(そう……)
 突然、唐突にそのナオコのビジョンは左右に引き裂かれて行った。
(そう、知っている……、わたしは、あの感じを知っていた……)
 綾波レイは、赤木ナオコの虚像を破り捨てた鬼を見つめた。
 人であった肉塊が血飛沫を吹き出しながら転がっていく。
 首を締める手から解放されたレイは床へと倒れた。
 視界に入った幼子の手が、自分の手へと変化する。
 レイは寝そべったままで、そのオレンジ色の……、首を締められ、漏らしてしまった尿に混じって抜け出して来た何かを見つめた。
 エヴァンゲリオン。
 あの怪人だった。
 ごくり……、と。
 レイの白い喉を生唾が下っていった、酷く大きな音を立てて。
(今のは、なに?)
 自身の高ぶり、異常に気がつく。
 レイはその内心の変化に戸惑った。
(この感じ……)
 頬が紅潮する、目が潤む。
 体は汗ばみ、股間も疼いた。
(なぜ?)
 恐怖を身に纏い、死すらも引き裂くような絶望を孕んだ存在感。
 レイはその中のものに発情し、蹂躪される事を望んでいる自分に驚いた。
(違う、これは……)
 その怪人の向こう、遥かな遠くに何かを感じる。
(この感じ……)
 それは自分と同じ、何かの存在。
『ママ』とも違う、別種の力。
 同質のもの。
(同じ、もの?)
 ふいに答えに辿り着く。
(だから?)
 自分の中に居る存在の渇望を感じる。
 その事件より数年前に、一人の男の子から笑顔を奪い去ってしまっていた。
(だから、なの?)
 求めているのだと気が付いた。
 彼によってもたらされるはずの、その補完を。
 人類にとって最悪のものであるアダムウイルス、だがそれによって生まれる存在『使徒』
 そしてウイルスそのものすらも、『この何か』にとっては驚異に値しない。
 取り込んでいく、何もかもを。
(だからなのね……)
 自分と同じ存在が自分を置いていってしまう事への恐怖。
 同じになれる可能性が閉ざされる前に、ウイルスは同じウイルスを呼び止めようと足掻いているのだ。
 シンジの背中が遠くなる事をひたすら怖れて。
 未来への歩調を合わせるために。
(そのための、口付け……)
 そのための接触。
 そのための補填。
(ではこの心は、……なに?)
 何のために存在していると言うのだろうか?
 自分と言う個に疑問を抱く。
 心が無くともこの体は生きていくのだろう、心は確かに操られている。
 ならば?
(あるいは、なにも?)
 本能の延長、肉体の維持のためだけに仮初めの思考が許されているだけなのかもしれない。
 その考えに思い至り、綾波レイは、震え上がった。


「では……、綾波レイが求めているのは!?」
「あるいは、あなたとシンジが惹かれ合うのも」
「この心すらも嘘だと言うのか、僕の想いが……」
「いいえ、わたしの、そしてシンジすらもそうなのかもしれない」
 何もかもに絶望している様な吐息を漏らす。
「わたしは……、シンジを愛していると思っていたわ?」
 愛。
 その言葉にシンジの体がピクリと震える。
「でも……、だからこそ、名を偽れと選択を迫られ、身を切るような想いをした」
 独白する。
「あの時の心を……、壊れかけたわたしは」
 作り替えた。
「大切な、ものと……、引き離されようと……」
「碇ユイ、あなたは!」
 カヲルは目を見開く。
「そう……、覚えがあるでしょう?、あなたにも、レイにも、シンジにも」
 常識を疑うほどの無関心さ。
 絶望に浸されることをひたすらに怖れ、拒絶と言う方法での逃避を求め、しかし相反する孤独への恐怖を常に心に感じている。
「狂って、いる、のか、僕達は……」
 シンジは過去、レイとのすれ違いから精神病院へと送られた。
 その後、数年を経てある日突然に回復を見せた。
 その日と時刻は、レイがナオコに絞殺されかけ、エヴァを産み落とした時間と一致している。
 それらは決して偶然ではないのだ。
「エヴァンゲリオンとはなんです?」
 心を、体を作り替える存在。
「人の遺伝子に働きかけ、強制的に進化を誘発する陽性のウイルス、としか言えないわ」
 正しくは何も分かってはいないのだ。
 ただ何が出来るかの幾つかが、推し量られているだけである。
 ユイはカヲルと視線を合わせた。
「そしてあなた……、わたしは知らない」
「あなたは先程、僕も同じだと答えられた」
「そう感じているだけよ?、あなたはわたし達の計画には無い存在だもの」
 わたし達とは、ゲンドウ、冬月を含めた内々の面子の事である。
 その中に老人達の思惑は含まれていない。
「ではなんのために僕は作られた?」
「ゼーレ……、おそらくは、老人方の」
「あの人達の?」
「……希望なのよ」
 館が軋んだ。
 その音を合図に、話は一度中断された。


 良く言えば醜悪、悪く言えば不細工な人形であった。
「使えるのかね?」
 冬月はこめかみを揉みほぐす、態度に期待してない事がありありと窺え、日向は笑いを噛み殺すのに苦労してしまっていた。
『お任せ下さい、使徒を倒すのにエヴァなどと言う非、人道的かつメンタルなものに流される不安定な兵士が必要無い事をお見せしますよ』
 自信満々に通信は切れたが、その態度を冬月は鼻で笑った。
「なら見せてもらおう」
 問題の使徒と対峙してもなお実力の一端すら計れなかったエヴァンゲリオン。
 その能力をどの程度暴けるものか?
 冬月の興味はそこに集まっていた。


 セカンドインパクト以降の兵器開発の中で、もっとも行われたのは『多足歩行兵器』の開発であった。
 その一体がこのJAことジェットアローンである。
 自足歩行兵器の中では珍しく二本足であった。
 身長は二メートル、体重は二百キロと実に軽い。
 特殊樹脂で作られたエアチューブによる人工筋肉を用いる事で、常識であった駆動部分へのモーター搭載を省いたのである。
 人間と同じ筋肉の収縮と膨張によって稼動する。
 本来心臓があるべき部位には、人造筋肉に空気を注入するためのエアーポンプとボンベが設置されていた。
 空気は静脈を通して再び心臓で圧縮、再度人工筋肉へと送られるのだ。
 洋風建築物の階段を、JAはひと踏みふた踏みと昇っていった。
 段の角が重量にへこむのは愛敬であろう。
 そしてユイの『寝室』の前で立ち止まる。
「扉を破れ!」
 離れた廊下の角から、開発責任者でもある時田が口述で命令を下した。
 振り上げられる拳。
 時田は知らなかった、ユイが公務室に移動していた事を。


「あのバカが……、わしに恥をかかせおって」
 嘆く冬月に苦笑交じりの哀れみを向ける。
 時田に持たせた有線のカメラが、室内の様子を映し出していた。
「エヴァンゲリオンです」
 日向は公務室からシンジのエヴァが出て来るのを確認した。
「ATフィールド、薄まりましたよ」
 おかげで監視カメラの映像が回復した。
「ユイ……、あ、いや、サチ様はいかがしておられる?」
「モニターは作動不良を起こしていますが、廊下のセンサーから三十六度前後の熱源を二つ感知しています」
「無事ならいい……、さて」
 エヴァとJAに戻る。
「対決を止めるべきか?」
「もう遅いですよ」
 先手はやはり……、JAであった。


 いつもとは違う感覚に、シンジであるエヴァは小首を傾げた。
 畏怖の念を起こさせる仮面にしては愛敬が感じられる仕草であった。
 狭い廊下を何かが早足で迫って来る、だが滑稽なほどにそれの歩みは遅かった。
 シンジと、人間であるシンジに比べてもあまりに遅い。
 何故走らないのかと疑問を思わず持ってしまうほどだった。
『サイトロック、レーザー照射!』
 拡声器らしいものを通した声に、エヴァの眉間に赤外線レーザーのサイトがロックされた。
 続いて、生物の肉体など瞬時に焼き切るほどの熱量が照射される。
(無駄だな)
 冬月の感想であった。
『何故だ!?』
 レーザーはATフィールドの鏡面に当たって波紋を広げた。
 ATフィールドは熱量の全てを吸収していた、いや、それ以外に何も出来なかったというのが正しかった。
 本来であれば反射できるはずが、余りにもエネルギーが弱くてかすれるように薄れてしまったのだ。
 シンジは面倒臭そうに左の腕を上げて、振り下ろした。
 手の甲から鞭が伸びる。
 ビシッ……
 一撃だった。
「JA!」
 肉声が響く、JAの頭部は鞭の一撃にひしゃげ、胴体に埋まっていた。


「恥の上塗りをしおって……」
 とうとうオペレーターの椅子を奪ってうなだれた。
「ま、これで彼の研究部への投資は減額せざるを得なくなりましたね?」
「まったくだ」
 日向、冬月ともに溜め息を吐く。
 時田は決して無能ではない、無能ではないのだが、このように発想の根本で誤る事が多かった。
 なにより自己の発明こそが至上と考える点が、である、他を見下し過ぎるのだ。
 使徒……、前回のアダムウイルスによる覚醒者との戦いにおいて、レイのエヴァはこの数十倍の威力の光線に重大な負傷を負わされてしまった。
 逆に言えば、それだけの威力であって初めて通じると言う事である。
 この程度の出力では例えATフィールドがなくとも傷つける事は出来ないだろう。
 せいぜい外皮を撫でるのが精一杯だ。
 シンジは右手を突き出し、手のひらを広げた。
「……何をするつもりだ?」
 これ以上、と言うつもりで冬月は眺めた。
 半身を前にしたシンジの肘から先へと、腕を軸に螺旋状の光が収束していく。
「まさか!?」
 ガタンと椅子を蹴って目を丸くする。
 光は鷲づかみにするような手のひらの中で球体へと変化した、直後。
 JAの胴体中央部が融解し、内部の圧縮酸素が爆発する。
 高熱エネルギーはJAを貫通して廊下の壁と床、天井を焼け焦がし、その先の窓を突き破って庭の樹木を燃え上がらせた。
 火災はJAの爆風によってかき消される、しかしその分家屋の損害は確実に増やされてしまった。
 シンジより向こう、JA側の廊下だけが、嵐が過ぎ去ったような有り様になっていた。
「まさか加粒子砲までコピーするとは……」
 どっと椅子に腰を落とす。
 無限の可能性。
 ユイからあの湖畔で聞いた言葉を思い出した。
(わたしはそのため、実験に志願したのです……、無限の可能性、エヴァにはそれがありますもの)
(これを予期してリリスを作り、被験者になり、エヴァへの道を作ったと言うのかね?、君は……)
 いくらなんでもと首を振る。
(バカな……、誰がこれほどの存在を予測し得る?)
 冬月はノイズ交じりの画像に、惚けている時田を見付けて気を改めた。
(これを幸運と思う他ないな)
 もしこれがエヴァではなく使徒であったのなら、被害はこの程度ではすまなかったであろうから。
 前回直接強襲が無かったのは、幸運と言う他どこにも言葉が見つからなかった。
「……シュミレーションとしてはいいデータが取れた、日向君、これを元に使徒に対する防衛網の練り直しを頼む」
「わかりました」
 日向は冬月に声を掛けられて、ようやく自失状態から立ち直った。
 冬月もまた、それは取り繕うだけの言葉であった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。