「はっ!」
 瞼を見開きまなこを剥く。
 シンジは見覚えのある白い天井に呟いた。
「知ってる天井だ」
 そう、以前ぼこぼこになって担ぎ込まれた病院の天井で……
「気が付いたのね」
「綾波!?」
 慌てて起き上がろうとした、が。
「今は寝ていて」
 がしっと肩を押えつけられた。
「い、痛いって……」
 ぐぐっと顔が近付いて来た、赤くなるような話しでないのは、彼女の目を見れば十分にわかる。
「答えて……、あんなところで、何をしていたの」
「なにって……、それは」
「どうしてあの人と、教会に居たの?」
「そ、それは……、アスカに無理矢理引っ張られて」
「そう……、アスカ?」
 レイは小首を傾げたが、まあ良いわ、とシンジを解放した。
「それじゃあ、わたし、一度帰るから」
「うん……」
「そこ、それ……、置いて行くから、食べてね」
「え?」
 シンジは首を反対側に向けてぎょっとした。
「あ、綾波っ、これ!」
 1/1綾波レイ悩殺官能チョコフィギュア。
 呼び止めようとしたのだが、レイはさっさと行ってしまった。
 ぱたんと閉じられた戸に困ってしまい、シンジはチョコへと目を戻した。
「……これって」
 腿を磨り合わせる様にした立ちポーズで、胸を隠すように持ち上げている、顔は恥じらうように逸らされていた。
「型取り……、したんだよね?」
 大真面目に素っ裸で型を取り、型抜きした『何か』にチョコを注ぎ入れてこれを作ったのだとしたら?
「一人でやったのかな……、綾波」
 なんとなく彼女ならやりかねなくて、いや〜な汗が吹き出してしまうシンジであった。


FIANCE〜幸せの方程式〜
第二十四話、「つわものどもがあと


「ここは寒いね、シンジ君、君が感じられないよ……」
 それはそうだろう、同じ病院に収容されているとは言え、シンジは最上階隅の個室であるのに対し、彼は地下霊安室の棺桶の中に密封されているのだから。
 ちなみに空気穴も無しである。
 かたんと音がして、顔を覗くための小窓が開かれた、カヲルはそこから覗き込んで来た赤い瞳に、にやついて目尻を垂れ下げた。
「やあ、ファースト」
 レイは嫌そうに顔をしかめた。
「わたしはレイよ、綾波レイ、ファーストじゃないわ」
「いいや、君は僕と同じだね、僕がフィフスと呼ばれているように、君は今でもファーストさ、彼らもそう呼んでいるよ」
 そう、とレイは目を伏せた。
 ちなみに彼女がシンジに問いかけた、『あの人』とはカヲルのことを指している、シンジはアスカと誤解したようだが……
「どうして……」
「彼にかまうのか?」
「ええ」
「そうだねぇ……、所詮作られた命でしかない僕の立場は儚い物さ、これまでは君と同様に園長の庇護下に置かれていた、そうだろう?、けれどあの人はこちらへ戻ってしまった、もう僕を守ってくれる人は居ない、君はどうだい?、お館様が居なくなっても、その傍にはシンジ君が居てくれた、僕が同じものを望んではいけないのかな?」
 にやりと笑って。
「その上、シンジ君は次期総裁だよ、その恋人、愛人であればどれだけの権力が得られるか……、威を借るだけの行為だとしても、それで僕は安心して暮らしていけるんだ、幸せに、裕福にね?、どうだい?、これでもまだ理由としては足りないのかな?」
「ええ」
 レイのはっきりとした言葉に対して苦笑する。
「バレバレかい?」
「静かに暮らしたければ、今のままでいいことよ……、むしろあなたの話し通りにした場合の方が、余計な詮索を生んで、危うくなるわ」
「時に君はシンジ君の気持ちが彼女に傾いて来ている事を知っているのかい?」
「……何故?」
「簡単だよ、僕達のことを彼に話したからね」
「!?」
「君は今や同情の対象であって恋愛のための偶像ではないのさ、現実の酷さに淡い夢は露となって消え、彼はそれが幻想であった事を知ったんだよ」
「……どうして、そういうことするの」
「『進展』がないからさ、そのままではいつまでも馴れ合いの人生を歩むだけになるからだよ、破壊と新生、それが僕の哲学だからね」
「……」
「時計の針は止めるべきではないよ、そうだろう?、君とシンジ君の関係がお館様の死と彼女の到来によって変化してしまったように、君達が幾らそれを望んでも止めたままではいられないのさ、そして揺り返しは必ず起きる、だから」
「人為的に波風を立てたというのね……」
 正解だよ、とカヲルは笑んだ。
「わかったわ」
 レイは頷いた。
「幸せを求め続ける事が、許されるというのなら」
 小窓から顔が消える、レイの白魚のような指は、優雅に動いて窓蓋に触れた。
「それを命題にすることにする、じゃあ、さよなら」
「って、え?」
 ぱたん、ぱたんと両開きの窓は閉じられた。
「おおーい、出してくれないのかぁい?、お〜い……」
 五分ほど声を出していたのだが、人の気配が無くなったと悟るにつれて、カヲルはしくしくと悲しみ出した。
 夜通し聞こえたその声を恐がる看護婦の嘆願によって、翌日早々にお棺が処分されてしまったのは余談である、尚、その際に泣きつかれてしまっていたカヲルが一体どうなったのか知る者はいなかった。


 ベッドの上、シンジはあぐらをかき、腕を組んで悩んでいた。
「これ、どうしよう……」
 もちろん、問題はレイの1/1チョコフィギュアである。
「食べろって言われてもなぁ……」
 どこからどうしろと言うのだろうか?
 唇から……、はちょっと、いや、激しく『危ない』ような気がする、危ない奴に堕ちそうな気がする、気分的に。
 では胸……、は腕が邪魔だから、しかしかと言って……
 シンジの視線は下がるだけ下がって『ソコ』に向けられた。
「どうしろって言うんだよ……」
 前から手を回してお尻を鷲づかみにし、『ソコ』を舐めている自分を想像してすぐに却下する、どう考えても『ヘンタイ』以外の何者でも無い。
 第一、舐めている間は良いだろうが、その内『食べ』なくてはならなくなる、段々と食べていけば上に登って『内臓』を食い散らかし、上半身と下半身に二つに折って……
「おえ……」
 あまりにスプラッタな想像絵図に青ざめる。
 だが腕や足を折って、ぼりぼりと齧るのも余り変わらないだろう、なら?
「頭から丸齧りってのが、まだ良いのかな……」
 少なくとも足の指からしゃぶるよりはと、なんとかヘンタイ度を抑えようと頭を痛める。
「じゃ、じゃあ……」
 一人芝居。
 ごくりと喉を鳴らして、チョコの肩に手を懸けて引き寄せる、実際には傾ける。
「……」
 そして額に歯を立てようとして硬直した。
 ジー……、っとチョコの目が上目遣いに見ているような気がしたからだ。
「……なにやってるの」
「綾波!?」
 がたんとチョコを抱いて後ずさる。
「はっ、はは!、なんでもないよ!、うんっ」
「そう?」
 戸を閉めるレイの横顔、あるいはその身のこなしに、緊張に似た硬さを見て取って、シンジは首を小さく傾げた。
「どうしたの?、綾波……、帰るんじゃなかったの?」
 シンジは落ち付いてチョコを立たせて、ベッドの上に腰かけ直した。
 何やら言い淀んでいるように見えた、実際、レイは何をどう切り出すべきか悩んでいたのだ。
 以前、シンジに問いかけられた事など忘れていた、シンジと行き違った後、シンジが寝ぼけながら問いかけたこと。
 ──知っていたの?
 何の話し?、との困惑を、シンジは何も知らないのだと勘違いして受け取っていた、だからシンジはこだわるべきではないのだと判断して……
 ──今ではすっかり忘れていた。
 だからレイの心配は杞憂であるのだし、カヲルの言葉もただ事態を掻き回すだけのものに過ぎない。
「綾波?」
 ドキンとなって、レイは身を強ばらせた、シンジの手が額に来たから。
 少しべたついた感触はチョコのせいだろうか?、ビターの強い匂いが余計に彼女に意識をさせた。
 唇で、触れてみたいと。
「綾波!?」
 レイは離れようとするシンジの手の首を捕まえると、そっと口元に引き寄せた。
 その人差し指を唇に咥えて、一言……
「チョコの味がするわ……」
「い、今触ってたから……」
「そう……、食べないの?」
「ちょっと……、食べづらくて」
「そう?」
「だって、こんな……、恥ずかしいよ」
「どこが?」
「どこがって」
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど……、これじゃあまるで、綾波にいやらしいことするみたいで」
 しどろもどろになりながら……
「チョコって感じがしなくて」
「でもそれはチョコレートだわ、わたしじゃないもの」
「へ?」
「わたしはわたし、チョコじゃない」
「綾波?」
「チョコはチョコ、暖房が利いてる、時間が無いわ、チョコがわたしの形を保てなくなる」
「あ、それならそれからの方が……」
「だめ、暖房熱がわたしを溶かす、それではだめ、溶かすのは碇君でなきゃ、だめ」
「はい?」
 レイは困惑するシンジの上に押し被さった。
「溶けていくチョコが碇君を蕩けさせるの、とてもとても、とても美味しく出来ているから」
「あ、あ、あ、あ、あ、綾波?」
「さあ碇君、一緒にチョコを舐めましょう?、少し苦くて、甘いから」
 そう言ってレイは探るように手を伸ばすと、指先に溶け掛けているチョコを掏り取って、ちろりと出した舌先に塗り付けた。
 突然瞳が潤み出す、シンジはチョコに蕩けさせられる前に、レイの艶美さに融解した。
 ──ブシュ!
 キョトンとするレイ、正面にはぐったりと白目を向いたシンジ、鼻血を噴いてはいるが幸せそうに夢の世界へと旅立っていた。
「……ダメなのね、今回は」
 やっぱりチョコには『薬』が効き過ぎていたかも知れない。
 それが『愛情』か麻薬紛いの『スパイス』なのかは微妙であったが。


 ところで。
「だーれーかー……」
 数時間前まで教会『だった』瓦礫の下で、少女が一人、切ない声で救いを求めてもがいていた。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。