ばかシンジぃ!
「うわぁ!」
 飛んで来たスリッパをきわどくかわす。
「なにすんだよ!」
「勝手に出てって勝手に帰って来て、あんたそんな勝手が許されると思ってんの!?」
 シンジを庇うようにレイが立つ。
「……あなたには関係無いわ」
「あるわよ!」
「どうして?」
 くっとアスカは歯噛みをしてから、腹を据えて大きく叫んだ。
「はっきり言うけど!」
 真剣そのもので。
「あたしはお金が目当なの!」
「あ、そ」
「って簡単に流すなぁ!」
 暴れ回るアスカに溜め息を吐く。
「今更、なに言ってるんだよ」
 とっくに分かり切っていた事だけに、シンジは深く呆れ返った。


FIANCE〜幸せの方程式〜
第十二話、始まりの


「えっと……、碇シンジです、よろしくお願いします」
 新しい日常の第一歩として、シンジは新しい学校に通う事になった。
 第三新東京市第一中学校、第一と名の付くとおり、この街でもっとも早くに出来た学校であり、それだけに公立ながら有名校として名を馳せていた。
「それじゃあ一番後ろの空いている机に座って下さい」
「はい……」
 この日の転校生は三人、次期首都として移転作業の始まっている街としても、珍しいくらいの重なり具合であった、が、クラスが分かれた事もあり、シンジは妙に勘繰られず、とりあえず無難に転校の通過儀礼をやり過ごしていた。
「碇君って、何処から来たの?」
 ホームルーム終了と同時の問いかけだった。
「知らないんじゃないかな?、田舎だから」
「でもなまってないんだな?」
「父さんがこっちの人だからだと思うよ?、ずっと婆ちゃんのところに住んでたんだけど」
「え?、じゃあ今は?」
「母さんがこっちに呼んでくれたんだ、……相変わらず仕事は忙しいみたいだけどね」
「へぇ……」
 この辺で他のクラスからの情報が入る。
「おい、B組に外人の転校生だってさ」
「お嬢様らしいぞ?」
 便所だなんだと理由を付けて、皆そわそわと席を立つ。
「嫌ねぇ?」
「やーらしぃんだから」
「C組にも転校生だってさ」
「やたら冷たいっぽい奴だってよ」
「白くて目が赤くてさ、見に行こうぜ?」
 そんな声も聞こえて来る。
「……碇君は行かないの?」
 困ったような表情を作る。
「行くと怒られそうだから、やめとくよ」
「碇君はかしこいのねぇ?」
(……アスカに怒られるからなんだけどな)
 シンジはまあいいかと、誤解されたままにしておいた。


 シンジは当たり障りの無い性格をしている。
 だからそれなりに溶け込むし、嫌われる事もあまりない。
 しかしそれはネルフの会長の息子と言う事で騒がれた経験から来る、処世術によって作り出された偶像に過ぎない、だが気付く者は居ない。
 それは本人ですら、自分で作っていると言う自覚が欠けているためだろう。
 それはともかく。
(……休み時間のたびに騒がしくなるんだよなぁ)
 このクラスの男子も、他に負けまいと出かけている、何処へか?、それは言うまでもないだろう。
 かと言ってシンジが忘れられたのかと言えばそうでもなかった。
「へぇ?、チェロやってるんだ」
「珍しいねぇ?」
 ちゃんと女子によって休み時間の度に囲まれていた。
 まあ、それは女子連による男子へのあてつけに過ぎないのだが。
「……ばっかみたい」
 四時間目が終わり、お昼休みになった時に誰かが言った。
「なによヒカリぃ」
 ──誰?
 今時のお下げ髪が珍しかった。
「バカみたいって言ったのよ」
「なによ!」
「恥ずかしくないの?、同じレベルで張り合っちゃって……、みんな男子と変わらないじゃない」
(きっつい子だなぁ……)
 あてつけに利用されているのは承知していたので、その事については別に何とも思っていない。
「あ、あの……」
 しかしこの雰囲気は何とかしたい。
「ごめんね?、騒がしくしちゃって……」
「あなたが悪いんじゃないでしょ?、悪いのはみんなじゃない」
 脅えたように首をすくめたシンジに、髪の長い子が囁いた。
「ヒカリって潔癖症なの」
「そうそう」
 ヒソヒソと耳打ちする。
「まあいいじゃない、ねえ?」
「そうそう、碇君、お弁当?」
 この学校には購買部があるのでパンを買える。
 食堂も一応はあるのだが、こちらは授業が終わると同時に走らなければ間に合わない。
「うん、一応作って持って来たんだ」
「え〜〜〜?、碇君が作ってるの?」
「お母さんは?」
「……結局一緒に住めなくて」
「そうなんだぁ?」
 一人暮らしなのかな?、と勘繰っても、だからどうと言う気は起こらない。
 とてもそう言う対象には見れないからだろう。
 こうしてシンジは可も無く不可も無いと言った印象を周囲に与えた。
 男子からはかなりの勢いで嫌われることになったのだが。


 その頃、アスカは隣のクラスで女王様モードに入っていた。
「ええ……、日本からドイツに渡った後、また戻って来て……」
 ニコッと微笑むだけで十分だろう。
 その華のような笑顔に皆とろけてしまう。
「惣流さんって大人しいのね?」
「緊張してるのかも……、普段はもう少し元気が良いんですけど……、仲良くしてもらえますか?」
「「「もちろん!」」」
「よかった」
 はにかむように笑顔をばらまく。
 ──ま、ちょろいもんよね?
 心中は大体そんなものだ。
(っかし肩こるのよねぇ、いつまでもやってらんないし、それにシンジよ……)
 転校生が三人も居れば当然だったが、別のクラスにされてしまった。
「ねぇねぇ?、惣流さん大学出てるって本当?」
 ──えええー!?
 どよめきにアスカは舌打ちする。
「ええ、ドイツの方で」
(どっからそんな情報拾って来たのよ?)
「すっごーい!」
「勉強教えてもらえます!?」
「宿題写させてくんない!?」
 こんな質問にも笑顔で返す。
「すみません、教えるのって苦手で……」
「え?、あ、そうなんだ……」
「少しなら、でも教えるほどのことは……」
「それで十分です、それで!」
 一方を片付けて片方も潰す。
「それに宿題はご自分のためのものですし……」
「そうですよね、はは!」
 ──ばぁか、なんであたしがあんたらの為に宿題なんてやんなくちゃなんないのよ?
 義務教育だから来ただけだ、後はシンジとレイを監視するため。
 管理監督かもしれない、アスカはこの間の話を反芻した。


「し、シンジに財産の相続権がないぃ〜〜〜!?」
 シンジの胸倉をつかみ上げる。
「それ!、どういうことよ!!」
 ──うまく護魔化さないと殺されるかも……
 シンジはちらりとレイを見やった。
「相続って意味じゃあるのかもしれないけどね、条件があるんだ」
「条件って何よ?」
「うん……、綾波を幸せにすること、かな?」
「はぁ?」
 なによそれ、とアスカ。
「詳しいことは分かんないけど、綾波って僕なんかよりずっと重要で、ネルフそのものも綾波のために存在してるみたいなこと言ってた」
「言ってたって、誰が?」
「カヲル君とリツコさん」
「誰?」
「アスカの知らない人だよ」
 むぅっとなるアスカ、同時にレイも少し口を尖らせた。
 知らない名前、それも女性の名前に反応したのだろう。
「ちょっと待ってよ……、じゃあ」
 アスカは疲れ切った表情で訊ねた。
「あんたって地位も財産も無い無能で役立たずで何のとりえも無い、ただの平々凡々な小市民ってわけ?」
「碇君は優しいわ」
「綾波ぃ」
「何泣いてるの?」
(否定してよ)
「うれしいのね、良かった」
(そうじゃなくて)
「大丈夫、問題無いわ、わたしのものは碇君のものになる、それで全ては解決される事になるから」
 にやりとレイ。
「わたしと一つになりましょう?、そうすればわたしの全てはあなたのものよ」
「はやなひ」
「うわっ、ばっちぃ!、あんたなに鼻血噴いてんのよ!」
「ごへん……」
 鼻を押さえて首筋を叩く。
「流血か……、ドクターストップ、TKO勝ちって言いたい所だけど」
「ミサトさん」
 にやにやと柱にもたれていた。
「レフリーストップによる没収試合ってところね、シンジ君の若さを計算に入れなかったあなたの負けよ」
「はい……」
「それからアスカ」
「なによ」
「シンジ君の話しだけど、半分は本当だけど半分は違っているわ」
「そうなの?」
 コクリと頷く。
「レイだけに限らず、ネルフのトップになるということは世界を牛耳る力を手に入れるのと同じこと、彼女以外の何千万から何億と言う施設の子供達、就労者達、卒園者達への義務や責任を負う事になるの、あなたが思ってる以上にネルフの会長職と言うものはカリスマが必要とされるのよ、そして、今現在その最も有力な候補者として彼女、レイが居るの」
「あたしは?」
「次点、ちなみにシンジ君は三番目、本当なら選ばれることは無かったんだけど、あの碇夫妻の子ということで、どうしても持ち上げたがる方々が居てね」
「そんなの……」
「勝手な話しだけど、それは貴方を舐めてると言う事でもあるわ、アスカ同様にあなたを操る事で世界の利権を手に入れようというんでしょうね」
 首をすくめるアスカを無視して、ミサトは背筋を伸ばして立ち直した。
「これから伝言を伝えます」
「伝言ですか?」
 嫌な予感。
「碇シンジ君」
「はい」
「あなたは現在、ネルフ幹部候補生としてリストアップされています」
「ええ〜〜〜!?」
「ちょっと、それって超エリートコースじゃない!」
 アスカの焦りにニヤリと笑む。
「当たり前でしょ?、だってシンジ君は次期総会長の最有力候補なのよ?」
「でもさっき三位だって!」
「そう、利用うんぬんはともかくとして、あなたやレイ、あるいは他の誰が会長職を継いだとしても、シンジ君が居る限り正当ではないとの波紋が広がるわ、それを抑えるための婚約でもあるの、これはすでに計画の一部なのよ」
「……不純ですね」
「シンジ君の不満はわかるわ、けどね、本当にレイを幸せにしたいのならこれは避けて通れない道よ、それに」
「はい?」
 ウインクに戸惑わされた。
「別に知らない子と付き合えって言ってる訳じゃないんだから良いじゃない、ね?」
 はぁっと言う溜め息、そんなシンジの背に手を当てるレイ。
「アスカ」
「なによ?」
 そんな様子を見て不機嫌になったのか、ミサトの呼び掛けに噛みつくように反応する。
「良く覚えておいて、実権をあなたとレイのどちらが握る事になるかはともかくとして、表向きの主はシンジ君と言う事になるわ」
「それが?」
「良いの?、アスカ、今のシンジ君で」
「え?」
「今のシンジ君じゃ、幹部候補生のカリキュラムには到底対応出来ないわ、もし彼が外れた場合は」
「全部終わりってこと!?」
 こくんと頷いた。
「まだ納得出来ないことは多いかもしれないけど、全てはシンジ君がその役職に相応しい人物にならないと始まらないのよ、あなた達だって、シンジ君抜きで会長職に就任した場合、望まない相手との婚姻を強要されるでしょうね、政略結婚って言葉は知ってるでしょう?、レイ、シンジ君以外の人と暮らしていける?、アスカ、ネルフの会長としては相手は選ばなくちゃならないのよ」
 レイに対してはともかく、アスカへのそれは暗に加持のことを示唆していた。
「わかったわ……」
 アスカは苦痛めいた声で唸りを発した。
「シンジをよりしろとして立派に仕立て上げろ、そういうことね?」
「そうよ」
「ちょっと!、ミサトさん!?」
「レイ」
「はい」
「あなたもよ、あなたに相応しい相手として誰もがシンジ君を認めるようにするか、シンジ君が誰を選んでも誰も文句が言えないように育てるか、結局はシンジ君の成長に掛かっているわ」
「はい」
 レイはシンジの手を取ると、じっとその瞳を覗き込んだ。
「……よろしく」
「え?、ええ!?」
「大丈夫よ!、あたしが一から叩き込んでやるから!」
「じゃ、そういうことでシンちゃんの教育はあなた達に一任するから」
 強く、こっくりと頷く二人、アスカは蒼白になったシンジの様子に、軽い先行き不安を感じて、まずはそれを払拭する所から始めようと誓っていた。


 シンジとアスカ、それぞれに理由は違っても人に囲まれ、実に賑やかな時を過ごしていた、その一方で……
 そんな二人とは対照的に、レイはあまりにも寂しい世界に浸り込んでいた。
「あれだよあれ」
「ほんとに目が赤いのか?」
「ずっと本読んでるからわかんねぇよ……」
「ええ、とか、そう、とか、相槌うつだけなの」
「話、聞いてないんじゃない?」
 ちらちらと盗み見るような視線にも、レイは一向に反応を示さない。
 しかし終業前のHRになって、急に様子が変わってしまった。
 妙にそわそわし始めたのだ。
 プリントも受け取ると同時にしまっている。
「きりーつ、れい」
 終わると同時にざわつき始める。
 全てを無視して出て行くレイ、なんとなく見送るクラスメート達。
 ばったりと……
 彼女は恋敵とクラスの前で出くわした。
 一瞬二人の視線が交錯する。
 アスカの取り巻きが後ずさった。
 すっとアスカが歩き出す。
 レイも黙って着いていく。
 ──知り合いなのか?
 一部はレイに不快な思いをさせたことを後悔する。
 それはアスカへの点数に響くから。
 ──どんな関係なんだろう?
 他はその張り詰めた空気に勘繰ってしまう。
 それで終わればいいのだが、このグループにはもう一人ばかり混ざるのだ。
「あ、碇君帰るの?」
「ばいばぁい」
 ぴくっとアスカが反応し、伝染したようにレイも震えた。
(ばいばぁいっか)
 シンジは正確に自分の評価を断定していた。
 一緒に帰ろうと言うお声がかからない辺りから、二・三日後にはそれなりにたたずむだけの存在になってしまっているだろうと頷けた。
 しかし今の立場は与えられたものであり、またこの後の認識も彼女らによってもたらされる。
「碇君!」
 レイが先に駆け出した。
「あ、綾波ぃ」
 立ち止まって微笑むが、すぐその後ろの集団に引きつった。
(恐いや)
 頬を上気させるレイは、先程までの冷たい印象からはかけ離れていた。
 わずかな笑みは幼い赤子を思わせる。
 男なら誰でも保護欲を掻き立てられる、そんな雰囲気。
 ──こいつは誰だ?
 そんな視線がシンジを襲った。
 シンジを見送った女子達も、その子の安心し切った表情に驚いている。
 ──彼は何者?
 どうしてそこまで気を許せるのか?
 しかし事件はまだ終わらない。
「さ、帰りましょ?」
「うん」
 こちらは何処か表情が固い、それは周りの視線を気にしているから。
 ついでに先を越されたからだ。
 イニチアシヴは取り戻さないと。
 シンジの隣に並ぶと、彼女は意図的に腕を絡めた。
「アスカ!?」
 ポテッと肩に乗る重み。
 赤い髪から漂う芳香。
 シンジは何も言わずに前を見た。
 アスカがギンッと睨んだからだ。
 前髪の奥から。
「碇君……」
 そっとシンジの指に細くて白い指を絡めて引くレイ。
 対抗意識の故だろうか?
 ──なんて奴だ!
 誰もが思う。
 先程までレイを珍獣のように見ていたというのに、180度違う印象が生まれていた。
 ──どうなってんだ!?
 見送ってしまう。
 こうして平々凡々をまさに絵に描いて形作っていた碇シンジの、波乱に満ちた中学生活が再スタートした。


続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。