『なんでなのよ……』
 対面したカズアキの死、その時にぶつけようとした言葉を誰よりも引きずっていたのはアスカだった。
 誰に向けた言葉なのか?、誰に向けようとした言葉であったのか?
 使徒である事を隠していたカズアキに?
 騙された事に対する憤り?
 気付けなかった自分の間抜けさ?
 子供ですらも淡々と処理したシンジに対して?
 それともシンジにやらせた自分が許せず?
 使徒を惹きつける己の存在?
 語ろうとしないシンジに向けて?
 何事も無かったかの様に関係を維持するシンジに、アスカはなにかしらの答えを見付けようとしていた。
『アスカ、行くわよ?』
 そう自分に呪文をかけて、シンジとの関係修復に望んでいく。
「ごちそうさま」
 ゆっくりと話すとなると、時間が取れるのはお昼休みぐらいのものとなる。
 アスカが箸を置くのを見ても、シンジはまだモソモソと口にしていた。
「……おいしくない?」
「そんなことはないけど」
「そ、ならいいんだけどね」
 自販機で買い求めたパックの烏龍茶をすする。
(余り良い話しじゃ無さそうなんだよな……)
 だからシンジは、話しの引き伸ばしにかかっていた。
 だがそれをアスカは『美味しくないの?』と受け取り急っつく。
 やむなくシンジは、極普通に箸を置いた。
「ごちそうさま……、おいしかったよ」
「そ」
 言葉はそっけなく、だが嬉しさは顔に表して弁当箱を引き取っていく。
(やだな……)
 この和やかな雰囲気を壊すのは。
 そう思ってもしようがない。
(アスカは、そのために……)
 日本に来て、今は自分の側に居るのだから。
 恐らくは、碇シンジを安定させておくために。
「それで、話しってなに?」
 一瞬、アスカの動きがぎこちなくなった。
「アスカ?」
 再び動き出したかと思うと、スカートを折り込むような仕草で居を正し、シンジの肩に頭をもたげる。
「どうしたの?」
 シンジは倒れてしまわないように、アスカに向かって重心を傾けた。
「……あの子の家に、行って来たのよ」
「あの子……、って」
 カズアキ。
 耳をくすぐるように名を告げられて、シンジは返事にすらならない言葉を漏らした。
「そう……」
「知りたかったのよ……、なんで、ああなったのかをね?」
 何故か、どうしてか。
(どうして知りたいのかな?)
 その考えに、シンジは無意識の内に避けている自分を感じた。
「……なにもなかったわ」
「なにも?」
 秀麗な顔を歪ませるアスカ。
「そう……、おかしいのよ、あの子の家族構成も知りたくて、市のデータバンクにもハッキングを仕掛けて見たんだけど」
「……危ないことするね?」
「そう?、こんなのおちゃのこ……、じゃなくて、そのデータなんだけど」
「ん?」
「何も無かったのよ」
「無かった?」
 アスカはシンジのために噛み砕いて説明をした。
「この街はネルフ……、綾波家のために作られたと言っても過言ではないわ?」
「うん……」
「だから住居を得るには厳重な資格審査を通る必要があるの、それにあの子のご近所よ」
「近所の人?」
「ちゃんとカズアキ君のご両親の顔を覚えてたのよ……」
「え?」
「だから不正入居じゃない、あの家には確かに加納一家が住んでいた……、なのに入居していた事実は無い、データは無かったんじゃないわ、誰かに消されたのよ」
「家は?、カズアキ君のお父さんとか……、お母さんは?」
「もぬけの空、まるで夜逃げしたみたいにね?」
 肩をすくめる。
「誰かが……、どこかで糸を引いてるのよ、誰かがね?」
 くっと……
 アスカは知恵熱の出始めた頭を、シンジの喉元に押し付けた。


「悩んでるのか?」
 加納家からの帰りの車中、黄昏ているアスカに加持は横目に話しかけた。
「エヴァ、か……」
「ええ……」
 アスカはグシャッと髪に指を突っ込んだ。
「わからなくなっちゃった……」
 混乱を表すように掻きむしる。
「シンジの事は……、そうね?、好きよ、好意は持ってる、愛してるとまでは言えないけど……」
「それをシンジ君に伝えたか?」
「え……」
 アスカはキョトンとした。
「そんなの……」
 これ程露骨に表しているのに?、と顔で答える。
 加持はそれに対して苦笑で返した。
「言葉がないとわからないことがある……、逆に言葉にしてもらえれば、それを信じられるものさ、誰だって寂しさを護魔化したくなる時がある……、苦しみから逃れるために、縋るだけのものだったとしてもな」
 錯覚と言う名の暗示をかける呪文として。
「そんなの護魔化してるだけじゃない!」
「そうさ」
 加持は真顔で肯定した。
「人の付き合い始めなんてそんなものだろう?」
 誰だって『友達だ』と呼ばれる事を待ちわびているものだ。
『友達でも何でも無い』などと口にされて、なお側に居られる者がいるだろうか?
「そうかも……、しれないけど」
 その一言がなければ不安にもなるだろう、自分達の関係は何なのだろうかと。
「二人はエヴァだ、それはくつがえせない事実だよ……、俺も付き合った女は何人か居るさ、でも昔のことまで知っているのは葛城だけだ」
「……だから、ミサトなの?」
 揶揄する、しかし加持には通じない。
「人が一生の内で出会える人間なんてそういないってことだよ、その中で一番気楽な相手を選ぶだけさ」
「あたしには……、シンジか」
 同じエヴァであり、同じ歳であり、とても近しい、気疲れしない相手でもある。
 今の自分らしくない偽りの姿を差し引いたとしてもだ。
「学校の友達、会社の同僚、……他にもあるが、結局は『同じフィールド』を共有している人間だってことだよ、その内輪で関係を築いて絆を繋げていくのさ、誰でもな?」
 もう一度、考え込むように流れ行く景色を見やる。
「安易な話しよね……」
「……大変だな、アスカにはライバルが居て」
「え?」
 キョトンとする。
「ライバル?」
「レイちゃんだよ……」
「あ」
 アスカは加持の言わんとするところに気が付いた。
 男と女をつがいで組み合わせるのならば、この場合男の選択肢はシンジだけ、彼女達に選択権は無いのだ、選択する対象が居ないのだから。
 でもシンジには……
「負けないわよ!、あんな女なんかに」
「そうか……」
 加持は失いかけた意気を取り戻したアスカに微笑を浮かべた。
 それで何が解決したと言うわけでも無いのだが。


(嫉妬、か……)
 シンジはアスカの体重を支えながらも、それが他人のものであるような焦燥に駆られていた。
(違うよな、これって……)
 ほのかな香りと柔らかな感触に誘惑される。
(最低だ、僕って……)
 考えてみればアスカの事など何も知らないに等しいのだ。
 なのにこうして欲情している。
 アソコが多少堅くなっているのを恥じ入っている。
(結局……、嫌われるのが一番って事か……)
 肩に手を回そうかどうかと真剣に悩んでいた。
 瞬間、二つの画像が通り過ぎた。
 一つはより擦り寄って来きてくれるアスカの微笑……
 もう一方は、調子に乗るなと嫌悪に歪んだアスカの顔だった。
 そしてシンジは……
(そうだよな……)
 そこまで許しはしないだろうと予想した。
(仕事だもんな)
 これもポーズだけであり、心が篭っているはずは無いのだから。
 だからシンジは拳を握り込んだ。
(やっぱり、……嫌われなくちゃ、駄目だ)
 拳が震えた、血管が浮かぶ。
 最近、気を引こうとしている自分を感じていた。
 すねて見せたり、見捨てられないよう振る舞ったりして。
 別に嫌ってはいない、むしろ好きなのだと口にしたりと……
 アスカに遠ざかってくれとつっけんどんな態度を取る一方で、こうして極普通に会話を楽しんでしまったりもしていた。
(嫌だな……)
 アスカよりも、むしろそんな自分こそがうっとうしい。
 女々しくて。
 すっと、シンジの顔から表情が消えた。
 アスカの憤りへの脅えも、気恥ずかしさも、何もかもが消え失せた。
「ねぇ、アスカ……」
「なに?」
 もう少し浸らせろ、と声に甘えが混ざっている。
 しかしシンジはそれを無下にした。
「アスカも……、綾波と同じなの?」
「なによそれ?」
 体を離し、ようやくアスカはシンジの能面面に気が付いた。
「シンジ?」
 シンジはアスカの目を見ているようで、焦点は合わせていなかった。
「ホントは……、好きなんだ、好きなんだと思う、嫌いじゃないから……」
「なによそれは?」
 誰のことを言っているのかさえ怪訝に思う。
 それほどシンジの台詞は取り留めが無かった。
「ねぇ?、エヴァって何なのかな?」
「何、って……」
「これからも……、エヴァって増えていくんでしょ?」
「え……」
 話しの意図が見えずにキョトンとする。
「そりゃ、ね?、あたし達は最初のナンバーってだけで」
「だったら……」
(なに?、これ……)
 間隣に居るし、肩も触れ合っていると言うのに……
 穏やかな陽射しの中に、シンジは溶け込んでいるようだった。
 たった一人で。
 光に霞んで。
 寒気を覚える。
 大きな隔たりが感じられた。
(シンジ……)
 それを無くすために、温もりを伝えようとする。
 なのにシンジは……
「アスカは……、どうして僕と付き合おうとするの?」
「え……」
「だって……、僕のこと、好きでも何でも無いのにさ?」
 冷めた目を向けられて、アスカは喉に絡むような唾を飲み下した。
「それは」
「やっぱり、エヴァってのが惹き合ってるから?」
「違うわよ」
「綾波と同じか……」
 淡々と語る。
「アスカはさ?、僕のことどれくらい知ってるの?」
「……加持さんから聞くくらいにはね?」
「そうだよね?」
 頷く。
「やっぱりおかしいよ」
「なにがよ?」
 意地になってシンジの腕を胸に抱き込む。
「昔ちょっと会った事があるだけなのにさ?、それで好きとかって、変だよ」
 シンジは自分の腕に歪む胸を見下ろした。
「アスカはさ……、加持さんのことが、好き?」
「何よ急に?」
 多少赤くなる。
「……綾波は、父さんが好きみたいだ」
「は?」
「でも僕は……、僕は『人間』には好きな人が居ないんだ」
 吐き出すように、呻きを上げた。
「加持さんやミサトはどうなのよ?」
「……父さんと同じだよ」
 目を閉じたのは何かを堪えるためだろう。
「僕は預けられているだけだもの……、いらない子供なんだ、誰にとってもね?」
「あんた……、本気で言ってるの?」
 剣呑な言葉にもシンジはまったく動じない。
「用が無くなったら捨てられるんだ……、あの部屋だって、もうアスカのものなんだからね?」
「そんなことないわよ……」
「喜んだり、信じちゃいけないんだ、いつか捨てられるんだ……、今までそうだったもの、これからも」
「シンジ……」
「アスカも……、綾波もエヴァじゃない人が好きなんだよね?」
「それがどうしたのよ?」
「いいな……、って思って」
「なにがよ?」
「だってそれって、人の心があるから、人を好きになれるんでしょう?、親しくなれるんだ、でも、僕は……」
「あんただって」
「エヴァはこれからも増えるんでしょう?、その中にはきっとアスカに相応しい人だって出て来るよ」
「それがなんだってのよ!」
「エヴァとして惹き合ってる様な関係、続けていけるはずが無いんだよ、僕はもう、人じゃないんだから」
「は?、きゃ!」
 身を小さくする、胸に違和感、アスカの胸はシンジの手に掴まれていた。
 その反射に対応したように、アスカの髪の中から蜘蛛の足が一本伸びた。
「だめ!」
 アスカは押さえようとしたが遅かった。
 シンジを助けるために突き飛ばす。
 甲斐あってか?、足はバランスを崩したシンジの肩を貫いた。
 もしそのままであったなら……
 シンジの首を、喉仏へと貫いていた所であった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。