(なんであの時、呼び出そうとしたのかな?)
あまりにも遠くて、失われてしまった過去の記憶。
アスカは倒れたシンジよりも、自分の手のひらを凝視していた。
(なんでよ……、なんで!)
「なんだよ、もぉ……」
シンジは頬をさすりながら立ち上がった。
「そりゃ僕のことは嫌いかもしれないけどさぁ……」
──心配ぐらいさせてくれたって。
ぶちぶちと言うその呟きが癇に触ってアスカは叫んだ。
「心配?、はんっ!、あんたに心配してもらうなんて落ちぶれたもんだわ!」
「そういう言い方はないだろう!?」
ガバッと立ち上がる。
「じゃあ他にどんな言い方があるのよ!」
ぐっと口ごもってしまう。
「ほらみなさいよ!」
「……だって」
「だって?、だってなによ!」
ギュッと唇を噛み、顔を上げる。
「……迷惑、なの?」
「当たり前じゃない!」
「そうなんだ……」
早く行ってよ!
どっかに行ってってばぁ!
アスカは心で叫んでいる。
「……行かないよ」
「なんでよ!?」
心が読まれている事に気がつかない。
「……だって、同じだもの」
「またぁ!?、あたしとあんた達は」
「同じだよ!」
手首をきつく掴んでシンジはアスカの動きを封じた。
「痛い!」
「綾波にさよならって言った時もそうだった!、綾波もそんな目で僕を見てた!」
またあいつのこと!
ぐっとシンジの胸を突き放そうとする。
「でも昔のアスカもそんな目で僕を見てたじゃないか!」
胸をえぐる。
「な……、に?」
「言いたい事があるくせにどう言えばいいのか分からなくて苛々してっ、わかるんだよ!、しようがないだろう!?」
「しようがないって……」
今度は冷める。
「……あんた自分が嫌だからかまおうっての?」
「そうだよ……」
シンジは掴む力をやや緩めた。
「ざわざわするんだ……、落ちつかないんだよ」
泣き出しそうな声に焦りが募る。
「そうだよ、あの時だって、そうだったじゃないか」
胸を疼かせる鈍痛が、激しく大きく、鼓動を乱した。
FIANCE〜幸せの方程式〜
第十七話、「昔のハナシ」
少なくとも最初は望んでいた様な気がする。
「シンジ?、こちらはアスカちゃんよ?」
「始めまして!」
ぺこっと御辞儀する女の子。
赤い髪がふわっと広がり、シンジに「奇麗」と印象を与えた。
もちろん、アスカが陰でニヤリと笑んだことには気付かずに。
「シンジ!、探検に行くわよ!」
「え〜〜〜?」
「なによ嫌そうに」
「だってあんまり奥に行っちゃダメだって……」
「迷惑かけなきゃいいのよ!」
「そっかなぁ……」
「そうよ!、さ、行きましょ?」
「あ、うん……」
そして。
「こらぁ!」
「え?、あ!」
「ここには来ちゃ行けないって言ったでしょ!」
「で、でも……」
ちらりと見るとアスカは居ない。
「どうしてこんな所まで来たの!」
アスカに誘われて……
「お父さんかお母さんに叱ってもらいますからね!」
…………。
段々気持ち悪くなって来る。
「さ、こっちへ来なさい!」
ぐっ!
「きゃあ!」
シンジは吐き戻した。
叱られて精神的に来たらしい。
ごめんなさい、ごめんなさい……
そんな事が何度か続く。
それでも良いと思ってたんだ……
楽しかったから。
でも……
「……どっか行っちゃうちょっと前に、来いって、手紙をくれたよね?」
ドキッとアスカは鼓動を跳ね上げた。
「覚えてるよ……、ずっと気になってたんだ、怒って、嫌われたんだって、違う、嫌われてたんだなって、思った」
「違うわよ……」
「なんでさ?、そのままどっかへ行っちゃったくせに」
叩かれた翌日。
「アスカちゃん、ドイツに帰っちゃったわよ?」
「え……」
今日はアスカ来ないのかなぁ?
お昼に食堂で漏らした言葉を母が拾った。
シンジはまた青ざめた。
「……知らなかったの?」
「うん……」
奇麗な子だなと思った。
それは後で楽しい子だと言う評価に変わった。
「……アスカ、僕のこと、嫌いになっちゃったみたいだから」
「そんなこと……」
「だって叩かれたもん」
言葉がつげない。
「そう……」
「……うん」
そんなシンジを、ユイは黙って抱き寄せた。
「シンジの癖に……」
「僕だって苛つくし、怒るよ」
睨み付ける。
「だから口も利きたくないってのは分かるけど、勝手にどっかへ行くのはやめてよ」
一歩下がる。
「言いたい事があるんでしょ?、だったら全部吐き出してからにしてよね?」
もう落ちつかないのは嫌だから……
どうしたんだろうと、教えてもらえない答えを探すのは嫌だから。
二人の間に、目に見えない壁がそびえ立つ。
「それじゃ……」
シンジは話は終わりだとばかりに背を向けた。
「さよなら」
びくん!、っとアスカは脅えた。
シンジの背中が親と被った。
ドイツに戻ったある日のこと。
「ハウスキーパーだと?」
「ええ……、市の方から……」
警告書が送られて来ていた。
共働きであるというのに、幼い子供は誰の保護も受けてはいない。
そう言った事に関しては、実に神経質な国だったのだ。
「ならお前が仕事を辞めればいいだろう」
「無茶言わないで下さい、第一今度のドイツ入りもわたしのプロジェクトの……」
言い争い。
(パパ、ママ……)
お猿のぬいぐるみを抱いて、そっと様子を窺うアスカが居た。
もう寝ていると思っているのだろう、両親の口論は激しさを増していく。
「だから子供なんて反対だと言ったんだ!」
「あなただって名前はアスカにしようって喜んで!」
言葉にネルフ、施設と言う単語が混じり始める。
もちろんアスカはその意味を知っていた。
学校にはそこから来ている子供達も多かったから。
価値と存在を両親は認めてくれなかった。
捨て去ることを選択される。
取り残される女の子。
見向きもされなくなってしまった。
振り向いても貰えない。
あたしを見て!
何度も叫んだ。
あたしを!
声は届かない。
あたしを、見て……
見るわけがない。
彼らはとても疲れていたから。
疲れの原因の、ひとつであるから。
頑張れば良いと、思ったの……
幼いアスカの、幼いなりの選択だった。
思ったのにぃ……
手間が掛からなくなったと喜ばれ、余計に一人にされただけだった。
何がいけないのとさらに頑張った。
しかしそれは手間を増やす事に繋がった。
飛び級だ、なんだと面倒を増やしてしまって。
だから余計に疎まれた。
その分、距離が離れてしまった。
心が。
見えなくなる。
わからなくなる……
去っていく。
「い、や……」
ぽろっと涙がこぼれ落ちる。
あたしを見て、ママ!
見て欲しかった。
だから頑張ったのよ?、ママ!
でも振り向いてくれなかった。
どうしてあたしを見てくれないの、ママ!
じゃれつくばかりで……
その苦労と心労を癒してはくれなかったから。
でもあたし頑張ったのにぃ!
邪魔にならないように。
大学まで出て。
「いやぁ」
相手にされなくなってしまった。
面倒だから。
うっとうしいから。
欲していた性格とは違っていたから。
「いやぁ……」
耳に触る声にシンジは驚く。
「アスカ!?」
信じられない姿があった。
アスカが……
泣いてるの!?
しゃがみ込み、両の拳を目に当てて、まるで子供の様にしゃくりあげていた。
「ふぇ、え……、ん、ふっ、く、ん、ふぇえ……、ひっ、く……」
「ちょ、ちょっと、なに泣いてるのさ!?」
慌てて駆け寄る、シンジはその前にしゃがんで手をかけようとしてためらった。
理由は簡単、その子供のような雰囲気につい手を出しかけたのだが、実際には十四歳の女の子なのだ。
「アスカ……」
「……ふぇ、ひっ、く」
しかしその様子は放っておけない。
なるべく穏やかに肩に手を置く。
「マ、マ……」
頭の芯にまで響く声。
あ……、と思った。
母に捨てられたと思い、泣いていた頃の自分と重なって。
「ごめん……」
シンジは苦渋から唇を噛んだ。
自分と似ていると。
気付いていたはずなのに、と。
どうして上手くやれないのかと、自分を責めて。
シンジはどうすればいいのか、戸惑った。
本当は知っている。
祖母がしてくれた様にすればいいのだから。
でも、それをするにはためらいがある。
だからシンジは嘘を吐いた。
「……こういう時、どうすればいいのか分からないから」
腕を回す。
「ごめんね?、顔、見ないようにするだけだから」
アスカを抱く。
……!
アスカの弛緩した指がシャツをつかんだ。
嗚咽は消えた。
でも震えはシンジに伝わり続けた。
あの時……
何を話そうとしてたんだっけ?
アスカは記憶の奥を辿りだした。
頭の後ろが痺れて麻痺する。
そっか……
つまんない話ね?
研究所を出てドイツに渡る直前のこと。
アスカは何と言ってシンジに話すか迷っていた。
ずっと悩んじゃって……
考えれば下らないこと。
ドイツに行くの!
そんなの嫌だよぉ!
泣いてすがるシンジを思う。
実際にはどうなるかなんて分からない。
シンジは胸をなで下ろしたかもしれない。
あるいは何も言わず、いきなり泣き出したかも知れなかった。
だからアスカは考えた。
色んな事を考えたのよね?
どんなシンジにも対処できるように考えた。
泣かれても笑顔でも大丈夫なように。
それは中庭での光景をベースにしていた。
だから来て欲しかった。
それ以外の場所で、想像通りに進められるかどうかの自信は無かったから。
漠然と「泣いちゃうかもしれない……」、そんな予感が何処かにあった。
そんなの嫌!
恥ずかしいから。
シンジが泣いても、自分が泣くようなシナリオはない。
だから完璧に考えた、中庭でのお別れをしたかった。
なのに……
何で分かってくれないのよ!
廊下でのお別れはシナリオに無い。
恐かったのかな?
今なら整理を付けられた。
恐かったのよね?
あの時の感情を噛み砕いて咀嚼できる。
考えもしなかった状況で。
想像もしていなかった状態で。
思いもしなかった感じのお別れになるのが。
だから……
ショックが少ないように。
したかったのかしら?
中庭で。
だからこだわったのよね?
好きとか、嫌いでは無く。
だ……、から?
お別れする父と母。
あたしを捨てないで!
思いもしなかった破局。
いきなりのお別れ。
あたしを捨てないで、パパ、ママ!
シンジとのひっかかり。
あの時思い描いていた、漠然とした不安。
それが現実になった時の恐怖。
あたしを、捨てないで……
いきなりお別れなんて言わないで……
お願い……
お願いだから。
フラッシュバック。
「どうしたの?」
飛行機から覗ける雲海に、アスカは少々自分を失っていた。
「シンジ……」
母の言葉も耳には届かない。
叩いて、呆然と倒れたシンジが恐くて、逃げ出して、そのままにして来た。
待ち合わせの場所じゃなく、ちょうど好かったと無神経に聞いて来るその顔がとても嫌だったから。
でも。
(シンジ……)
どう思ったか?
怒ってそのまま消えた女の子。
友達とも思ってくれなくなっちゃった?
ごめんね?
ごめん……
シンジの事、友達だからね?
嫌っちゃったわけじゃないからね?
重なる。
あたしのことが嫌いになったの!?
忙しいのよ……
母は自分。
自分はシンジ。
嘘!、嫌いなんだ、嫌いなのね!
邪魔なの、いらないのよ……
そんなの嫌ぁ!
酷い奴。
酷い女。
配役が変わる。
母の立場に自分が居る。
自分の立場にシンジが居る。
違うのぉ……
力無い言葉、届かない謝罪。
施設。
真っ白な部屋。
遠くから聞こえる子供達の声。
座り込む自分。
あたし悪くないのに……
悪いことしたくせに。
何もしてないもん……
シンジを叩いたくせに……
薄れていた記憶が繋がりを取り戻す。
「そうだな、でも謝った方がいいな?」
突然現われた男。
「あたし悪くない!」
尻尾髪の男はくじけない。
「でも苦しいんだろ?」
「……うん」
「じゃあ素直にならなきゃな?」
「うん!」
忘れてしまった約束。
「俺も謝りたくても謝れなくなっちゃった奴が居るんだ」
「どうして?」
「……もう遅過ぎるからかな?」
……正直、俺はシンジくんとアスカに自分の夢を重ねていたからな?
どうして忘れていたのかしら?
「加持さん大好き!」
「おいおい、シンジ君は?」
「好きなのは加持さんだもん!」
追い出された少年。
消えていく罪悪感。
薄れていく記憶。
どうして?
楽しかったから。
辛くなったから思い出したの?
この約束を。
楽しかったから思い出そうとしなかったの?
暗くなるから。
そんなことない!
遅過ぎるからかな?
「アスカ……」
耳元で優しい声がする。
「寂しいなら母さん達と暮らしていいんだよ?、きっと優しくしてもらえるから……」
ぽんぽんとあやすように背を叩く。
「……や」
「え?」
「いや……」
一度開いた手が、今度は力を込めてシンジをつかんだ。
「……アスカ?」
涙がシンジの肩で拭われる。
「ちゃんと……、お別れ、したかったの」
絞り出すような声が心臓をつかんだ。
「アスカ……」
胸がぎゅうっと苦しくなる。
「でも、さよならって、言いたくなかったの……」
またねって、言いたかったから。
「……うん」
シンジは素直に受け入れる。
アスカの気持ちを。
「……ありがとう」
バカ……
呆れる。
感謝しないでよ……
照れる。
また涙が溢れ出す。
心を開かなければ、碇君は答えてくれないわ……
心を開いた。
同時にシンジの心が少しだけ覗けた。
好きでも無いくせに、あなたは好意を望むのね?
素直になったら。
シンジは優しく受け止めてくれた。
嫌いと口にされて、好意を向ける人が居るの?
最後の一言が引っ掛かる。
「……シンジ」
「なに?」
最大の不安。
今更の言葉。
「……ごめんね?」
「え?」
好きだったの……
囁くような小さな声。
「そう……」
シンジが離れる。
不安が募る。
このまままた去られてしまう様な予感がして……
嘘でもいいから、好きと言えば良かったかもしれない。
そんなズルさが鎌首をもたげる。
あ……
しかしシンジのはにかんだ笑顔は、そんな不安を払拭してくれた。
「ありがとう」
好きと言ってくれて。
アスカの言葉がシンジに入った。
入った言葉はアスカに心地好さを与えてくれた。
温かい……
何倍にもなって返って来たもの。
……分かったかもしれない。
シンジが、レイが。
お互い側に居て、離れない理由。
こうしてたんだ……
好きを投げて、受け入れて、投げ返して……
くり返し、くり返し、くり返して……
膨らませていく、お互いの想いを。
羨ましい。
そんな感情が育ち始める。
一度意識した感情は、加速を付けて膨らんでいく。
形もいびつに歪んでいく。
その歪みのベクトルは……、決して悪い方向を向いているわけではないようだった。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。