「そう言えば……」
シンジは帰宅途中に思い出した。
「久しぶりだな……、一人で帰るのって」
つい寄り道しようかと考える。
夜の手伝いにはまだ間がある、ただ……、と、シンジはアスカを思い出した。
『どこほっつき歩いてたのよ!』
あまりにもリアルな想像に、つい首をすぼめてしまって苦笑する。
「バカだな……、僕は」
(さっき綾波に話したばかりなのに……)
それは願望なのだと言い聞かせる。
現実は『あんた今帰って来たの?』、とそんな所だろうと思い込む。
でなければレイに言った通り、勝手な想像に傷ついてしまうからだ。
(そんなもんだよな……)
過大な期待は裏切られる。
だからしてはいけないのだ。
ましてや、好かれているなど……
(想っちゃ……、いけないんだ)
はっと……、シンジは顔を上げた。
「え?、あれ……」
(今、呼ばれたような?)
シンジが顔を向けた方向、それは……
あの公園のある場所だった。
「来てくれたんだ?、やっぱり」
彼はベンチに座っていた。
そして足をぷらぷらとして遊ばせていた。
「カズアキ君……、塾は?」
「ぷっ」
軽く吹き出した後に、そのまま派手に笑い出す。
「お、お兄ちゃん……、本気?」
シンジは目眩いを感じた。
どうしてこう、知り合いが多いのかと……
「どうして……」
「そんなの決まってるじゃない」
邪気の無い笑みを浮かべる。
「僕ねぇ?、お姉ちゃんのこと、好きなんだ」
余りにもはっきりとした物言いだった。
「お兄ちゃんは、お姉ちゃん、好き?」
カズアキとは逆に、シンジは無表情になっていた。
握り込みかけていた手のひらからも力が抜けていた。
それに気付かずカズアキは続ける。
「お姉ちゃんにね?、好きって言ったら、うんって言ってくれたんだ!」
勝ち誇るように胸を張る。
よほど好きなのだろう、アスカのことが。
「お姉ちゃんも僕のことが好きだって言ってくれたんだ……」
そうは言っていない、だが言ったも同様なのだろう、彼にとっては。
声には異常なほどに熱がこめられていた。
「で、ね?、……お兄ちゃんは嫌いなんだって」
くすくすと笑う、シンジの神経を逆なでするように。
だがシンジは急速に冷えていく心に落ち着きを取り戻していた。
(なんだろう?)
全身から力が抜けていく、自然体になり、リラックスしていく自分を感じる。
(ああ、そうか……)
シンジは唐突に理解した。
『だから、どうした』
内なる声が聞こえて来た。
長らく忘れていた物が蘇ったのだ。
アスカが好きなのかもしれない。
だがアスカが好きなのは加持だ。
なのに何故?、自分が目の敵にされなければならないのか?
不条理な物を感じる、面倒くさくなる。
アスカと楽しげに過ごせた時の代償がここにある。
ならどうすればよいのか?
捨てればいい。
また何もかもを無くせばよいのだ。
何も無かった頃に戻ればいいのだ……
それで辛い事からは逃れられる。
代わりに楽しい事を無くしたとしても。
(その方が、いい……)
それに。
(ばかばかしい)
自分とレイ、彼とアスカの構図が重なっていた。
レイにとっての自分と、カズアキにとってのアスカ。
シンジは迷いを見失った、考えることを放棄したから。
「……僕を、殺すの?」
「うん」
カズアキは無邪気に笑った。
そして右手を振り上げる。
「大人になるんだ……、大人になって、お姉ちゃんと」
振り下ろす。
「ぐぅ!」
シンジは頭から押さえつけられるような圧力を感じた。
体を畳むように下り曲げ、シンジは真下に叩きつけられた。
「はっ!」
吐血、内臓が傷ついたのだろう。
「お兄ちゃんにお姉ちゃんは上げないよ……、だって、お嫁さんにするのは僕なんだから」
カズアキは目を細くして、思い起こした。
黒いベンツ、そのボンネットが突如焼けるように融解して穴が空いた。
爆発、炎上し、制動性の怪しくなったベンツは炎を噴きながらガードレールにヒットした。
だが直前に後部座席のドアが内部から吹き飛んでいた。
オレンジ色の怪人が、青い髪の少女を抱いて跳び出したのだ。
レイのエヴァはシンジのように物理的障壁を張れないとは言え、人の意識から気配を断てる程度には力を有していた。
人々は車の炎上ばかりに気を取られて騒ぎ出した。
爆発するんじゃないかと脅えて逃げ惑う。
そんな中にカズアキはいた。
呆然とレイを、レイの向こうの、遠くで光り輝くクリスタルを見付けていた。
そして思い出したのだ。
むかし、交通事故に遭った事を。
邪悪で無邪気だった。
カズアキはいたぶるようにシンジが立ち上がるのを待ち続けた。
「僕、わかったんだ……」
あの時のあれが何だったのか。
「お兄ちゃん……、僕達を殺すんでしょう?」
シンジは口元の血を手の甲で拭ってカズアキを睨んだ。
その血は微生物のように蠢いている。
「お姉ちゃん……、本当はお兄ちゃんなんて好きじゃないんだ……、でも逆らうと殺されちゃうから……」
使徒はそう言う運命にあるから。
「だから好きな振りをしなくちゃいけなかったんだ……、可哀想なんだ、だから助けてあげるんだ」
誰が?
「僕が」
再び腕を振り上げる。
「この力で!」
横殴りに襲いかかって来た圧力は車に衝突されたような衝撃に似ていた。
それを受けて吹っ飛んだシンジは、さらにベンチにぶつかった。
「っか!」
ベンチは中折れた、背中に激痛が走り、シンジは鋭く息を吐いた。
そして壊れたベンチに崩れ落ちる。
「死んでよ!」
朦朧とした意識に、鋭い声が刺さり込む。
「死んでよ!、お兄ちゃんが死ねばお姉ちゃんは自由になれるんだ、僕と結婚して、それから、それから!」
カズアキは笑っていた、楽しそうなのは未来を思い描いているからだろう。
シンジはぼやける視界でそれを認めた。
「ね?、別にどうだっていいんでしょ?、お姉ちゃんのことなんてどうだって……」
『だから死んで』
「お姉ちゃんをちょうだい」
『だから死んで』
シンジはゆっくりと立ち上がった。
耳鳴りのように響くカズアキの『声』を振り払って。
「……嫌だ」
「どうして!」
黙ってシンジは睨み付けた。
「お姉ちゃんは僕が好きだって言ってくれたんだ!」
シンジの目に脅えて叫ぶ。
「お兄ちゃんなんて嫌いだって!」
『だからどうした』
また声がした。
胸の奥から。
「最初から好かれてるなんて……、思ってない」
呻きになったのは体が酷く傷むからだ。
「僕なんかが好かれるはず、ないんだよ」
「じゃあいいじゃないかぁ!」
カズアキは叫んだ。
車が突っ込んで来る、トラックだ、その瞬間カズアキは多くのことを考えた。
親のことよりも、近所のお姉ちゃんの誕生日会にお呼ばれしていたことだった。
プレゼントも買った、ケーキを楽しみにしていてと言われた、他にも幾つかあったはずだ。
走馬灯のように過る、だが死は訪れなかった。
『お姉ちゃん?』
誰かに突き飛ばされていた。
女の人だった、知っている人だった、だが思い出す前に……
彼女はトラックと言う名の怪物に飲み込まれていった。
「アスカは僕と生きていくんだ!」
(大きくなるんだ!)
「大人になるんだ!」
(一緒に!)
両手を突き出して力を解放する。
それに対して、シンジの瞳は妖しく光った。
「もう!、シンジたらどこで浮気してんのよ!」
今朝のことを引きずっているのだろう、まだ怒っていた。
「まったくもう!」
いつまで待っても帰って来ない、だからアスカは帰宅に使っている道を逆に辿っていた。
夕日も落ちて、とっぷりと陽は暮れている。
もうすぐ仕事の時間でもある。
「手間ばっかりかけさせるんだから!」
と、携帯が派手に音を立てた。
(シンジ?、なぁんだネルフの……)
そこで思考が止まった。
携帯電話の液晶パネルを凝視する。
「パターン青?、使徒!?」
アスカは慌てて表示された番地に向かって駆け出した。
「アスカが好きなのは僕なんだ!」
股間から背中を這い上がって来るようなものを眉間に集めて解き放つ。
「お前じゃない!、理由がなきゃお前なんかと遊んだりしないじゃないか!」
使徒にはわりと気を許すのに。
すぐに仲良くなるのに、気安いのに。
シンジには言い聞かせるように嘘をついていると言うのに。
「死んじゃえ!」
放たれたものが手の甲にぶつかり、手のひらから物理的な衝撃となって放出される。
吹き出した物は思念、発せられた物は狂気だ。
「死んじゃえよ!」
しかしその熱い風のようなものは、金色の壁に散らされた。
シンジの毛穴からは、じわりと紫色の肉が染み出していた。
服までも染めて、それはシンジを覆って硬化していく。
「嫌だ!」
気が狂ったように力を使い続ける。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」
しかしシンジには通じない。
「死にたくない!」
涙をこぼす。
「死ぬのは恐いんだ!」
だがそれよりも……
「お前が死ななきゃ……、じゃなきゃ、アスカが僕を殺しに来るんだ!」
カズアキは脅えるように下がりながら訴えた。
「僕達を殺さなきゃならないって思い込まされてるんだ、でもお兄ちゃんが死んでくれたら、もうそんなことしなくてもいいようになるんだよ!」
まるで誰かに吹き込まれたかのようにカズアキは詳しい。
「だから死んじゃえ!」
アスカのために。
「僕が助けるんだ、アスカを!」
泣き喚きをシンジであったものへとぶつける。
命じられているから、無理にシンジを構っている。
逆に自然と惹かれ合うのに、命令があるからとぶつかるしかない。
ならどちらと一緒にいる事が彼女にとっての幸せなのか?
素直な心が一番なのだと……
そんなカズアキの憤りを尻目に、シンジの変貌は完了した。
仮面のような頭骸の奥に、冷酷な瞳が輝きを放つ。
「シンジ、どこ!」
アスカの声にカズアキは泣き叫ぼうとした。
『助けて、化け物がっ!』
アスカが飛び込んで来たのを見計らって、カズアキは力を消して喚こうとした。
アスカは僕のことが好きだから。
きっと僕を守ってくれると、彼女を信じて。
だが……
「ひっ!」
アスカは口元を手で被って凍り付いた。
カズアキの口からは棒のような物が生えていた。
喉を首筋から貫いた光の剣は、シンジの左腕から伸びたパイルであった。
「ひゃはあはははああはははははあは!」
カズアキは、わけの分からない声を上げてばたつき暴れた。
その四肢はまるで骨のない軟体動物の触手のようにゆらゆらと揺れた。
姿も使徒のそれ、人のものでは無くなっていった。
「アス、あすあああすアス、かかかカ、アスカ、アス……」
頭にも骨が無いのか?、ぷよぷよとゼリーのように震えた、パイルに釣り上げられたまま。
「ぼぼぼ、僕のおよ、およめさ、さささ、んんんん……」
共に生きる事を望んで。
何処までも在る事を夢見て。
だが、アスカはそんなカズアキに恐怖を感じたわけでは無かった。
ガパァ……
シンジが、シンジであるはずのエヴァが口を開いていたのだ。
嘲るように。
とても邪悪に。
人のように豊かな表情を作れない仮面であるのに。
(わら……、ってる)
それはアスカを恐怖させるのに十分なものだった。
夢で見たような姿ではない。
苦しみにも彩られていない。
ゴン!
その音にはっとする。
パイルを引き戻し、カズアキの体を引きずり寄せたシンジが……
カズアキの体を、右腕で貫いたのだ。
その手のひらが握っているのは……
赤い弾、光球だった。
シンジが球を握り砕くのと同時に、カズアキはうなだれ、死んでしまった。
アスカはカズアキであったものを見て言葉を失っていた。
地面に倒れているものは、陸に揚がったタコのように、のぺっと伏している奇妙な物体。
シンジの右腕は血に濡れていたが、その色から汚物にまみれただけに思えた。
カズアキの血は、青かった。
変身を解くと、その血すらも巻き取って、獣が再びシンジの肩に姿を整えた。
「なんで……」
震える声が漏らされた。
「なんでよ……」
それは誰に向けられたものなのか?、なにを問うためのものなのか?
アスカ自身にすらわからない。
「なんでなのよ……」
シンジはと言えば……
ジャッと、靴が足元を擦る音がした。
何も言わず、何も答えず……
シンジは、その場を後にした。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。