「それじゃあ行って……」
「来まぁす」
アスカに押されて出て行くシンジ、その頬は何故か赤く腫れている。
「全く信じらんない!、なんで男ってこうバカでスケベなのかしら?」
「仕方ないだろう!?、朝なんだからぁ……」
生理現象はいかんともし難いと言うことなのだろう。
「大体、文句あるんだったら離れてよぉ」
「嫌よ」
「なんでさ……」
はぁっと溜め息を吐く。
「あんたが変な事考えたバツよ、バツ!」
「変な事って……、別に」
「じゃあなぁんで廊下なんかで寝てたのかしらぁ?、シンちゃんは」
にたにたとシンジの顔を覗き込む。
「それは、あの……」
「あ〜あぁ、やっぱりお子様には刺激が強過ぎるのかしらねぇ?、あたしって」
「なんだよもぉ……、アスカが寝ぼけて人の布団に潜り込んで来たからだろう?」
「だからって逃げ出すことは無いでしょうが!」
「じゃあどうしろって言うんだよ?」
「そんなの自分で考えなさいよ!」
「なに赤くなってるんだよ、もう……」
シンジは沈み込むように溜め息を吐いた、もう癖になってしまっているのかもしれない。
自分の世界へと落ち窪んでいく、そのせいで気が付くのが遅れてしまっていた。
自分達が同じく登校して来る学友達に聞こえてしまうほど、声を大きくしてしまっていた事に。
爽やかな風が吹く、学校の屋上。
カヲルは髪をなびかせながら、校門に見える二人に微笑みを送っていた。
「演技だけで側に居られるはずが無いんだよ、彼女が見せる笑顔は本物なのだからね?、少しは潤いも必要だと思うよ?」
「それが余計なお世話だとしてもか?」
カヲルの隣には少年が一人柵にもたれていた。
「堀池さん……、でしたね?」
「ああ……」
図書室でアスカに言い寄っていた彼である。
「僕に何か?」
「言うことは……、一つだけだな」
意味ありげに間を一つ置く。
「……惣流には、手を出すな」
「はぁ?」
余程予想外だったのだろう。
間抜けたカヲルの顔というのは見物である。
「それを言うなら、シンジ君に言うべきじゃないんですか?」
「碇にはもう釘を差したよ」
「じゃあ、もう一つだけ」
カヲルは威圧するように声を抑えた。
「……何故、僕に?」
「俺が使徒だからだよ」
堀池は爽やかな笑顔と共に、至極さらっと正体を明かした。
「あっ、惣流さん!」
「おはよぉ」
「ねぇ、今日一緒に登校して来たでしょ?」
「一緒……、ああ、シンジ?」
アスカに何人かの女子が駆け寄って行く、同時にシンジは関心を薄れさせるよう獣に目配せを放って命じていた、が、期待していた効果は得られなかった。
「惣流さんってさ、やっぱり付き合ってたの?」
「そうよ?」
黄色い嬌声が上がった。
(勝手な事言ってるよ……)
より一層影を薄くして座席に着く。
しかし一度注目を浴びてしまってはどうにも視線を外せない。
(何が付き合ってるだよ……)
シンジは頬杖を突いて、楽しげに談笑しているアスカを眺めに入った。
(眠れるわけないじゃないか……)
ベッドには背を向けるようにして布団に入ったが、なまじ見えない分だけ他の感覚器官でアスカの存在を生々しく感じてしまっていた。
特に部屋全体に広がっている濃厚な匂いに気が散らされて落ちつかない。
(甘い香りがする……)
原因は分かっている、アスカが持ち込んだ荷物、衣類の入っていたスーツケースだ。
開けっ放しになっていて、香水の香りが漂い出していた。
(落ちつかないや……)
気も高ぶっていると自分で分かる。
つい先程、アスカがトイレか何かに出ていったのを確認していた。
だから寝返りを打つ、先程まで緊張から身じろぎも出来なかった分、体が酷く強ばってしまっていた。
『もっと明るい子だと思ったんだ、ま、場所も場所だったしはしゃぐわけにはいかなかったんだろ』
(結局……、加持さんの言ってた事が当たってたって事か)
アスカの記事が載っている雑誌を読んでいた時に、加持から受けた説明だった。
(でも……、僕はに人の心なんて分かんないよ)
同時にアスカの行動も。
素直に信じればいいのかもしれない、だが裏切られるのが恐いのだ。
ドアの開く音に、シンジはシーツを頭の上まで引き上げようとした。
が、ドサッとそれよりも先に質量のあるものが倒れて来た。
(え!?)
間近にアスカの顔があった。
はっきりしないが寝ぼけたのだけは一目瞭然だった。
(アスカ……)
『自分で考えなさいよ!』
照れ交じりのアスカの言葉を思い出す。
『あんたなら……』
(そう……、思っても、いいのかな?)
いつもとは違う事を考えてしまって戸惑いが浮かんだ。
鼓動が高まっていく、シンジは知らず生唾を飲み下し、惹きつけられるように唇に吸い寄せられた。
「う……、ん」
しかしアスカの呻きに寸前で我に返った。
「加持、さん」
ほら、やっぱりだ。
シンジはシーツを持って廊下の隅に転がった。
カヲルは教室に戻ると、シンジとの関係を誇張して広げているアスカに目を細めた。
(やり過ぎだね……)
注目される事をシンジは嫌う。
最悪また逃げ出すかもしれない、学校と言う閉鎖された空間から。
だがカヲルはそれよりも重大な問題を抱えていた。
『でも彼女はエヴァンゲリオンでしょう?』
『アダムより生まれし者はエヴァさ』
それは新たに与えられた命題だった。
(シンジ君と綾波レイはリリス……、碇ユイに巣食っているウイルスから生みだされた……、ドイツで保護されていたアスカちゃんはまた違うと言う事かい?)
アダムの妻となるのはリリスでは無くエヴァであり。
リリスは地の底へと追放される運命にあるのだとして。
(アスカちゃんの立場がそうだとしても……、ならシンジ君は踊らされているだけだと言うのかい?)
あるいは自分に見る目が無かったのかもしれない。
(なにをバカな……、いいや、そう言えば何故僕は彼女を『信頼に値する』と?)
愕然とする、席に着こうとして引いた椅子の背に手を突いたままで固まった。
(僕は、いつから?)
アスカを受け入れてしまっていたのかと、彼女に甘い自分に気が付いた。
「やっぱり来るんじゃなかった……」
教室に居づらくなって来ていた、それで出すものも無いのにトイレへと逃げ込む羽目になってしまっていた。
溜め息も深くなる一方だ、しかしそんな姿も他人には幸せの代償にしか映らない。
フィールドを濃くすれば気配は断てる、が、それでは学校に来ている意味が無い。
最低限教師には気付いてもらわなくてはならない、だがその程度のフィールドではアスカがらみでいきり立っている連中の意識を逸らせるには脆弱過ぎた。
針のむしろ。
嫌悪と嫉妬と言う違いはあっても、うとましく思われている事には変わりない。
(無視してくれればいいのに……、アスカもアスカだよ)
監視か何かを命じられているのは分かる、だが他にも方法があるだろうと思うと腹立たしくなった。
シンジははぁっとまたも溜め息を吐いて、手を洗おうと蛇口を捻り……
「あぐうっ!」
両手に襲いかかって来た痛みに呻いた。
流れ出た水は……、黄色かった。
「シンジ!」
男子便所の前に人だかりが出来ている。
保険医だろう、ショートカットの若い女性がシンジの両手に包帯を捲いていた。
「伊吹先生?」
「とにかく、救急車に乗せないと……」
顔色が悪い、シンジはと言えば壁にもたれて呻いている。
意識は保っているようで、両手の痛みを堪えていた。
「大丈夫なの?」
アスカはシンジの顔を覗き込んだ。
「なに?」
シンジに顎で示される。
その先にあるのは手洗い場だ。
「ちょ、ちょっと通して!」
アスカは人垣をどけて水場に寄った。
「!?、この匂い……」
手のひらで鼻を覆って異臭から庇う、洗面台がえぐれるように溶けていた。
「誰か彼を玄関に運んであげて、あたしは他の子を見て来るから」
(まだ他にもいるの!?)
無差別の犯行だったのだろう、同時刻に水を飲んだ者、手を洗った者、あるいは食堂の調理場などで被害が続出していた。
アスカは歯噛みをして顔を上げた。
(あたしに……、ケンカを売ってるっての!?)
シンジが運び出されていく、肩を貸しているのはカヲルだ。
アスカも後を追おうとしたが……、踏みとどまった。
それはレイがシンジを見送ることを選んでいたからだった。
アスカはレイの手を取って階段の踊り場へと引っ張った。
「なに?」
そこに決めたのは水場の騒ぎで人気が無くなっていたからだ。
「一昨日……、あたしの泊まってたホテルでも同じことがあったのよ」
レイの目が細まった。
「偶然とは思えないのよね?、あたしは屋上を調べてみるから」
「危険よ……」
「わかっているわ」
「司令の指示は」
「あんたって、本当にお人形なのね?」
ふうっと嘆息、青い瞳には嫌悪が浮かぶ。
「わたしは、人形じゃない……」
「司令が死ねって言ったら死ぬんでしょ?」
「そうよ……」
「シンジを殺せって、命令されたら?」
即答しようとして、レイは喉に言葉を詰まらせた。
「ほらご覧なさい」
勝ち誇る。
「人の命令には従順で自分の考えってものを持ってない、やっぱりお人形なんじゃない」
アスカはスカートを翻した。
「手伝えなんて言わないわ?、だからお願い、邪魔はしないで……」
レイは……、迷いが晴らせずに、結局アスカの後を追ってしまった。
レイは真っ直ぐに階段を昇るアスカの背中を見つめていた。
(この人は……)
何かとシンジに構おうとする。
『もう、シンジには構うな』
ゲンドウの言葉。
作られた想い、感情。
(この人は、わたしと同じ……)
……はずの存在でありながら、この眩しさの違いはなんなのだろうか?
(わたしは……)
厳密な意味での人ではない?
『シンジを殺せ』
先程の質問に対して、肯定の言葉を吐きかけた。
(わたしは……)
碇シンジ個人、その人格には興味が無いのかもしれない。
(嫌……)
その考えは恐い、人を人として見ていない自分が何よりも恐い。
好きだと、この感情は好意を抱いていると言う、人として当たり前のものだと思い込んでいた。
だが、そうではなかったのかもしれない。
(それはわたしが……)
エヴァンゲリオンだからかもしれないと言う恐怖。
相手が同質の存在であると言う認識への理由付け。
たったそれだけの受け入れ。
これが感情ではないのだとしたら?
(誰も、わたしを見ていない……)
人として見てくれない、気遣ってくれているようでも、それは道具としての立場があるからだ。
(誰も、誰も、誰も……)
しかしこの人を求める気持ちすら、エヴァによるただの欲求なのかもしれないのだ。
(わたしは……、何を信じればいい?)
答えは何処にも無い、あるとすれば……
(この人)
同じでありながら、自分自身を信じている少女なのかもしれない。
「ねぇ」
「なに?」
そんな内側の葛藤を押し隠したままで、素直にアスカに返事を返す。
「シンジ……、大丈夫かしら?」
「ええ……」
「なんでそう言えるわけ?」
「……あの子が、居なかったもの」
「あの子、リリン?」
「リリン?」
「そ、あたしが付けたの、可愛いでしょ?」
肩越しに微笑むアスカにドキッとする。
「シンジってば名前も付けてなかったんだもん」
「……あの子は、碇君の血から生まれた」
「知ってるわ?、記録は見たから……」
「肉体の脆弱さを補強するために作られたに過ぎない存在……」
「へ?」
シンジの精神が崩壊していた期間中も、ウイルスは活動をし続けていた。
その改造は主に脳神経に集中しているとはいえ、実を言えば全身へと及んでいる。
証拠は身体に残されている、運動、リハビリも無しに正常で健康に育った肉体がそれだ。
そう言った意味でシンジはエヴァンゲリオンよりも使徒に近い体構造をしていた。
「あの子は再び碇君と融合し、体の修復を行なっているわ」
「はぁ〜、そんな事が出来るわけぇ?」
「碇君のエヴァンゲリオンは、わたし達とは違うもの……」
「あんたのとも?」
「ええ……」
「そっか……」
それぞれに思う所があったのだろう。
お互いに口をつぐんでしまい、奇妙な沈黙に閉ざされてしまった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。