僕は……
シンジは着替えながら先日のことを思い出していた。
あの後もやはりゲンドウがやって来た。
シンジは何も言わずに起き上がり、そのまま部屋を出ようとした。
話す事など何も無いし、分かり合う必要性すら感じられなかったからだ。
「また逃げ出すのか?」
すれ違おうとした瞬間に蔑まれる。
(またって何だよ!)
ほんの瞬間、かっとなる。
「……ここにいると殺されるからね」
そう言ってシンジは屋敷を後にした。
叫ぶレイの声もシンジの心には響かなかった。
「へぇ、シンジ君とそんなことが……」
ミサトも加持にコーヒーを貰っている。
「シンジ君は僕よりも強い……」
「あら?、この辺りじゃあなたに勝てる奴、いないんでしょ?」
からかうようにミサトは笑う。
「人は人を傷つけて心の闇をごまかす……」
「引きずり込む奴も居るけどな?」
加持は含みを持たせてカヲルに合わせた。
「友達が欲しいんですよ……、みな、同じように傷ついてくれる友達が」
「シンジ君は?」
興味津々のミサト。
「彼は心の闇を知っています」
薬に溺れるのも良しとするように、自殺さえもきっと肯定してしまうだろう。
死ぬ事が恐いのは、生きる喜びを知っているからだ。
(そうシンジ君は……)
死への逃避は生きる苦しみよりも楽なのだと平然と口にするに違いない。
「でも自らの闇には誰も触れさせようとしない」
「君は、どうなんだ?」
中身の少なくなったカップを弄んでいる。
カヲルは何も言わず、ただうすら笑いを浮かべていた。
「あ、カヲル君……」
エプロン姿で戻って来たシンジは、カヲルが出て行こうとするので呼び止めた。
「もう帰っちゃうの?」
「所用を思い出してね、また来るよ」
「うん……、あの!、きょ、今日はごめんね……」
カヲルはただ微笑んだ。
それ以外のものを、シンジに向ける必要は無いのだから。
(好きって事か……)
カヲルはシンジに惹かれていた。
闇……か。
カヲルはいつものように、いつものコースを辿っていた。
(そう、シンジ君の闇は誰よりも深い……)
それだけ傷が深いと言う事でもある。
よく自殺する勇気があるのなら、やり返してやればいいと言う人間が居る。
あるいはいじめを受けていた少年の逆襲を、ほめ湛える者達も存在した。
(しかし彼らは知らないのさ……)
今ここに生きている事の恐怖。
味方が居ない事への寂しさ。
温もりすら壁越しに見るだけで、伝えてなど貰えない。
絶望の縁に立った時の苦しみ。
(人は皆痛がりだからね?)
やり返されることを考えれば、相手を殺さなければならない。
だが染み付いた恐怖心は、勝てないと言う想いを呼び起こさせる、結果……
(死ぬ方がずっと簡単なんだよ、人は)
では自分とシンジはどうなのだろうかと考える。
僕は友達なのかい?
そう尋ねれば、きっとシンジはこう言うだろう。
違う、と。
(そう、僕が受け入れられているのは、僕も同質の闇を持っているからだよ)
恐いのだ、普通の人が、まるでシンジと同じように。
シンジの弱さ、カヲルの強さ、それは異端として受け入れられる。
本当に恐いのは何食わぬ顔、素知らぬ素振りで人を傷つけられる、極普通の人達だった。
良心の呵責を人によって使い分ける人間だった。
シンジは人として心に痛みを感じる必要も無い存在なのだ。
だから苛めて当たり前と人は考える、良心は、呼び起こされることすらない。
闇はより深い、暗い闇に飲み込まれる。
(シンジ君はそれを知っている……)
シンジの悲しみはきっとカヲルに深い共感を与えるだろう。
だからシンジは差し伸べられた手には触れない。
自分の闇に取り込んでしまわないよう。
カヲルはぴたりと立ち止まった。
そこは公園だった。
シンジと二度目に会った公園だった。
シンジは泣いていた。
ただじっと泣いていた。
一人でベンチに座っていた。
「泣いているのかい?」
びくりと震えて、顔を上げる。
「……あ」
「カヲル、渚カヲルだよ」
「ご、ごめん……」
慌てて涙を拭き取ろうとする。
加持にもミサトにも見せたくなくて、こんな所に一人で居たのだ。
「なにかあったのかい?」
カヲルは隣に腰掛けた。
背中をさすられ、シンジは搾り出すように声を漏らす。
「……怪我、したんだ」
眉をひそめる。
「またなのかい?」
「違うよ!、女の子が……、落ちたんだ、ジャングルジムの上から」
ちらりと見る。
血で濡れている様に見えた。
それは多分にシンジの心を感じてしまっているからだろう。
「みんな、逃げたんだ……、僕、どうしたらいいかわからなくて」
加持達は留守だった。
「それで……、父さんに、父さんに、かけたんだ」
カヲルは黙って先を聞く。
(なんだ?)
(あ、あの、父さん、あの!)
(用があるなら早くしろ!)
(じゃ、ジャングルジムから落ちたんだ、落ちて、怪我して!)
(あなた、レイが……)
レイ?、それに母さん!?
(わたしは忙しいのだ、下らん事で電話をするな!)
(あ、待ってよ、待ってよぉ!)
幸い近所の男性が居合わせ病院へ運んでくれたので大事には至らなかった。
だが……、シンジはその子の兄に殴られた。
(わしはお前を殴らないかんのや!)
(悪いな、怪我したの、こいつの妹なんだよ)
僕が落としたわけじゃないのに……
そう愚痴りたかった。
だがそれ以上に心が病んでいた。
「みんな……、みんな僕のせいだって、僕が居たからだって、僕が、僕が!」
その話は伝わって……
シンジが突き落としたとおひれが付き。
(すまんシンジ!、わしのせいで……、お前は)
シンジはもう冷めていた。
なんだよ、いまさら……
勝手にすればと思っていた。
だが事はそれだけでは終わらなかった。
彼が交通事故に遭ったのだ。
(す、鈴原君!)
シンジは慌てた、そこには綾波家の人間が来ていた。
どうも轢いたのは、綾波家の、それも上の人間らしかった。
多くのお金を置いて、見下したように立ち去っていく。
シンジはそれを見送ってから病室を覗いた。
……彼の足は、片方が無くなっていた。
「それで、僕が……、僕が仕返しにやらせたんだって、やらせたんだって!」
泣き崩れる。
カヲルはそっと抱きしめた。
「ガラスよりも繊細だね、君の心は……」
哀れみでも同情でも無い。
「きみはそうやって、全ての罪を背負い、閉じ込めて生きていくのかい?」
カヲルは語る。
「傷つけたのは他人、傷ついたのも他人……、なのに君は責められ、それを受け入れる」
シンジはかぶりを振った。
「だってしょうがないじゃないか!」
誰も信じてはくれないのだから。
「……ごめん」
シンジはいつものように謝った。
「ごめん……、こんな話、して」
ふらりとシンジは立ち上がり、例も言わずに行こうとする。
「何処へ行くんだい?」
カヲルにはわかっていた。
「死ぬつもりかい?」
シンジは震えた。
「僕は……、いらない子供なんだ」
「だから死ぬのかい?」
「生きていてなんにもなかったんだ」
これまでのように、これからもなにもないだろう。
ただ信じてはくれない人達に、信じてもらう事すら出来ずに傷つけられていくだけの生。
「だからなのかい?」
子供ながらに、堪え切れる様な想像ではない。
「どうでもいいんだ」
「自分が?」
「なにもかもが」
「強いね……、君は」
シンジは振り返った。
そこには、白く闇に浮かび上がるようにカヲルが居た。
「君は辛いと言う言葉を知っている、知っているからこそ人にそのはけ口を求めない……」
辛いことは当たり散らして吐き出せばいい。
「でも君は知っている」
それをされるのは嫌な事だと。
だから吐き出さない、心の闇へと封じ込める。
「違う、弱いのは僕だ、悪いのは僕なんだ!」
何も出来ない、なにもしない!
「……僕は弱くてね?」
カヲルは遠い目をした。
「辛いことは嫌だし、恐い事には逃げ出したくなる」
だから辛い事は目に見えぬようにする。
恐い事は力を持って排除する。
何かをされる前に、破壊する。
「臆病だからね、僕達は……」
「ぼく、たち?」
「そう、君と僕は同じだよ」
カヲルは心からの笑みを浮かべた。
「そして君は、死すべきではない」
シンジにすら、そこに心の壁が無いとわかった。
「君に会えて、嬉しいと感じている……」
本当に奇麗な微笑みだった。
「僕は……、君と出会うために、生まれて来たのかもしれない」
「そんな……」
「好きって事さ」
二人はそのまま、しばしの間じっとお互いを見つめていた。
それ以上の言葉は何もいらなかった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。