変化はいつもと違って、シンジ達に絡むようには起こらなかった。
「なんだありゃ?」
第三新東京市は地下にジオフロントと呼ばれる巨大な大地下空間を持っていた。
それは旧東京にて行なわれていた工事の第二計画に基づく、地下都市整備によって作られた世界である。
旧東京は海面の上昇に伴って廃棄されていた、元々の土壌の汚染と液状化からくる地盤沈下に危険区域として指定されてしまっている。
ジオフロントも既に水没し、地上共々封地されてしまっていた。
「どうした?」
ジオフロント上層部は地下アミューズメントパーク、あるいはデパートメントとして解放されていたが、深部ではこうして今だに工事が続けられていた。
「いや、あそこ」
その工事現場。
金網と鉄パイプで作られた簡易通路は、大電力を通す高圧線や配管などで囲まれていた。
その工事用の特設ライトだけの暗い中を、黄色いヘルメットを被った作業員が指差している。
「なんだありゃ、モグラか?」
暗闇の奥、工期がまだのために一時据え置かれている通路の奥で何かが蠢いていた。
「馬鹿野郎、モグラがあんなにでかいかよ!」
携帯電話で警備室を呼び出す、工事に伴って最初に行なわれたのは携帯端末の通信中継器の設置であった。
無線機では限界があるからである、光ケーブルを延長して受送信機を仕掛けるだけなので、そう作業は難しくなかった。
工事初期段階から、このおかげで地上はもちろん外部とも通信は自由に行なえるようになっている。
「動物、なのか?」
ライトを当てる。
「こんなとこに、あんなでかいのがどうやって迷い込むんだよ?」
「知らねぇって」
二人はジリッと後ずさった。
「バカ言うな!」
「どうした?」
「警備員が行くまで見張っとけ、逃がすなだと」
「無茶言うな!」
メットを押し上げる、汗を拭うために。
「おい……」
「なんだ?」
「近付いて……、来てないか?」
「……そう思うか?」
二人が下がるのに合わせて、それは彼らとの距離を縮めていた。
照明器の明かりの下にそれは入った。
「なんだありゃ!?」
それは平たいエイのような生き物だった、大きさは大人数人で一抱えするほどのものだった。
口はイソギンチャクのような触手が生えていた、髭なのかもしれない。
キョロッとした目はイカのようだ。
「「ひいっ!」」
二人の悲鳴に合わせてそいつは動いた。
バン!、バタバタバタバタバタと音をさせて這い走った。
二人は頭を抱えてしゃがみ込んだ、何をされるかは分からないが、恐怖で体がすくんでしまって動けなかった。
やがて、時間だけが流れていった。
「……?」
二人はゆっくりと目を開いた、何も無かった、何も起きなかった。
「な、なんだ……」
ほっと息をつく。
「おい、あいつは……」
「……ここらしい」
右手の壁を差す、フェンスの途切れ目、そこには地上の汚水処理施設へと繋がっている循環器用のまだ露出しているパイプ、その未接続の口が大きく広がっていた。
「それで、調査の結果はどうなんだ?」
「フィフティ、フィフティですね」
会議室の中、資料を手に日向は答えた。
「使徒ではないのかね?」
片目だけを開く冬月。
「可能性は捨て切れませんが……、特にこれと言った判断材料はありませんし」
「現在諜報部がパイプや坑内を探索していますが……、ジオフロントは広過ぎますからね?」
日向の答えを青葉が補足する。
「地上に出られると厄介だな……」
「保安部が機転を利かせてくれました、いやぁ大したもんですよ」
「ジオフロントDブロックは完全閉鎖中です、非常時のための隔壁を先に完成させてたのは運が良かったっすよ」
青葉の安堵に大きく頷く。
「ジオフロントは旧東京の経験も生かしているからな、全てのシステムはそれぞれ独自に閉鎖が利く、それこそ配管も含めてね」
冬月は確認するように呟いてからゲンドウへと振った。
「それで、どうするね?」
「……サードにやらせる」
「シンジ君にか!?」
日向も目を剥いた、青葉はわずかに困惑しただけだ。
「しかし碇、シンジ君は……」
「どうやら使徒を嗅ぎ分ける力は一番強い様だからな……、放っておいても引き寄せられるだろう」
「……利用しようというのか?」
「セカンドが居る、彼女に任せる」
「まだその時ではない、か……、碇、本当に良いんだな?」
ゲンドウはただ、薄く笑んだだけだった。
「まったく人使いが荒いったら……」
「ま、そう言わないでくれよ」
ジオフロントは一層が吹き抜けになっており、その内部は数段重ねるようにして各階に隔てられていた。
最終的には第二十六層までが予定されているのだが、現在完成しているのはわずかに二層まで、基礎工事に至っては十層の骨格が組み上がったばかりである。
アスカはその工事用エレベーターに乗っていた。
第十層までの直通エレベーターである、巨大なボードが斜めに移動、降下していく。
周囲のパイプの列がその速度を感じさせた。
「で、これが武器だ」
「なによこれぇ?、おもちゃじゃない」
「通称パレットガン、エアガンなのは材質を統一するためだよ」
「ああ、なるほどね……」
アスカは赤い硬質な感じのするスーツを着ていた、ダイバースーツに似ているものだがもちろん違う。
銃を取って弾層を確認する、アスカにも扱えるほどで、やはり軽い。
エヴァが取り込んだ物体は変質する、それは材質や構造が複雑であるほど変異後の状態を現物より遠くした。
特に危険なのは火薬である、エヴァが生体である事に関係するのだろう、『肉』が『弾ける』のだ。
もちろんこれを確かめたのもアスカである。
「あの時は大変だったわ……」
「片腕が吹き飛んだんだって?」
「そうよ……、修復が終わるまでの二週間、気が抜けなかったわ」
アスカはじっと右腕を眺めた。
変身を解けば鮮血が吹き出し、二度と元には戻らなかっただろう。
変身……、『エヴァンゲリオン』とのシンクロ、『同調同化』には多大な集中を要する。
一度シンクロしてしまえば問題は無いものの、睡眠や気絶と言った意識の断絶が起これば変身は解けてしまう。
アスカは七百二十時間という連続保持記録を叩き出していたが、それは通常の状態での話であった。
傷の修復は精神的な疲労を導く。
細胞の一つ一つが分裂し、増殖していく様を見続け、感じ続けなければならないのだ。
「あれは気持ち悪かったわ……」
「記録は見たよ」
徐々に徐々に蠢いて細胞が分裂増殖していく、本当に治るのか分からず、元の形に戻るかも分からなかった。
「だから治った時は嬉しかったわ」
思い出しているのか?、口元に笑みが浮かんでいる。
「……!、何笑ってんのよ!」
「なんでもないよ」
照れるアスカに、青葉はニヤニヤとしてしまっていた。
「落ちつかないね、こんな毎日って」
「そうかい?」
夜のファーストフードショップ、夜の七時と言う時間帯だからだろう、私服に着替えた学生達で賑わっている。
「楽しいのは好い事だよ……、アスカちゃんとも仲がいいみたいじゃないか?」
「そんなんじゃないよ」
「そうかい?」
やや嫉妬しているようなものが混じっているのだが、シンジは気付かずに赤くなっている。
「理由がよく分からないからね?」
「理由?、……人が好きになるのに理由が必要なのかい?」
「今までずっと嫌われて来たからね……、信じられる分けないさ」
「寂しいねぇ……、みんな君のことを心配しているのさ」
「心配?」
「そうだよ」
「そうかな……」
まだナツミを殺した後のことが引っ掛かっていた。
あの時シンジは睨まれたのだ。
(僕に怒りをぶつけてた……)
それが突然、ああも変わってしまったワケはなんなのだろうか?
(やっぱり、父さんなのか?)
影がちらついてしまう、素直に信じる事がどうしても出来ない。
「人は誰しも違う思いを抱いているものさ……、そのために歩み寄る事もあれば反目もする、時には手を繋ぎ、場合によっては背を向ける」
そんな思いを見透かすようにカヲルは一人ごちる。
「アスカがそうだって言うの?」
「あるいは綾波レイも、また……」
「綾波は……、信じてるみたいだ、父さんを」
「ただ許せないんだろうね?、そのやり方が……」
「何を信じてるんだろう?」
カウンターの上を見る、獣がハンバーグの肉をついばんでいる。
「それは……、いい機会なんじゃないのかい?」
「そうかな?」
シンジの手元には一枚のレターが広げられていた。
「ここから始めるしか無いわね?」
第十層、アスカは最初に使徒らしき生物が確認された配管口を覗いてから振り返った。
青葉に荷物を広げさせ、両肩にツールパックを巻き付ける。
その上で髪を広げるように掻き上げてから、集中するために瞳を閉じた。
「シンクロ……、しなさい」
呻くように命じる、じりじりと反発しながらも蜘蛛は足を伸ばした。
その足がアスカを抱きしめるまでにたっぷり三十秒はかかった、さらに糸がエヴァへ固めるまでに一分近い時間が費やされた。
(この間より遅いな……)
それは監視カメラの映像をチェックしていた事から来る感想である。
(緊張感の差か?)
前回、彼女の『エヴァ』は己の意志でアスカを守った。
だが今は逆らうように言うことを聞かないでいる。
(何が違うんだ?)
観察する、が、分からない。
『行くわ』
耳に付けたヘッドフォンから、声がした。
『カッコわるぅい……』
配管口から巨大な円筒のパイプへと侵入する。
パイプと言えども空調か、下水か、上水なのか?、とにかくワンブロックを維持するほどのものである、やや前屈みにならなければならないものの、アスカが進むには十分だった。
『何か見えるかい?』
『なぁんにも、ネズミも居ないわ』
ガンッと右肩から針のようなものが上方へ飛び出し天井に張り付く。
半透明のジェルの中には機械の点滅が見て取れる。
それは通信電波を中継するためのモジュールであった、針に見えたのは粘着性の液体細胞が吹き出したために細長くなっていただけだ。
『食べるものが無いからね?、ゴキブリが住み着けばネズミや虫も増えて来るさ』
『ま、ガスと油しか無いんじゃあねぇ……』
ガンゴンとアスカの足に合わせて音が響く。
手に持っているライフルは既に変質していた。
四つの目は緑色に光っていた、アスカには暗視スコープを使っているように見えている、が、ここには全く光源が無い。
ではどうしているかと言えば……、ライフルに取り付けたパーツである。
赤外線照射装置、ただしこれはエヴァンゲリオンの細胞で取り込んでいない、機械のままである。
『あれ?』
『どうした?』
『行き止まり、ハッチで封鎖されてる……』
『物理閉鎖だよ、隔離処理だな』
『他の道って事か……、あ〜もぉ!、動体反応検知器ぐらい揃えられなかったの!?』
『パイプに使われてる素材が特殊なんだよ、レーダー波を吸収するから直線でないと使えないしね?』
『長期使用による老朽化を見越しって事かぁ……、空気は臭いし、風は冷たいし、もう最低ね?』
『……有毒ガスかもしれないな、上の浄化層に吸い上げているから』
『げぇ!』
『変身は解かないようにね?』
『それより、そんな所で働かせてんの!?』
『作業員かい?、逆だよ、作業環境をクリーンにするためにそのパイプがあるんだ』
『吸い込み口から逃亡されたって事?』
『ま、そんな所だろうさ』
(嘘ね)
青葉がどういうつもりなのかは分からないが、アスカはそう見抜いていた。
先程見た使徒らしき生き物の侵入口は『解放』されていたのだから。
もし空気を吸い上げているのなら、途中に巨大なファンが回っているはずである。
(上の層へ昇れないように封鎖しただけでしょうが、この風だって気圧の差で流れてるだけ)
気遣いなのかもしれないが、アスカはそれを迷惑だと感じた。
(情報がどれだけ大事なのかわかってるのかしら?)
サポーターは必要であるが、故意に誤った情報を与える人間は用を成さない。
(子供だからってバカにして……)
見た目は子供である、が、このような場でそれを持ち出すほど幼くは無い。
逆に持ち出されては迷惑なのだ、子供だと思うのなら、大人のくせに押し付けるのかと言いたくなる。
アスカは精神的には成熟していると言うプライドを持っている、それがなければ碇ゲンドウもこのような仕事を回したりはしないだろう。
(後はシンジ次第か……)
シンジが持っていた手紙、それはアスカの出したものだった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。