理だろうけどな?」
加持は席を立ち上がった。
「待って、待って加持さん!」
加持は無視する。
「あたしわかる、わかるようにするから!」
「誰のために?」
ギシッと固まる。
「それは……、その」
自分?、加持?、シンジ?
わからない。
「それに答えられる様になるまで、さよならだ」
「加持さぁん!」
泣き叫ぶ女の子の声に、他のお客さんの視線が集中する。
──加持さん、加持さん、加持さん!
ぼたぼたと涙が落ちる。
──なんで?、どうして嫌われなきゃいけないの?
理由が全く分からない。
──加持さんが好き、こんなに好き!、加持さんが一番好きなのにぃ!
だが加持は喫茶店を出て、そのまま階段を下りていってしまった。
一度も振り返ってくれなかった、すまない、やり過ぎたといつものように戻って来てはくれなかった。
窓の外、加持の姿は雑踏に混ざって見えなくなる。
(加持さぁん……)
アスカは立ち尽くしたままで泣いていた。
「ただいま……」
レイに告げた通り、やはり頼るしかないのだろう。
そう自分に言い聞かせて訪問したシンジであったが……
「……シンジか」
「父さん!?」
シンジはそこに居るはずの無い人物に出会い、驚愕からがくがくと震え上がった。
「どうして父さんがここに居るのさ!?」
「隠れる必要が無くなったのでな……」
「隠れる?」
「……ああ、母さんからな」
(何やってんだよ、父さん……)
なんで包帯巻いてて引っ掻き傷だらけで、その上口紅が付きまくってるんだろう?
そんな疑問も沸いたが、一時捨て置いた。
(母さん、きっと父さんが無事だったって知って嬉しかったんだな)
……真実は往々にして都合により歴史から忘れ去られる物である。
「それよりシンジ」
ずたぼろの様子でも威厳を見せる。
「大きくなったな」
「う、うん……、僕もう中学生だよ?」
「そうか……」
(にやりって、どういう意味だろ?)
どうも長い間会っていなかったからか、喜びよりも警戒心が先に立つ。
だからと言う訳でも無いのだが、どいてくれないかな?、っとシンジは思った。
「あの……、入れてくれる?」
それに対する返事はユイがした。
「あらシンちゃん、おかえり!」
「母さん……」
「レイちゃんは?」
ゲンドウを押しのけ、頬擦りしながらシンジに訊ねる。
「うん……」
はっきりしない。
「どうしたの?、ケンカ?」
「……もっと悪い」
「え?」
「綾波とキスした」
──むっ!
何故だか父の顔には険しさを増す。
「ほんと?、やったじゃない!」
「それで、嫌われた……」
「え?」
再びの抱擁を途中で止める。
「きら、われた?」
「うん」
情けない顔をユイに見せる。
「嫌われたんだ」
シンジは一連の事をユイに話した。
その結果の返答は……
「はぁ……」
だった。
暗く、思い沈黙。
呆れ交じりの嘆息と思索を繰り広げる母を前に、シンジに出来たのはただ待っているだけのことだった。
そしてユイの判断は……
「それで……、帰ってきたの?」
「うん……」
「馬鹿!」
その情けなさへの爆発だった。
「そんな子、うちの子じゃありません!」
「え?」
「レイちゃんに謝って、ちゃんと連れてらっしゃい!、今すぐ!」
「そんなの……」
顔を伏せる。
できるわけがない。
「シンジ」
ゲンドウは重みのある声を出した。
「行くなら早くしろ……、でなければ出て行け!」
「あなた!?」
──それは言い過ぎ!
しかし遅かった。
「シンジ!」
案の定だ、シンジは一目散に逃げ出した。
心のどこかで他人と感じていた母の声の必死さなど、全く感じることなく駆け出してしまっていた。
──なんだよ!、今まで僕を放っておいたくせに!
(うちの子じゃない?、上等じゃないか!、僕だって!)
段々と足が遅くなる。
「僕だって……」
うち……
その単語が懐かしい。
「そっか……、なんだ、そうだよな」
暗く、鬱に笑う。
(元々そんな場所、無かったんだからさ)
ここにあるのは親の家。
向こうにあるのは、祖母の家。
(どっちも僕の家じゃない……)
腕で顔をごしごしとこすって鼻をすする。
「綾波……」
一番家族に近かった。
──でも壊したのは僕だ。
だからもう頼れない。
『女の子が好きでもない子のために、毎日ご飯作ってくれるわけないでしょ?』
「もう良い、疲れた……」
シンジは顔を上げると、とぼとぼと言った感じで歩き出した。
「さてと……」
駅に着いた。
「これからどうしようか」
幸い、溜めていたお金があった。
祖母の残してくれた貯金もある。
(やっていけるさ)
そんな気になる材料には事欠かなかった。
(何処へ行こうか?)
住み慣れた田舎が思い浮かんだ。
「そうだな……」
彼女の……、あの子のことを思い出してしまいそうで、だからブルブルと頭を振った。
「どうしようか……」
何も思い付かなくて動けない。
そんな彼を偶然見つけた女性が居た。
「シンちゃん!」
「ミサトさん……」
スーツ姿のミサト、仕事の途中なのだろうか?、パリッとしていた。
「なぁによぉ、暗いわねぇ?」
「別に……」
シンジは露骨に嫌そうな顔をした。
「こっちはこの間のあれで窓際に追いやられちゃってさぁ、あはははは、……って」
行こうとするシンジに追いすがる。
「あ、もしかしてこの間のこと、まだ怒ってる?」
「いいですよ、もう……」
「やっぱりまだ怒ってるのね?」
「いえ……」
ようやく立ち止まるシンジ。
「……あれはあれで、良かったと思ってます」
「へ?」
「おかげで……、勘違いから冷めましたから」
「ちょ、ちょっとシンちゃん?」
「ごめんなさい……、でもミサトさんにはもう関係のないことですから」
「そう言う言い方!」
つい手を振り上げようとしてミサトは止めた。
──この子?、叩いてもらいたがってる?
それは直感。
(殴られてすっきりしたい、叩かれたら自分はまた一つ何かを捨てられる、諦められる、楽になりたい、そんな感じなの?、シンジ君……)
ミサトはその手を握って収めた。
自暴自棄な目に顔を背ける。
「……自棄を起こすのは勝手だけど、ストレスを解消したいからって人を使わないでよ」
「そんなつもりじゃ……」
澱んだ声。
「どうして避けようとするの?」
黙り込み。
「あたしが知り合いだから?」
返答が無い。
(やっぱりか)
ユイの性格を考えれば想像の付く事で、だからミサトは嘆息した。
「またややこしくなってるのね?」
これ以上は話したくない。
──触れられたくない!
「あ、シンジ君!」
だから逃げようとした、逃げ出そうとした、しかし……
しかしミサトの足は、早かった。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。