私立青陵学園の敷地は広い、なぜなら中等部と高等部が一つになっているからだ。
 小学校と同じく六年一貫のカリキュラムが組まれている。
 その校舎の屋上、普段施錠されている場所に女の子が立っていた。
 風にそよぐ髪は両サイドを掻き上げて、赤いもので止められている。
 年齢は十四歳、名前は惣流・アスカ・ラングレーと言う、だが一人ではない。
「ラングレーさん、どうして」
「……アスカでいいわ?」
 彼女はわざとはぐらかす。
「ここじゃあ、同じ学生なんだし」
「同じ?」
「今日はね?、転校の手続きのためにここへ来たのよ」
 彼女は妖艶に微笑んだ、それは人を誘うためのものではなく……
 人を嘲るための笑みであった。



 voluntarily.5 She was sing to do a velvety voice. 


 その数週間前、彼女はまだドイツに在住していた。
「これが日本に送り込んだ諜報員から送られて来た映像だよ」
 それは青井によって傷つけられたシンジが、エヴァに目覚めた瞬間の映像だった。
「カッコ悪ぅい」
 口元を拳で隠してころころと笑う。
 それに合わせて赤い髪がさらさらと揺れた。
「戦いは常に華麗に美しく、ね?、三人目って言うからどんなのかと思えば大したことないじゃない」
「しかし彼はATフィールドを展開したと言うぞ?」
「嘘!?」
 少女は驚き、会議室の椅子を蹴って立ち上がった。
 ATフィールドによる物理的な衝撃の遮断は過去に一度だけ観測されている。
 それは第三新東京市と言う街が生まれた当初に、その都市の外輪の山中で確認されたものだった。
 観測記録からエネルギー質量が試算されてはいたが、データの追加は今だ行なわれてはいない、すなわち……
 それは彼女が今だ手にしていない力であった。
 彼女もまた、エヴァンゲリオンなのである。


 数時間後、少女は車に乗っていた。
 秀麗な顔を歪め、仏頂面を作っている。
 左手に森、右手にはなだらかな丘が流れていく。
 ここはドイツの郊外、いつもならその風景に穏やかなものを感じているのだが、今日ばかりは後部席で不満気に親指を噛んでいた。
「なにがそんなに気に入らないんだ?」
 運転席に座る、ロン毛の男が気安く尋ねる。
 青葉と言う名のネルフのスタッフだ。
「気に入らない事ばかりよ!、あたしより強いかもしれないエヴァの存在、ちっともあたしを大事にしない本部の人間」
「それは俺のことかい?」
 苦笑する。
「あたしを誰だと思ってんのよ!、惣流・アスカ・ラングレー……、あたしはね?、選ばれた人間なのっ、気安く話しかけないで!」
「はいはい」
「まったく……」
 アスカはそれでも一向に態度を改めない青年に苛着いた。
 支部へ移動していても、彼は日本の本部から出向してきている。
 司令直々に送って来たガードだけに、おざなりにもできないのだ。
「このあたしはね?、本当ならあんたなんかが口を聞けるような人間じゃないんだから……」
 しかし本気で怒っているわけではない、八つ当たりなのは間違い無いが。
「名流、ラングレー家のご息女ですからね?」
「それだけじゃないわ」
 胸を張る。
「わたしはね?、この世を導くために生まれて来た、エヴァンゲリオンなんだから」
 溜めこんだ感情は焦燥感を生んで、平常な精神をふらつかせる。
 それは正しい判断力を失わせる。
 それを知っているからこそ、彼女は吐き出せる所では抑えない。
 また青葉も気が付いているからこそ受け流すのだ。
 そう言う意味では、お互い上手く噛み合っているコンビであった。


 アダムウイルスによる死亡率は当初百割を満たすと思われた。
 感染の発覚は死亡原因でもある『変異』によって初めて明らかになるからだ。
 人々は南より現われた悪魔に脅え、北へと逃げた。
 だがウイルスは季節の変化を待つことなく消滅した。
 正確には沈静化した。
 死亡率百割、だからこそ、これによる死者が出なくなった事から、ウイルスは何らかの影響によって死滅したものと思われた。
 思いたかったのかもしれない、だが、その心情が一部の人間の思惑と合致する。
 公式発表は行われたが、表向きのものとなった。
 恐怖を忘れ、希望に縋る民衆はこれを受け入れた。
 しかし恐怖は今だに続いている。
 専門家の集団は裏で様々な研究を続行させた。
 そしてその情報交換の場として作られたのが『ゲヒルン』と呼ばれる研究機関である。
 この所長こそがゲンドウであったが、ここで分野外の奇妙な、オカルトめいた事柄を口にした女性が居た。
 碇ユイである。
「このウイルスは生きています、意思があるのです」
 生き物の遺伝子と結び付き、次々と「生体的」には正しく、「生物的」には異常な変化をもたらしたウイルスは、まさしく何かを模索しているように見えていた。
 最初の失敗を引き継いで、次の可能性を試し、よりよい進化の道を進んでいく。
 アダムウイルスは現在何かを試行しており、その活動は必ず再開される。
「あら?、ウイルスに知能がある、信じられませんか?」
 穏やかな微笑みで彼女はのたまった。
 その時、人類は新たな選択を迫られると彼女は宣言した。
 新旧、二種の知性体による生存競争。
 環境に対する突然変異でありながら全体的に形が似ているのは、白人と黒人、二種が違う進化を辿りながらも同じ人間であるのと大差がないとしたのである。
 地球を一つの生命体と仮定した場合、我々人類が良くもし、悪くもするように、一つの人体もまた、ウイルスによって影響を受け、変化する。
「さして違いは無いのですよ、人間も、ウイルスも」
 ウイルスも遺伝子の塊である以上、なんらかの情報を他のウイルスへと送信する手段を有している可能性があった。
 その信号に他の人体に寄生している同種のウイルスが刺激を受ける。
 ただその速度があまりにも爆発的過ぎたのだ。
 最初の保菌者が発病する、人体の改造が始まり、その異常な変態は神経系に負荷をかけ、そしてついにはショック死を引き起こす。
「怪物とも言える姿に変わってしまうことが、直接の死因ではないのです」
 もしこれを乗り越える体力、あるいは激痛に悶える神経を持ち合わせてさえいなければ、そこには別種の新しい生き物が誕生していたはずだったのだ。
 そう、例えば碇シンジのように……、全ての心を、痛みを見失っていさえすれば。
「幸運にも我々は……、今だそれらとの対面を果たしていません」
 議論の分かれ目であった。
 そのような存在が生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。
 だが、備えは必要であった、なぜなら再び発病が始まれば、それはセカンドインパクトと同様か、あるいはそれ以上の災厄がばらまかれる事になるからである。
 最初の発病と同時に、その信号は隣人を、さらには周囲の者へと伝播していく。
 それを止める術は無い、また速度も爆発的であり、最悪、西暦二千年の悲劇と同じく、手を施す間もなく人類は滅びの寸前まで追い詰められる事になるだろう。
 最初の発病が、この世界のいつ、何処で起きるのか?
 もし悪魔の奇病とも怖れられた魔物の姿が晒された時、その恐怖は人類を恐慌へと陥れる可能性がある。
 次の発病者は隣近所の者であろう、次の発病は海を渡るかもしれない。
 防ぐことが出来ないのであれば、予防する以外に方法はない。
「そのためのネルフです」
 情報の操作、研究、実際に現われるであろう新人類に対する対処とその方法の摸索。
 例え姿は人で無かろうとも、その知性が人と同等かそれ以上であるのならば、共存共栄は可能であるし、できなければいけない、そうでなければ知性体として認められ無いからだ。
 自ずと必要とされるのは、道を指し示し、導いていくべき存在である。
 エヴァンゲリオン。
 人でありながら人類ではなく、新人類でありながら人類の心を持つ者。
 アダムより生まれ、アダムと共に生を歩む者、育む者。
 それを生み出すための計画と実行機関の設立。
 賛同者、そして被験者として名乗り出たのが、一人は当人である碇ユイであり、もう一人はアスカの母である、惣流・キョウコ・ツェッペリンであった。


 アスカの屋敷は豪邸と呼ぶに相応しく、門から邸宅までも車に乗り続ける必要があった。
 その途中、眺めていた風景の中に高い脚立の上で枝を刈り込んでいる青年の姿が溶け込んでいた。
 眉をひそめる、日本からの旅行者でアルバイトを探していると言うので雇ったのだが、アスカは彼に良い印象を抱いていなかった。
 脚立の上から屋敷の中を覗いている事があるのだ、この屋敷にはアスカに従事する人間以外、存在していない。
 必要ないからだ。
 気をつけ遠慮するべきは下働きの人間であって、自分ではない。
 なのに奔放には振る舞えず、他人の目を気にするような窮屈さを味合わされている。
 気にも止めずに着替えれば覗かれてしまうの自分なのだ、それでは損をするだけである。
(ママの頼みだから使ってあげてたけど……)
 キョウコのことではない、産みの親は既に死亡している。
 ラングレー家に入った後妻なのだが……
(自分の恋人を娘に使ってやってくれだなんて……、良く言うわ)
 しかし逆らうことは出来なかった。
 ラングレー家は既に没落寸前にまで追い込まれている。
 それでもその階級に居続けられるのは、アスカを擁護しているからなのだ。
 そのため、父、義母共に、アスカに対しては卑屈めいた感情を抱いている。
(せいぜい仲良くしとかないとね……)
 無用の軋轢は作るべきではない。
 なによりも息苦しくなるからだ。
 それでも彼らがアスカの正体を隠すための森として飼われているのは事実である。
 故にアスカの立場も微妙であった。


「マリア、いないの!」
 館に入るととりあえず大きなホールが目に入る。
 しかしいつも出迎える使用人の姿が見えない。
 アスカはそれに苛立った。
(まったく、どいつもこいつも!)
 それどころか誰一人として見当たらないのだ。
 見たのは唯一、あの気に食わない青年だけである。
「ちょっと!」
 アスカは彼らの控え室に怒鳴り込んで逆に驚いた、部屋のほぼ限界ではないかと思われるほどの密集状態だったからだ。
「あ、アスカ様!」
「あんた達、こんなところで遊んで、なんのつもりよ!」
「も、申しわけございませんっ」
「謝る暇があるなら仕事に戻りなさい!」
「し、しかしですな……」
「言い訳する気!?」
「そうではありません!」
「でも、大変な事になって」
「何がよ!」
「マリアが!」
「へっ?」
「……マリアが死体で見つかったって」
「何ですって?」
 後で失敗したなぁと思うほど、アスカは間抜けな顔を作ってしまった。


 使用人から言えば、すぐに怒るアスカは嫌なタイプの主人であろう。
 しかし決して理由や非の無い所では声を荒げたりはしない。
 何も無ければ優雅に、穏やかな時を自分のために楽しむタイプであったからだ。
 怒らせなければ居ないのと同じで、自分の世界に閉じこもるのでありがたかった。
 人を誉めないために怒る所が目立つだけである。
 マリアはドイツでは嫁き遅れと囁かれても仕方の無い歳に達している女性であった。
 アスカとは程よく仲が良く、メイドや執事達との仲介も彼女を通す事が多かった。
 実質、彼女が細々とした事を取り仕切っていたと言っても過言では無い。
 主人であるアスカと、真に信頼関係を持ちえているのも彼女だけであろう。
 ……それはアスカの涙が物語っていた。
「マリア……」
 ドイツ郊外、ネルフの敷地に半分入るような形で、その池は林の中に澱んでいた。
 気分までも滅入るような池、と言うより沼である。
 昔から人喰いの化け物が住むと言う噂があったのだが、面白がるのは子供達だけだった。
「ほんとに……、食われちゃうなんてね」
 やぶ蚊や害虫が多く、また年中じめっとしていて誰も近寄りはしない場所。
 自然と大人になるにつれて、みんなその沼のことなど忘れていく。
 アスカは車の中から、警察によって封鎖された林へと視線を投げかけていた。
 先程から警察官に睨まれているのだが、私道に停めているだけあって注意されるような事は無い。
 この道路は研究所へと続く一本道なのだ。
 それに死んだのはアスカの雇っていたメイドであり、友達だった。
 文句を言われる筋合いなどは何処にも無い。
「聞いて来たよ」
 運転席に戻ってきたのは青葉だった。
 バタンとドアを閉じてから、ネルフの赤いロゴが書かれている電子手帳を開いた。
「右腕と腹が食い荒らされてたそうだ、噛み口から何か大きな動物だろうって話しになってる」
「ますます話し通りね?」
「話しって?」
 アスカは子供達の怪談を教えた。
 馬鹿げた話だが青葉は疑わなかった、これには裏の事情も存在している。
(ドイツ支部は管理がずさんだからな……)
 一昔前までアダムウイルスの組み込み実験は、それこそ週単位で行われていた。
 過密過ぎるスケジュールからミスが連発、その際に幾つかの動物を不手際から逃してしまっていた、換気口や排泄口から。
(目的意識の違いか……)
 しかしドイツ支部の人間に反省は見られなかった。
 アダム再活動のキーが悪夢へと続く扉を開かなければ、その動物達も変異することはあり得ないとしたのだ。
 もちろんその通りであり、保菌者と言う観点から見れば人類のほとんどがそうでもあろう。
 現在、十五年の年月によって広まった感染は、もはや収拾のつかない所へと達している。
 だがドイツ支部はその様な建前に興味は無かった。
 先んじてエヴァンゲリオンを完成させること。
 そうしてイニシアチブを取る事こそが急務であったのだ。
(ここでもアダムが活動を再開したのか?)
 日本に現われたアダムの使徒の情報は、ドイツ支部以上に受け取っていた。
「その話の信憑性って、どれぐらいあると思う?」
「……わからないわ、なにかあったの?」
「他にも遺体が上がった、マリアも含めて七人だそうだ」
 アスカは露骨に顔をしかめた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。