結局シンジとの喧嘩は、授業のために中途半端に終わってしまっていた。
「まったくもう……」
消化不良を起こしている。
腕を枕に机に突っ伏し、思い返してはむかっ腹を立てていた。
『アスカが寝ぼけて潜り込んで来るだけだよ!』
(何で気付かないのよ、あのバカ!)
アスカの上空に怒りのオーラが立ち上る。
話しかけようとした女の子達も、わずかに引きつりながら距離を開いた。
そんな中で、ただ一人だけ怖れを抱かない少年が居た。
「どうしたんだい?、今日はご機嫌斜めだねぇ?」
「うっさい!」
(恐いねぇ、いつにも増して)
カヲルは肩をすくめると、アスカの視線の先を確かめた。
シンジがぼうっと窓の外を眺めている。
「シンジ君のことかい?」
「あのバカ!、あたしがわざと潜り込んでやってるってのになぁんにも手ぇ出さないのよ?、信じられる!?」
「……信じられないのは、君のやり口だよ」
苦笑を浮かべる。
引きつっているだけかもしれない。
実は寝ぼけたのは最初の一回きりだった。
夢を見るのだ、それも毎晩。
エヴァンゲリオン。
人類に福音をもたらす希望、少なくともアスカはそう思っていた。
使徒として覚醒したはずの自分が、人間で居られるのは何故なのか?
なぜ他の使徒のように狂い出さないのか?、狂気に走らずに済んでいるのか?
(全ては……)
ベッドから見下ろすと、冴えない少年が眠っている。
やはり寝顔までが冴えてない。
どこまでも平々凡々な少年だった。
(こいつのおかげなのよねぇ?)
三角座りをして頬を膝の上に乗せる。
穏やかな笑みを浮かべて寝顔を見つめる、と、彼は寝返りを打って抵抗して見せた。
(なぁによぉ、もう……)
顔が見えなくなってしまったが、寝苦しそうなのは自分の視線を感じているからかも知れない。
そう思うと、ちょっとムッとしてしまったが当たりはできない。
そんな何気ないことに心が和む。
(でも……)
シンジの殺戮を思い出して身震いが走る。
衝動すら抱かず、淡々と殺人をこなす姿には寒気すら感じる。
なのに血塗れの彼には悲しみを感じてしまうのだ、シンジのではない、シンジに押し付けてしまった事への、自分自身の悲しみを。
見てしまっているのはそんな内容の夢だった。
(なんでよ……)
わからない。
使徒となった自分を人に戻してくれたのはシンジだ。
正しくはただの抗体で、それを抽出したのはゲンドウで、治療を行なってくれたのもゲンドウだった。
(こんな奴だったなんて……)
ドイツ時代、加持とは特別に数度の会見を持っていた。
そして会見を重ねる内に、彼がネルフにも顔が通じている事を知り、かつてからの懸念事であった碇シンジのことを尋ねたのだ。
初恋かと茶化されはしたが、そうではないと答えていた。
事実、ただ気になっていた瑣末事だった。
しかし自分を救ってくれた『王子様』がシンジであった事への驚き。
彼が自分と並び立つはずの人だと言う安心感は、『知り合い』という実に単純な所から生み出されていた。
(一人は、嫌……)
結局恐いのだ。
実母が死んで以来、味方は誰一人として居なかった。
何もかもを話せる相手はいなかった、メイドであるマリアにすら隠し事をしなければならなかったのだから。
エヴァンゲリオン。
それは今だ人に明かせない事柄である。
加持に対してもそれは同じだが、安心は出来た、信頼が置けたからだ。
(だからなのよ……)
シンジは違う、別格であった。
もし心を開いてくれたのなら、全てを打ち明ける事も出来るだろう。
同じ秘密を共有している事が自分を隠すための垣根を低くしてくれていた。
後は覗いてくれればいいのだ。
それだけの事をアスカはただ望んでいた。
(なのに……、なんでわかってくれないのよ?)
はぁっと深く重く溜め息を吐く。
結局、夢から逃げるためにアスカはシンジの布団へと潜り込んでいた。
何かをされたとしても別に良かった、シンジとの触れ合いで急速に惹かれている自分を感じていたから。
それがエヴァによるものであったとしても、それですら受け入れられる。
自分を助けてくれた存在には既に好意を抱いていたからだ。
連れ添う相手としては……、別であっても。
だがその正体は『シンジ』であった。
どの様な理由であっても、長年思い浮かべて来た少年であった。
だから連れ添う相手としても、問題無く受け入れられた。
ただ想いが強くなっただけだと、アスカは自分の『心』に自信を持てていた。
気安さと自信から心を開くと、容易に受け入れられた、なにもかもが。
シンジの事が。
(なのにあのバカ!)
苛められて来た事は知っている。
だがそれにしても臆病過ぎやしないだろうか?
学校までのランニングですら楽にこなすだけの体力があるのだ、決して体力で他人に劣っているわけではないだろう。
開き直りが足りないのだと思う、自分達はこういう存在なのだから、それはもう受け入れるしかない事実なのだ。
(それがなんでわかんないのよ!)
「随分と積極的な手を使うんだねぇ?、君は」
カヲルの突っ込みに引き戻される。
「……日本のあれくらいの男の子って、あたしみたいな子の裸なら見たいって思うもんなんじゃないの?」
「ま、ごく平均的な人なら……、ね?」
アスカにも自信はあった。
この先たとえ十年経っても、同年代の女子はおろか若さを売り物にするだけの女にすら見劣りを許さない、そんな絶対的な美貌と魅力を誇る自信があった。
(それが鼻につくのさ、君はね?)
カヲルはまだぶつぶつと策を練っているアスカに嘆息した。
照れや恥じらいがなければ意識させることは出来ない、カヲルはそれを知っている。
(小学生と同じか……)
そういった感情を知らないままに、ただ積極的であれば良いと思っている。
(気恥ずかしさを含まない行為が、人の心を揺さぶることはないのさ)
結果、食指は動かされない。
「なぁによぉその目は?、あ、もしかしてやっぱりシンジって……」
ホモ?
アスカは小さく、カヲルに尋ねた。
「ははは、そりゃあ良い」
腹を抱える加持を見ながら、ミサトがいなくて良かったと思う。
「笑い事じゃないよ、もう……」
「すまんすまん」
「なんでアスカと付き合ってないとホモってことになるんだよ……」
「あんたねぇ」
エプロン姿でビシッと指差す。
「こぉんな可愛い彼女と同棲してんのよ?、他にどんな理由があるってのよ!」
「もうちょっとマシなのがあるだろう?」
「例えば?」
「……ミサトさんが聞き耳立ててるっていうのは?」
「え……」
「加持さんだっているのに、そんな事できるの?」
「う……」
目を泳がせ、ついでに突きつけた指もさ迷い出す。
「ねぇ、加持さん?」
「そうだなぁ、確かに困るが……、防音だぞ?、うちの部屋はどこもな」
「ですけどね……」
目を伏せて、サービスタイムのための下ごしらえに戻る。
芋の皮を剥く手つきも遅い。
「嫌か?、アスカちゃんは……」
「嫌いじゃないです」
「好きじゃない?」
二人は彼女に聞こえないように会話をした。
「……だって、アスカの好きなのは」
「好きなのは?」
シンジはギュッと奥歯を噛んでから吐き出した。
「加持さんだから」
そして肝心のアスカはと言えば……
「カズ君、塾はいいの?」
「まだ時間あるから」
お客でもある小学生の宿題の手伝いに勤しんでいた。
加納カズアキは近所と言うには家が遠かったが、塾に近いというので最近常連になったお客様だった。
歳は九歳、まだ小学四年生だ。
「はい、エビフライ定食!」
「ハンバーグとオムライスも急いでね」
「わかってる、後五分で出来上がるよ!」
夕食時、それは『喫茶コンフォート』のかきいれ時である。
この時ばかりはシンジが厨房を支配する。
そして店内に笑顔を振り向いていたのはミサト……、のはずだったのだが。
「はい、エビフライ定食とコーヒー、お待たせしましたぁ」
白いエプロンを巻いて笑顔を振りまいているのはアスカだ。
「加持さんも気が早いねぇ、もう二代目決めてるのかい?」
「シンジ君も良かったねぇ?、美人の嫁さんが来てくれてさ?」
「やだぁ」
営業用のスマイルで照れるアスカ、が、この際それは関係無いだろう。
「どうせあたしゃ歳食ってますよ」
「すねるなよなぁ」
加持はカウンターで突っ伏すミサトに、なんと慰めをかけようか考えあぐねる。
「暇なら仕事しろよ」
「今日は休みぃ〜、お腹空いてんのよぉ」
「おいおい、まかないはまだ先だぞ?」
つい微笑みがこぼれてしまうのは、彼女がシンジの夕飯を楽しみにしていると知っているからだろうか。
「はい、これで終わりだよ」
「はぁい」
シンジの手から皿を受け取り、くるくると踊るように運んでいく。
「はい、カズアキ君、お待たせ」
「ありがとう!」
にこにことチキンカレーを受け取るカズアキ。
欠食児童でもあるまいに、歳のわりには身長が低い。
「でもこぉんな時間まで塾だなんて、日本の小学生も大変ねぇ?」
正面の席に座り、柔らかな微笑みを投げかける。
「そっかなぁ?」
「そうよ」
「うん、でも頑張らないといけないから……」
「どうして?」
「だって……」
モジモジと赤くなる。
「なに?」
「なんでもない!」
照れ隠しだと分かるような勢いで、カズアキはカレーを口にする。
「じゃ、僕は……」
それを横目にシンジが引っ込むのを見て……
加持は複雑に、「ああ……」と返事を返していた。
「シンジ君、なにかあったの?」
店を片付ける時間になって、ミサトは加持に問いかけた。
他に人気が無くなったからだ。
天井を見上げるのは向こう側のシンジを思い描いたからだろう。
「いや、参ったよ……」
外から看板を運び込む。
加持はシンジから聞き出した話を伝えた、アスカの寝言についてもだ。
「あちゃ〜〜〜……」
ミサトも笑い飛ばす事が出来ずに頭を抱えた。
「よりにもよって、……なんであんたの名前なのよ?」
「さてね……」
「あんたまさか……」
「おいおい」
誤解されそうな程に慌てふためく。
「言っとくが、仕事以外のプライベートな関係は何も無いぞ?」
「ほぉおおおお?」
「信じてないな?」
「まあねぇ、あんたも手が早いもんねぇ?」
「はぁ……」
大袈裟に溜め息を吐く。
「まぁいいけどねぇ……、それよりシンちゃんよ」
「ああ」
少しばかりの想像力が働けば分かる事だった。
べたべたして来る女の子には、実は別に好きな人が居る。
針のむしろと同じだろう、好きだと言う態度の全てが嘘なのだ。
行為の全てに裏があり、勘違いすら許されない。
神経もささくれ立つだろう。
心もどんどんと荒んでいく。
「早く何とかしてあげるべきなんじゃない?」
「……だぁな?、アスカに話しておくかぁ」
「うまくやりなさいよ?、……それで、アスカは?」
「出かけたよ」
ドアを差す。
「出かけたって……、どこに?」
時間を見る、もう十時だ。
「カズアキ君を送ってあげるんだって、言ってたな?」
加持も同じように、時計の針を確認した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。