「じゃ、碇君……、わたし、帰るから」
「あ、うん……」
 シンジはきょとんとしてレイの背中を見送ってしまった。
「どうしたんだい?」
「え?、うん……、初めてだなと思って」
「何がだい?」
「挨拶されるの……」
 ふぅ、とカヲルは肩をすくめた。
「本当に君達にとって必要なのは日々の触れ合いだねぇ……」
「だって今までだって一緒に帰ったこと、ないんだよ?」
「そう言えば彼女はどうしたんだい?」
 シンジの表情に翳りが帯びる。
「アスカなら……、帰ったよ、怒らせちゃったんだ、昨日……」
「それは……、残念だったねぇ?」
 シンジはまだ落ち込んでいた。


 パンパンパン!
 喫茶店のドアを開けたシンジは、クラッカーの出迎えに固まった。
「「ご婚約おめでとー!」」
「へ?」
 にやっとした加持とミサトが脇にどくと、そこには恥じらいながら俯くアスカがいた。
「シ〜ンジぃ、これからよろしくね!」
 じゃれつく様に腕に組み付き、年齢の割には豊かな胸を押し付ける……、が、シンジの反応は冷たかった。
「なんの冗談?」
「ちっ、つまんない男ねぇ」
(こんな所で乗せられてどうするんだよ?)
「ちょーっち、白々しかったんじゃない?」
 ミサトがにひひと笑っている、それに店の奥では常連客もシンジの狼狽を期待していた。
 それら一同に対して溜め息を吐く。
「で、なんです?」
「こういうことさ」
 上を指差す。
 横断幕がかけられている。
「……歓迎?」
「そ、今日から住むのよ」
 一秒ほどたっぷりと考え込んだ。
「……誰が?」
「あたしに決まってるでしょうが!」
 さらに二秒。
「なんで?」
「ずっとホテル暮らしで不便だって言うからな?、俺が誘ったんだ」
 座れと促し、コーヒーの準備に取り掛かる。
「はぁ?、でも空いてる部屋なんてありましたっけ?」
「大丈夫よぉ、ちょ〜っと狭いけど、二人でも余裕あるみたいだしぃ」
「余裕って……」
「シンちゃんと相部屋よん」
「は?、え、ええー!?」
 ようやく見たかったものが見物できて、店のそこら中から笑いが沸いた。
 だがそんなことを気にしていられる余裕は無い。
「冗談でしょ?、なに考えてんですか!」
「なぁによぉ、こぉんな美人が一緒に暮らしてあげるって言ってんのよ?、ちったぁ嬉しそうにしなさいよ」
 ピンッとシンジの鼻頭を弾く。
「あのねぇ……、僕の部屋なんだよ?、わかってんの?」
「ちょっとベッドが小さかったけどねぇ」
「べ、ベッドって……」
 さすがのシンジもこれには赤面した。
「なぁに考えてんのよ?、あんたは、床で寝るのよ!」
「ええー!?、そんなぁ……」
「あらシンちゃん、アスカと一緒がいいの?」
「おいおい、それはまだ早いんじゃないのか?」
「もう!、加持さんまでなに言ってんですか!」
「そうですよぉ、加持さんならともかく、シンジじゃねぇ?」
「なんだよぉ……」
「お子様だって言ってんのよ!」
 とほほっとシンジの口から溜め息が漏れる。
 だがこれで終わったわけではない。
 してやったりと調子に乗ったアスカに昨日のデートの失態までも公開されて、シンジはさらにからかわれる事になったのだった。


「学校の様子はどうだ?、レイ」
「問題、ありません」
「そうか……」
 二人は庭園を横断するように歩いていた。
 レイの半歩後ろにはリリスが警護するように従っている。
 日本風の庭園には石が敷き詰められており、靴ごしにでも足が痛いはずなのだが、この二人はそれをおくびにも見せていなかった。
「碇君は……」
 レイはゲンドウの反応を窺った。
「落ちついています」
「そうか」
 何故だろう?、口元がほころんでいる。
 あれほど自分のことを嫌っている相手だというのに。
「……なんだ?」
「何故……、話さないのですか?」
 レイの意図を計りかね、ゲンドウは歩を止めて見下ろした。
「今更何を話す必要がある?」
「……何かを話さなければ、何も変わりません」
「では」
 ゲンドウは穏やかな雰囲気を塗り変えて睨み付けた。
「お前には、わたしが理解できると言うのか?」
 言外に含んでいる。
 組織の計画を知っていながら、そのやり方に理解を示せるのかと……
「それは……」
「もう、シンジには構うな」
 レイはびくりと震え上がった。
「人はお互いに理解し合うことは無い……、永遠に一人なのだ、分かり合えたと言う想いは誤認に過ぎない、それは後に傷つくための材料にしかならん」
 レイの唇が引き結ばれる。
「お前は……、自分の心が作られたものではないと言う確証があるのか?」
 ギュッと……
 握られた拳にも力が入った。
「迷いがあるのはわたしも同じだ……」
 レイははっとして顔を上げた。
「……我々には、導いてくれる者が必要なのだよ」
 深い苦悩を横向けられた顔の彫りに感じ取る。
「シンジの事は彼女に任せてある……、お前が悩む事ではない」
「司令……」
 だがその時にはもう……
 いつものゲンドウが居るだけだった。


「はぁ〜、食べた食べた!」
 ボスッとシンジのベッドに腰掛ける。
 今日からは自分のための寝台である。
「あ〜んた料理なんて出来たんじゃないのよ」
 結構ご満悦のようだ。
「明日っからあんたにお弁当作ってもらおうかしら?」
「……何でそうなるんだよ?」
 アスカの持ち込んだ荷物を隅にどけて、自分が寝るための場所を確保している。
「人のお弁当を美味しいなぁんて言っちゃってさ?、嫌味な奴よねぇ?、自分の方が料理できるんじゃない」
 そう言ってケタケタと笑う。
「……自分で作るのと作ってもらうのとは違うだろう?」
「それってぇ?」
 膝の上で頬杖を突く。
「あたしのお弁当の方がいいって事?」
「誰もそんな事……、言ってないじゃないか」
 シンジの赤面に、にたにたと笑ってボスッと転がる。
「でもよかったわ……、ここが喫茶店で、調理器具揃える必要なくなっちゃった」
「……今まで何処で作ってたのさ?」
「ホテルの厨房を借りてたのよ」
「よく貸して貰えたね?」
「VIPの言うことだもん、それぐらい聞くでしょ?」
「VIP、か……」
 ジト目の半眼。
「なぁによその目は?」
(黙ってればお嬢様なのに)
 イメージじゃない、と言う思いがアスカに対しては強かった。
 部屋の何処かには加持に貰ったアスカの特集雑誌が転がっているはずなのだ。
 それが見つかると恥ずかしいかもしれない、などと後で隠しておこうと心に決める。
「アスカぁ……」
「なに?」
 それはそれとして……
「……どうして僕に構ってくれるの?」
 いい加減にその答えが貰いたかった。
 わかっていても、言葉で拒絶して欲しかったのだ。
(結局、僕は期待してるんだ)
 だから強く拒絶できないでいる、シンジはアスカの答えを待って息を殺した。
「……あたしが、あんたといるのに理由がいるの?」
「落ちつかないんだ、ざわざわするんだよ……」
 笑みを潜めて、アスカは天井をじっと見た。
「あたしの秘密……、もうわかってるでしょ?」
「エヴァンゲリオンって奴?」
「そ、……だからあんたならまあ、いいかなってね?」
「いいかなって……」
 意味を想像して赤くなる。
「なぁに考えてんのよ、えっちぃ!」
 ボスッと枕が投げ付けられた。
「しょ、しょうがないだろう!、だったらミサトさんの部屋にでも」
「あんたねぇ、『あの部屋』に泊まれってぇの?」
「そうだったね……」
 シンジは深く、深ぁい溜め息を吐いた。
 端的に説明すれば『生活不能者』なのだ、ミサトは。
「ごめん、慣れてないんだ……、人に構ってもらうのって」
「はぁ?」
「それに……、アスカも、綾波と一緒なんでしょ?」
「一緒って……」
「父さんの、……味方ってこと」
 アスカは息を飲んだ。
 それ程までに確執が深いとは思っていなかったのだ。
(想像はしてたけど……)
 自分も父とは折り合いが悪い、しかし『父の部下だから』と言うだけでここまで不審に思ったことは無かった。
 例えば『深山』だ、だから雇い入れるぐらいのことはしたのだから。
「お父さんのこと、嫌いなの?」
「……嫌いだ」
 即答だった、だが続きの部分に迷いが見えた。
「でも本当は嫌いたくないんだと思う、……よくわからないんだ」
「あんたファザコン?」
「なんでそうなるんだよ」
「そうやって意識し過ぎてるのをファザコンって言うのよ」
「そっちこそうまく行ってるの?」
 呆れ返るアスカに、シンジはバツが悪くなったのか話しを逸らした。
「ま、そこそこね……」
 分かっていてそれに乗る。
「そこそこって……」
 今度はシンジが呆れた声を出す番だった。
 仕方が無い、とアスカは目をつむった。
『何も話してくれないのに……、何かをわかれなんて、そんなの無理だよ……』
 シンジの声が耳の奥で鳴っている。
「うまくやってる方だと思うわよ?、でも本当の父親じゃないし、あたしが居なくなったら没落するのも分かり切ってるしで、どうにもね……」
「本当のお父さんじゃないの?」
「ママ……、死んだママが結婚したのは今のパパだけど、パパは子供を作るつもりが無かったみたい」
「え……」
「女癖が悪い奴なのよ、そのくせ責任を取らされないように逃げるのが上手くて……、精子バンクって知ってる?、あたしの本当の父親はそこで売られてた精子の一つなの」
「そうなの?」
「あたしは試験管の中で生まれたのよ」
 気まずくなった。
「でも……、それでもお父さんなんでしょ?」
「あっちがそう思ってくれてたらね?」
「そっか……」
「そうよ……」
 少しだけ沈黙が生まれた、その間にシンジは考えていた。
(思ってくれてたら、か……、それって)
 自分もそうだと気が付いたからだ、父は、母親でさえも、もうそう思ってくれてはいないだろうと思い至っていた。
 目を戻すと、横を向いたアスカは枕元で丸くなっている獣の顎を、指で掻いてやっていた。
「あたし、シャワー浴びて来る」
「うん……」
 その間に布団を運び込んでおこうかと……
 シンジは頭を切り換えていた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。