綾波レイ。
彼女を良く知るものは少ないが、その姿を形容する人間は数多い。
曰、寡黙、鉄面皮、根暗。
一方で相反するように、可憐、とか、儚い、などと夢を投影する少年の数も非常に多い。
お子様が前者であり、そして性に目覚めた少年少女が後半だろうか?
だが共通して視界に収めている姿としては、やはり窓際で一人本を読んでいる姿なわけで……
「そう、カカオは興奮剤にもなるのね……」
キッチンに立ち、一人黙々と本を片手に、寸胴鍋の中身を掻き混ぜている。
キャミソールにジーンズ姿でスリッパとエプロン装着、その恰好は何処から見てもただの女の子だというのに。
何故だろう?
コワイのは。
「……適量では駄目なのね」
どちゃどちゃと何やら入れている。
顔にかかる髪のせいか、汗を非常にかいているというのに、全く表情は変えてない。
まさに鉄面皮。
「興奮した碇君……、けだものになるね、今夜」
初めて表情が動いた、顔を背け、俯き気味にしてくすくすと笑う。
寸胴から立ち上っているとんでもない香辛料の匂いや熱波ですらも、彼女の表情を動かすことは出来ないようだ、ただ。
シンジだけがそれを可能としていた、シンジの事だけが。
「今夜が楽しみね……」
うっとりと呟いたにしては目が笑っていない、マジだ。
綾波レイ。
本をよく読んでいると言うことは……
余計な知識が、豊富に蓄えられていると言う事である。
ついでに複雑に混じった香辛料の煙に、ちょっぴり頭をやられていた。
FIANCE〜幸せの方程式〜
第二十三話、「今宵聖なる教会で(その五)」
「さっ、ここよ!」
「ここって……」
リンゴンと夜中なのに鳴る近所迷惑な鐘がうるさい、ただ、心なしか『ごぃいいん』と情けないのは何故だろう?
「教会……」
「そうよ」
「そうよじゃないよ、こんなところに何の用があるんだよ?」
「あんたバカァ?、教会に来る用事なんて一つっきゃないじゃない!」
「……」
「……」
「はっ!、アスカだったんだな!?、この間僕のパンツ盗んだの!」
「はぁ!?」
「くっ、アスカにそんな変態趣味があったなんて、それもアスカに叩かれてちょっとちびった時の」
「ちっがーう!、って言うかそんなのとあたしの服を一緒に洗濯させてたってぇの?、あんたわー!」
胸倉掴んでがすがすと膝を入れる。
「懺悔に来たんじゃないっつーの!」
「じゃあなんだよ!」
「教会ってくれば誓約とか結婚式とか契りに決まってんでしょうが!」
「……最後のは違うんじゃ」
「嫌ぁああああ!、何考えてのよっ、エッチ、変態、スケベ!」
「……教会でする契りってキスとかのことじゃないの?」
「……ま、それはともかく」
「何考えたんだよ」
「さっ、入るわよ!」
「じゃ、僕はこれで」
「何で帰るのよ!」
「ろくなこと考えてないって思ったからだよ!」
むぅっとむくれるアスカだ。
「良い?、あんたにどう思われてようがね、あたしはあんたが好きなの、それはもう確実に間違いのない感情なのよ!」
「……開き直らないでよ」
「そもそもあんた何?、あいつの尻に敷かれちゃってさ、ダサぁ」
「……良いじゃないか、ああ、綾波の尻になら敷かれたっていいね、気持ちよさそうだし」
「そっちこそ開き直るんじゃないっての!」
「アスカの重そうなお尻よりは良いって言ってるんだよ!」
「そう言う話ししてんじゃなーい!」
はぁはぁ、ぜぃぜぃと息を切らし合う。
どうでも良いが、流石に痴話喧嘩と言うには危ない雰囲気過ぎて、通行人は襟を立てて目も合せずに去っていく。
「大体あんたね、あいつとどういう関係なのよ!」
「付き合ってるんだよ、って知ってるじゃないか」
「……ホントにそう思ってるの?」
「え?」
「良い?」
ビシッと指差す。
「そもそもあいつと付き合い出したのはどうして?、お婆様が死んで寂しかったから、違う?」
「う……」
「お互い独りにされるのが恐かった、寂しかった、だから『取られる』のが嫌でその所有権を主張し合ってる、外れてる?、誰かに奪われそうになると僕の彼女だ、あたしの相手よ、でも普段はそれ以上でもそれ以下でもない、独りにさえされなかったら問題無し、ねぇ?、これって付き合ってるって言える?、それはね、依存や甘えであって恋心じゃないわ!、究極『隣のレイちゃん』よ!」
がーんとショックを受けるシンジだ。
「違う、僕は……、ちがう」
「いいえ、あんたがあたしを避けるのも同じよ!、あたしに手を出したらあいつに嫌われるから、あいつほど傍に居てくれる奴は居ない、だから手放したくないって思ってる、あたしじゃ代わりになるかどうか判らないから、中途半端な誘惑や目先の餌には釣られないようにしてる、それだけで、あいつが居なかったらあたしとキスだって、その先だってしてもいいと思ってる!」
「いや、それは別に」
「したいと思ってる!、思ってるのよ!、あんたは思ってるの!」
「うう、そうかもしれない、そんな気がして来た」
「そうそう、ちょっとは素直になりなさいよぉ?」
ちなみに今の状況は、胸を背中に押し当て、首に腕を絡めて耳たぶを噛むという、中学生にはあるまじき攻撃方法を実践中だ。
「ああっ、耳は!、耳は!、母さんが十六になるまでは駄目だって!」
「……その適度に良い感じの年齢設定は何よ」
そう言いながらも引け気味のシンジの腰をぐいぐい押して、教会に押し込むアスカであった。
リンゴーン、と厳かに鐘が鳴り……
真っ暗な教会の中には、淡いステンドグラス越しの月明かりが差し込んで……
──二人は。
十字架の前に立ち、視線を交わし……
真っ白な正装をした少年によって、そのヴェールは持ち上げられて……
純白の輝きを放つ二人は、ゆっくりと。
……以上、それが彼女の描いた妄想であったのだが。
「なによこれぇ!」
アスカは開口一番そう叫んだ。
やけに立て付けの悪いドアだと思った、それ以前に囲いとなっている垣根も、庭芝も伸び放題に荒れていたのだが。
教会の中は埃だらけだった、漂う臭気と混ざって喉が痛くなる、目にも涙が滲んでしまう。
どうにも、酷い。
「アスカぁ、なんなのここ」
「何って……」
失敗した!
アスカは激しくそう思った。
教会を捜した所、無かったのだ、キリスト教会に『登録』されている教会が。
そんなばかなと思った、当然だろう、世界的宗教の支部がこれほど大きな街に無いはずが無い。
やっぱりあるじゃない、と見つけたのがここだった、地図を調べて見付けたのだ。
外国では教会など勝手に入っていきなり神父に話しかける事も出来る、確かにそういう場所もあるだろう。
しかし日本ではそれは一般的では無かった、極めて事務的に、時間が制限されているものだ。
役所と同じである。
だからいきなり押し掛けても、ある程度融通を利かせてくれるだろうとアスカは甘い見通しを断てていた、しかし、だ。
既に登録が取り消され、廃れているとはさすがに予想外であっただろう。
(でもそんなこと、今更……)
言える訳も無いので、アスカはぐいっと腕を組んだまま、シンジを奥へと誘った。
(そうよ、言い換えて見ればこれはチャンスなのよ!)
──誰も来る事のない教会。
二人っきりの時間。
邪魔するもののない空間。
これだけシュチュエーションが揃えば!
しかし彼女は甘かった。
左右に席の並ぶ小道の奥。
唯一光の差し込むその場所に……
厳かに佇む少女が居た。
ステンドグラス越しのけぶる光に浮かび上がるその姿は……、純白の衣装。
輝くはドレス、ウェディング、ではないが、ドレスに見える……、ノースリーブの白いワンピース。
自分が描いていたものに限りなく近い光景に、アスカは息を飲むと共に逆上した。
「なんであんたがここに居るのよ!」
『栗色』の髪の少女はにこりと笑った。
「今日はシンジ君のためにこの服を選んでみました」
ちょっとだけ裾を持って会釈する。
「似合うかな?」
「きっ、霧島さん……、なんで!?」
「なんでって、それは……」
頬に手を添えて、ぽっと恥じらい顔を逸らす。
「シンジ君に、プレゼント持って来たの、チョコレート」
「……そうじゃなくて、なんでこんなところにって」
「そうよそうよ!」
ブーブーとアスカ。
「こんなところで張ってるなんて、変態?」
むっとして。
「こんなところに連れ込んでるあなたの方が変態じゃない?」
「なんですってぇ!?」
「あたしが先回りしてなかったら、ここで何するつもりだったのかなぁ?、ん〜?」
「ちっ、あんたには関係ないでしょうが」
「そうなんだけどねぇ」
肩紐だけで吊っている様なワンピースだ、胸元は大きく開いている。
マナはその胸の谷間に手を入れると、摘まんで持てるような棒状の包みを取り出した。
リボンの付いた。
「せっかくの『イベント』なのに、独り占めは無いんじゃない?」
チョコレートらしい。
「売約済みだっつってんのよ!」
「済んでないじゃない」
「あたしがいるでしょうが!」
「もう一人居るみたいだけど?」
にやりと笑って……
「先走るのは勝手だけどね、養護施設ネルフの規則を忘れたの?、一般道徳より逸脱した行為の禁止は基本事項よ」
「くっ!」
「いいのかなぁ?、問題のある子は罰則と共に」
ぽそりと。
「百叩き」
「嫌ぁ!、お仕置きは嫌ぁ!」
お尻を押さえて後ずさる。
「それが嫌なら良い子は大人しく家に帰って……」
「良い子がどうとか言うのなら、君も『門限』を思い出した方が良いんじゃないのかい?」
シンジはギョッとした。
「カヲル君!?」
「誰!?」
マナの直上、十字架の上だった。
人が乗れば折れるか倒れるかしてしまいそうなそれに、危うげも無く腰かけていた、しかし、何処から?
つい先程まで確かにマナしか居なかったのだ、壁がすぐ後ろなので隠れるスペースは無い、左右のドアは丸見えで、見られないように登るなど不可能なはず。
なのに、『そこ』に優美に腰かけて微笑んでた。
彼は。
「う、そ……」
その顔に愕然としたのはアスカであった。
「渚……、渚カヲル、どうして」
「やあ、惣流さん、大学の卒業式以来だねぇ」
「どうして……、どうしてあんたがここに居るのよ!」
「それはもちろん」
左足はぷらりと垂らし、右足の裏を引っ掛けるようにして膝を立て、カヲルはその上に頬杖を突いた。
「シンジ君にチョコレートを渡すためさ」
「はぁ!?、あんた何言って……」
「同性愛は良いねぇ、触れ合う男と男の体、そこには『女性』からは決して与えてもらえない快楽がある、僕達には女の子の代わりも出来れば、それ以上の事も出来るんだ、シンジ君、今日こそはこの間の続きを」
「続きって何よ!、シンジ!」
「何、って聞かれても……」
「そんなの決まっているじゃないか」
嫌ぁ!、っとマナは唐突に叫んだ。
「シンジ君まで!?、裏切ったのね!?、ムサシに続いてシンジ君まであたしの気持ちを裏切ったのね!?」
「はぁ?」
「シンジ君のもーほー!」
「あ……」
「ばかー!」
泣いて右側のドアに走っていき……、開いてないので左のドアに走り直して去って行った。
「……もーほーって」
「ムサシって誰よ?」
「色々あるみたいだねぇ」
「もーほーって……」
「あんたも!、ダメージ受けてんじゃないっての!、それともまさか……」
「まさかってなんだよ!」
「嫌ァ!、触んないでもーほー!、反吐が出るわ!、どうりでお風呂覗いたりトイレに聞き耳立てたりパンツ盗んだりしないと思ったら、そうだったのね!」
「んなわけないじゃないか!」
「まあ、シンジ君のもーほー疑惑は良いとして」
「良くないよ!」
「僕にはどちらでも良いことだよ」
艶のある視線にざわざわざわっと総毛立つ。
「まっ、まさかカヲル君って……」
今更気がつく。
「そういう人だったの!?」
「おや?、僕は君に伝えたはずだよ?、好きだって」
そして、と。
「君は僕を、君の部屋へと招待してくれたじゃないか、激しかったね、あの夜は」
「あの夜って、シンジ!」
「知らないってば!」
それはそうだろう、気絶していたのだから。
ちなみにカヲルが思い出しているのは、レイの痛撃を食らった瞬間の事である。
気を取り直して。
「さあ!、邪魔者は退散してもらおうか」
「誰が邪魔者よ!」
「おや?、先程シンジ君を毛嫌いしたじゃないか、反吐が出るってね」
「アンタが紛らわしいこと言うからでしょうが!」
「君がシンジ君を信じていれば、疑うようなことはなかった、違うかい?」
「チ○コケースで卒業式に出るような奴が偉そうなこと言うんじゃないっての!」
「やれやれ、文化の違いは如何ともし難いねぇ、あれは正装だというのに」
「ゴウにイってはゴウに従えって言うのよ!」
「なら君も、女の子が○ンコなんて言うべきじゃないね、卑猥だよ」
「チン○は立派な日本語でしょうが!」
「それにあれはペニスケースでチ○コケースじゃないよ」
「似たようなもんじゃない!」
睨み合う二人、見下すカヲルと、睨み上げるアスカの間で、ただシンジはおろおろとする。
「やめてよ、二人とも!」
ふう、っと先に折れたのはカヲルであった。
「そうだね、こんなことをしていても時間の無駄と言うものだ」
「そうね」
「嬉しいよ、同意が得られて」
「ええ、気に入らないけど、この点についてだけは頷いてあげるわ」
「だったら」
「手っ取り早く」
「勝負と行くかい?」
「望むところよ!」
跳び下りるカヲル、身構えるアスカ、そうして轟音、爆発音?、割れたステンドグラスの破片がキラキラと回転し、舞い落ちる。
崩れ落ちる十字架を背にカヲルは拳を振り上げ、アスカは何事かと身をすくめているシンジを背に膝を曲げた。
崩れる壁、落ちて来る天井、叫ぶシンジ。
「なんだこれぇ!?」
ドンドンドンドンドンッと、連続で爆発音が鳴り響く、崩壊する教会、傾いで横に倒れていく、迫る天井。
「シンジ君のもーほー!」
少女は鼻を垂らしながら駆け出して行った、後には彼女の仕掛けた爆発物によって解体されていく、元教会だったものが、瓦礫となりつつ砂埃を上げて崩れていった。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。