「それで一緒に来たのかい?」
「うん……、ごめん」
 カヲルの学校に近い待ち合わせ場所の喫茶店。
 シンジの横には彼女が座り、置かれたパフェに誘惑されている。
「甘栗さん、だったね?」
「はい!」
 慌てて返事をする。
「そんなに緊張しなくてもいいよ」
「そ、そうですか?」
 カヲルは微笑を浮かべる、ようやく緊張が解けたのか、甘栗ナツミは照れ隠しに頭を掻いた。
 全国屈指の進学校である青陵学園の中でも成績は常にトップであり、そして生徒会長をも勤め上げている渚カヲル。
 また渚家の頭首でもある。
 彼のことを知らない人間は居ないだろう。
「でも知らなかったなぁ……、会長、碇君と友達だったなんて」
 ぱくっと、ようやくパフェに手を出す。
「彼は僕のただ一人の親友なのさ」
「カヲル君……」
「違うのかい?」
「……そうじゃないよ」
 手で橋を作り、その上に顎を乗せてカヲルは微笑む。
「では、なんだい?」
 フゥと溜め息。
「シンジ君?、僕のことならかまわないよ」
「でもさ……」
「一緒に居たからと言って陰口を叩かれるようなら、それは僕自身がその程度に見られていたと言う事さ」
 横でうんうんとナツミは頷く。
「話してみないと分からないものですよねぇ?、あたしだってほら!」
 ケタケタと笑う、最初の頃の緊張や警戒心は既にない。
「あたしね?、これ、目指してるんです」
「カメラ?」
「やだなぁ、ジャーナリストって言ってくださいよ」
 すちゃっとファインダーを覗いてカヲルにピントを合わせる、が、ボタンは押さない。
「それで惣流さんを追いかけ回していたのかい?」
「知ってたんですか?」
 バツが悪そうにてへっと笑う。
「惣流か……」
「親戚だよ……、ドイツのね?、綾波がらみ、シンジ君は知っていたかい?」
「まあ、ね……」
 最後の一言にシンジの表情は堅くなる。
(なんだい?)
 しかしどこか懐かしげなものも浮いていた。
「まだただの追っかけですけどね?、でもあの人の記事なら皆も読んでくれそうだし……」
「そうなのかい?」
「会長は知りたくないんですか?」
「親戚だからね……、余り興味は無いよ」
「そうですか、そうかもしれませんね」
「ああ、そうそう」
 カヲルはシンジに話題を振る。
「そう言えば、加持さん、あの人はフリーのジャーナリストじゃなかったのかい?」
「最近はルポライターやってる」
「えーーー!」
 食いつくナツミ。
「誰ですか?、その人!」
「シンジ君の保護者だよ……、普段は喫茶店のマスターをしているのさ」
「素敵……、碇君!」
「はい?」
「遊びに行ってもいい?」
「え?」
「ねぇん、いいでしょう?」
 ごろごろと甘える。
「ちょ、ちょっと」
 周りを見渡すが特に反応は無かった。
(あ、そっか)
 足元の獣を思い出す、この場でその存在に気が付いているのは、恐らくシンジとカヲルだけだろう。
「良いんじゃないのかい?」
「ほんとですか!?」
「カヲル君……」
「喫茶店が賑わうのは好い事だよ?、もちろん、お客様ならね?」
 カヲルは無責任に微笑を浮かべていた。


「ふんふんふん……」
 シャワー室よりタオル一枚を巻き付けた姿で出て来るアスカ。
 ここは彼女が借りているホテルの一室である、貴族と言う割にはそれほど豪華な部屋ではない。
 化粧台の前に並べたビンの中から乳液を選んで顔に叩きつけ、順に進んで最後にリップを軽く引いた。
 これから人と会う約束がある、そんな感じだ。
 時はもう夕暮れに移っていると言うのに。
「ふう……、碇、シンジ、か」
 こちらに来てようやく三人目の名前を教えられた。
 覚えが無いわけではない、いや、むしろ記憶には鮮明に刻まれてしまっている名前であった。


 幼い頃の話だ。
 アスカはユイに詰め寄っていた、どうしてユイは助かったのに、自分の母親は死んでしまったのかと。
 ただ謝るだけの女性に失望して落ち込む、そんなアスカにずっと付きまとっている男の子が居た。
 碇シンジだ。
 しかしそれは苛ついていたアスカの神経を逆なでしただけだった。
「嫌い嫌い、大っ嫌い!」
 ついにアスカは爆発し、その男の子を突き飛ばす。
 男の子は尻餅をつき、最初はキョトンと、次にはわんわん泣き出した。
 駆け寄って来るユイとゲンドウ。
 結論として「あらあら、シンジったら弱虫なんだから」と勝手に転んだと言う事になった。
(違うの……)
 軋む心、しかしその声は届かない。
 そしてそれから二度と顔を会わせることは無かった。
 碇シンジが綾波レイとの行き違いから、精神病をわずらってしまったためであった。
 謝る事も、仲良くなる事も出来ず、ああ、嫌われたのだなと言う後悔が残った。
 アスカにはシンジの入院の事実は知らされなかったのだ。
『シンジ』と言う単語が記憶に残っていた、だからアスカは「あれは碇シンジだったのだろう」と記憶を掘り起こしていた、事実それで当たっている。
 人の上に立つ者が感情に任せて傷つけた、その後悔は今も酷く続いていた。
(あいつ、慰めてくれてたのに……)
 ぎゅっと唇を噛みしめる。
「さてと……」
(どんな奴なんだか……)
 レモン色のワンピースにコートを羽織る。
 そのシンジがサードとして認定寸前にあり、しかもアスカを遥かにしのぐ能力を見せつけていると言うのだ。
(それもこれも、おじ様が予見した通り……)
 二千十四年。
 つまり去年のことだ、母キョウコの墓前、たった一人の墓参りのはずだった。
 が、その前には一人の男が立っていた。
 当然ネルフに所属している者としてその顔は知っていた、しかしそれ以上に個人として記憶に止めていた。
 母の親友、碇ユイにもたらされた一つの可能性。
 母が残した遺産をアスカはユイから引き継いでいた。
 それこそがエヴァだ。
(この人が、ママを……)
 ギュッと唇を噛み締め、憎んだ。
『ママを殺したくせに!』
 激しく問い詰めるアスカに対して、ゲンドウは弁解しなかった。
 ただ「ゼーレ」と言う組織と、セカンドでありながらエヴァ02として登録されている事への理由を説明したのみである。
 既に01は確認されており、だが精神病を患ったがために長く入院していたのだと。
(だから、か……)
 01がシンジであると伝えれば、それはシンジが心の病を負わされたことに直結してしまう。
(変な所で気を使うんだから)
 苦笑いを浮かべる、ゲンドウに対して。
「それにしても……、危ない奴になっちゃってるんじゃないでしょうねぇ?」
 プレイデッキの前には無造作に先の使徒との戦闘記録を収めたディスクが放り出されていた。
 一体どのような神経があればこのような惨殺が行なえる物なのか?、死んだ少女は使徒ではなく人の形のままで殺されてしまったと言うのだから。
「碇、シンジ、か……」
 くり返す。
 もし危険人物であるのなら、同じエヴァとして放置しておくわけにはいかない。
 エヴァは人類の希望で無ければならないのだから、決して使徒と同じく、驚異になってはならないのだから。
 だが同時にシンジに対しての負い目も浮かび上がって来る。
 アスカの心は微妙に揺れていた。


「碇シンジ君、か」
 甘栗ナツミは「TeahouseComfort」を出て、しばらくした所で呟いた。
 約束通り、シンジに引っ付いて押し掛けたのだ。
「へへぇ、ガールフレンドだって」
 ちょっと赤くなって鼻頭を掻く、悪い気はしなかった。
(思ってたより、ね?)
 気を使う優しい少年だった、碇シンジは。
 ガールフレンドかとからかわれてムキになって反論していた、最後には赤くなって「もう!」っとすねていた。
(可愛いんだ、碇君って)
 噂で聞いていた様な悪い人間ではない、それはカメラを覗いて来た経験から来る判断だった。
 ただ彼女を置いて、怒る様に買い出しに行ってしまったのは……
(頂けないよねぇ?)
 でもその分、加持とミサトから面白い話しを仕入れる事が出来たのだから。
(ま、いっか)
 と、にやけられた。
「また来よっかなぁ?、……あれ?」
 振り返ったナツミは不可思議なものを見付けてしばし惚けた。
「惣流、さん?」
 喫茶店へと入っていったのは、間違いなく私服姿のアスカだった。
「どうして……」
 彼女が住居としているホテルからは遠いはずなのに。
「あ、出て来た……」
 五分と経たずに出て来た、そして歩いていく、不機嫌になったようで肩が怒っていた。
 数瞬迷った揚げ句に彼女は……、アスカを着ける事を選んだようだった。


「いらっしゃ……、あら?」
 入って来た人物に微笑みかける。
「アスカじゃない」
「ミサ……、ト」
 げぇっと嫌そうな感じで硬直する。
「なんであんたがここにいるのよ!」
 アスカはビシッと指を突きつけた。
「はぁ?、あのねぇ、人の店に来てなに言ってるのよ」
 数人いた常連客も興味を引かれて観客に回ったようだった。
 目が集まる。
「人の……、って」
「住み込みで働いてるのよ」
「で、俺がここの店長ってわけだ」
「加持さん!」
 パッと表情を輝かせる。
 あんまりと言えばあんまりな変わり様だ。
「店長って、ここ加持さんのお店なの?」
「ああ、社交界のお披露目以来か?、大きくなったな」
 ま、座れとカウンターにティーカップを置く。
 中身はレモンティーらしい。
「でも加持さんのお店なのになんでミサトが住んでるの?」
 横目にミサトを睨み付ける。
「随分な言い草ねぇ?」
「ナニースクールからの研修って言って、あんたろくなことしなかったじゃない」
「ま、想像つくな?」
「この女、研修の半年間でうちの酒蔵のワイン飲み干していったのよ?、信じられる!?」
 たははぁっとミサトは去って行く。
 周りの目もかなり冷たい。
「ねぇ加持さぁん、あんなの追い出してあたしと暮らしましょうよぉ」
「勘弁してくれよ……、っと、それより、今日はどうしたんだ?」
 ん?、っと本気で忘れていたのだろう、小首を傾げる。
「その様子だと俺達に会いに来たってわけじゃないんだろ?」
「あ!」
 しまったっと言う顔。
「そうよ、そう!、碇シンジっ、ここに居るんでしょ!?」
 勢い、強い剣幕で切り出す。
「そりゃ……、まあな?」
「何処に居るの?、会わせて」
「……アスカ」
 低い声で話しかけたのはミサトだ。
「シンジ君に……」
「葛城」
(なんなのよ?)
 態度の硬化に居心地が悪くなって、軽くお尻を動かしてしまう。
「シンジ君なら買い出しだよ、まだ店に入るには時間があるからな?」
「店って働いてるの?」
「ははは……、シンジ君はあれでも料理が上手いからな?、ここのランチセットは全部シンジ君にやってもらってるんだよ」
「ふうん……」
 別段、男が料理をする事に対して差別的な意識は無いらしい。
 生理のある女性はピルの服用によって休みの時期に日にちをずらす、体の変調が味覚を狂わせてしまうからだ。
(店に出せる腕前か)
 男が有利なのは確かであったし、またアスカの自宅の厨房も男のコックが仕切っていた。
 有利不利を考えれば、「効率の良さ」をアスカは取る。
 定期的に休みが必要になる女性よりはと、アスカは男性を雇っていた。
「ま、ミサトよりはマシなんでしょうけどねぇ?」
 しかし実際問題としては、そちらの方に関心は寄っている。
「言うわねぇ?」
「あんたうちに来た最初の日にカレー作って、腐ってるんじゃないかって騒がれたの忘れたの?」
「ああ、そのカレーならうちの定番メニューだよ」
「嘘!?」
 青ざめる、それが日本人の味覚なのかと。
「一皿食えたら一万円プレゼントだ、ただし」
「た、ただし?」
 ちょっとほっとする。
「……葛城の入れたコーヒーも付く」
「げぇ……、そんなの絶対無理に決まってんじゃない!」
「あんた達ねぇ……」
 こめかみがひくついている。
「ははは……、ま、この分だと賭けも俺の勝ちみたいだからな?」
「賭け?」
「あ、あれって有効だったの!?」
 ヤバいわね?、っと青ざめる。
「ねぇねぇ、賭けってなんのこと?」
「ああ……」
 面白そうに顎を撫でる。
「三十になってもまともな料理が出来なきゃ、俺が貰ってやるってな?」
「え?、ええ、えー!」
「あんた、あれは冗談……」
「まあいいじゃないか、今だって半分一緒になってるようなもんだし」
 ひゅ〜ひゅ〜と客から口笛が吹かれる、赤くなるミサトと言うのはそれ程見られるものではないのだろう。
 動きに周りを意識する様が混ざる、その仕草が可愛らしい。
「あたし、帰る!」
「あ、おい!」
 まだいやんいやんとお盆が変形するほどの勢いで客を叩き倒していくミサトを尻目に、アスカは加持の制止も聞かず出ていってしまった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。