「ごめんなさい、待った?」
「別に……」
(暗い、かな?)
ヒカリは覗きこむように確認してから、「今日もかしら?」っと見渡した。
朝の登校、何度か顔を会わせる内にお互いこの時間帯にここを通ればよいと当たりを付けるようになっていた。
「あの……」
「なに?」
しかしそこには、先日見かけたシンジの彼女らしい少女の姿が見られない。
シンジの不機嫌な応答に、ヒカリは(振られちゃったのかな?)と失礼な事を考えて、話題を変えることにした。
「昨日ね?、鈴原君のお見舞いに行ってきたの……」
ピクッとシンジの眉はわずかに跳ねた。
「……そう」
鈴原とは、綾波家の車に轢かれ、片足を失った少年のことである。
それがカヲルと交遊を深めるきっかけになったとは言え、余り思い出したくない類の名前ではある。
「もうすぐ退院なんだって……、凄いのよ?、綾波家の専属医師って人とかが看てくれててね?」
ヒカリは泥沼に踏み込んだような錯覚に陥っていた。
話せば話すほど、シンジの顔から表情が消えてしまうのだ。
「碇君にも、……会いたいって」
足が止まる。
「碇君?」
ヒカリは一歩だけ止まるのが遅れてしまった。
「学校……」
「え?」
「そっちでしょ?」
「あ、う、うん……」
「じゃ……」
そのまま歩き去るシンジの背中を……
ヒカリは何度も何度も振り返り、見送るようしにて離れていった。
voluntarily.10 I'll getting.
「重役出勤とは……、いいご身分じゃない?、バカシンジの癖に」
嫌味な笑みを貼り付けてシンジに寄って来たのはアスカであった。
腰に手を当て、口元の引きつりは眉までひくひくと動かしている。
「あの女……、誰なのよ?」
ようやくと言った感じでそれだけを搾り出す。
「はぁ……」
「なによ!」
「この間も話したじゃないか……」
いい加減にして欲しい、と言外に告げる。
「それにしては仲、いいじゃない……」
アスカはすねる様に口を尖らせた。
「あたしはねぇ、あんたが……」
「はいはい、僕もアスカのことは好きだよ?」
「なっ!?」
予想外の言葉に赤くなる。
「でも愛想をつかすなら早い方が良いと思うよ?」
「あたしは!」
キーンコーン……
言葉の後半に本鈴が重なった。
「先生が来るよ?」
「わかってるわよ!」
(バカ!)
周囲の視線が非常に痛い。
「とにかく、後で話があるから、いいわね!」
小さく言い放って、返事を待つ。
シンジはぼけらっとしたままで、コクンと少しだけ頷いた。
住宅街においてその家は異様な雰囲気を放っていた。
なにしろ夜の九時、その時間帯になっても明かりが灯らないのである。
周囲の和やかな温もりに反して、その家だけが冷え切っていた。
「どうだ?、感想は」
加持は閑散としたリビングの壁にもたれて、タバコに火を点け煙を深く吸い込んだ。
真っ暗な室内に、ほのかに赤い光点が浮かぶ。
「なによこれは……」
加持の前には、呆然と立ちつくすアスカがいた。
「見ての通りだよ」
「見て……、って」
(なにもないじゃない……)
そう。
暗いのは当然で、電灯は外されていた。
エアコンは外され、家具も運び出されていた。
陽に焼けなかったのだろう、そこだけ新築当時の白さを残している。
他にはソファーや、テーブルや、棚や、テレビがあったであろう場所に、へこみや傷が見うけられた。
「ここ……、ほんとに?」
「ああ」
頷く。
「カズアキ君の家だよ」
まるで慌てて引っ越したかの様に……
家具を引きずり、ぶつけた跡が残されていた。
綾波レイは、自分の席に戻るアスカを睨み付けていた。
そして授業が始まると、注視の対象を前方にあるシンジの背中へと切り換えた。
(碇君……)
好きと言った、今、確かに。
軽口の中に挟み込まれた単語を、しっかりと聞き取ってしまっていた。
それは自分の、もっとも欲しい言葉であった。
(寂しいのね……)
胸が疼くように痛い、レイはその痛みを隠すように、そっと胸に手を当てた。
多の中の個、溶け込めない自分、独りきりの存在。
集団に埋没できない寂しさが窺える態度であった。
(一人は、嫌……)
それは傷つかなくて済む、一番簡単な方法だろう。
だが同時に辛い事でもあるのだ。
(碇君……)
寂しさから逃れるためには、適度に他人を感じるしかない。
だから本当の自分を隠すのだ。
作った自分を周囲に見せて。
そうやって傷つかないですむ距離を作り出す。
適度な疎外感に身を浸しつつも、孤独を味あわずに済む距離を。
(でも、わたし達は……)
同じ者、のはずだった。
同じ所から生まれ、同じものを手にした者同士であるはずなのに。
(何故?)
手に出来ない。
シンジの手にした力を。
シンジの持つその力を。
(わたしには……)
能力の吸収は出来ないのだろうか?
(あの人……)
惣流・アスカ・ラングレー。
(あの人にも……)
使徒は倒せない、シンジほど楽には、と言う意味でだが。
だがそれは絶望的な響きを持っていた。
シンジに全てを押し付ける他、方法が無いと言う事になるからだ。
(やはりわたしは……、碇君を傷つける事しか出来ないのかもしれない)
辛いこと、苦しいこと、悲しい事を押し付けて……
その上、この上ない孤独感を味合わせてしまっている。
(全ては……、あの時から始まって)
最初の口付け。
そして今、シンジは一人着実に『人で無い者』への階段を踏みしめている。
(碇君も)
エヴァンゲリオン。
その名を持つ、人の振りをしている人類の味方。
あるいはそのように振る舞っているだけの、正体不明の生き物である。
だがその実は、未知なるものの意思に沿うだけの獣だ。
何処までが自分で、何処からが本能なのか?、その境界線も定められない下等な存在。
(あの人の言うことは正しい……)
レイはゲンドウを思った。
彼は常々レイに教えてくれていた。
シンジに会うな、放っておけ、それがお互いのためだ、苦しみ合わずにすむ方法なのだと。
(なのに)
従えずにいた、それは彼に触れられないということが、さらなる苦痛に繋がるからだ。
(これは欲情?、それとも……、欲求)
どちらにしても肉体的な欲望であり、精神的なものではないだろう。
このような状態で触れ合ったとしても傷つけ合うだけ、獣のように発情しているだけの刹那の行為に、なんの絆が生まれるだろうか?
だから一人で居ろと言う。
一人のままで居ろと言う。
それが最善なのだと教えてくれているのだ、決して自分の側に居ろと命じているわけではない。
だから信じられた。
ユイと冬月の、レイにこだわり過ぎだと言う私見は邪推にすぎない。
そうではないのだ、固執ではなく、ただ示してくれているだけである。
道を。
(でも)
その道を歩む事もまた嫌だった。
そしてシンジも嫌なのだろう、だから一人でありながらも他人を求めているのだろう。
レイはそう解釈し、だからゲンドウを信用してはいるが、信頼はしていなかった。
ゲンドウの指針が最善であるかどうかは別の問題であるからだ。
ゲンドウが彼女に教えた道は……
(わたしだけが)
無事で居られるというものだ。
安息を手に入れられるというものだ。
ならシンジを見捨ててもいいと言うのだろうか?
見て見ぬふりをして、自分だが安寧に浸って……
そんな生が許されるというのだろうか?
なによりも、シンジが傷ついているのは誰のせいなのか?
(これは……、罰?)
もしあの公園で、缶ジュースなどに興味を持たず、飼い猫のように大人しく室内に戻る事を選んでいたなら。
シンジを目の端に止めても、それ以外の者達のように、気に止める事もしなかったなら。
(碇君……)
これ程苦しむことは無かっただろう。
苦しませる事も無かっただろう。
全ては、言うことを聞かずに反抗してしまった自分自身の責任なのだ。
(わたしは、獣じゃないもの……)
レイは悲しみも、苦しみも、寂しささえも理解していた。
それは間違いなく、人のみが持つ『感情』である。
だからレイの口元には、知らず満足げなものが浮かんでいた。
論理的に説明できないと言うことは……
熱く生きる、人の性、そのものに通じていることだから。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。