二千三年。
箱根にあるその研究所の最上階。
冬月コウゾウは所長室にて、碇ゲンドウに極秘とされた書類を突きつけていた。
「……まだこんなものが残っていましたか」
一瞥しただけで分かる、そこには南極の地下研究施設と、そこで解体されている「巨人」の「化石」らしい像の写真が貼り付けられていた。
それは南極で行われていた何かの実験の記録である。
「あのウイルス、人為的にばらまいたものではないのかね?」
ゲンドウはいつものように手で橋を作り、口元を隠してただ黙した。
肯定とも否定ともつかない態度に冬月は苛立ちを募らせる。
「惨劇の前日に偶然引き上げたのも、だからではないのかね!」
ゲンドウはその前日までその場に居たのだ。
それは公式なスケジュールに記載されていた。
「この資料は公開させてもらう」
苛つきからつい声が大きくなってしまった。
「その前に……」
ようやくゲンドウが立ち上がる。
冬月は呑まれるような威圧に息を飲む。
「ここで行われている研究をご覧になられるといい」
拒否する事も出来たはずだが……
冬月には、何故だか逆らう事が出来ず、魅入られたように見返してしまっていた。
「ついに来てしまったのね……」
ユイは布団から起き上がると、立ち上がって衣装棚の扉を左右に広げた。
裏側にある鏡に、自らの『瑞々し過ぎる』裸体を写し込む。
選んだ服は簡素では会ったが立派なイブニングドレスであった。
色は水色、それはレイの髪と同じ色だ。
収まる肢体は、三十八と言う年齢に対して不自然であった。
どう見ても二十代後半の胸の張りを持っている。
袖を通し終えると、ユイは化粧台の前に座った。
軽く化粧品を付け、紅を嫌味にならないよう薄めに引いた。
まるでこれから、恋人でも迎え入れるかの様な念の入り様であった。
口紅を台の上に立てて置き、ジッと鏡に写り込んでいる、完成された自分を見つめる。
「シンジ……」
やや熱の篭った声は、捨てた息子に会うには少々おかしい。
一度瞼を閉じ、立ち上がる。
その瞬間には毅然とした一人の女を作り上げていた。
「明日だな」
「ええ……」
芦の湖、二千四年の湖畔である。
ユイは幼いシンジを抱いていた。
彼女の散歩に付き合っているのは冬月である。
「なにも君が被験者になることもあるまい」
酷く静かに説得している。
「未来を残してあげたいんです、この子に……」
そう言ってユイはシンジを抱え直した。
「アダムの擬態は完璧と言えるな、少々の検査では保菌者かどうか判別できない」
「だからこそ……、来たる日のために、わたしはゼーレに組みするのですから」
「ああ……」
だぁだぁとシンジが暴れ、そのためにユイの服の脇から胸が覗けた。
冬月はそれに気がつき、視線を逸らす。
まるで目で汚す事を怖れるかのような態度であった。
あるいは彼女への想いに気付く事を怖れるような。
「ここなのかい?」
カヲルの問いかけにシンジであるはずのものは頷く。
グル……、と小さく唸りを上げて。
ユイの気配を取り違えるわけはない、何故だろう?、シンジはその確信を得ていた。
そこはユイの寝室では無く、その側にある彼女のための公務室であった。
カヲルが、礼儀正しくノックをする。
「どうぞ」
「失礼します」
お互いに侵入者とそれを迎えるものの態度ではない、カヲルはふと笑んでいる自分に気が付き、戸惑った。
(僕達は侵入者……、でも彼女は僕達が来ていると知らないかもしれない)
なぜ気付かれていると思ったのだろう?、その疑問が実に小さく刻まれる。
ボブを回す手に自然と力が入ってしまっていた。
カヲルに続いてシンジも入室していく、カヲルはそれを待ってから戸を閉めた、直後。
屋敷に異変が襲いかかった。
「どうした!」
微震が響いた。
「強力なATフィールドです!」
「監視装置がノイズだらけで……、映像も、音声も……、なにもモニターできません!」
(電磁波までも遮断したと言うのか!?)
次々と新しい驚きが走り、冬月は本来の役割を忘れ始めた。
実験の直後、ユイは病院へと運び込まれた。
外的な刺激に対するあらゆる反応を失ったユイ、その精神のサルベージのために、念の入った検査と細胞サンプルの摘出が行なわれた、その中で……
ユイの卵子が、細胞の分裂を始めている事が確認された。
「良く来たわね、シンジ……」
シンジは返事の代わりに力を高ぶらせた。
その結果が微震であり、結界とも言えるATフィールドの発生であった。
カヲルはそれを制するように前に出て頭を下げた。
でなければシンジは襲いかかっていたかもしれない、その気勢を削がれて、シンジは下がる。
「渚、カヲル君ね?」
ユイも軽く会釈を返す。
「はじめまして、夜分の訪問をお許し下さい……」
「構わないわ?」
ちらりとシンジを見る。
「子が親と会うのに、なんの許可がいるのかしら?」
悠然と微笑む、しかしそれがシンジの心を傷付けた事に気が付かない。
母親ではなくなったと言ったのは、ユイなのだ。
内圧が高まる、心が荒ぶる。
それを抑えるように、カヲルは軽く手を挙げて、さらなる押さえをシンジに与えた。
「あまり刺激しないで下さい……」
ついでに、ユイにも楔を打ち付けておく。
「僕と同様に、……シンジ君はあなたを憎く思っているから」
冷淡なものから、冷徹な笑みへと変わる。
しかしそれでもユイは動じはしなかった。
カヲルの笑みなど、ゲンドウに比べれば及びもつかないほど迫力に乏しい。
「あなたが……、なぜ?」
ユイの興味はそこへと注がれる。
「……僕もまた仕組まれた子供ですからね、あなたがたの計画のために」
ユイの表情が、見た目にも分かるほど変化する。
カヲルは感じてしまっていた、入室前に感じた不確かな感覚をはっきりと。
そしてそれが、渚家と言う怪しげな家系の誕生に、頭の中で繋がっていた。
夢だと自覚していても、それが現実の再確認であるとすれば、少なくとも心に痛みを感じてしまう。
碇ユイに抱き上げられたレイは、数ヶ月の歩行訓練と人格形成期間を経て、外の世界への自由を得ていた。
この頃、ユイはレイの母となれと命ぜられた。
『老人』と呼ばれる権力者達に……
「綾波レイがあなた自身だというのか……」
カヲルは少々の驚きを感じていた。
「そう……、わたしの細胞から精製された、もう一人のわたし、そして……、あなた」
カヲルの目が驚きに開いていく。
「僕も、そうだと?」
ユイは頷く。
「もちろんあなたを作ったものを何処から手に入れられたのかは知らないわ?、わたしでないことは確かだけれど……」
ユイはその実験以来、ウイルスに接触していないのだ。
「なんのために……」
「恐かったのでしょうね……」
もの憂げな声。
「わたしに懐くレイが、レイで無ければ人々を救えない事が、そして……」
ユイは悲しげにシンジを見やった。
「……そして人ではとうていかなわぬ存在である事が」
それは本来、シンジの役割がレイであるはずだったと告げている。
カヲルは憤りを感じた。
「だからシンジ君を遠ざけたと言うのですか?」
しかし表面上は穏やかさを貫き通す。
「その心が脆く、壊れやすい事を知っていて……」
ユイはただ、一つ頷く、ゆっくりと。
カヲルはその返答に、目を閉じて天井を仰いだ……
「……ならば、やはり僕はあなたを許す事が出来ない」
カヲルはポケットに入れていた手を出した。
抜き出した柄から、ナイフの刃先が飛び出し、閃く。
「……わたしを、殺すの?」
何処か嬉しそうな響きがあった。
「なぜ?」
カヲルの口元に、いつもの、人を傷つける時の意味のない笑いが浮かび上がる。
「それがシンジ君の望みですからね?、……そしてシンジ君にはできないことだから」
ふぅと息が吐き出される、カヲル、ユイ、お互いに。
二人ともその「願い」を果たしてはいけないと感付いていたのだ。
「……でも、今、シンジ君は迷っている」
不思議な事に、伝わって来る。
「そうね……、感じるわ?」
「……それが繋がりですか?」
「絆……、と呼んでもらってもかまわないわ?」
シンジは耳を傾けていた。
口出しはしない、するべきかどうかが分からなかったのだ。
「これは、わたしと、レイと、シンジ……、狂おしいほどに求め合う、その根本の原因足るものでもあるのだから」
ユイは広めに開かれている胸元に、そっと指先を押し当てた。
綾波サチとなったユイは、碇ゲンドウに後のことを託した、しかしゲンドウはシンジを捨てて、ユイを選んだ。
それが残された事実である。
一時はユイの代わりにと、同じ研究所の女と付き合いもしたが、それはレイによって破局を迎えてしまっていた。
「あら、どうしたの?、レイちゃん」
赤木ナオコ。
ユイよりもゲンドウに程近い女性であった、性格、と言う意味合いにおいて。
幼いレイはまだ感情が浅く、対人的なコミュニケーションの取り方をマスターしてはいなかった。
「迷子になったのかしら?、お母さんの所に戻る?」
「いい……」
レイはすげなく答えた、が、遠ざかるような素振りは見せない。
「でもここから一人じゃ帰れないでしょ?」
親切心、だがそれに反する言葉が返された。
「余計なお世話よ、ばあさん……」
なに?、と、ナオコは驚く。
子供から出た言葉が信じられなかったのだ。
「人のことばあさんだなんて言うもんじゃないわ……」
「でもあなたばあさんでしょ?」
「怒るわよ……、所長に叱ってもらわなきゃ」
「その所長が言っているのよ……」
「嘘っ!?」
「ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済みだとか……」
この後のレイの記憶は錯綜している、ただ……
「あんたなんか……、人間じゃないくせに」
その言葉の響きだけが、耳の奥に残っていた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。