「答えろ、何故ためらった」
 いきなりからの詰問口調だった。
 暗い部屋で硬い椅子に座らされ、アスカは俯き歯噛みをしていた。
「全ての使徒は排除せねばならん、それは君が唯一生き残るための手段、そう教えたはずだな?」
「はい……」
 脳裏に蘇るのは昨年の墓参りのことだ。
 ゲンドウと相対したアスカの顔は蒼白なほどに色を失わされてしまっていた。
「君の仕事は何だね?」
「使徒を倒すこと……」
「他には?」
「……導く事です、導き手となって」
「なら、その職務を果たしたまえ」
「わかりました」
 思わずギリッと、歯で音を立てていた。



 voluntarily.7 Can you fielding? 


「そうかぁ、復学してくれる気になったか」
 うんうんと感慨深げに頷く加持。
「そんな大袈裟な……」
「大事な事よ?」
 ミサトも嬉しそうだ、居心地が悪いのはシンジである。
「これも渚君のおかげね?」
 カヲルはいつものようにカウンターに腰掛け、微笑んでいた。


「なんだか悪い気がするね?」
「そうかい?」
 ささやかなお祝いだったが感激の余りカレーを振る舞おうとしたミサトから逃げ出し、シンジはカヲルを送るついでに夜の散歩と洒落込んでいた。
「あんなに喜んでくれるなんて……」
「心配しているんだよ、君のことをね?、それより……」
 真顔になる。
「学校ではうまくやっていけそうかい?」
「あの調子なら……、問題無いと思うよ?」
 見上げる、そこには満月が輝いていた。


「碇、シンジです」
 久々の学生服はきつかった。
 教壇に立つ少年と黒板に書かれた名前に、皆さざめくようにざわめいた。
 静かだったのはレイと、カヲル、それにアスカぐらいなものだろう。
 レイは値踏みするように、カヲルは微笑を浮かべ、アスカは睨み付けると言った具合にそれぞれ態度は違っていたが。
 青陵学園の授業は園内ネットを通した端末によって行なわれる。
 端末機は学校側からの完全レンタルの為授業料は実に安く済む、普通校のように授業料と教科書代を別途要求する事も無く、非常に低い入学金で済んでいた。
 ただし、入学試験だけは別問題である。
 学力重視のために中学校でありながら高校一年生程度の学力を要求している、それは多くの士族や海外留学生などを迎えている事にも関係していた。
 当然、シンジはそれをクリアするだけの学力など持ち合わせてはいなかった。
 シンジの悪名を知る者は多い、そのため早くも警戒する色が現われている。
 が、それ以上に『編入試験』を『満点』でクリアした事に対して興味が注がれていた。
 親の権力をかさに着る、と言う意味では縦社会である。
 その枠に当てはまらないシンジはある意味驚異だ、まずはそれを、と睨み付ける者が居る。
 また彼ら、彼女等に従う者もだ。
 だが不思議とホームルームが終わる頃にはそう気にしなくなっていた。
 それはシンジの肩からずり落ちないように、シャツに爪を立てている一匹の獣に関係していた。


 キーボードに不慣れな者も居るため、試験はペーパーで行なわれた。
 シンジはその答案用紙を獣を使ってすり替えていた。
 カヲルがあらかじめ用意していた模範解答と。
 学園長である綾波夫人の協力あってのことである。
「勉強するために通うんじゃないんだよな」
 カヲルと別れて、シンジは一人歩いていた。
 電灯よりも月の方が明るいくらいである。
 毎日ただぶらついていたわけでは無かった、こうして肩に獣を乗せて、その反応を観察していたのだ。
 何故か獣は学園が近付くと、ATフィールドの『濃度』を上げていた。
 それを確かめたくて園内に入り込み、そして変容した甘栗姉妹にぶつかったのだ。
(でも……)
 シンジは考えていた。
 変身を解いた時、アスカは叫んだ。
『何で殺したのよ!』
 答えられなかった。
『何にも知らないくせに、何にもわかってないくせにっ、この子のことを何も、何も!』
 アスカは双子の少女を抱き上げていた。
 制服に赤いものが染み込んでいた。
(何故、か……)
 だが、シンジは彼女を殺した事について罪悪感を感じてはいなかった。
 それはあの子の声が聞こえたからだ。


『助けて、誰か助けて!』
 姉の狂気に沈められて、もがくように足掻く事しか出来なかった。
 ナツミの意識は底無しの沼に沈み込んだ。
 口を開ければ心まで闇の塊がごぶりと入り込んで来た、上げた絶叫は飲み下す事しか出来なかった。
 泥のようないがらっぽい流動物が口腔を痛める、体が発熱する、やめてと姉に訴える。
 アスカにもだ。
 痛い、痛いと泣き叫ぶ。
 姉に刻まれた傷と同じ場所に、焼けるような熱が走った。
 しかしアスカは聞いてくれなかった。
 聞いてくれたのは……、シンジだった。


『もう嫌ぁ!』
 その階に辿り着いた時、シンジの頭を悲鳴が駆け抜けていった。
 瞬間、獣が唸り声を上げてシンジを包み込んでいた。
 レイは急な変身に驚いたが、シンジは構わなかった。
 だからだろう、レイは慌てたように追いかけ、それが結果的に従っているように見えていた。
 アスカを知るために引き裂こうとする姉。
 血の色、内腑からぴくぴくと鼓動を打つ心臓、彼女が吸っている空気を味わうために、肺胞までほじろうとしていた。
 アスカはそんな女に嫌悪していた。
 また自分を助けようとして、姉を傷つけていると分かっていた。
 その間で、ナツミは二人を守る選択をした。
『あたしを殺して!』
 願いが聞こえた。
 化け物であると言う自覚が生まれた、同時に悪魔のような感情が膨れ上がる。
 姉と同じ欲求が生まれて来る、それが抑え切れない、が、自殺を試みようとしても妙な自制が働いてしまう、誘惑がナツミを塗り変えていく。
 だからシンジに求めた、裁断を。
 だからシンジは答えた、求めに応じて。
 それだけだった。
 たったそれだけのことだった。
(だから悲しく感じないのかな?)
 シンジは答えが見付けられないでいた、ただ、あの笑顔がもう見られなくなったのだとしても、なんら惜しいとも思えない、それだけだった。
「でもアスカは……」
 声に出して思い返す。
「やっぱり……、聞こえなかったのかな?」
(あの子の声が)
 それが不思議でならなかった。


 数日が過ぎるとシンジの存在は教室に溶け込んでしまっていた。
 アスカとレイは元々の固執からか?、シンジに神経を注いでいた。
 だからだろう、シンジを意識する事に成功していた。
 綾波家の跡取り娘とラングレー家の長女、その視線がある一点で重なっている事に気付く者は居なかった。
 誰もが窓の外の景色を眺めていると思い込んでいた。
 シンジが目に止まらないためである。
(面白い事になって来たね?)
 その様子を楽しげに観察していたのはカヲルだった。
 これはシンジか、あるいは獣の意思なのだろう。
 カヲルはどちらかと言えば、無視される側に分類されていた。
(シンジ君も心配性だねぇ)
 喉を鳴らすように笑ってしまう。
 それを行なわせているのは獣ではなくシンジだ、カヲルはそう判断していた。
(僕が彼の側に居ると、僕にまで悪い噂が立ってしまう、か)
 先日のナツミとの会話を思い出す。
 カヲルに迷惑はかけられない、だが彼と疎遠になるのは耐えられない。
 それは無意識の内の選択なのかもしれなかった。


 やがて昼休みのチャイムが鳴った。
(さて、と)
 学食へ行こうと席を立つ。
(便利なんだよな、こいつ)
 食券を買おうとして列に割り込んでも気付かれなくて済むからだ。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「え?」
 だが今日は引き止められてしまった、その上、逃げられないように手首も掴まれた。
「……なに?」
「ちょっと付き合って」
 強引に引っ張る、その様子に「あいつ誰だ!」とクラスメート達はざわめき、シンジを思い出すのに苦労していた。


「どこ行くんだよぉ?」
「邪魔の入らない所よ!」
「なんだよもぉ……」
 ぶちぶちと言いながらも引かれるままに着いていく。
 逆らうつもりは毛頭無い、だが従う気持ちも薄かった。
 アスカが向かったのは中庭だった。
 小さな噴水と掘池、その側のベンチ。
「用があるなら早くしてよ……、食券売り切れちゃうじゃないか」
 くるっと振り返ると、アスカはどんっとシンジの胸に『それ』を押し付けた。
「……なに?」
「あんたばかぁ!?」
 二十センチ足らずの長方形の箱。
「お弁当に決まってるでしょうが!」
「はぁ!?」
「一緒に、食べるのよ!」
(なんで?)
 ベンチに腰掛けたアスカの頬はわずかに赤く……
 シンジは混乱させられた。


「おいしいよ……」
「そう?」
 よかった、そんなほっとしたものをシンジはしっかりと見てとっていた。
 だからこそ余計に居心地が悪かった。
「……ねぇ?」
「なによ?」
 不機嫌ではないのだが……
「なんで……、急にこんなの作ってくれたの?」
 ちょっとした間が空いた。
「いいじゃない!、作ってみたかったのよ」
「ふぅん……」
 しかし眉間によった皺をシンジが見逃すはずが無い。
(好意とか……、お礼なんてあるわけないし、なんだろ?)
「ごちそうさま……」
 箸をケースに戻し、弁当箱の上に置いてちゃんと包む。
 そうしてからアスカに返した。
「なによ?」
 しかしアスカが手にとっても離さない。
「……気持ち悪いんだ」
「っな!」
「ざわざわするんだ、落ちつかないんだよ、こんなの」
「あたしの作ったもんがそんなに!」
「そう言う事を言ってるんじゃないよ」
 ふうっと溜め息を吐く。
「アスカは……、僕のことが好きなの?」
「!?」
 上目づかいの態度に言葉が詰まった。
「……そう聞いてるんだよ」
 額面通りの会話ではない、『含むものがあるんだろう?』、アスカは言葉の裏を読み取った。
 それは貴族社会で身に付いてしまった能力である。
「そうね……」
 ふうっと息をつく。
「でもお弁当ぐらい作ってあげようって思ったのは……、別にいいでしょ?」
「どうして……」
「謝りたかったのよ、ずっと」
「謝る?」
「昔のことをね……」
 アスカの遠い目をジッと覗く。
「そんなの……」
 シンジは俯いて足元を見た。
「忘れたよ」
 そこでは蟻がボロボロになった蝶を引きずっていた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。