(やだな、もうここに来ることはないと思ってたのに……)
 斜めに固定された、円筒形の医療ベッドに寝かされる。
 ネルフのマークを付けた白衣のスタッフがテキパキとなにかしらの準備を進めていく。
 シンジは昔見た光景とさほど違わぬことに目眩いを覚えた。
『リリスは原則としてアダム因子と同じものなのよ……、それとの共存、適応能力のみならず、吸収し、自在に操っても見せている……、これを才能と呼ばずしてなんというのかしら?』
(こんな力があったって、なんにも好い事なんて無いのに……)
 皆に見下げられ、動物のように計られ、操られ……
 アスカと、レイの顔が脳裏を過る。
 醜く見下す、二人の顔が。
『これも資質というのかしら?』
(欲しかったわけでも無いのに)
『貴方が望んだ事よ』
(そんなの、……わからないよ)
「麻酔、注入します」
 ハッチのような蓋が閉じられ密封される。
 その中に流し込まれた霧状のガスに、シンジは意識を沈めていった。


(また嘘を吐いてるわね、わたしは……)
 その一切を取り仕切っているのはリツコであった。
(才能?、そんなもの欺瞞よ、シンジ君の体は眠っている間に作り変えられた、獣のようなものは外部端末にすぎないわ?、シンジ君の無意識の反応を投影するだけの)
 それが猫のような仕草を見せるのは、シンジが無意識の内に『その様な生き物だ』と思い描いているからに過ぎない。
(適応能力や吸収にしても彼自身が始めから持っていたわけじゃない、でもねシンジ君、貴方のエヴァの特異さは、あなた自身が望んだ能力、それだけは本当の事なのよ……)
 遠い目をして思い返す。
 それは監視カメラに残されていた映像だった。
 母が幼い少女を絞殺しようとしていた。
 その少女は死の直前に、獣を一匹産み落とした。
 股の間から流れ落ちる透明な液体。
 失禁に思えたそれは、捻り上がりながら人の形を整えた、そして……
 赤木ナオコを引き裂いた。
(擬似体験……、恐らくシンジ君はレイの恐怖心を感じ取ったのね、……それはアダムが次のアダムへとデータを伝播していくのと同じ反応)
 だからシンジは手にしたのだろう。
 捨てられたくないのなら、必要とされている力を持てばよい。
 物真似だとしても、使える人間であれば捨てられることは無いのだから。
 そのあさましい考えが生み出した最強にして最悪の力が……
(人間が恐いのね?、……でも一人になりたいのならATフィールドがあるのよ、誰にも気付かれず、孤独になることができるわ?、欲しいものは何でも手に入れられるし、お腹が空いたのなら盗めばいい)
 もっとも、と付け加える。
(そう言う悪事を見張るためのエヴァでもあるけれど)
 苦笑いを浮かべる。
(でもシンジ君は人の倫理や道徳から外れようとはしていない、どんなに辛くて、どんなに悲しくて、どんなに恐くても、人を傷つけるような事はしない、それはなぜ?)
 罪を犯せば本当に人の間では生きていけなくなってしまうから。
(孤独は辛いものなのよ……、誰でもね?、そしてシンジ君、貴方は何を望んでいるの?)
 人は理解できないものに出会った時、初めて化け物と口にする。
 アスカのように。
(でもシンジ君。、貴方の考えなんてね?)
 酷く単純で、分かりやすくて……
(貴方は間違いなく、人間よ……)
 リツコはモニターに映っている、シンジの悪夢を見ている様な寝顔を見つめた。
 と。
「なに?」
 急にバチンとブレーカーが落ちたように……
「どうしたの!」
 全ての機械が沈黙した。


「どうだ?」
「ダメです、屋敷だけではありませんね」
 冬月に答えたのは青葉だった。
 アスカの護衛と言う仕事を干されて以来、綾波家のオペレーションルームでメインオペレーターを務めている。
「携帯電話も駄目です、携帯無線機が有効な事から、ネットワークに繋がっている全ての機器が誤動作を起こしていると思われます」
 事実上、都市機能は市庁舎地下にあるコンピューター、マギによって統括管理されていた。
 綾波グループによって統治されているこの街だが、そのグループ企業は全てがマギに何らかの形で頼っているのだ。
 そのマギへのアクセスに不正が多発している。
 それでも青葉と日向の二人は、必死にアクセスをくり返していた。
「そっちはどうだ?」
「パターン青、反応は街の全域に広がっているよ」
 ふむ、と冬月は顎を撫でた。
「やはり回線は……」
「乗っ取られたな」
 冬月の言葉を続けたのはゲンドウだった。
 後れ馳せながらの参上である。
「前回のジオフロントと言い……、今度は衆人監視の元での事件だぞ、どうする?」
 いかなるものの仕業なのかはともかくとして、綾波家の管理能力を疑われることは非常にまずい。
「限界だな」
 ゲンドウは冬月に『来い』と目で促し、部屋を出た。
「これを機に公開するか?」
 従う様に廊下を歩く。
 足が沈むような絨毯と、重厚過ぎる扉に無駄を感じながら。
 現在、第三新東京市のネットワークは、全域に渡って混乱に陥っていた。
「第三新東京市は、やがて訪れる来たるべき世紀の首都として、また独立国家としても機能するべく自給自足を可能にするよう建設が進められている、これ以上の問題は実験都市、次期首都と言うカモフラージュが剥がれかねん」
「その前に公開に踏み切るか……、レイはどうした?」
「迎えを出させた、直に捉まる」
「しかしマーカーの中継器も死んだままだぞ」
 市、全体に人員をばらまいてのローラー作戦。
 マーカーの直接受信は半径百メートルと限られている。
 保安部員の相当数が彼女の保護に狩り出された事から、冬月はレイに対する寵愛ぶりに頭を痛めた。
 真に深刻な事態を迎えた時に危険に曝されるのは、エヴァである彼女ではなく、人である自分達の方なのだから。


 停電、いや、システムは完全には落ちていなかった。
 少なくともシンジが放り込まれている医療ベッドだけは、以前としてその機能を維持し続けていた。
「赤木博士!」
「どうしたの、復旧は!」
「あれを!」
 助手らしき男がシンジの眠るケースを指差す。
「シンジ君!」
 シンジの体に無数の血管が青く酷く浮かび上がっていた。
 まるで侵食するように。


「あれ?」
 目を開いたシンジは、フワフワとした感覚に戸惑い、声を漏らした。
 辺りを見回す、上も下も無く、どこまでも真っ白な世界だった。
「ここは……」
「『君』の中だよ」
「誰!?」
 一瞬で世界に景色が生まれた。
 足が地に着いた感触、そこは黄昏の世界だった。
 昼から夜へと移り変わる、狭間の世界をただ走る、古い電車の中だった。
「君は……」
 ガタンゴトンと震動に揺れる。
 対面に座っていた少年は面を上げた。
「僕は使徒だよ……」
 その顔は異様なほどに青白く、頬もげっそりとこけていた。
「使徒?、君が?」
「そうさ」
「でも、どうして僕は……」
「心配することは無いよ、わかるだろう?、多分……、今日、ここで君と出会えたのは運命なのさ」
「運命?」
「そうさ」
 怪訝そうなシンジに微笑みを返す。
「覚醒するのが遅過ぎたんだ……、この体はもう保たないんだよ」
 着ている服は薄い水色の寝間着だった。
 プルプルと震えている右手を持ち上げる。
 枯れ木のようにやせ細っていた。
「ね?、使徒の回復力が、逆に病気を進行させちゃったんだ」
「そんな……」
 シンジは自分の肩を押さえた。
 あれほどの怪我をしても治ったというのに……
「君と僕とは違うのさ……」
 それを見越したように言葉を続ける。
「僕は死にたがりだからね?」
「死にたがり?」
「そうだよ?」
 疲れたような顔を上げる。
「ずっと布団の中だった……、一度も歩いたことがないんだ、歩かせてもらえなかったからね?」
「病気……、なの?」
 彼は頷く。
「だから早く死にたかったんだ」
「なんで……」
「死ねば楽になれるじゃない?」
 シンジはその提案に頷いた。
 頷いてしまっていた、自然と。
 それはシンジも知っていたからだ、もっとも安易で、簡単な逃避の方法なのだと。
「でもよかった、君に会えて」
「何故?」
「どうしてかって?」
 シンジの質問に笑みを返す。
「分かっているんだろう?、君は僕達を妬んでいる」
 シンジは目を閉じ、「ああ……」と祈る様に天井を仰いだ。
 リツコの話が思い出される。
『そして彼らは怪物と蔑まれるか、人として妬まれるかのどちらかなのよ』
 自分よりも強いものを。
(僕は……、妬んでたんだ)
 楽しそうな人を。
 幸せに満ちた人々を。
 それを手にするために。
 満ち足りないものを手に入れるために。
 人を、使徒を殺して……
「僕は……、最低だ」
 シンジは自らを吐き捨てた。
「でも僕にとっては希望そのものさ」
「え?」
 爽やかな表情に戸惑ってしまう。
「……僕の夢、希望は君が受け継いでくれるんでしょう?、だからだよ」
 その血を、遺伝子を汲み取って。
「そんなの勝手じゃないか!」
「でも君が望んだこと、そのものだよ」
 誰にも見捨てられないように。
 重宝されるようにスキルを、技術を得る事は。
「そして君は、あの少女の事も愛してくれる」
 パズルが構築されるように、アスカの虚像が組み上げられた。
(愛?、アスカ!?)
 この人もか、とシンジは驚いた目を向けたのだが。
 彼は「違うよ」と首を振った。
「正直……、僕は彼女に会ったことがないからね?、この体だし……、子を残す事も出来ない」
「だから……、僕に任せようって言うの?」
「会った事も無い人を好きになるはずがないさ、でも君の悩みを一つだけ減らしてあげることは出来るよ」
「え……」
 独白するように少年は続ける。
「君が僕達を取り込むように……、僕が君の意識を貰うよ」
「そんな!」
「魂の原型さえあれば肉体なんてただの器さ……、そして僕は、君に記憶を移植する事さえ出来る」
「僕になって……、僕の体を手に入れて、どうしようって言うのさ!?」
「決まってるよ」
 嘲り笑う。
「あの子達と子供を作るんだ、君の遺伝子を使う事になるけど、僕達は使徒だからねぇ?、魂の形質さえ融合させる事が出来れば……」
「う、わ……、うわあ!」
 シンジの体に何かが忍び込んでいく。
 指先から体表面の下を潜るように、何かが腕を這い昇る。
 それは首元からさらにシンジの頭を目指し、頬に血脈のような網模様を盛り上がらせた。
「大丈夫、間違いなく生きるのは君だよ、……例え僕の記憶を持って、僕と同じ考え方をして、僕が話すように話したとしてもね?」
 体は君のものなのだから。
「だから安心して」
(安心?)
「生きてても好い事が無いなんて、贅沢なんだよ」
(贅沢?)
「だから、僕にちょうだい」
(あげる?、何を……)
「友達も、恋人も、父さんも、母さんも、僕に!」
(父さん……、母さん!)
 その言葉を聞いた瞬間。
 シンジの中で、何かが切れた。
 一度俯いた後、顔を上げる。
 その姿は紫色の化け物に変わっていた。
「なっ!?」
 そして襲いかかる、座席を蹴って。
「やめっ!」
 彼は首筋を食い千切られたために、制止の言葉を吐き切れなかった。
 そして、後には……
 幻の世界には、気色の悪い、咀嚼する音だけが残された。


 カキョンと……
 不意に全てが正常に戻った。
「早くシステムをチェックして!」
 リツコは怒鳴りながらもシンジの姿をケースの窓越しに確認した。
(ミサトの頼みで呼び出しておいて、この様じゃね……)
 荒い呼吸はしているようだが、血管の拡張は収まったようで、シンジは落ちついた心拍数を刻んでいた。
(なんだったのかしら?)
 その疑問は、翌朝の新聞にて解消された。
 三面記事の最下行、写真すら載せられないようなスペースに、小さく『シュニッツラー免疫不全性症候群』にかかっていた少年の死亡記事が載っていた。
 それはある種の病原菌に対する抗体が、まれに異常増殖することが発病に関係すると見られている病気である。
 発病後の治癒の確率は無きに等しく、奇跡的な回復例も、世界で数件が報告されているのみである。
「『彼の心不全と持病との間に関連性は見られず』、……か、なるほどね?」
 リツコはまたタバコを咥えた。
「自らを電脳化、データ化してシンジ君にインプリントしようとしたのね……、でも逆にシンジ君に『データ処理』されてしまった、彼らは……、肉体と言う器すら越えようとしているの?」
 リツコは窓の外を見た。
 空は青く晴れていたが、澄んでいると言うには雲があまりに多かった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。