「はい、ミサトさんお弁当」
酷く違和感の立つ光景。
玄関先、見送るシンジ、エプロン姿。
その手に下げられているのはチェックのハンカチに包まれたお弁当箱。
「悪いわね、こんなことまでしてもらっちゃって」
「良いですよ、約束ですから」
シンジはそれを手渡しながら、懇願するように覗き込んだ。
「じゃあ、すみませんけど」
「わかってるわ、シンジ君は行方不明、あたしは何にも知りません、これでいいのね?」
「はい……、よろしくお願いします」
シンジはくれぐれもっと頭を下げた。
FIANCE〜幸せの方程式〜
第十話、すれ違った道
その部屋の前に立ったユイは、胸に手を当てると大きく一つ、呼吸した。
そしてノック。
「アスカちゃん?」
がさりと気配。
「アスカちゃん、ご飯は?」
「いらない!」
「でももう昨日もちゃんと食べてないでしょ?」
「いらないったらいらないの!」
かける言葉が見つからないのか、彼女は諦めるように目を伏せた。
「じゃあ……、おにぎり、ここに置いておくから」
そっとしておくべきかと、迷いながらも去っていくユイ。
一方アスカは、ベッドの上で、シーツを掻き抱いて座っていた。
何よ何よ何よ!
みんなでバカにして!
あたしのことをバカにして!
悔しさに歯噛みもしていた。
「利用されたんだ、あたし……」
憧れの人達に。
「加持さんもおばさまも、結局あたしを使って……」
彼を焚き付けるために。
(嫌い嫌い、大っ嫌い!)
少年の顔が思い浮かぶ。
「でも、一番嫌いなのは……」
その少年か?
──そうよ!
あたしを好きにならない。
興味も抱かない。
あたしのものにならない……
男の子。
「許さない、許さない、許せない!」
「シンジが?、そう……」
──ビリ!
アスカはその外からの会話に、シーツを破いて立ち上がった。
「え?」
受話器を置いたユイは、珍しいくらいに狼狽して見せた。
「アスカちゃん!?」
いつの間に傍立っていたのだろうか?、またその鬼気迫る感じは鳥肌が立つほどのものだった。
「おばさま……」
暗い目を上げる。
「シンジが見つかったの?」
「え、ええ……」
目元に浮かんだ隈が後ずさりさせるほどの凄惨さを感じさせた。
「どこ?」
「アスカちゃん……」
「どこなの?、何処に居るの!」
狂ったように引っ張るアスカ。
(シンジが気になるの?、いいえこれは……)
あまりの様子に気色ばむ。
「……その前に、アスカちゃんに聞きたい事があるの」
アスカの狂気を計るように、ユイは静かに言葉を選んだ。
「シンジの事が、好き?」
ギンッと睨む目、そこにあるのは狂気。
瞳に写った人の姿は、アスカの中で加持と重なっていた。
だから、嫌う。
この人も!
やはり同じように問うのかと嫌になる。
だがそれはユイの予想した通りの反応だった。
(やっぱりね……)
自我を保つために、シンジと言う敵を見つけたのだ。
(シンジがいなくなれば、全部が元どおりになる……、そう思っているのね?)
その上でユイは話を切り出した。
「……あたしはね?、別に財産目当てでも良いと思っていたのよ」
──見抜かれてた!?
激しい動揺、だが心は逆に冷めていく。
「じゃあ、お互い様ですね?」
利用しようとしていた者同士だから。
──責められる覚えなんてない。
アスカははっきりと睨み返した。
「恐い顔ね……」
それを見ないですむように抱きしめる。
「ただ、あたしはしばらくぶりに会ったアスカちゃんが、あまりに大人で……、だから昔のように笑ってもらいたくて、それであのお見合いを持ち掛けたのよ」
アスカは温かさに対して身を堅くした。
──バカにして!
だがアスカは叫べなかった。
『お見合いの練習だと思って、ね?』
『はぁ……』
と、そんな感じで、どこかその場の雰囲気で受けたのも事実であったから。
後にシンジの素性を吹き込まれたとしてもだ、教えたのは加持であったが。
「シンジの事を思い出してくれれば、きっと……」
──そう思ったのよ。
それがアスカに動揺を持ち込んだ。
「……して」
──どうして?
そう思ったのか?、と、アスカは訊ねる。
「財産目当てでも相手がシンジなら嫌じゃないでしょ?」
放心状態に陥るアスカ。
「……でもダメね?、ダメだったわ」
ユイはゆっくりと体を離した。
「アスカちゃんはシンジの事が嫌いだったのね?」
──あたしの思い違いだったのね?
答えられない、だがユイは頷く。
「いいのよ?、もう、考えなくても……」
ブルブルと小刻みにアスカは震えた。
寒気も感じる。
「……がう」
「ん?」
アスカの呟きにユイは首を傾げた。
「違う……」
「なに?」
「違う、違う、違う!」
髪を振り乱して取り乱す。
「アスカちゃん!?」
「あたしを嫌ったのはシンジよ!、シンジが悪いのよ!、あたしを見てくれないシンジが悪いの!」
しゃがみこむ。
「加持さんを返して、返してよ!」
ふえーーーーんっと、アスカは子供のように泣き出した。
「……アスカちゃん」
「いらないの?、あたしいらないの……、いらない子なの?」
「そんなことないわ、アスカちゃん!」
ユイはアスカの頬を挟んだ。
両手が涙でぬちゃっとする。
「シンジはアスカちゃんの事が好きだったのよ?」
真っ直ぐに瞳を覗く。
「……うそ」
疑惑を浮かべるアスカ。
「……本当よ?、だってアスカちゃんはシンジの初めてのお友達だったから」
──泣かしてばかりだったのに?
「アスカちゃんが行ってしまってから、シンジはずっと泣いてたのよ?」
──信じられない……
アスカの目はそう言っている。
「……あんなに遊んだのに、アスカちゃん、さよならも言わなかったでしょ?」
「あれは!」
急だったから。
帰る事になったのが。
「……アスカちゃんにどんな都合があったのか?、もちろんあたしは知ってるわ?」
(よかった、話を聞いてくれてる……)
アスカがコミュニケーションを再開した事に安心する。
「でもね?、あの時、幼かったシンジにその事が理解できたと思う?」
「でも……」
「いじめるだけいじめて、勝手にどこかへ行っちゃった子……、そんな風にアスカちゃんは思われていたのよ?」
──あれは……、だって、しょうがない。
そればかりをくり返す。
「アスカちゃんがそんな風に思われたままなのが嫌だったのよ……、お互い好意を持ってくれれば、せめてお友達になってくれたら良かったのに」
あの幼い頃のように。
「おばさま……」
ユイは微笑むと、ハンカチで優しくアスカの顔を拭いてあげた。
「ん……」
「でもアスカちゃんには、辛い想いばかりをさせてしまったみたいね?」
ぐしゅっと鼻をすするアスカ。
「あたし……」
「もう……、無理をしなくてもいいのよ?」
ユイはもう一度抱きしめた。
「アスカちゃんはあたしの娘も同然だから……」
──おば様?
その柔らかな心地好さ、アスカに顔色が戻って来る。
「シンジと一緒になってくれなくてもいいわ?、でもあたしと暮らしてくれるでしょ?」
「あたしは……」
戸惑う。
──もう……、帰る場所なんてないし。
アスカはそう考える。
なにかしらの事情があるのだろう。
「ただ……、これだけはわかってあげてね?、シンジは寂しかったのよ」
「さみし、かった?」
「そう……」
辛そうな顔をする。
「母に預けっぱなしにして、その母も死んで、シンジはおばあちゃんが居なくなって、おばあちゃんの友達だったレイちゃんに縋るしか無かったの」
──すがる?
──おばあちゃんの友達?
「でもおばあちゃんは死んでしまって、レイちゃんはあの通りだから、……シンジは繋ぎ止めておきたかったね?、きっと」
「あの子を?」
「そうよ?」
絆と言える物が何も無いから。
「……だから好きだって、思うしかなかったの」
アスカはその話を整理し切れずにいた。
「でも、あの子は……」
「レイちゃんもシンジの事が好きになっていたわ?、でもそれも通じなかったみたい」
アスカは驚いてユイから離れた。
「それ、どういうことですか!」
「……シンジ、レイちゃんとお別れしたって」
「そんな!?」
信じられなかった。
レイは十二分にシンジへ想いを傾けているように見えていたから。
「それでここへ来たから、レイちゃんとの誤解を解いてもらいたかったんだけど……」
容易に想像がつく。
「……逃げたんですね?」
ユイは悲しげに頷いた。
「始まりはアスカちゃんとのお別れ、お父さんの事故、そしてあたしの仕事、次におばあちゃんの死、レイちゃんとの行き違い……」
何を並べられているのか分からない。
「置き去りにされた、捨てられた、見限られた……、いつもそう、一人にされるのが恐くなったのよ、シンジは」
何をどうすればいいのか分からなかった。
「シンジはもう、諦めてしまったのね……」
レイと暮らすために必死だった。
携帯電話を買い、少しでも心を近くしようとして。
「あたしは、焦り過ぎたのしれないわ」
「おばさま……」
いつの間にやら、ユイの方がすがっていた。
「おばさま、あたし……」
「お願い、アスカちゃん、シンジを……、捨てないで」
──捨てる?
アスカは身を強ばらせた。
捨てる?
捨てる……
捨てる!
蘇る恐怖。
ママ、あたしを捨てないで!
パパ、あたしを捨てないで!
今日からここがお前のうちになるんだよ?
嫌!、おうちに帰る、ママと帰る!
ママはもう居ないんだ。
あたしのお家は……、お家は、お家は!
そして加持の背中が過る。
あたしを……、捨てないで。
再び涙が、つうっと伝う。
「寂しいの……」
「わかるわ?」
「辛いのは、嫌……」
「苦しいのもね?」
──シンジ……
(シンジは?)
ようやく気にする事が出来た。
「シンジは、今?」
落ち着きが戻って来た、同時に正気も。
「……葛城さんのお宅よ?、街でふらついてる所を保護したって」
「そう……」
考える様にアスカはうつむく。
「お願い……、迎えに行って上げて?」
アスカはユイから目を逸らした。
「でも……、あたしじゃ」
「アスカちゃんでなきゃダメなのよ……」
特に根拠になるようなものは何も無い。
(あたしでなきゃ?)
だがアスカは信じてしまった。
「あたしが?」
「お願い……、ね?、アスカちゃん……」
(おばさま……、泣いてるの?)
次から次へと、外からの情報が入って来る。
閉ざしていた心が開かれいく。
なんで、どうして泣いてるの?
泣かされたの?
その方が正しい。
誰に?
シンジに。
瞬間、アスカはむかついた。
なんで?、どうしてよ!
悲しみのユイ。
自分もシンジに泣かされた。
そしてきっと、どこかでレイも泣いている。
アスカはすっくと立ち上がった。
「あたし……、行きます!」
「アスカちゃん……」
ユイはアスカを拭いたのと同じハンカチで涙を拭った。
その口元がニヤリと歪んでいたのは、きっと気のせいと言うものだろう。
少なくとも、陰で覗いていたゲンドウが、密かに感心していたのだけは事実であった。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。