（あれは……、なんだったんだろう？）
買い物袋を下げ、シンジはぼうっと商店街を歩いていた。
あの時に生まれたおかしな獣は、シンジのベッドに居座っている。
（変身……、したんだよな？）
袋を左手に持ち変えて、右の手のひらをじぃっと見る。
そこにある皺の一本まで元の通りなのだが、変身した直後のことが忘れられない。
暴力に酔っていた自分、あれは確かに望んでやった事だった。
記憶もある、でも何よりも恐ろしいのは……
（人を……、殺したんだよな？）
罪悪感をまるで感じられないのだ。
どんっと、買い物袋がぶつかった。
「あ、ご、ごめんなさい……」
見るとニヤニヤと笑っている、素行の悪そうな二人組だった。
（またか……）
肩に腕を回される。
「あ〜、悪いと思ってくれてんだったらさ？」
「ちょっとだけ付き合ってくんない？」
シンジは路地裏へと連れこまれていく、顔には諦めが浮かんでいる。
そしてそれを見ている少年が居た。
彼は白い肌に真っ赤な唇を釣り上げ、誰もが怖気を感じるような、とても残忍な笑みを形っていた。
voluntary.2 Hanger on genial friend.
「あっ！」
買い物袋の中身がこぼれる。
どこかの店の裏口、積み上げられていたビールケースが辺りに転がる。
その中に半ば埋もれながら、シンジは体に走る痛みに顔をしかめた。
「な、なに……」
「なにって、金だよ、か〜ね！」
ペッと唾を吐きかけられる。
「お金……」
「そうだよ、持ってるだろ？」
「ごめん……」
シンジは謝る。
「……僕のお金じゃないから、上げられないよ」
もう一人の方はしゃがみ込んだ。
パン！
そしてシンジの頬を張る。
「誰が取るって言ってんだよ」
「そうそう、貸してくれって……、いてててててっ！？」
髪に指が絡んでいた。
酷く細くて、白い指が。
持ち上げられる様に少年はのけぞらされた。
「誰だよ！」
「……カヲル、君？」
シンジは知っている顔に目を剥いた、どうしてここに？、あるいは助けてくれるの？、と驚いて。
にこりと彼は微笑んだ。
「殴られたのかい？」
「あ、ちょっと……」
頬をさする。
「離せよ！」
「そうだね……」
パンッと、カヲルは足を払った。
「ぎゃっ！」
短い悲鳴と、ぶちぶちと頭皮ごと髪の剥げる音が重なる。
「牧野！」
残された方は慌てふためいた、助けに入りたいのだが、頭から血を流す友人と、それを歯牙にも掛けない少年に脅えたのだ。
「……カヲル君、塾はいいの？」
そしてシンジもまた場にそぐわない事を口にする。
「久しぶりに逢えたからね」
「え……」
「サボりだよ、今日、空いてるんだろ？」
「うん……」
ちらりと転がった袋を見る。
「買い物、頼まれてたんだけど……」
「弁償してもらうかい？」
「いいよ！、悪いし……」
シンジは顔についていた唾を拭った。
「……優しいね、シンジ君は」
ニコッと笑って、転がり回る少年を跨いで通る。
「じゃ、行こうか？」
「うん……」
シンジはそそくさと袋に物を詰め直した。
「あ、そうそう」
シンジの背を軽く押しながら、カヲルは楽しげに付け加えた。
「次は気をつけてやるんだよ？」
それは牧野に向けられた言葉だったが、カヲルの言葉が届いているかは怪しかった。
「ただいま……」
「お帰り……、ってシンジ君、またケンカか？」
無精髭に尻尾髪のマスターが声をかける。
「そんなんじゃ……」
シンジは軽く頬を撫でた。
唾のヤニ臭い匂いと、叩かれたせいで少し赤く腫れている。
「とにかく顔を洗って、服も着替えないと汚れてるぞ？」
「うん……、わかったよ、加持さん」
シンジは加持に答えてから、買い物袋を持って奥へと消えた。
「カヲル君、悪いね？」
カウンターへ腰掛けるカヲルに、入れたばかりのコーヒーを振る舞う。
「シンジ君、学校をやめさせられたそうですね？」
「ああ……、シンジ君は何も言わないけどな？」
お互いに苦笑を浮かべあう。
「強いんですよ、シンジ君は……」
「良く言うわよ」
エプロン姿の女性が口を挟んだ。
ここでウエイトレスをしているミサトだ。
「シンジ君がちょっと眉をしかめただけであなた何したのよ？」
「何のことです？」
くくっと、楽しげな笑いを漏らす。
「とぼけたってダメよ」
「ただ少し漏らしただけですよ、友達が言っていたと」
それはカヲルとシンジが出会って一月ほど経ったある日のことだった。
二人は街中を歩いていた。
カヲルは塾の帰り、シンジは散歩の途中だった。
「どうしたんだい？」
シンジが嫌悪感をあらわにしていた。
視線の先では、トルエンか、麻薬か……、とにかく何かを買っている女の子が居た。
「……嫌いかい？」
悲しい、悔しい、苦しい……
シンジの嫌悪は、自分の中へと向いている。
「違うんだ……」
シンジは慌てて歩き始めた。
「別に……、薬は仕方ないと思うよ」
「仕方がない？」
カヲルは意外そうな声を出した
「僕だって楽になれるのなら、なりたいもの……」
でも今はなれない。
耐えなければいけない理由があった。
「じゃあ何が気に障ったんだい？」
「……売ってる人」
「え？」
「笑ってた」
サングラスににやけた笑みを張り付かせていた。
「……相手が弱いって知ってて、食い物にするんだ」
シンジはただそう漏らしただけだった。
シンジが売人である青年に対して何を思い、どんなことで自分を戒めたのか分からなかったが……
その一週間後、薬の流れは整理された。
もぐりで売る者には制裁が加えられた。
仕入元から販売先までが管理され、自棄になっている者には売らず、本当に壊れたい、心の弱い者にだけ売りさばくような、優しい売人達が取って代わった。
「僕はただのお坊ちゃんですよ、少々勉強の出来る程度の……」
ミサトは鼻で笑い捨てる。
「それにしても不思議なもんねぇ」
「……なにがです？」
「シンジ君みたいないじめられっ子に、どうして渚君みたいなのが友達なのかって」
カヲルの表情がこれ以上ないぐらいににやけ崩れた。
二人の出会いは一年前にも遡る。
その時も今日のように、二人に一人が連れこまれていた。
ただしその時、連れこまれたのはカヲルだった。
「青陵のおぼっちゃんだろ？」
青陵とは有名な私立校だ。
その学生は全国の有名名士の子供達で占められている。
理事長が綾波家の夫人である事にも関係しているのだろう。
「金、あるよな？」
カヲルはポケットに手を突っ込んだままで、不敵な笑みを浮かべていた。
「この……」
「お前なぁ？」
それが不敵な態度に思えたのだろう、見下されていると言う事実に、二人の頭はかっとなった。
だが二人はつかみかからずに、あらぬ方向に気をやった。
「何やってンだよ？」
二人はカヲルの向こうを見ていた。
「あ、ごめん……」
非常に情けない返事。
そこには、やはり買い物途中のシンジが突っ立っていた。
一人がカヲルを離れて彼へと向かう。
誰もがちらりとは見ても見て見ぬふりを決め込んで避けるように行ってしまう、だがシンジは黙って待っていた。
「まあいいや、お前も金、持ってるよな？」
少年は手を差し出した。
その手を見てから、シンジは脅えるような目を少年に向けた。
「……嫌だよ」
「あん？」
恐いと感じていてもシンジは従わなかった。
「お金稼ぐのにどれだけ働かなきゃいけないと思ってるんだよ」
きょとんとする少年、直後に爆笑する。
「ばぁか、これが俺達のお仕事なの」
ギャッ！
背後で悲鳴があがった。
「へ？」
カヲルに張り付いてた少年が白目を剥いて倒れていた。
「お、お前！」
ナイフを取り出す。
何が起こったのか分からなくて、とっさに抜いてしまっただけだった。
「だ、ダメ！」
しかしシンジは慌てて組み付き、止めようとした。
「離せよ、こら！」
振りほどきカヲルを睨む。
あ……
その時にはもう、カヲルに手をつかまれていた。
「ああ！？」
ナイフを持つ親指の付け根当たりを、カヲルは微笑みながらぐっと押した。
ゴキ！
「いてぇ！」
骨が外れた。
のけぞった所を足払い。
ついでに軽く顔を押した。
ゴキン！
後頭部がアスファルトを相手に強打した。
シンジはその様を唖然として見ていた。
「大丈夫かい？」
へたり込むシンジ。
カヲルも眉をしかめる。
シンジの腕が切られていた。
「怪我をさせてしまったね？」
「あ……、ごめん」
カヲルは苦笑を浮かべた。
「君が謝ることはないんじゃないのかい？」
「でも……」
「おかしいね、君は」
え？っと、シンジは怪訝そうに首を傾げた。
「きみは助けてくれようとしたんじゃないのかい？」
なら謝ることはない。
「感謝するのは僕の方だよ」
でも……、と、それでもシンジは顔を伏せた。
「僕、邪魔だったみたいだから」
カヲルはのはにかみにシンジは驚いた、ハンカチを傷に巻いてくれたこともあったから。
「浅く切っているだけだから、すぐに血は止まる」
「あ、ごめん」
「ほら、また謝ってる」
「あ……」
シンジは差し出された手を借りずに立ち上がった。
が、その顔色はとても青い。
血を見て貧血を起こしているのだ。
「じゃあ……」
シンジはそれ以上関わらないように、背を向けて歩き出した。
関わらないのなら、最初から首を突っ込まなければ良かったのだ。
そうすれば怪我をする事も無かっただろうに。
「でも、放っておけなかったのか……」
カヲルはシンジが見えなくなるまで、その場でずっと眺め続けた。
瞳の中に、好意を浮かべて。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。