屋上の貯水タンクを調べようとしたアスカであったが、そこに人影を見付けて立ち止まった。
「やあ」
 爽やかな笑みで出迎えたのは堀池だった。
 広い空間の真ん中に立って片手を上げている。
「来てくれると思っていたよ」
「……あんたしかいないの?」
 気を抜かないように周囲を窺う。
「僕達、だよ、僕は使徒だからねぇ、ここを隔離する程度のことは造作も無いさ」
 アスカは眉根を寄せた。
「なにかな?」
「初めてだと思ったのよ、あんたみたいに名乗る人は……」
「そうかい?、そうかもしれないね……」
 笑いながら腕を広げてアスカに近付く。
「君には隠し事をしたくないだけさ……」
「なんでよ?」
「君は僕達の誰かを選ぶ事になる、それが摂理だからさ」
「摂理?、はっ、笑えないわね……」
「笑い事じゃないさ」
「あたしはあんたみたいな奴を『導く』ためにいるのよ」
「導く?、違うね」
 彼の両腕にシンクロするように……
「なに?」
 シャツの背が破れ、細い足が伸びた、蜘蛛のような足が四本……
 ギン!
 アスカを抱き込もうとしたその足を、アスカのエヴァの足が受け止めた。
 拮抗したように力比べを開始する。
「似ているだろう?、僕達は……」
「形が似てるからって何なのよ?」
 無防備になっているアスカの体を抱き寄せる。
「可哀想なアスカ……、君は綾波家の……、ネルフの計画を知っているのかい?」
「計画?」
「来たるべき世界に生まれい出る人類、でも全ての人が新人類になれるわけじゃないんだ」
「だから?」
「でもこう考えた人が居た……、もしアダムに人の声が残っていれば?、最初の『発病者』からアダムは『次』を摸索する、なら『警鐘者』を都合よく作り上げればいい……、人と、使徒、二つの言葉を操る者を……」
 堀池は純粋にアスカを慈しんだ。
「可哀想なアスカ……、君は弄ばれているんだよ」
「そうかもしれないわね?」
 アスカは堀池の肩口に顔を埋めて……、薄く笑った。


 レイはじっと二人の会話を聞いていた。
 無視されていることについては何も感じ無かった。
 リリスの居ない今、自分には何も出来ないからだ。
 それはいい。
(あなたは、どうなの?)
 レイはそれを考えていた。
 自分のことを責めるように言うアスカ。
 だがシンジに近付いているのは貴方も命令されたからではないのかと反発が浮かんでいた。
 だから見届けたかったのだ。
 レイは知っていた。
 アスカもまた……、自分達とは違う事を。


 2014・ドイツ。
「ゼーレ?」
「そうだ」
 ゲンドウの黒いスーツは喪服にも見える。
 空が暗いのは雲が立ちこめているからだ。
 それはドイツでは珍しくない天候である、にもかかわらずアスカは彼が来たからではないのかと脅えを抱いていた。
 それ程までにゲンドウの纏っている『もの』が重かったのだ。
「人類の革新、来たるべき新世紀を統括すべき人種は高尚でなくてはならん、そのための使徒だ」
「だから……、だからママを」
 はっとする。
「あたし……、も?」
「そうだ」
 ゲンドウは頷いた。
「警鐘を鳴らすべき者、その『選別』は既に終わっている、これが君に伏せられていた真実だ」
 それこそが『使徒』の能力と種類、全てを知っている事への理由である。
 目に涙が滲み始めた。
「じゃあ……、じゃあ、あたし、も、殺されるの?」
「そうだ」
「仲間内で殺し合いをさせて、利用するだけ利用したら!?」
「そうだ」
 泣き崩れる、喪服のスカートに泥がつく。
「どうしようって、言うのよ……」
「そのためのエヴァンゲリオンだ」
 アスカは縋るように顔を上げた。
「エヴァン……、ゲリオン?」
「そうだ」
 幾度目かの頷きを行なう。
「君に、選択する権利を与えよう」
「……あたしに、なにを選ぶ権利があるって……」
「君はアダムとしての覚醒を迎えつつある、母親の死が君の心を欠けさせた、精神の欠如がその力を引き出したのだよ」
「じゃあどうしろって言うのよ!、泣いちゃいけないの!?」
 ゲンドウは彼女に一つの選択肢を用意した。
 アダムの徒、ゼーレと言う組織の手先となって、使徒の駆除に勤め上げるか?、それとも……
 そしてアスカは選択した。
 いや、それは決断だったのかも知れなかった。


 堀池に抱きしめられたアスカの口元に、とても凄惨なものが浮かび上がった。
「なっ!?」
 堀池はよろめくように下がった、バキンと言う音に蜘蛛のような足が震えた。
 お腹を押さえている、白いシャツに赤い染みが広がっていく。
「使徒なんかに惚れられても嬉しくないのよ」
 アスカの手には安物のカッターナイフが握られていた。
 折れた刃先は堀池の内臓に埋まっているのだろう。
「あたしは、エヴァの前に……」
 蜘蛛が大きくなり、糸を吹き出した。
「人間なのよ」
 白い衣が風に泳いで、アスカの体を覆い隠した。
 アスカは知っていたのだ、いや、知らされていたのだ。
 既に、ゲンドウ自身の口から。
『あたしは、人間よ!』
「ぐ!」
 アスカの蹴りを腹部に受けて、堀池は無様に転がった。
 仰向けになり、虫の足を断末魔の悲鳴のように痙攣させる。
 アダムより作られし女、エヴァ。
 それはアスカの正体の一部に過ぎなかった。


「碇、青陵学園でレベル5のATフィールドが観測された……、恐らく」
「ああ……、交戦しているな」
 執務室である、冬月は腹立ちを抑えてゲンドウを睨み付けていた。
「なんだ?」
 バサリと何かの資料が放り出される、見覚えがあったのだろう、ゲンドウは一瞥しただけで返答した。
「まだこんなものが残っていたとはな……」
「アスカ君のヒトゲノムを解析し、手を加え、碇、何を考えている?」
 それはアスカに行なわれた『人体改造』の記録だった。
「ドイツ支部の暴走だ……、わたしはなにもしていない」
「ではこれは何だね?」
 資料を示す。
「アダムより生まれ、アダムと共に生を歩む者、育む者を生み出す、初期の計画書だ」
 だがそれが問題なのだ。
「……エヴァを手にできない事から彼らは焦りを抱えた、だからだろうな?、アダムよりエヴァンゲリオンに近い生物を作り出した」
「そんな事は聞いていない!」
 冬月の憤りは別の所から発生していた。
 アスカは確かにアダムの子である、全ての人類にはアダムウイルスが潜伏している、そう言う意味では間違い無くそうなのだ。
 だがそれ以上に、アスカには母親の死の影響なのか?、覚醒の兆候が見られていた。
 支部長はそれをエヴァンゲリオンの発現として喜んでいた。
 だが真実は違っていたのだ。
 そこへ訪れたのが、ゲンドウだった。
『君に、選択する権利を与えよう』
 エヴァンゲリオンは使徒と人の掛け橋でなくてはならない。
 だがエヴァがアダムによって生み出されてしまっては、そこにパラドックスが生じてしまう。
 アダムは『鐘を打ち鳴らした者』の姿を模倣するのだ、なら、アダムはエヴァを真似るだろう。
 それでは革新は得られないのだ、そこに生まれるのは多少の力を持ちえたただの人間に過ぎなくなってしまう。
 だが、それらを良しとするのは当たり前の選択だろう。
 人のままで使徒の力を備えた者が生まれたならば?
 使徒でありながら人の言葉を操るのならば?
 現在、この考えから有力な候補がアダムの子、鐘を打ち鳴らすべき『天使』として暫定的に選出されて、保護されていた。
 アスカの存在が公になれば、その『天使』は廃棄され、アスカこそが保護される事になるだろう。
 そう彼女こそが優先して保護されるべき対象なのだ。
「それが分かっていて、話を捏造したのか!?」
 使徒を駆除し、唯一の者となれと、彼女を手なずけるために。
 使徒として、人として、エヴァとして、生き残るために何をすべきかを。
 使徒の頂点に立ち、最初の新人類になれとそそのかしたのだ。
 彼女が決して処分されることはないと知っていて……
「ゼーレをも欺いて……」
 ゼーレとは綾波家創設に関わった政財界のトップが委員を勤める組織である。
 そのゼーレが人類崩壊を防ぐために打ち出している計画、『人類補完計画』があった。
 人為的に進化の促進を促そうと言う計画である。
 このままの無秩序にサードインパクトを迎えるよりはマシだろうと承認されている様な計画だった。
 その実行のための計画の内に『E計画』が含まれていた、二種の人類を繋ぎ、導く、『エヴァンゲリオン』の開発である。
『アダムより生まれていながらアダムに影響を与えない者』の開発である。
 そのためのリリスウイルスの研究であったのだ、この犠牲者としてユイが、偶発的な生産物としてレイが、そしてシンジが存在していた。
 さらには『完成された雛形』としてアスカが登録されている、計画を遂行するために作られた諮問機関である『ネルフ』が設立されている。
 だが。
(この男は!)
 このままでは二種の使徒が生き残る事になる、すなわちサードインパクトそのものがコントロールより外れてしまうのだ。
 委員会も、行き詰まってた種としての人類を次の世代へと変革させるべきだと言う『躍進派』と、あくまで現世の延長を望む『穏健派』に分裂してしまうだろう。
 その上、掛け橋となるべきエヴァすら完成していない事になる。
 アスカは使徒なのだ、そしてシンジはイレギュラーであり、レイに至っては覚醒すら迎えていない。
「碇、お前は……」
 答えは何も得られない。
 この男から何かを引き出すことはできない、だがそれが分かっていても呻かずにはいられない。
 人類補完計画。
 この都合の良い新世紀へのシナリオの名称。
 だがゲンドウのしていることは、その全ての破綻を含んでいた。
(これもシナリオの内だと言うのか?)
 ゲンドウは冬月の詰問に対してただ薄く笑いを返していた。
 だからこそ、冬月にはただ青ざめる事しか出来なかった。


 レイとリリスの『分体能力』の模倣、それがアスカと『エヴァ』の関係であった。
 だからこそ分離されている『アスカ』には、人としての意識が強い。
 他の使徒のように、精神の欠落が過剰に進行する事も無かった。
『ただの人間であるものが』
 ゴキゴキと堀池の腕と足が、頭の骨が、胴体内部へと潜り込んでいく。
 残された筋肉と皮は蛇腹の様に畳まれて吸い込まれていった。
 体の中、臓器はどうなっているのだろうか?
 内側から潜り込んだ骨に押されて、胴体はいびつに歪んでしまっている。
『ただの人間に、俺の声が聞こえるのか?』
 仰向けになってばたついていた節足の関節が逆側に折れた。
 不細工な胴体を持ち上げる。
 異臭と白煙を立ち上らせて、シャツの袖とズボンの裾が燃えるように溶けて落ちた。
 四肢と頭の付け根だった部分には不気味な眼球がぎょろついている。
 そうやって誕生した生き物はダニに見えた、ただし大きさは一抱えもある。
『俺達を踏み台にして作られた女が』
『そう言う事を!』
 アスカは振り下ろすように突き出された足をつかみ取った。
『言ってるんじゃないわよ!』
 そして曲げるようにへし折り、もぎ千切った。
 逆にそれを武器として振り上げる。
『殺したわね?』
 無関係な人間を。
『殺したでしょ!』
 アスカより先にシャワーを浴びていた人が居た。
 全身をただれさせ溶け落ちるように死んでしまった。
 シンジに同じく手を洗っていた少女が居た。
 ぼろぼろと崩れ落ちる両手に錯乱して叫んでいた。
『みなネルフの手先だった』
『シンジは違うでしょうがぁ!』
 本音が漏れた。
 彼の足を。
 彼に返す。
 槍は堀池の体を縫い止めた。
 胴体を貫いて床に突き立つ。
『っあ、はっ!』
 堀池であったモノの四肢はばたつくように痙攣を始めた。
 眼球から黄色い涙を大量にこぼして。
『アスカぁあああああああああ!』
 それは愛の篭った声であった。
 だからこそアスカはゾッとして後ずさってしまった。
 その隙を突いて逃げ出そうと彼はもがいた、と、溶解液によって脆くなっていた床がぼろっとオレンジ色に焼けて一気に崩れた。


 使徒は足元に穴を開けて、真下の教室へ逃げた……、ようにアスカには見えていた。
 既に緊急の放送で下校が命じられている。
 そのため、落ちて来た『奇妙な生物』に驚く者は居なかった。
『渚!?』
 だが、人は居た。
 カヲルが窓枠にもたれて立っていた。
 そして驚いたままで堀池の意識は寸断された。
 体がスライスされて、二つに割れた。
 背後にはシンジが立っていた。
 変身したシンジの右手は、甘栗姉妹が化けた使徒のように鋭い爪を有していた。
 堀池の血で濡れている。
 校舎の柱を裂いた彼女達の爪、それは余りにも切れ過ぎる凶器であった。


『まだ動けるの!?』
 恐るべきはこの短時間で逃げ道を作った溶解液の侵食力。
 アスカはそう判断した、だが事実は違う。
「なによこれぇ……」
 慌てて後を追おうとしたアスカであったが、溶解液によって開けられた穴はエヴァンゲリオンが通るには小さ過ぎた。
 そしてまだ侵食による熱を発していて通り抜けることは出来なかった。
 だから遠回りに階段を降りて来たのだが……
 アスカが見たのは、中央へ折れ曲がるように、自らの溶解液の水溜まりに溶け落ちていく姿であった。
 アスカは気が付いていなかった。
 使徒が教室へと落ちたのは、シンジが真下から爪で使徒の足元に切れ目を入れたからだった。
 落とし穴。
 シンジは天井を通して使徒の居場所を把握した。
 アスカやレイには真似できぬほど、シンジの感知能力は増幅していた。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。