「よ!」
「マコトか」
ふぅっと、車のボンネットに顎を乗せ、青葉は学園の校舎を眺めやった。
「干されたんだって?」
そんな青葉に、日向は癒しの缶コーヒーを与える。
「お姫様のサポートには相応の人間を当てるんだそうだ」
「妬いてるのか?」
「妬くさ、この手のことには自信あったからなぁ……」
さらに憂鬱な息を吐く。
「で、やることもなくてぶらぶらか?、さっさと散れよ、司令がうるさいからな」
「わかってるよ」
青陵学園周辺は警察機関とも協力してかなり厳重な警備体勢が取られている。
それだけに余計な所で顔を晒して目立つな言うのだ。
「じゃ、俺はそろそろレイちゃんが来るから行くよ」
「行け行け!」
青葉は嫉妬丸出しで日向に蹴る振りをするのだった。
ホームルームも終了して立ち上がったシンジだったが、先回りするような動きに遮られて、つい戸惑いの顔を見せてしまった。
「一緒に帰りましょ?」
ついぞ向けられた事のない微笑みに戸惑う、おかげでシンジは反応するのが遅れた。
「あ、でも掃除当番だから……」
それが恥ずかしくて赤面する。
「そいつ使えば抜け出せるでしょう?、ほぉんと、変なとこだけおりこうさんなんだから」
ねぇ〜?、っと獣に指先を嗅がせて目尻を下げる。
『動物は小さいほどに愛くるしい』の類に漏れず、シンジの獣も猫に似た仕草をするので可愛かった。
「じゃ、あたし図書室で待ってるから」
「わかったよ……」
アスカが出て行く、その背中をぼうっと見送っていて、シンジは刺すような視線に気が付いた。
「なにを惚けているんだい?」
「カヲル君!?」
(じゃ、ないや……)
視線の主はクラスの男子生徒達、複数だった。
学歴、経歴、容姿、家柄、アスカを狙う者は多いのだ。
「いいのかい?」
「え?」
「誘われたんだろう?、一緒に帰ろうって」
「あ、うん……」
シンジは再び首を捻った。
「どうしたんだい?」
「こんな風に誘われたの、初めてだから……」
「……君に必要なのは日々の触れ合いだねぇ」
何やらとても呆れた感じで、肩をすくめられてしまうシンジであった。
(日々の触れ合い、か……)
掃除も一段落して図書室へと向かったが……
(なんのために?)
誰のために?
(アスカはどうして……、って決まってるじゃないか)
父さんのためだ、だからシンジは戸口で立ち止まった。
「しつっこいわねぇ……」
その声音から「またか」と想像して図書室には入れなかったのだ。
ここで自分が現われれば無用の争いを招く事になる。
(僕には関係無いのに……)
恨めしくなる、が、同時に疎ましくもなって来る。
「どういう根拠があって、あたしがあんたなんかになびくと思うわけ?」
「碇よりはマシだと思ってね?」
(そうだよなぁ……)
つい同意してしまう自分が情けない。
だから戸口にもたれて待つことにする。
「顔、成績、運動もだな……、随分マシだと思わない?」
「自分でそういうこと言えるなんて、ほんと良い性格してるわねぇ?」
よほど呆れたのだろう、先程のまでの険が消えている。
「ま、勝手に言ってなさいよ」
「そうだね、今日はこれぐらいにさせてもらうよ」
(こっちに来るな……)
シンジはどうしようかと迷った、が、獣のことを思い出して頼ることにした。
なのに……
「彼女に相応しいのは選ばれた者だよ……」
シンジに対して話しかけ、そして。
「そう、例えば」
『使徒』
そう言って、獣に対して微笑んだ。
(アスカには聞こえなかったのかな?)
使徒、その一言が。
でなければこんなにものんびりとはしていないだろう。
「まぁったく、ホントにバカシンジって言うしか無いわね?」
「なんだよもぉ……」
男女で下校すれば「ちょっとした寄り道」は当然だろう。
しかしシンジはその当たり前に思い至らず、真っ直ぐに帰ろうとしたのだ。
「エスコートも出来ないってんだから、まったく」
「わるかったね……、面白くなくて」
「鈍感、もでしょ?」
「なんだよそれぇ?」
「さあ?、自分で考えてみなさいよ!」
腕を絡めてはいるが不満の方が大きいのだろう、口先が尖っていた。
不機嫌さが表立っているのはシンジに案内させた遊び場に満足できなかったからだ。
アンティーク、ブランドショップ、あるいは『遊戯場』と言った場所のイメージがアスカには染み付いている。
それに対してシンジの知っている場所と言えば、せいぜいがゲームセンターと本屋だった。
「まったく!、人の気も知らないで……」
「アスカは何も話してくれないじゃないか」
「なに?」
「何も話してくれないのに……、何かをわかれなんて、そんなの無理だよ」
「バカ!」
ギュッとシンジの腕を強く抱き込む。
「そんなの……、自分で考えなさいよ!」
「え……」
(アスカ?)
シンジは深い混乱に陥った。
(アスカ、照れてるの?)
触れ合っている腕から体温の上昇を感じ取れる。
「なによ、何とか言いなさいよ!」
「え?、あ、うん……」
再度、図書室で目を合わせた彼の言葉が思い浮かんだ。
『相応しいのは』
「なんだかこれって……、デートみたいだ」
次の瞬間。
「バカ!」
パンッと、景気の良い音が鳴っていた。
「まずった……」
『バカ!』
シンジの頬には見事な紅葉が咲いている。
「怒らせちゃったよ……、調子に乗り過ぎたのかな?」
アスカが去って行った後になってもシンジはまだ街をふらついていた。
「思いっきり嫌われただろうな……」
嫌われるのには慣れているが、それは『誤解される事』に慣らされただけだ。
険悪にしてしまった、非は自分にある、悪いのは自分なのだ。
それがわかっているだけに、謝れなかった事が心に痛い。
「でもなぁ……」
(僕なんかとこんなことしてたって、しょうがないだろうに……)
そんな思いがあった、シンジは唯一知っている友人を引き合いに出して考えた。
「カヲル君なら……、釣り合うんだろうけどさ」
卑屈になっているわけではない、元々シンジの中に、アスカと言う選択肢が存在していないのだ。
「アスカの何処が良いんだろう?」
皆の視線を思い出す、失礼な話だがシンジにはそれが本当に分からないのだ。
(顔は……、可愛いんだろうな?)
あまり人の顔を見て話すことが無かった、だから比較が上手くいかない。
可愛いと言えば整ってはいるが、それが魅力的だと言う意見に結び付かない。
(頭も良いのか)
しかし学力には興味が沸かない、これはエヴァのせいでもある。
記憶中枢に手を加えられているシンジにとって、目に入る情報を暗記するのは容易な事であった。
だから価値を見いだせない。
(運動も……、できるんだっけ?)
体育の授業、バスケットで白い手足を思い切り伸ばし、3ポイントシュートを決める姿を思い出す。
皆が体操着から覗ける肢体に目を奪われていた、だがやはりシンジは興味を起こせなかった、湧かないわけではないのだが、少しでも視線を悟られれば『何を言われるか分からない』
それはこれまでの『苛めの経験』から来る反射的な想いだった。
だから興味を示してはいけないと言う自制の念が強いのだ、アスカの魅力的な体もシンジにとっては恐怖の対象にしか成りえない。
そして家柄、これこそがシンジが敬遠してしまっている最も強い原因である。
惣流家は碇家と縁が深く、ラングレー家は綾波家と繋がっている。
ただでさえ権力を傘にする人種と言うものを見て来たシンジである、嫌悪せずに済む相手と言えばカヲルぐらいなものであった。
シンジの対応としては、まだアスカはマシな部類に入るのだ。
もちろんそれで彼女が納得すれば、の話ではあったが……
「まったくもう、バカシンジが!」
バサッとベッドの上にシャツを脱ぎ捨てる。
「一体いままで何だと思ってたのよ!?」
弁当を作り、声を掛け、腕を組み……
「誰とでもあんなことすると思ってんの?、まったく!」
怒りで頭を沸騰させたままバスルームへ向かう。
シャワーのコックを捻ったアスカは、降り注いで来るはずのお湯のために身構えた。
「つっ!?」
最初の一滴が肌に触れた瞬間、焼けるような痛みが走った。
反射的に後ずさって逃げようとした、だが降り注ぐシャワーから逃げ切れるほど広くはない。
密閉空間と言う心理的な恐怖が走る、が、それ以上の被害には襲われなかった。
カランと音がしてシャワーは湯船の中に転がっていた。
はっとする、蜘蛛の足が一本伸びて、固定していた金具ごと殴り飛ばしてくれていた。
「た、助かったわ……」
髪の中に手を差し込んで、首筋の蜘蛛を指の腹で優しく撫でる。
ぷくっと柔らかく蜘蛛はへこんだ。
「でも……」
湯船を見る、異臭が立ち昇りだしていた。
流れ出した液体によって湯船は溶けだしていた、白煙を上げながら徐々に穴は広がっていく。
直にホースの部分の腐蝕が始まった。
コックを捻る、栓は壊れていなかったようで、アスカはほっと胸をなで下ろした。
正体不明の黄色い溶解液は、空気に触れることによって強力な酸に変質してしまうようだった。
「被害甚大だな」
綾波家警備部本部指揮所。
通称ネルフ発令所である。
冬月は送られて来る情報に頭を痛めていた。
この場所には珍しく、隣にゲンドウの姿が見える。
「狙われたのは……、アスカ君の泊まっていたホテルを中心に半径二百メートル圏内か」
「……ああ」
「使徒、なのか?」
様子を窺うように探りを入れる。
「まだそうとは限らん、パターンの検知は行なわれていない」
しかしゲンドウがここに居ること自体、事件の深刻さを窺わせている。
「第三新東京市はセカンドインパクト以後の混乱期を教訓に、自給自足が可能なコロニーとして建設されている、テロに対しても必要以上な対応策が盛り込まれている」
「ああ、上水道を利用した劇物の混入はありえない」
「それに液体を劇物に変質させるこの能力……、似ているのではないかね?」
何かを知っている様な物言いだ。
「わかっている、だが結論を急ぐべきではない」
「だがなぁ……」
ホテルの貯水タンクに毒物が混入された痕跡は発見されなかった。
しかし被害を被ったのはアスカだけではない。
調理場で、あるいはシャワールームで、手洗い場、トイレで……
体の一部、または全身に、この液体に触れた者は、まるでぐずぐずと溶かされるように分解されて悲鳴を上げていた。
……死者も出ている。
特に風呂に入っていた者などは、原形もなく溶解させられてしまっていた。
「で、彼女は今どうしているんだ?」
「しかるべき所に保護を頼んだ……、今晩は医務局で検診を受けさせるがな?」
「ふむ……、しかし良く引き下がったな?、彼女が」
「問題無い」
にやりと……
ゲンドウは何やら含んだもののある笑みを、冬月に隠して小さく浮かべた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。