「第一総合ビルが狙われただと!?、碇!」
「ビルの損害は軽微だ」
「軽微だと?、これがか!」
 ゲンドウの執務室なのだが、その手元の端末機には続々と被害状況が報告されて来ている。
「たかが旅行代理店の一つだよ」
「そう言う事を言って言るのではない、この狙撃で重軽傷者は二十名に及んでいる、その内一般客が十一人」
 だが彼にとっては、人命など本当に些細な事でしかないのだろう。
「保証はする、何が不満だ?」
「……お前の計画の痛手になるよう言ってやろう」
 のうのうとのたまうゲンドウに、冬月は柳眉を逆立てる。
「衆人環視の場で綾波財閥が狙われたのだ、あからさまにな?、犯人の所在すら掴めん以上、住民は綾波関連企業の追い出しにかかるぞ」
「臆病者の集団に何が出来る」
「この世界の大半は臆病者の集まりなのだ、まずそれを覚えろ」
 傷む頭を堪えて、冬月はそうゲンドウを突き放した。


「こいつが何かしたのかな?」
「ちょ、ちょっと待って下さい、違うんです!」
(なんでこうなるの!?)
 ヒカリは焦った。
 警官は聞く耳など持っていないのだろう、ねめつけるようにシンジを見ている。
「なんでもないってことはないでしょう?、もめてたようですし」
 やはり思った通りに決めつけた。
 洞木ヒカリは必死になった、警官よりもシンジの目が恐かったのだ。
 このような状況に陥れたことを恨む目が。
 周囲の良くやったと言わんばかりの賛美の空気が。
「離して下さい……」
「そうはいかない、お前だろう、例の爆弾魔は?」
「はぁ?」
「学校も爆破したそうじゃないか」
(ああ、そういうことか……)
 シンジは一瞬うなだれ、顔を上げた。
 その間にどんな表情の変化を起こしたのかは誰にも分からないが。
「行きますよ、警察でしょう?、逃げませんから……」
「そう言ってお前みたいなガキは……」
 今度は警棒が振り上げられる。
「お願い、やめて!」
 ヒカリは慌てて味方を探した。
(どうして!?)
 だが皆同じように、やっぱりなどとシンジについて陰口を叩いている。
(どうして……)
 泣きたくなって来た、誰も言うことを聞いてくれない、誰も信じようとしてくれない。
 それだけではない、その周囲の野次馬の顔が、全て自分の顔に見えるのだ。
(ああ……)
 訪れる絶望感、真実を確かめることなく断罪する。
 彼らはまさに、これまでのヒカリ、そのものだった。
 再びシンジに視線を戻す、と言ってもそれらはほんの一瞬の錯綜だった。
 黒光りする警棒が、シンジの頭部を狙って振り下ろされた。
 シンジは冷めた目でそれが打ちすえられるのを待っていた。
 しかし叩かれる事にはならなかった。
「……やめてあげてくれないかな?」
 警棒は横から掴まれ、止められた。
「誰だね?、君は」
「……いくらなんでも、無抵抗の子供を殴り付けるのは感心しないよ」
 メガネに尖がり頭の青年は肩をすくめる。
「無抵抗だと!?、こいつは母校に爆弾を仕掛けるような凶悪犯だぞ!?」
「……その根拠は何かな?、あの事件では証拠が何も出なくて、今も捜査中のはずだけど」
「お前こそ何だ!」
「ああ、僕はこういう者です……」
 彼は警棒を掴んだままで名刺を差し出した。
「綾波っ、財閥の保安部!?」
 そこには綾波財閥保安部部長、日向マコトと記載されている。
「ええ……、彼の身柄はこちらで保護しているものでね?」
 呆然とした警官の手から力が抜ける。
「碇君!」
 ヒカリは手首をさするシンジに駆け寄ろうとした、が、立ち止まった。
 シンジの形相に小さく悲鳴を上げる、憎むでは物足りないような目をして彼を、日向を睨んでいた。
 あまりに凄惨な顔つきだった、手にナイフがあれば、即座に突き出しているのではないかと思われた。
「実はあの事件の犯人は既につきとめているんですよ」
「なんですって!?、じゃあ早く本部に」
「ああ、ご心配なく、警察の上層部ではこの事件について、既に捜査打ち切りの命令を出しているはずですから」
「どうして、そんな!?」
「法に照らし合わせれば無罪になるものでね?、表向き発表できる事じゃないし、君のような所轄の人には話は通っていないだろうけど」
 ちらりとシンジを見やる。
「無実の少年に暴行を働いたとあっちゃあ、懲戒免職もやむを得ないよ?」
 その警官は青ざめた。
 即座に大きく「頭を」下げる。
「申しわけありませんでした!」
「……謝る相手が違うんじゃないかな?」
 一瞬だけ苦々しげな表情が浮ぶ。
「申しわけありませんでした!」
 やけくそ気味の「敬礼」だった。


 やりたくも無いと、あからさまに思われたままで謝られたからと言って、一体なんになるのだろう?
 シンジはナノ単位程の感動も受け取らず、勝手にしていろと背を向けた。
「その顔だと、余計なことをしてしまったようだね?」
 それでも食い下がるように、日向は後を追って歩いていた。
 彼がエヴァンゲリオンであることは確認されている。
(なのに監視にとどめろ、だ)
 これは独断での行動なのだ。
「……少し話を聞いてもらえないかな?」
「嫌です」
 シンジの態度はにべもない。
「どうして?、僕が綾波家で働いてるからかい?」
(当たり前じゃないか)
「僕に関わらないで下さい」
 シンジは最初から信じてはいないのだ、彼らの真摯な態度でさえも。
「……僕もあれから、自分なりに調べたんだ、君のことをね?」
 ピタと足が止まる、つられて日向と……、その後に、なんとなく着いて来てしまっていたヒカリも止まった。
「確かに君が恨みたくなる気持ちも分かる、けどな?、少しだけレイちゃんに会ってあげてくれないか」
「嫌ですよ……」
(綾波さん?)
 ヒカリは小首を傾げた、それ程仲がいいとは思っていなかったのだ。
「ほんの少しだけで良いんだ、レイちゃんのために」
 あ、また……、とヒカリは思った。
 肩越しに振り返ったシンジの目は、全てを飲み込むようにどす黒く澱んでいる。
「最初は病院に、次は警察ですか?」
「……なんだって?」
 日向にはなんのことだか分からない。
「綾波が大事なんですね……」
「あ、ああ、そうだ」
 何を考えたのか、シンジは傾き出した空を見上げる。
「……いいですよ」
「ほんとうかい!?」
「ええ……」
「そうか!、レイちゃんも喜んでくれるよ」
 日向は手放しで喜んでいたが……
(碇君?)
 ヒカリはその態度の中に、酷く危ういものを感じていた。
 会わせない方が絶対に良いと、本能に近い部分で確信していた。


 レイと最初に再会したあの公園。
 その自販機の前で、シンジはジュースのプルトップを開けていた。
 月明かりは電灯よりも少し明るく、周囲の様子を照らし出している。
「……碇君」
 宵闇の中に浮かび上がる。
 白い肌と青い髪は、妖精を思わせるような存在の希薄さを象徴している。
 しかし紅潮した頬と弾む鼓動は、逆に生を強調していた。
 レイはそれを抑えるかのごとく胸元に手を当てている。
「綾波」
 この子は僕に会えて何が嬉しいのだろう?、そんな風にシンジは訝しんだ。
 理由がないのだ、思えば最初の出会いからして最悪のものだったのだから。
『一緒に遊んであげてって』
 レイはその時、そう言った。
 どれ程シンジの心をえぐるかも知らずに、実の母親だった人に、他人の子供だから遊んであげてと、そんな調子で頼まれたのだと。
 レイはシンジに、そう告げたのだ。
「……少し、歩こうか」
「ええ……」
 夜の涼しげな空気の中を、二人は並んで歩き出した。
 覗かれている……、とシンジは感じた。
 複数の人の視線、気配を、シンジは何故だか見付けていた。


「お〜お〜、こうして見ると初々しいカップルって感じよねぇ?」
「趣味悪いぞ、葛城」
 呆れ果ててものも言えない。
「それはあんたの方でしょうが」
 加持のRVカーの中でミサトは毒づく。
 手には暗視鏡を持っている。
「何処行くのかと思って着いて来たら、まぁさかあんたが覗きなんてねぇ?」
「たまたまだよ、俺の用事は別さ」
「なに?」
「ま、読めって」
「報告書?」
 シートに深く座り直し、渡されたレポートを読みふける。
 それは先程ポストの上に置いてあるのを回収して来たものだった。
「これって……、捜査報告書のコピーじゃない」
「ああ……、警察は綾波家に恨みのある人間の犯行だと見てる」
「そりゃそうでしょ……、例のあれじゃないの?」
「まあ確かにそうだな……」
 あれとはシンジが今までに二度対峙した化け物の事を指している。
「数十キロの距離を隔てての光学兵器、軍隊でないのなら他には考えられんさ」
「そっちの線も捜査中ってわけ?」
「それは諜報部がな……、俺が気にしてるのは動機だよ」
「動機?」
「最後の所を見てくれ」
 ずらりと企業名が並んでいる。
「……なにこれ、火災リスト?」
「ああ、ここ数日のな?」
「もう一つは?」
「ある人物の就職活動記録」
「はぁ!?」
「火事の起こった場所は、彼が面接に行った職場と七割の確率で一致している」
「ちょっと待って、この人!?」
「ああ、シンジ君の行っていた中学校の」
 添付されていた写真は、確かにあの元校長であった。


 何を言うまでもなく、二人はただ歩き続けた。
 小さな公園とは言え自動販売機が設置されているほどである。
 散歩をする程度には広さがあった。
 物静かに、だがだらりと両手を下げて歩くレイに対して、シンジは気怠げに薄目を開けているだけだった。
 手は一人であることを主張するように、両手ともポケットに突っ込んでいる。
 赤い瞳が動き、隣の少年の様子を窺った。
 関心を抱かれている様には見えない、だが特別嫌われている、最悪でも嫌悪感を持たれているわけではないと確認して、ほっとする。
 公園の中央には池があり、池を囲うように林があった。
 林と言っても向こう岸が見えない程度に樹木が植え付けられているだけだし、池もまた魚を放せるほどには大きくない。
 ふと。
 シンジの足が止まった。
「なに?」
 一歩先に進んでしまってから、レイも訝しげにシンジに習った。
 顎で指し示すシンジ、再びレイは前を向いた。
「……なに?」
 再び同じ質問を、今度はそこに居る男達へと向けて放つ。
「お迎えに参りました」
 ベージュのスーツに赤いベレー帽。
 そして胸にあるネルフのマークが、綾波家の者であると物語っている。
「何故?」
「碇司令の命です」
 すっとレイの瞳が細くなる。
「碇シンジ君」
 隊長らしき男は前に出た、そして一枚のカードをシンジに差し出す。
「プリペイドカードだ、一千万相当の」
「それで?」
 物分かりの悪さを装った嘲りに、ひくりと頬の筋肉が引きつりを見せた。
「以後、綾波レイとの接触は避けて頂きたい」
 パン!
 カードは弾き落とされた。
 綾波レイの手によって。


 偶然と必然があるのなら、彼が偶然通りかかったのは必然なのかもしれない。
 夜だけに騒がしい声はより一層強く響き渡る。
「静寂を壊すのは感心しないね……」
 さざめきのような家族の団欒、テレビ、ラジオ……、家屋から漏れる音を肩で切り、渚カヲルはいつものように徘徊していた。
 カヲルはその心地好い疎外感を楽しんでいたのだ、なのに。
「ふ、ん……」
 公園の中に誰が居るかは考えるまでも無かった。
 加持の車を見付け、わざわざ遠回りに公園の逆側へと回り込んで来たのだから。
(さて?)
 カヲルは先程から柵ごしに人影を見付けていた。
(一中の元校長、だね?)
 人影は一つでは無かったが、彼らもシンジ達の存在に気がついているようだった。


[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。